東京都文京区湯島にて石川鬼千の加茂桐箪笥、仏像、仏具など。

東京都文京区湯島にて、伝統工芸士 石川鬼千の加茂桐箪笥、仏像、仏具などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすや仏具をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。本日お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、四方丸下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。四方丸は箪笥の四方(四つの角)を丸める加工で、最高級のタンスによく見られます。天と地を丸めるので天地丸とも呼ばれ、天地丸はその佇まいから「四方全て丸くおさまる」と言われ縁起の良い箪笥といわれております。前飾りには久光の銘があります。伝統工芸士である石川鬼千の作。砥粉落ちや汚れ、小さなアタリなどはありましたが、中の状態良くまだまだ次へと繋げていける箪笥でございます。多少の難有ではございましたが、当社で買い取りを強化している伝統工芸品指定桐箪笥ですので、買取させていただきました。仏像は木彫りの阿弥陀如来坐像。仏具は近代のものでしたが、花立、火立、香炉、おりん、仏器など全て買取らせていただきました。また、鳩居堂、松栄堂、日本香道のお線香も併せてお売りいただきました。ご家族が大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。

加茂桐箪笥(かもきりたんす)新潟県加茂市で作られる最高級の桐たんす。六角堂でも探し求めている桐箪笥の一つになります。加茂市で「桐たんす」が作られるようになったのは、およそ200年以上前(天明年間)と言われており、現在では日本全国の約70%の桐たんすが加茂で作られています。桐たんすと言えば「加茂」と言われるほど、その技術と品質は全国的に高い評価を受けています。数々の逸品を生み出してきたその技は脈々と受け継がれ、その伝統と優れた品質が評価され、1976(昭和51)年、通商産業大臣から伝統的工芸品「加茂桐箪笥」の指定を受けました。木肌のぬくもり、絹に例えられる白い艶や、柾目の色合いは、家具の最高級品の名にふさわしいものです。
『加茂桐箪笥伝統工芸士』(物故作家含む) 石川鬼千 田澤謙介 東樹義明 吉沢昭次 頓所芳男 皆川新司 番場堅介 中山昌二 坪谷哲男 三本和好 山本隆 鈴木浩市 水科政明 皆川繁之 横山松雄 番場堅 大橋勉 金井国男 鈴木進 神保良雄 石井克彦 高橋浩人 高橋聡 高橋研二 野本光男 藤田隆二 坂井昭兵 阿部健 斉藤敬二  江部雅之 大関正 堀正和 小柳幸太郎 小池茂次 坂内純一 長谷川進之助

 

東京都立川市にて水科政明の加茂桐箪笥、着物、和装小物など。

 

東京都立川市にて伝統工芸士 水科政明の加茂桐箪笥、お着物、和装小物などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。ご家族が大切にされていた桐たんすやお着物などをお売りいただきました。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、天丸下五大洋衣装箪笥という形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。前飾りには友峯刀の銘があります。伝統工芸士である水科政明の作。砥粉落ちや汚れ、小さなアタリなどはありましたが、中の状態良くまだまだ次へと繋げていける箪笥でございます。多少の難有ではございましたが、当社で買い取りを強化している伝統工芸品指定桐箪笥ですので、買取させていただきました。お着物にも所々シミ汚れがございましたが、すべて買い受けさせていただきました。和装小物は帯締めや帯揚げなど、状態の良いもの、未使用の物が多くございました。こちらも全て買取らせていただきました。ご家族が大切にされていたお着物や桐たんす、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。

加茂桐箪笥(かもきりたんす)新潟県加茂市で作られる最高級の桐たんす。六角堂でも探し求めている桐箪笥の一つになります。加茂市で「桐たんす」が作られるようになったのは、およそ200年以上前(天明年間)と言われており、現在では日本全国の約70%の桐たんすが加茂で作られています。桐たんすと言えば「加茂」と言われるほど、その技術と品質は全国的に高い評価を受けています。数々の逸品を生み出してきたその技は脈々と受け継がれ、その伝統と優れた品質が評価され、1976(昭和51)年、通商産業大臣から伝統的工芸品「加茂桐箪笥」の指定を受けました。木肌のぬくもり、絹に例えられる白い艶や、柾目の色合いは、家具の最高級品の名にふさわしいものです。
『加茂桐箪笥伝統工芸士』(物故作家含む)水科政明 田澤謙介 東樹義明 石川鬼千 吉沢昭次 頓所芳男 皆川新司 番場堅介 中山昌二 坪谷哲男 三本和好 山本隆 鈴木浩市 皆川繁之 横山松雄 番場堅 大橋勉 金井国男 鈴木進 神保良雄 石井克彦 高橋浩人 高橋聡 高橋研二 野本光男 藤田隆二 坂井昭兵 阿部健 斉藤敬二  江部雅之 大関正 堀正和 小柳幸太郎 小池茂次 坂内純一 長谷川進之助

東京都三鷹市にて加藤春鼎、丸田正美、諏訪蘇山、小野珀子のぐい呑。

      

東京都三鷹市にて加藤春鼎、丸田正美、三代 諏訪蘇山、小野珀子のぐい呑、着物、反物をお売りいただきました。

業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や反物などをご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、紬や訪問着などのお着物、紬や作家物の反物、二代加藤春鼎の黒引出しぐい呑、丸田正美の黒牟田焼 塩釉呉須ぐい吞、三代諏訪蘇山の飛青磁酒盃、小野珀子の金襴手ぐいのみなど。たくさんのお品をお売りいただきました。状態良く、当社で買取強化中の作家作品もあり、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。ご家族が大切にされていたお着物やお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、有難うございました。

二代 加藤春鼎(かとうしゅんてい)昭和2年~平成7年
瀬戸市赤津町 鼎窯 号春倫。
昭和36年、二代春鼎襲名。鼎窯会主宰。
「古瀬戸鉢」瀬戸市永年保存に選定。
日本工芸会正会員。
日本工芸会東海支部役員。
瀬戸陶芸協会理事。
朝日陶芸展運営委員。
県展審査委員。
愛知県芸術選奨、教育文化功労賞。高島屋、松坂屋などで個展開催。

丸田正美(まるたまさみ)1925~1979年
日本工芸会正会員、黒牟田窯の陶芸家。享年54。号麦民。
1925年 9月10日佐賀県武雄市の窯元に生まれる。
1942年 佐賀県立有田工業高校窯業科を卒業。
1950年 人間国宝 浜田庄司に師事する。
1960年 佐賀県展で最高賞受賞。
1963年 第37回国展に入選。
1966年 日本工芸会西部展で最高賞受賞。
1970年 日本伝統工芸展。
1973年 一水会展に出品。
1978年 日本工芸会正会員となる。同年、東急本店で九州陶芸三人展を開催する。
1979年 逝去。
桃山末期に開窯した黒牟田窯の伝統技法に、塩釉を使って民芸的な独特の作風を築いた。代表作に「塩釉鉄砂呉須陶鉢」など。

三代 諏訪蘇山(すわそざん)1932年~2005年
三代諏訪蘇山は二代諏訪蘇山の弟・米沢蘇峰の次男として京都に生まれ、二代の養子となる。
本名を修という。富本憲吉、近藤悠三、清水六兵衛氏に師事。
1955(昭和30)年 京都市立美術大学陶磁器科を卒業。
1970(昭和45)年 3代諏訪蘇山を襲名。
1971(昭和46)年 光風会審査員に就任。
1976(昭和51)年、京都市美術展審査員に就任。
2002(平成14)年 古希を機に三女・公紀に家督を譲って隠居、「玄心」と改名。

小野珀子(おのはくこ)1925~1996
愛知県名古屋市出身
大正4年 小野琥山の長女として生まれる。
昭和39年 加藤土師萌の釉裏金彩技法に強い感銘を受け、独学で研究をはじめる。
昭和44年 釉裏金彩金襴手の、技法を完成し陶芸展出品を始める。
昭和45年 九州・山口陶磁展で「釉裏金彩紫陽花文青釉壺」が第一席を受賞。同年、日本伝統工芸展に初入選。
昭和48年 日本工芸会正会員認定、日本陶芸展1部優秀作品賞。
昭和56年 日本陶芸協会賞受賞。
平成4年 佐賀県重要無形文化財に指定。
平成8年 永眠

東京都中央区晴海にて五世 秦蔵六造 塗金銅製 香爐、天柾本榧将棋盤など。

東京都中央区晴海にて五世 秦蔵六造 塗金銅製 「瑞雲」 香爐、天柾本榧将棋盤などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、五世 秦蔵六の香炉、天柾本榧将棋盤、掛け軸や七宝花瓶など。お父様が大切にされていたお品々をお売りいただきました。掛軸は横山大観や川合玉堂などの工芸画などがございました。秦蔵六は幕末~明治時代の鋳金家。初代から現在六代まで続く名工です。中国の青銅器をモチーフとした作品をはじめ、 茶道・華道で使われる湯沸、香炉、花生など日本の伝統文化に即した作品は日本国内問わず、中国でも需要が多くございます。初代より六世までそれぞれの個性はありますが鋳金技術はどれも最高峰であり、国内が誇る名工であります。お売りいただいたお品は五世 秦蔵六の塗金銅製 「瑞雲」 香爐。秦蔵六の作品には本品のようにところどころに金箔を張った作品が多く見られますが、時代経過と共に金箔がはがれている様を表している蔵六独特の意匠であり高く評価されております。共箱などの付属品はありませんでしたが、当社の買取強化作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。また、将棋盤や駒台などもお売りいただきました。こちらの将棋盤は宮崎県日向産の本榧製で天柾の厚みあるお品でした。昭和初期の頃の将棋盤とのことで多少のダメージはありましたが、大変素晴らしいお品でした。駒を紛失されてしまったようで、見つけ次第またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。お父様の大事にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

埼玉県朝霞市にて十三代柿右衛門窯の花瓶、川越市にてお着物、帯。

埼玉県朝霞市にて十三代 酒井田柿右衛門 染錦梅鳥文花瓶、茶道具、川越市にてお着物や帯をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県朝霞市にて、茶道具や柿右衛門の花瓶を買取させていただきました。茶道具はお稽古用のものが多くございましたが、全て買取させていただきました。柿右衛門の花瓶は十三代柿右衛門窯の染錦梅鳥文花瓶。柔らかく温かみのある乳白色の素地に繊細で華やかな色絵が魅力の作品です。残念ながら共箱の欠品、ややスレなどございましたが、当社で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。良いお品をお売りいただき、ありがとうございました。二件目は川越市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらは着付けの教室をされていたお客様でしたので、たくさんのお着物がございました。振袖、留袖、訪問着、小紋、紬、帯など、多数お売りいただきました。数点シミ汚れの出てしまっているものもございましたが、お着物を取り扱うプロのお客様ですので、全体的に状態も良く、大切に保管されておりました。一点一点丁寧に査定し、精一杯の査定額で全て買い受けさせていただきました。ご家族の大切にされていた大事なお着物、当社にお売りいただき誠に有難うございました。大切に次へと橋渡しさせていただきます。総桐のたんすも素晴らしいものでしたので、ご処分される際にはまた六角堂をご指名ください。

13代 酒井田柿右衛門 1906(明治39)年~1982(昭和57)年
13代酒井田柿右衛門は12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県で生まれる。
本名を渋雄といいます。
1924(大正13)年、有田工業学校製陶科を卒業。
1953(昭和28)年、父と濁手素地の復興に成功する。
1955(昭和30)年に「柿右衛門」の製陶技術が文化財保護委員会より、記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受ける。
1963(昭和38)年、13代酒井田柿右衛門を襲名。
一水会審査員に就任しました。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員。
1966(昭和41)年、佐賀県文化功労者に選択される。
「柿右衛門」の陶芸技法が佐賀県重要無形文化財に指定される。
濁手草花文蓋物が宮内庁に買い上げられました。
1967(昭和42)年、佐賀県重要無形文化財に認定。
1969(昭和44)年、皇居新宮殿に濁手瓢形壷一対を制作する。
1970(昭和45)年、佐賀県陶芸協会会長に就任。
濁手菊鳥文壷が外務省に買い上げられ、サンパウロ日本館に展示される。
1971(昭和46)年、13代を会長に上級技術者11人で柿右衛門製陶技術保存会を設立。
技術保存会による「濁手」の技法が重要無形文化財として総合指定を受ける。
濁手露草文鉢等が宮内庁に買い上げられました。
東宮御所の御用食器を納入しました。
濁手花鳥文陶額がオランダ日本大使館展示品として外務省に買い上げられました。
1972(昭和47)年、紫綬褒章を受章。
1974(昭和49)年、迎賓館に濁手梅花文壷を制作。
1975(昭和50)年、西日本文化賞を受賞。
濁手草花文鉢と濁手椿文壷が文化庁に買い上げられました。
1976(昭和51)年、柿右衛門製陶技術保存会が技術保持団体として認定。
1978(昭和53)年、勲四等旭日小綬章を受章。
1982(昭和57)年、有田名誉町民の称号を受ける。この年、永眠する。

東京都台東区浅草橋にて星襄一の木版画、生野祥雲斎のおしぼり受け、着物、反物。

   

東京都台東区浅草橋にて星襄一の木版画「大樹(赤)」、此君亭工房 人間国宝 生野祥雲斎のおしぼり受け、着物、反物をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や絵画などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、星襄一の木版画「大樹(赤)」、此君亭工房 人間国宝 生野祥雲斎のおしぼり受け、着物、反物など。お着物は紬や留袖、作家物の訪問着など。反物は結城紬や琉球紬など。和装小物も併せてお売りいただきました。
星襄一は大正~昭和にかけて活躍した版画家。生命の力強さと繊細さを併せ持った「樹木」を題材とした作品を多く手がけ、独特の美の緊張感の中に力強さと温か味のある作風が特徴です。お売りいただいた絵画は木版画「大樹(赤)」。星襄一の代表作です。1976年の作品。多少のシミ汚れが有るものの、当社買取強化作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。
生野祥雲斎は高い芸術性と個性表現を追及し造形力に秀でた作品を制作。透編組物、筒物などを得意とし、竹の清楚感と強靭さ生かした作品が特徴であります。1967年、竹芸技法で国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されております。此君亭工房生野祥雲齋が昭和20年代初期に創始した工房。日常生活の中で使われる花器や銘々皿、おしぼり入等、シンプルなデザインのクラフト作品を制作ております。現在は祥雲齋の長男の生野徳三が継いでおります。お品はシンプルで素晴らしいおしぼり受けです。
お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

星襄一(ほしじょういち)1913年~1979年
1913年 新潟県北魚沼郡小出町に生まれる
1932年 台南師範学校卒、現地にて教職13年
1946年 戦後台湾より引揚げ、生地にて謄写版印刷業を営みながら孔版画を始める
1952年 日本版画協会会員となる
1956年 武蔵野美術学校西洋画科卒、木版画独習
1960年 国画会会員となる
1969年 ニューヨークにて現代日本版画巡回展
1970年 『樹シリーズ』に取り組む、オレゴン大学にて100人の日本版画巡回展
1971年 ベルギー・ブラッセルにて現代日本版画展
1972年 イタリー・カルピ国際木版画トリエンナーレ
1977年 ベルギー・ブラッセルにて現代日本版画展、モンゴル取材旅行
1979年 6月17日、逝去

生野祥雲斎(しょうのしょううんさい)1904年~1974年
1904年 大分県生まれ
1923年 佐藤竹邑斎に師事
1938年 大分県工業試験場別府工芸指導所勤務
1943年 第6回文展特選
1956年 日展北斗賞
1957年 日展特選、北斗賞
1965年 日本伝統工芸展監査委員に就任
1967年 重要無形文化財「竹芸」保持者(人間国宝)に認定
1969年 紫綬褒章
1974年 勲四等旭日小綬章、逝去

東京都品川区上大崎にて人間国宝 鹿島一谷の弥勒佛彫金額、銀製品、仏像。

東京都品川区上大崎にて人間国宝 鹿島一谷の弥勒佛彫金額、銀製品、仏像などをお売りいただきました。

解体業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。ご実家を解体するため、長年保管されていた仏像などをご処分したいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、古銅の阿弥陀如来像や木彫りの大黒天などの仏像、人間国宝 鹿島一谷の弥勒佛彫金額、銀製品など。鹿島一谷(かしまいっこく)は、東京都出身の金工家。国指定重要無形文化財(人間国宝)「彫金」の保持者として一家伝来の布目象嵌技法を自在に駆使し、優美で格調高い作風を確立した事で知られています。花瓶、香炉、花器、レリーフ、水滴、水注など、多くの秀作を残しました。お売りいただいたお品は、銀製の台に金彩弥勒佛の彫金額。金属特有の変色や額にシミなどございましたが、当社の買取強化作家作品ですのでお客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。銀製品は盃や茶托、銀食器など。ホールマークの入った古いものから新しいものまでたくさんお売りいただきました。ご家族が大事にされていた思い出の品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。

鹿島一谷(かしまいっこく)1898年(明治31年)‐1996年(平成8年)
1898年 代々彫金を営む家の長男として東京都で生まれる本名は栄一。
1912年 関口一也、関口真也に師事。
1929年 第10回帝展に「焔文様金具」で初入選。
1931年 祖父一谷斎光敬、海野清、北原千鹿に師事。
1949年 日展で特選となる。
1955年 日本工芸会の創立に参加する。
1958年 無形文化財「布目象嵌」の技術者となる。
1967年 紫綬褒章受章。
1979年 国指定の重要無形文化財「彫金」保持者に認定される。
1996年 11月23日、98歳で逝去。
宮内庁の依頼品「菊菱地柳鷺紋飾壺」製作、唐招提寺国宝「金亀舎利塔」、山形県若松寺重文「金銅観音像懸仏」などの保存・修復に従事するなど高い技術で活躍を示す。

東京都渋谷区猿楽町にて龍村平蔵製の本袋帯、お着物、かんざしや櫛など。

   

東京都渋谷区猿楽町にて龍村平蔵製の本袋帯、お着物、簪や櫛などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や骨董品などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。本日お売りいただいたお品は、龍村平蔵製の袋帯、お着物、かんざしや櫛。簪や櫛は、金蒔絵や螺鈿の入った出来の素晴らしいお品でした。お着物は訪問着や友禅、留袖、紬など多数。仕舞ったままの状態でしたので、シミや汚れなど出てしまっておりましたが、作家物のお着物も多数有り、全て買取させていただきました。帯は龍村平蔵のものや川島織物など、こちらも多数お売りいただきました。初代 龍村平蔵(たつむらへいぞう)は、経糸と緯糸とで構成される織物を、独特の陰影をたたえた立体の造形としてとらえ、新技法を次々と生み出しました。法隆寺、正倉院に伝わる古代裂など伝統的な織物の研究に尽力し、復元の第一人者として織物の地位を「芸術の域」にまで高めました。お売りいただいた帯は孔雀に花の図の花鳥文、國賓楊成盆織出し本袋帯の二点。シミ汚れや裏面に数点の薄アクなどございましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。他にも絵画や掛軸、陶器、ブランド洋食器などたくさんございましたが、車に積みきれず。明日トラックで再度お呼びいただくこととなりました。明日もまた、よろしくお願い致します。本日はお忙しい中、当社をご指名いただき有難うございました。

初代 龍村平蔵(たつむらへいぞう)1876年 – 1962年
1876年(明治9年)  – 大阪の両替商の長男として生まれる
1887年(明治20年) – 大阪商業学校に進学
1892年(明治25年) – 大阪商業学校を中退し呉服の道へ
1894年(明治27年) – 織物業を創業
1906年(明治39年) – 龍村製織所設立
1956年(昭和31年) – 日本芸術院恩賜賞を受賞
1958年(昭和33年) – 紫綬褒章を受章
1960年(昭和35年) – 財団法人大日本蚕糸会より恩賜賞を受ける
1962年(昭和37年) – 死去(享年86歳)

千葉県柏市にて前田青邨の木版画 扇面武者、九谷錦山造 色絵孔雀図飾皿、桐箪笥。

    

千葉県柏市にて前田青邨の木版画 扇面武者、九谷錦山造 色絵孔雀図飾皿、桐たんすをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥や額などをご処分したいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、前田青邨の木版画 扇面武者、九谷錦山造 色絵孔雀図飾皿、桐たんす。桐たんすは伝統工芸品に指定されている名古屋桐箪笥。シミ汚れが目立つものの良いタンスですので、買取させていただきました。
前田青邨は二度の大戦をまたぎつつも日本美術界を牽引してきた巨匠。玉堂の後を継ぎ、皇室で絵の指導をする。武者絵、花鳥など主題は多岐に渡る。日本画の伝統に裏打ちされた確かな技術に加え、大胆な構図は流石である。多くの後進の育成にも非常に精力的だった。お品は青邨を代表する武者の図。川面義生作の木版画。落款と印共に版上。額は岡村多聞堂製。
九谷錦山窯は、石川県小松市高堂町にある九谷焼上絵付を専業とする窯元。明治39年に初代の吉田庄作がこの地に開業して以来、110 年近く窯の火を絶やさずに作陶を続けてきました。錦山窯が得意とするのは、金彩の技法であります。三代美統は「釉裏金彩」の技法を高め、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されております。現在は四代幸央が伝統の技を継承しております。お売りいただいたお品は色絵孔雀図飾皿。所々に金彩が施され、華やかな雰囲気になっています。見事な絵付けの皿です。
いずれも大変素晴らしい作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。大切にされていたお品々、大事に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、当社をご指名くださり有難うございました。

前田青邨(まえだせいそん)1885年~1977年
1885年 1月27日、岐阜県に生まれる。本名 廉造。
1898年 上京し京華中学校に入学するが体をこわして中途退学、帰郷。
1901年 再び上京し、尾崎紅葉の勧めで梶田半古に入門。
1902年 半古から青邨の雅号をもらう。
1907年 紅児会に入会。
1911年 荻江露友と結婚。
1914年 再興日本美術院の同人に推挙される
1918年 日本美術院評議員となる。
1922年 小林古径と共に日本美術院留学生として約1年間渡欧。
1930年 日本美術院経営者となる。「洞窟の頼朝」で第1回朝日賞受賞。
1935年 帝国美術院会員となる。御即位記念献上画「唐獅子」を制作。
1937年 帝国芸術院会員となる。
1944年 帝室技芸員となる。
1950年 文化財保護委員会専門審議会委員に就任。
1951年 東京芸術大学日本画科主任教授となる。
1955年 文化勲章受章。皇居新宮殿石橋の間に壁画「石橋」を謹作。
1956年 日本美術家連盟会長に就任。
1957年 川合玉堂の後を継いで香淳皇后の絵の指導役となる。
1958年 日本美術院常務理事。
1959年 国立近代美術館評議員。
1960年 訪中日本画家代表団団長。
1962年 東京芸大名誉教授。
1964年 日光二荒山神社宝物館の壁画「山霊感応」完成。
1967年 法隆寺金堂壁画再現事業総監修に安田靫彦と共に就任。
1970年 1955年勤作「石橋」に加筆。左右に「紅牡丹」「白牡丹」の二面を制作。
1973年 高松塚古墳壁画模写事業総監修者。
1974年 ローマ法王庁からの依頼により「細川ガラシア夫人像」を完成。
1977年 10月27日、92歳で逝去。贈従三位。

埼玉県和光市にて高橋重弘の五合庵 銅製香炉、玉川堂の亀甲文銅製茶器揃。

  

埼玉県和光市にて高橋重弘の五合庵 銅製香炉、玉川堂造の亀甲文銅製茶器揃などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画や骨董品などをご処分したいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、リトグラフ二点、油彩画一点、高橋重弘の五合庵 銅製香炉、玉川堂造の亀甲文銅製茶器揃など。高橋重弘は新潟県の鎚起銅器の職人。五合庵(ごごうあん)は燕市の国上山(くがみやま)の麓にある国上寺(こくじょうじ)の境内にあります。良寛が40代後半からから約20年生活したと言われている草庵で、かやぶき屋根の極めて簡素な造りであり、現在の建物は大正時代に再建されております。良寛はここで托鉢に出たり、座禅をしたり、「源氏物語」や「万葉集」、「永平録」などを読み、多くの漢詩・長歌・短歌を生み出したとされてます。お品は五合庵の形をした鋳銅香炉。銀製の瓢箪が載せられたりと大変面白い香炉です。共箱付、状態も良かったので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。玉川堂もまた新潟県燕市の「鎚起銅器」(ついきどうき)の伝統技術を二百年弱に渡って継承している老舗。銅に多彩な着色を施す技術は、世界でも玉川堂のみが保有しています。お売りいただいたお品は、亀甲文銅製茶器揃。茶筒、茶托(五客)、建水のセット。共箱もあり六角堂の買取強化商品ですので、こちらもお客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。お客様にお売りいただきましたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はお忙しい中、当社をお呼びいただき有難うございました。
六角堂では、玉川堂をはじめ、松栄堂・銀川堂・山川堂・海玉堂・清雅堂・富貴堂・上彬堂などの茶器(湯沸、水注、急須、茶筒、茶托、茶合)や酒器(銚子、猪口、ぐい呑)、花器(花瓶、一輪生)、皿(菓子器、銘々皿、盆)などの製品を探しております。ご不要のお品がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。

高橋重弘(たかはししげひろ)
新潟県・燕三条の鎚起銅器職人。明治27年創業の高橋重弘では3人の職人が作業をしております。鎚起銅器とは燕市が行っている伝統工芸で、銅板などの1枚の板を叩き、様々な造形物をつくっていく、全国唯一の伝統技術。
燕市(旧分水町)に生まれる
日展入選
三軌展 日本経済新聞社賞
三軌展 三軌会賞
三軌展 文部大臣奨励賞
個展 大阪三越・岐阜高島屋・他各地
三軌会評議員
新潟県美術家連盟参事