東京都世田谷区祖師谷にて煎茶道具、脇田和の絵画、掛け軸、古伊万里など。

       

東京都世田谷区祖師谷にて煎茶道具、茶道具、脇田和の絵画、掛け軸、古伊万里などをお売りいただきました。

先月末、ご実家のお蔵から出たお品の見積りでお呼びいただいたお客様宅へ、出張買取でお呼びいただきました。当社がお呼びいただく前に数社見積もりに入ってましたが、査定の上、当社にお決めいただきました。お売りいただいたお品は、煎茶道具、茶道具、脇田和の絵画、掛け軸、古伊万里、漆器など。たくさんのお品をお売りいただきました。煎茶道具は、全利老店、津田栄製、窯高琴永點銅の錫製茶托、林克瑞製の錫製茶壷、釜や鎖道具、大明成徳年製銘の古銅瓶掛火鉢、平安春峰の煎茶碗、白泥漢詩文水注、朱泥急須、白泥涼炉、香合、茶合、茶入、ボーフラ、湯さまし、水注、涼炉、火炉、炉台、宝瓶、建水、瓶敷、瓶座、硯屏、炉屏、茶櫃、巾筒など。唐物煎茶道具も多くございました。絵画は脇田和のシルクスクリーン「ビレッジの人々」。掛軸は谷文晁、酒井抱一、中村不折、佐久間象山、長沢芦雪、駒井源琦の日本画や頼山陽の書など。他にも古伊万里など古陶磁器や漆器、茶道具などをお売りいただきました。古いものも大切に保管されていたようで、良い状態で残っているものがたくさんございました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。作業しやすいようにお手伝いいただいたり、お茶をいただいたりお気遣いいただき誠に有難うございました。

脇田和 (わきたかず) 1908~2005
1908年 東京に生まれる
1923年 青山学院中退、ベルリンに渡航。ドイツ帝室技芸員マックス・ラーべスに師事
1930年 ベルリン国立美術学校から金メダルを贈られて卒業。帰国する
1936年 猪熊弦一郎・小磯良平ら8人の仲間と共に新制作派協会を結成。今日まで「新制作協会」として続く
1943年 フィリピンのマニラ陸軍報道部勤務
1944年 内地連絡のため帰還
1945年 アトリエが戦災で消失。戦前の作品の大部分を失う
1949年 神奈川県相模湖付近に集団疎開
1949年 世田谷のアトリエ付き住居に本居を移す
1951年 第1回 サンパウロ・ビエンナーレ出展
1952年 パリのサロン・ド・メ,ピッツバーグ国際展参加
1955年 第3回 日本国際美術展で「あらそい」が最優秀賞を受賞
1956年 第28回 ヴェネチア・ビエンナーレ出展。第1回 グッゲンハイム国際美術賞で「あらそい」が日本国内賞に選ばれる
1956年 東京藝術大学で後進の指導にあたる
1962年 長男を伴いインド・中近東・アフリカ・欧州・米国等回遊
1964年 東京芸術大学助教授就任
1968年 東京芸術大学教授就任
1966年 渡米、メキシコを回遊
1970年 吉村順三設計による軽井沢のアトリエ山荘が完成 (脇田美術館の前身)
1970年 東京芸術大学を退官
1973年 世田谷のアトリエを改装
1977年 静養のためハワイ滞在し、79年に心臓バイパス手術を受ける
1986年 脇田和展 (神奈川県立近代美術館・群馬県立近代美術館)
1987年 ダラス、ニューヨークを経てパリ・ベルリン・ミュンヘン等を訪問
1991年 軽井沢に「脇田美術館」開館。勲四等朝日小勲章受賞
1995年 日比谷の第一生命ビル本社に脇田和作品の常設ギャラリーが開廊
1998年 文化功労者に選ばれる
1999年 東京藝術大学名誉教授に就任
2001年 脇田和展開催 (資生堂アートハウス)
2002年 脇田和展 (世田谷美術館)
2003年 脇田和展 (石川県立美術館)
2004年 卆寿を生きる作家展 (あさご芸術の森美術館)
2005年 脇田和展 (space TRY)・詩画集「女のひとと鳥」発刊。第69回「新制作展」出展
2005年 11月27日、永眠。叙位 従四位を追賜せられる

東京都東久留米市にて加茂桐箪笥、読谷山花織、紬、木屋太、あらいそ帯など

東京都東久留米市にて加茂桐箪笥、読谷山花織、大島紬、結城紬、木屋太、あらいその袋帯などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすやお着物をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、加茂桐箪笥 二竿、読谷山花織、大島紬、結城紬、木屋太、あらいその袋帯など。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、胴丸下三大洋和箪笥、胴丸昇り箪笥という形のたんすで、当社で数多く取り扱う高級桐たんすになります。前飾りには、久光刻の銘あり。所々に砥粉落ち、小傷などございましたが、買取強化中のタンスですので買取させていただきました。お着物は数が多く、査定に時間が掛かってしまいましたが、一点一点丁寧に査定させていただきました。数点シミ汚れの出てしまっているものもございましたが、仕付け糸の付いたものや状態の良いものが多くございました。読谷山花織(よみたんざんはなおり)は沖縄県中頭郡読谷村で作られている織物。織り地に先染めされた糸で花のような幾何学模様の文様を織り込んでます。大変手間のかかる織物なので、貴重な織物であります。お売りいただいた花織は単衣のお着物でした。大島紬は男物の本場大島紬。都喜エ門 金ラベルの証紙がございましたが、こちらは以前処分されてしまったようで見つけることが出来ませんでした。結城紬は奧順謹製の本場結城紬など。魚柄の袋帯は今河織物の人気ブランド、木屋太の袋帯でございます。木屋太の他にはない独自の切り口でデザインされる帯は、着物好きから多くの支持を受けています。あらいそは古代裂(名物裂)の復元に力を入れておられる機屋。名物裂以外、他の織物は一切創らないというこだわりと、舶載された当時の織味そのままに復元する技術に裏打ちされ、 他社のものとは風合いが違います。二つ並ぶ、タツノオトシゴのマークが、名物裂の復元をライフワークとする匠の印であります。この他にもたくさんのお着物や帯、和装小物などをお売りいただきました。搬出時に運び出しようにとご協力いただき、スムーズに終えることが出来ました。お客様の大切にされていたお着物、桐箪笥、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。

岩手県八幡平市にて萄雅彦の油彩画、銅板レリーフ、セリグラフなど。

  

岩手県八幡平市にて萄雅彦の油彩画、銅板レリーフ、セリグラフなどをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、洋画家 萄雅彦の油彩画、銅板レリーフ、セリグラフなど。10点以上の作品をお売りいただきました。銅板レリーフ、油彩画数点はサイズ50号以上ある大作です。画集に掲載されている作品などもございました。大きいサイズの絵画とご連絡いただいておりましたので、トラックで向かってよかったです。油彩画に数点シミ汚れの出てしまっているものもございましたが、タトウ箱に納められておりましたので全体的に状態良く、全て買取させていただきました。絵画の他に、裸婦の石像もあわせてお売りいただきました。数もあり、当社で出来る限り精一杯の査定額で買い取りさせていただきました。お客様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、有難うございました。
岩手県まで埼玉県から約600キロ、片道8時間の距離でしたので、盛岡市にあるビジネスホテルへ宿泊しての出張となりました。遠距離出張での楽しみはご当地の食事です。盛岡市名物といえば盛岡三大麺、盛岡冷麺、じゃじゃ麵、わんこそばであります。盛岡冷麺、じゃじゃ麵は前日に盛岡名物が揃っている居酒屋さんでいただき、わんこそばは出張買取の帰りに食べさせていただきました。わんこそばで有名なお店で、お客様にも教えていただいた「東家(あずまや)本店」さんへ行きました。挑戦前にインターネットでわんこそばをたくさん食べるコツを学び、挑戦させていただきました。最初の15分が大事とのことでしたので、勢いよくお腹に流し込み、目標100杯を超える150杯を達成しました。達成証明書や木札をいただき、とても嬉しかったです。こちらのお店の最高記録は570杯で、記録保持者は地元岩手県盛岡市在住のフードファイター、菅原初代さんであります。女性なのにわたしの約四倍、凄すぎます。また岩手県へ出張で来ましたら、次回は200杯を目指したいと思います。岩手県は食事が美味しく、自然豊かな良い場所でした。

萄雅彦(どうまさひこ)1930~2010年
1930年 東京都青山に生まれる。
1960年 レリーフ創作に入る。
1975年 木版画創作に入る。
1976年 渡欧。
1977年 新日本美術院展特賞受賞。
1981年 日仏現代美術展入選、 パリ、グランパレ国立美術館出品。
1982年 個展開催、  国際アジア現代美術展版画部入賞、  国際芸術文化振興会、会長賞受賞、  亜細亜美術展海外選抜賞。
1983年 スペイン美術賞展トリエンナーレ入選、 パリ・サロン・ド・メ選考委員会賞。
1984年 オーストラリア美術展最優秀賞受賞。
1985年 パリインターナショナルサロン招待出品。  講談社より萄雅彦版画集出版。
1986年 東京大学に作品収蔵(版画・レリーフ) モントリオール日本芸術祭参加、 カナダ首相ブライアン・マローニ功労賞受賞。
1987年 サロン・インターナショナル・ド・パリ  グランプリ受賞。
≪作品収蔵≫
スペイン近代美術館、 クイーンズランド芸術大学、東京大学など。

千葉県船橋市にて城間栄順の紅型作り帯、越後屋の着物や作り帯、琉球絣など

千葉県船橋市にて城間栄順の紅型作り帯、銀座越後屋の着物や作り帯、琉球絣などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、城間栄順の紅型作り帯、銀座越後屋の作り帯、琉球絣など。城間栄順は琉球紅型の復興に力を注いだ父・城間栄喜(人間国宝)から受け継いだ技術を、父譲りの職人気質と情熱で磨き上げ、現代に生きる紅型の創作活動に取り組まれています。海と魚、自然をこよなく愛し、綺麗な沖縄の海をモチーフにした作品を作られてます。妥協を許さない精緻な手仕事でありながら、作品全体に感じられる大自然のおおらかさとあたたかさに魅了されます。お売りいただいたお品は沖縄の魚をモチーフにした紅型作り帯。名古屋帯を切って、二部式の作り帯にされたようです。こちらの帯はほとんどが作り帯となっておりました。他にも大島紬や琉球絣などもお売りいただきました。呉服の老舗 銀座越後屋さんで購入されたお着物がほとんどで、良いお着物が多くございました。残念ながらシミの出てしまっているものが多かったですが、良いお着物ですので全て買い取らせていただきました。ご家族が大切にされていたお着物、大切に次へと繋げさせていただきます。帰りにいただきましたソルティライチというジュース、とっても美味しかったです。熱中症予防にと、お気遣いくださり有難うございました。

城間栄順(しろまえいじゅん)
昭和 9年 沖縄県首里市(現・那覇市)で父栄喜(城間紅型宗家14代)、母ウシの長男として生まれる
昭和34年 首里高等学校卒業 人間国宝である父、城間栄喜とともに家業の紅型に従事
昭和45年 沖展会員に推挙
昭和52年 沖縄産業展県知事賞受賞
昭和59年 沖縄三越において「城間栄喜・栄順親子展」を開催
昭和60年 琉球新報産業活動賞受賞
昭和63年 沖縄三越において「古琉球紅型と城間家の技」を開催
平成 3年 沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞
平成 5年 第40回日本伝統工芸展初出品、初入選
平成 8年 日本工芸会正会員認定
平成14年 日本伝統工芸展 NHK会員賞受賞
平成18年 銀座時事通信ホールにて「城間栄順 琉球紅型展 宝布に華咲かち」を開催

神奈川県横浜市戸塚区にて仙台車箪笥二竿、ロイヤルコペンハーゲンの食器。

  

神奈川県横浜市戸塚区にて仙台閂型車箪笥二竿、ロイヤルコペンハーゲンの食器をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。車箪笥を処分したいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、仙台閂型車箪笥二竿。大小二竿で明治、昭和期の頃のものと思われます。車箪笥とは、その名の通り底部に車輪の付いたたんす。江戸時代には火事が多く、火事などの災害時に綱を付けて引張って容易に移動できるように底部に車輪を付けたタンスになります。閂(かんぬき)とは、門や建物の出入り口の扉を閉ざすための横木のことで、左右の扉につけた金具に通して扉が開かないようします。閂箪笥とは、その錠の技術を箪笥に応用したものです。箪笥の場合、閂は縦に使われ、引き出しをロックする錠前として使われています。閂は鍵としてはとてもシンプルで、歴史的に伝統あるものでございます。大きい車箪笥は前欅の中は杉材、小さい車箪笥は総欅で作られてます。どちらも金具の装飾が素晴らしい時代箪笥です。車箪笥などの時代箪笥の需要は年々減少傾向にありますが、当社ではまだまだ買い取りを強化しております。ロイヤルコペンハーゲンの食器はブルーフルーテッド ハーフレースのカップ&ソーサーなど。中古品ではありますが、こちらもまだまだ人気のお品です。お売りいただきましたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

東京都目黒区東山にて加茂桐箪笥、田村孝之介の絵画、掛軸など。

 

東京都目黒区東山にて加茂桐箪笥、田村孝之介の絵画、掛軸などをお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすや掛け軸などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、加茂桐箪笥、田村孝之介の絵画、掛軸など。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、胴丸下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社で数多く取り扱う高級桐たんすになります。前飾りには、久光刻の銘あり。所々に砥粉落ち、小傷、内部に黒カビなどございましたが、買取強化中のタンスですので買取させていただきました。絵画は洋画家 田村孝之介のグワッシュ「スペインの踊子」。サイズは三号で梅田画廊のシールがございます。古い作品の為、多少シミが出てしまっておりますが、買取強化中の作家作品ですのでお客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。掛軸は日本画、花鳥図、山水画など。こちらもシミの出てしまっているものが多くございましたが、全て買い取らせていただきました。多数まとめてのご売却、有難うございました。大切に次へと繋げさせていただきます。

田村孝之介(たむらこうのすけ)1903~1986年
1903年 大阪に生まれる。本名・大西孝之助。
1920年 上京して太平洋画会研究所に学ぶ。
1921年 大阪に戻り、小出楢重に師事する。
1924年 信濃橋洋画研究所に学ぶ。
1926年 二科展に「裸婦立像」「風景」で初入選。
1927年 第1回全関西洋画展全関西賞を受賞。
1936年 第23回二科展で「薄衣」「噴水」「海風」を出品。奨励を受賞。
1937年 二科会会員になる。
1940年 従軍画家として戦地に赴く。
1947年 熊谷守一・正宗得三郎・宮本三郎らと共に二紀会を創立。
1952年 ヨーロッパへ渡り、フランス、オランダ、ベルギーなどを巡る。
1974年 宮本三郎死去により、二紀会理事長に就任。
1978年 日本橋・高島屋で画業50周年展開催。
1984年 日本芸術院会員になる。
1985年 文化功労者に選ばれる。
1986年 6月30日 東京にて歿

グワッシュ(ガッシュ)不透明な水彩絵具の一種で、顔料をアラビアガムの水溶液で練ったもの。西洋中世の彩飾写本によく使われており、16世紀〜18世紀の細密画では、透明水彩とグワッシュを併用して使っておりました。デューラーの水彩による風景画や花や動物の習作もほとんどグワッシュによって描かれています。18世紀のフランス、スイス、イタリアの水彩画家たちは、パステル調の発色をもつ表現を開発。20世紀に入ると、ポスターやイラストレーションなど幅広い分野で用いられています。

東京都東久留米市にて石川鬼千の加茂桐箪笥、中国陶磁器、民芸品など。

  

東京都東久留米市にて石川鬼千の加茂桐箪笥、中国陶磁器、民芸品などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすや仏具をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。本日お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、四方丸上下大洋和箪笥(衣装箪笥)という形の箪笥になります。二段上下ともに大洋の形は数少なく、大変珍しいです。四方丸は箪笥の四方(四つの角)を丸める加工で、最高級のタンスによく見られます。天と地を丸めるので天地丸とも呼ばれ、天地丸はその佇まいから「四方全て丸くおさまる」と言われ縁起の良い箪笥といわれております。伝統工芸士である石川鬼千の作。多少の砥粉落ちや小さなアタリなどはありましたが、中の状態良くまだまだ次へと繋げていける箪笥でございます。多少の難有ではございましたが、当社で買い取りを強化している伝統工芸品指定桐箪笥ですので、買取させていただきました。他にも中国陶磁器や民芸品などを買取らせていただきました。中国陶磁器は清代~民国期の青花(染付)の鉢や皿、高足碗、酒杯、粉彩の鉢や皿、アクセサリー、辰砂の花瓶など、多数お売りいただきました。民芸品はこけしなど全国各地の民芸人形が多くございました。数多くございましたが、お客様が残されるものと分けながら、残りのものは全て買取らせていただきました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、有難うございました。

六角堂では、中国陶磁器の買い取りを強化しております。青磁、白磁、唐三彩、五彩、青花、粉彩、豆彩、闘彩、鉄絵、釉裏紅、金襴手、芙蓉手、兎毫斑、祥瑞、紫砂、南京赤絵、灰釉、鉛釉、黒釉、紅釉、瑠璃釉、透明釉、緑釉、褐釉、藍釉、景徳鎮、龍泉窯、磁州窯、鈞窯、宜興窯、定窯、汝窯、官窯、民窯などございましたら、六角堂までお問い合わせください。中国美術は贋作・模倣品が多いので、中国陶磁器を熟知した査定士が丁寧に査定し、高価買取致します。

東京都新宿区若葉にて秀正作 牛童子、宗田源造、井上あき子、中野親夫の博多人形。

       

東京都新宿区若葉にて秀正作 牛童子ブロンズ像、宗田源造の博多人形「夕映」、井上あき子の博多人形「雪」、中野親夫の博多人形「明日香の庭」、日本人形、陶器、ガラス製品などをお売りいただきました。

先日銀製品や絵画などをお売りいただいたお客様宅へ、再度出張買取させていただきました。お売りいただくお品の数が多く、前回積み残したお品の買い取りをさせていただきました。お売りいただいたお品は、ブロンズ置物、博多人形、日本人形、陶器、ガラス製品など。ブロンズ置物は秀正作 牛童子。重厚感ある造りの良い置物です。童子の表情が豊かです。陶器は有田焼や九谷焼などの花瓶や大皿、ガラス製品はクリスタルガラスの花瓶などをお売りいただきました。博多人形は宗田源造の「夕映」、井上あき子の「雪」、中野親夫の「明日香の庭」。宗田源造は博多人形制作技術(福岡県指定無形文化財)の技術保持者。無形文化財の保持者であり、現代の名工の証である「卓越技能保持者」であります。戦後から人形作りに従事し、内閣総理大臣賞などの数々の賞を受賞しています。博多を代表する人形作家であります。作品は「夕映え」、残念ながら左手指に欠損がございました。井上あき子もまた、博多人形制作技術(福岡県指定無形文化財)の技術保持者。無形文化財の保持者であり、現代の名工の証である「卓越技能保持者」であります。名工小島与一に入門し、能ものの博多人形など多くの作品を作られております。中野親夫は「卓越技能保持者」であります。所々に痛みや汚れがあるものの、どれも素晴らしい博多人形でございます。現在日本人形の買取は厳しくなっておりますが、博多人形作家 中村信喬・中村衍涯・梶原正二・佐藤好昭・古野一春・井上あき子・小田謙二・宗田源造・小島与一・原田嘉平・置鮎与一・白水八郎・中の子タミなどの作家作品はまだまだ買取可能でございます。ご不要の博多人形がございましたら、当社までお問い合わせください。三度にわたり六角堂をご指名いただき有難うございました。

神奈川県川崎市中原区にて長谷川栄作の木彫「乃木大将像」、犀の香炉、仏像など。

  

神奈川県川崎市中原区にて帝展審査員 長谷川栄作の木彫「乃木大将像」、犀の香炉、仏像などをお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介くださり有難うございます。仏像や置物などをご処分されたいとのことでお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、彫刻家 長谷川栄作の木彫「乃木大将像」、犀の香炉、仏像など。長谷川栄作は吉田芳明に木彫を師事し、大正3年文展で「夢」で初入選。官展を中心に作品を発表し、栴檀社・東邦彫塑院を結成するなど活躍しました。お売りいただいた作品は氏の伯父にあたる長州藩士であり明治時代の軍人、陸軍大将「乃木希典(1849-1912)」の肖像彫刻です。軍人としての伯父ではなく、休日の優しい伯父の姿が忠実に再現されています。共箱の欠品、所々にシミがありましたが、当社で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。ほかにも銅製 犀の香炉や明治期の木彫り仏像、銅製の観音菩薩像などをお売りいただきました。良いお品をまとめてお売りいただき、ありがとうございました。

長谷川栄作(はせがわえいさく)1894年~1944年
1894年 長谷川勝太郎の長男として浅草区小島町に生まれる。母イネは乃木希典の妹。
1892年 品川小学校入学。家庭の都合により、吉田芳名に師事し象牙彫刻を学ぶ。
1905年 東京商工会に出品するが、他人の銘で出品され、好評を博したことに憤慨する。伯父の乃木希典に、彫刻を志すなら私を作れと命じられ、これが作品の第一号となる。
1913年 山口県長府に希典像を残すこととなり、其の事業の続きとして希典少年が両親の訓話を聞いている像を旧邸内に制作することとなる。
1914年 秋の文展に出品した「夢」で初入選。
1917年 「栴檀社」を創設。秋の文展十一回に「引接」を出品、特選主席となる。
1918年 矢野君江と結婚。栴檀社展に「白輝」「羽衣」を出品、秋の文展には「地上にある誇り」を出品、つづいて特選となる。
1924年 北村西望の彫刻団体昿原社に参加し、9月には帝展審査員を任命される。「母性禮讃」などを制作。その後「坪内逍遥」「原敬」などを制作する。
1927年 乃木神社の獅子狛犬を制作、「彫塑の手ほどき」を博文舘より出版。
1928年 「華」を制作。
1930年 「童形地蔵菩薩像」を古河家の依頼により制作。吉田松陰像、「双柿舎における逍遥」、徳富蘇峰像、大日如来像、薬師如来像、晩年に漁師像などを制作をしました。
1944年 10月6日死去。享年55

 

千葉県柏市にて帝室技芸員 香取秀真の金銅仏具、仏像、仏画。

千葉県柏市にて帝室技芸員 香取秀真の金銅仏具、仏像、仏画をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。仏像や仏具などを処分したいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、江戸期の木彫り仏像六体、仏画掛軸、金工師 香取秀真の三具足、金銅供物器 二面、金銅飲食具 二対、金銅三具足。
香取秀真(かとりほつま)は学問としての金工史を確立し、日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章しました。古代鋳金の研究を進め、「日本金工史」「金工史談」「茶の湯釜」など優れた学術著作を残されております。正岡子規門下の歌人としても知られ、根岸短歌会に参加し、アララギ派の歌人として「秀真歌集」や「天之真榊」の歌集があります。東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授、芸術院会員。帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員を歴任。金工の人間国宝である香取正彦は長男であります。
三具足とは仏具の呼称の一つで、香炉・燭台・花立 各一つずつで一組となる仏具をいいます。供物器、三具足はいずれも底に「秀真」の印あり。飲食具に銘はありませんが、こちらも間違いなく香取秀真の作品であります。全てに共箱あり。経年のイタミや汚れはございますが、当社で買取強化中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。

香取秀真(かとりほつま)1874~1954
本名、秀治郎。別号に六斎、梅花亭。
1874年 千葉県印旛郡船穂村に生まれる。
1891年 東京美術学校(現在の東京藝術大学)に首席で合格、鋳金科へ進む。鋳金家大島如雲に、東美校では岡崎雪声に学ぶ。
1896年 卒業。卒業制作は『上古婦人立像』。
1898年 「日本美術協会展」で「獅子置物」が褒状1等となる。
1900年 パリ万国博覧会で銀賞碑を受けるなど国際的に活躍。
1908年 同志と鋳金会を創立。
1914年 東京鋳金会を発展させた青壺会を津田信夫らと結成する。
1929年 国宝保存会委員
1933年 東京美術学校教授となり、学問として母校で「鋳金史」「彫金史」などを講義、多くの後進を育てた。
1934年 帝室技芸員となる。
1953年 功績を認められ文化勲章を叙勲される。文化功労者としても顕彰。
1954年 1月31日死去。80歳。