東京都品川区大崎にて、和箪笥・お着物・茶道具・五十一代 明珍宗之作明珍火箸の風鈴。

 

東京都品川区大崎にて、和たんす・着物・お茶道具・五十一代 明珍宗之作明珍火箸の風鈴をお売りいただきました。

本日は朝からの出張買取でした。今日は、六本木で中国オークションに下見があるとのことで、お昼に骨董屋仲間たちと合流し、勉強がてら下見をしてきました。スターバックス・コーヒー アークヒルズ店で仲間たちと合流し、泉ガーデンにあるタワーロイヤルインディアンダイニングでランチバイキングをしました。色々な種類のカレーがあり、欲張りな私は全種類いただいてしまいました。キーマカレー、マンゴーラッシーがとてもおいしかったです。中国美術の下見を終えた後、the 3rd Burger アークヒルズサウスタワー店へとお茶をしにいきました。バンズは発酵から焼き上げまで店内で。 パティはブロック肉で仕入れて店内でミンチ。野菜は厳選素材を店内でカット。 本当にフレッシュなハンバーガーがここにあります。 オーガニック系のハンバーガーということで、前々からチェックしていたのですが、六本木一丁目はなかなか利用しないのでずっといけないでいました。カレーですでにお腹いっぱいでしたが、滅多にこれない場所ですのでアボカドわさびバーガー、グリーンスムージーを注文。ほんのりわさびがきいててあっさりとしたハンバーガーでしたので完食しました。スムージーもとても美味しかったです。さすが六本木です、食事も景色もとってもお洒落ですね。古美術A堂のT橋さん、ご馳走様でした!

明珍火箸風鈴とは、平安時代から続く甲冑師の一族である明珍家の52代目である明珍宗理(みょうちんむねみち)氏が、それまで良い音がすると評判だった明珍火箸を、風鈴として商品化したものであり、現在兵庫県の伝統工芸品として指定をされている。

明珍(みょうちん)
平安時代、増田宗次を初代と数えると22代目であり、明珍家の初代となる、京都九条にて具足(ぐそく、防具のこと)甲冑師をしていた増田宗介紀ノ太郎が、第76代天皇である近衛天皇(このえてんのう、生没1139年~55年)に鎧とくつわを献上したところ、「音響朗々光り白にして玉の如く類稀なる器なり(触れ合う音が明るく、たぐいまれな珍器であるの意味)」と賞賛されたことで明珍(みょうちん)の名字を賜ったことが明珍家の始まりである。
室町時代から江戸時代にかけては、明珍家と言えば最も著名な甲冑師の一族であり、武田信玄が被っていたとされる諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)を始め、様々な甲冑の銘品を手がけた。
江戸時代には、江戸幕府大老四家の一つ、酒井家のお抱え甲冑師として仕え、酒井家の姫路藩転封(てんぽう、国替えのこと)に伴い拠点を姫路に移した。
明治維新後の廃藩置県により甲冑の需要がなくなったことで、甲冑制作から火箸制作へと業態を変え、1960年代のエネルギー革命による火鉢から電気・石油・ガスストーブに時代が移り変わったことにより、火箸制作から風鈴制作へと業態を変化させながらも、「鉄を焼いて打つ」という「鍛えの明珍」としての本質は変えずに、伝統を守り、進化させ続けている。

品川区出張地域は、荏原 大井 大崎 勝島 上大崎 北品川 小山 小山台 戸越 中延 西大井 西五反田 西品川 西中延 旗の台 東大井 東五反田 東品川 東中延 東八潮 平塚 広町 二葉 南大井 南品川 八潮 豊町

東京都江戸川区東瑞江にて、桐たんす、座卓、書棚、衝立などの和家具、書道具、絵画、佐賀の陶芸家小野次郎(師小野珀子)作釉裏金彩香炉をお売りいただきました。

東京都江戸川区東瑞江にて、桐たんす、座卓、書棚、衝立などの和家具、書道具、絵画、小野次郎作釉裏金彩香炉をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。本日お買い上げしました香炉は、金襴手(きんらんで)、釉裏金彩(ゆうりきんさい)という技法を操り、優美な金色世界を表出する小野次郎の釉裏金彩香炉。母親は金襴手、釉裏金彩を独自に編み出し世に知られた小野珀子。祖父は琥山窯を開いた小野琥山。摘みの箇所に接着による直しがございましたが、良い作品でしたので買い受けさせていただきました。六角堂では、吉田美統、小野珀子、小野次郎の釉裏金彩作品を強化買取しております。ご不要の作品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。本日も、仕事帰りに志木市場近くの「小池さんらーめん」へと寄りました。小池さんらーめんは、ニンニクがたっぷり。明日も暑さに負けず、頑張ります!

釉裏金彩(ゆうりきんさい)は素焼きした素地に金箔(きんぱく)を貼りつけ、透明釉をかけて低火度焼成する技法です。高温で焼くと金箔が変形するため1,000℃未満の低温で焼成することになります。金箔や金泥(きんでい)で装飾する金彩は、一般的に釉薬の上に施されます。これを釉上彩(ゆうじょうさい)といいますが、釉裏金彩は釉薬の下(裏側)に施されるため釉下彩(ゆうかさい)の一種でもあります。釉裏金彩の利点としては金が釉薬に守られている点が挙げられます。そのため釉上彩のような金箔が剥がれるようなこともなく耐久性に優れています。また、作品として完成したあとは汚れもつかないうえ色合いも変わりにくいものです。しかし金箔に釉薬をかけて焼成するため、釉との反応によって金箔が変色したり、釉との兼ね合いで意図する金色に発色しないことがあります。このように美しさと耐久性を兼ね備える反面、繊細な金箔を扱うきわめて高い技術と経験を要します。現代における釉裏金彩の第一人者としては人間国宝の吉田美統(よした みのり 1932年~)が挙げられます。

小野次郎(おのじろう)
小野次郎は小野珀子の次男として東京都に生まれました。
1979(昭和54)年、九州山口陶磁展で二席を受賞しました。
1980(昭和55)年、日本工芸会西部工芸展で朝日新聞社金賞を受賞しました。
佐賀県美術協会展で受賞しました。
1981(昭和56)年、九州山口陶磁展でNHK賞を受賞しました。
日本工芸会西部工芸展でKBC賞を受賞しました。
1982(昭和57)年、九州山口陶磁展でNHK賞を受賞しました。
日本工芸会西部工芸展で日本工芸会賞を受賞しました。
日本工芸会正会員となりました。
1983(昭和58)年、西日本陶芸美術展で優秀賞を受賞しました。
1984(昭和59)年、九州山口陶磁展で三席を受賞しました。
1985(昭和60)年、西日本陶芸美術展で優秀賞を受賞しました。
1986(昭和61)年、西日本陶芸美術展で奨励賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、西日本陶芸美術展で奨励賞を受賞しました。
1988(昭和63)年、西日本陶芸美術展で奨励賞を受賞しました。
1996(平成8)年、釉裏金彩、金襴手の制作を始めます。
2001(平成13)年、作品が大英博物館に収蔵されました。
2002(平成14)年、琥珀陶芸舎を開窯しました。

 

神奈川県横浜市鶴見区にて、絵画、お茶道具、水月焼好川恒方作天神蟹彫花瓶。

 

神奈川県横浜市鶴見区にて、絵画、お茶道具、水月焼の天神蟹彫り花瓶をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。お茶道具がたくさんありましたので、一点一点査定し、お客様にご満足いただける査定額にて全て買い受けさせていただきました。大事にされていたお道具をきちんと次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、ご指名くださり有難うございました。帰宅時、首都高速平和島PAへと寄りました。ウコンサイダーなる珍品を見かけましたので、思わず購入しました。サービスエリアや道の駅に行くと、よく変わったサイダーを見かけるのですが、これもそのうちのひとつでしょうか。見た感じはオレンジジュースのような感じですが、ウコンの苦味がほんのりとあり。柑橘風味も付いているのですが味はさっぱりめ、かつ甘さも控えめです。今日もとても暑い一日でしたが、ウコンで栄養補給をし、無事帰宅しました。

水月焼(水月の名は松山城の堀に映る月影に得たと云われております)
創始者好川恒方は明治16年5月6日、伊予松山の通町、狩野派の画家好川馬骨(号)の長男として出生、幼少より画道に精進しておりましたが、陶芸にも深い愛着を持っていました。二十才の頃、松山の西郊衣山に良質の陶土を発見し「絵を立体的に表現したい」と本格的に庭へ窯を造り、趣味の窯水月焼を創始しました。当時公開されなかった釉薬の秘密を独自の力で研究し、あらゆる辛酸をなめつつ独特の色を焼きつけるのに長の年月を要しました。然して水月焼の生き生きとしたカニを発表したのは大正10年頃のこと、庭内にハサミと甲羅の赤い天神蟹を飼って生態観察研究の後、この作品を完成させました。また常々彫塑の研究に情熱をたぎらせた結果、さらに観音、不動、羅漢などの仏像。寒山拾得、ガマ仙人などの人物をはじめ、動植物など種々の対象と取り組み、その卓越した技法と芸域は数多くの名陶を生むに至りました。殊に、壷や渇呑に見る山水には樹木、谷川、そま道を深く彫り込み、深山幽谷を偲ばせる作品は「全く他の追随を許さぬものがある」″水月焼″それは絵と彫刻と焼物の三位一体のものであると云えます。今日まで師事することなく、感覚のままに土を練り、形態を作り、色彩を出して独創の境地を進んで来たのであります。故にその作品には独特の香気と味わいがあり、人の心を魅了するものがあるのは当然のことと思われます。明治、大正、昭和の三代に亙り七十有余年、只ひたすら斯道に精進し、昭和53年8月16日、95才と3ヶ月の天寿を全うしました。恒方亡き後、恒方の唯一の弟子として、又晩年の伴侶として十年間恒方と起居を共にしつつ、手をとって朝に夕に教え込まれた恒悦が二代を継承しました。一つひとつ真心こめて丹念に良いものをつくるという初代恒方の意志、ゆき方を尊重しつつ懸命に水月焼と取組んで作品を造ってきたが、老齢により釜は閉釜しました。現在は下所にて作品の展示・販売を続けております。

東京都港区愛宕にて、時代和箪笥、お着物、掛け軸、書道具、石川滋彦の油彩画「鹿島槍 新雪」。

東京都港区愛宕にて、時代和箪笥、お着物、掛軸、書道具、洋画家石川滋彦の油彩画「鹿島槍 新雪」をご売却いただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。額の破損などございましたが、当社強化買取中の画家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。お忙しい中、六角堂をご指名いただき有難うございました。仕事帰りに市場の仲間たちと、いつも寄る「がってん食堂 大島屋 朝霞店」さんへとお邪魔しました。今日もT橋さんの奢りとの事でしたので、うな重やもつ煮込み、馬刺し、メロカマの煮つけなど贅沢をしてしまいました。いつもご馳走様です!

六角堂では「石川滋彦」の作品を探しております。
ご所蔵の作品(版画、陶額も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取させていただきます。
石川滋彦作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
六角堂では、日本人洋画家作品の買い取りを強化しております。強化作家は以下となります。
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。

石川滋彦 略歴 (1909-1994)いしかわしげひこ
1909年 東京都麹町区麹町に洋画家石川欽一郎の長男として生まれる。
台北に移り台北師範付属小学校へ入学するが、一学年一学期を終わり東京の番町小学校
に転校。さらに小田原に移り、ついで鎌倉に転居。鎌倉師範付属小学校を卒業する。
1922年 神奈川県立湘南中学に入学。三学年一年間は関東大震災後の避難もかね、台北一中に移るも
また湘南中学に戻り卒業。
1927年 東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科に入学。岡田三郎助に師事。
1929年 第10回帝展に「湖畔の丘」を出品して入選。
1932年 東京美術学校西洋画科を卒業。同校研究科に入学。
1936年 西洋美術史の矢代幸雄先生のもと研究科を修了。
1938年 第2回文展に「信濃の鍛冶屋」を出品し特選。(京都市立美術館所蔵)
1939年 第3回文展に「迷彩する商船」を出品し特選。光風会会員となる。
1940年 海洋美術展に「入港準備」を出品し海軍大臣賞を受ける。
1942年 東大工学部講師。7月、海軍報道班員としてジャワに派遣され、戦争記録画として「バタビア沖海戦」を描く。
1943年 9月、北京へ旅行。10月、海軍報道班員として第二南遣艦隊付と発令されていたが、ジャカルタ海軍武官府に派遣され、シンガポールとジャカルタを行き来する。
1945年 3月、横須賀海兵団に召集。8月、終戦でおわる。
1947年 学習院講師となる。第11回新制作展に出品、会員に推挙される。
1952年 5月下旬、あらすか丸という貨物船で神戸を出港し西回りで南米へでかける。
1955年 明大工学部建築科講師となる。
1956年 7月下旬に船で出発、スエズ運河を通り10月はじめロンドンに着く。その後欧州各地をまわり翌年帰国し個展を開く。
1959年 NHK教育テレビで絵画教室を一年間にわたり放送。
1966年 秋、カリフォルニア旅行。この後ほぼ毎年海外スケッチ旅行が続く。オーストラリア、南太平洋、ハワイ、地中海、北欧、バリ島、タヒチ、インド、ネパール、スペイン、ノルウェーなど。
1986年 「7月のアムステルダム」で第10回長谷川仁記念賞を受賞。
1994年 東京にて逝去(84歳)。

埼玉県三郷市にて、桐たんす、時代箪笥、座卓、秋田木工のスタッキングスツール、他和家具をお売りいただきました。

埼玉県三郷市にて桐たんす、、時代箪笥、座卓、秋田木工のスタッキングスツール、他和家具をお譲りいただきました。

解体業者様のご紹介で、旧家解体前の片付け整理にてお呼びいただきました。いつもご紹介いただき有難うございます。六角堂では、不動産、解体、引越し、介護関連、遺品整理等の業者様より、随時買取や処分を受け付けております。残置物が少ない場合でも、気になるお品がございましたら、六角堂までメール、またはお電話にてお問い合わせください。当社で、出来る限りの対応をさせていただきます。
桐箪笥・古家具・民芸家具・茶道具・書道具・掛軸・絵画油絵・リトグラフ・骨董品・中国骨董・李朝骨董・西洋アンティーク・屏風・仏像・仏具・香木・置物・古道具・陶磁器・漆器類・甲冑・火鉢・軍服・勲章・古絵葉書・古書・着物・和装小物・かんざし・花瓶・人形・こけし・ブロンズ・彫刻・三味線・琴・尺八・レトロおもちゃ・蓄音機・キセル・金銀製品・印籠・古時計・剥製・バッグ・腕時計・オーディオ・ギター・楽器・ミシン・レコード・釣具・贈答品・貴金属・毛皮・絨毯・香水・化粧品・古酒・中古・新品・ジャンク品等々 、ご不用品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。少量から多量まで、古いものから新しいものまで対応しておりますので、まずはお問い合わせください。

今日も仕事帰りに、仕事仲間たちと合流し、志木市にある「華屋与兵衛」さんㇸと行きました。本日は、良く体を動かしましたので、味噌煮込みうどん、棒ヒレカツ、和風パフェとたくさん食べてしまいました。とても美味しかったのですが、昨日サウナで絞った分をまた戻してしまいました・・・明日もたくさん絞れるよう、買い取り頑張ります!

秋田木工(あきたもっこう)は、秋田県湯沢市で創業し、およそ100年の歴史がございます。その秋田木工のロングセラーである、このスタッキングスツールの脚は、1本の木を曲げた曲げ木。曲げ木とは、木に蒸気を当てて熱し、熱いうちに曲げて型にはめて曲線を作り出す加工法です。秋田木工は、曲げ木の加工技術がとても高く、秋田木工でないと作れないとされている製品が多くあります。このスツールが製品として発表されたのは、1958年 銀座松屋で行われた「アパート生活展」で、デザイナーは剣持勇。高度経済成長にともない、集合住宅が増えたこの時代に、シンプルでスペースを取らないこのスツールは爆発的にヒットしました。現在でも、秋田木工の定番として販売され続けております。

 

東京都武蔵野市緑町にて、和たんす、お着物、掛け軸、十二代今泉今右衛門本人作色鍋島更紗文花瓶をお売りいただきました。

 

東京都武蔵野市緑町にて、和たんす、お着物、掛軸、十二代今泉今右衛門本人作色鍋島更紗文花瓶をお譲りいただきました。

遺品整理の買取でお呼びいただきました。掛軸やたくさんの作家物陶磁器をお売りいただきました。今右衛門作品は当社で買い取りを強化しておりますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。お忙しい中、当社のご指名有難うございました。本日も大変暑く、たくさん汗をかきましたので、仕事帰りに骨董屋仲間たちと合流し、埼玉県川越市にある「小江戸はつかり温泉 川越店」へと行きました。仕事終わりの温泉はとても気持ちよかったです。夏休みに向けてサウナも頑張って入りました。入浴後の食事も美味しかったです!

今泉今右衛門(いまいずみいまえもん)は、肥前有田の窯家。焼物の三右衛門(柿右衛門、今右衛門、太郎右衛門)の一つ。
赤絵屋十六軒の一つで江戸期は鍋島藩の御用赤絵師。後期以降は藩の勢力と同様に衰退の道を辿る。
明治維新の窯業の自由化を機会に、かつて作風を取り戻そうと作陶を始めたのが十代今右衛門。当代は十四代。

十二代 今泉今右衛門(1897〜1975)
昭和23年(1948)襲名。本名は今泉平兵衛。
祖父である十代、父である十一代のもと専ら家業に打ち込み、近代色鍋島の復興に生涯を捧げる。 昭和27年に無形文化財の指定を受け、昭和46年には色鍋島技術保存会代表として、国重要無形文化財総合指定を受ける。
1967年、紫綬褒章
1968年、今右衛門古陶磁参考館を設立。
1972年、勲四等旭日小綬章

色鍋島(いろなべしま)鍋島焼のうち上絵付けの施されたものをいいます。色鍋島の色は、染付けの藍色と上絵の赤・緑・黄色の4色が基本となってます。染付の段階で主要な文様が描かれ、上絵付けの赤の文様の部分にも薄い染付で輪郭が施されます。その上から赤の線が引かれ、その線描きの中が赤で塗られます。緑や黄色は赤の様に輪郭線がはっきりとは出ないため、染付け線で枠取りされ内側に緑・黄色が塗られます。4色の配分は標準的作品では染付の藍色が面積が広く、次に上絵の赤、次に緑です。黄色は最も少ない配分です。(中には配分が異なるものもあります)文様が変わっても同じような印象があるのはこのようなルール化された配色が大きく関係していると思われます。

東京都練馬区小竹町にて、アンティーク家具、古いカメラ、ポール・デルヴォーのリトグラフ「花飾りの帽子」をお売りいただきました。

 

東京都練馬区小竹町にて、アンティーク家具、古いカメラ、ポール・デルヴォーのリトグラフ「花飾りの帽子」をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。当社強化買取り中の画家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。お忙しい中、六角堂をご指名いただき有難うございました。練馬区のあとに埼玉県さいたま市へ見積もりに向かう途中、「不二家レストラン浦和田島店」さんへと寄りました。まぐろのたたき丼とケーキ二個セットをいただきましたが、お腹がペコペコでしたので先にケーキ二個をいただいてしまいました。やはり食後のデザートの方が美味しく食べれますね。イタリアンショートケーキにミルフィーユ、どちらもとても美味しかったです。

ポール・デルボーは、ベルギー・リエージュ州生まれの画家。16世紀のマニエリスト達の女性像や、独自の夢とノスタルジーの世界を築く。作品の中では、裸体、建物、電車などが主題としてくり返し表現され、背景には古代ギリシャの神殿がよく用いられます。静寂さの中に幻想的な世界が広がるその作風によって、「幻想画家」という形容もなされます。
1935年以後、運動には直接参加しないままシュルレアリスム展にしばしば出品。長くブリュッセルに住んでおりましたが、1994年に没す。ベルギー北西部のリゾート地KoksijdeのSint-Idesbaldには彼の主要作品を多く所有するポール・デルヴォー美術館があります。愛知県美術館には代表作「こだま」(1943年)が収蔵されております。
六角堂では「ポール・デルボー」の作品を探しております。
ご所蔵の作品(版画、陶額も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
ポール・デルボー作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

ポール・デルヴォー(Paul Delvaux)1897~1994
1897 ベルギー、リエージュ州の弁護士の家庭に生まれる
1926 ブリュセルのマントー画廊で個展。1929まで毎年個展開催
1936 ブリッセルのパレ・デ・ボザールに出品
1938 パリのギャルリー・デ・ボザールの「国際シュールレアリスム展」に出品
1940 メキシコでの「国際シュールレアリスム展」に出品
1944 ブリュッセルのパレ・デ・ボザールで回顧展
1946 アメリカでの個展が成功。1949まで毎年アメリカで個展開催
1962 オステンデ美術館で回顧展。これ以後、回顧展がヨーロッパ各地でたびたび開催される
1965 ベルギー王立アカデミー美術部門長に任命
1966 リトグラフ制作。以後、リトグラフの制作を続ける
1975 東京と京都の国立近代美術館で展覧会開催
1994 死去

東京都目黒区原町にて、時代家具、長火鉢、勲章、軍服、漆器、渓荊恵孟臣製朱泥急須をお売りいただきました。

 

東京都目黒区原町にて、時代家具、長火鉢、勲章、軍服、漆器、渓荊恵孟臣製朱泥急須をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。今回買取致しましたのは、中国茶を飲む際に使用される茶具の茶壷(茶壺)です。 茶壷は、日本でいうと急須の役割をするもので、実用と鑑賞の両方を楽しめる中国茶器として、中国だけでなく、日本でも人気が高いお品物です。 篆書の字体で「荊渓恵孟臣製」という長方印がみられますが、荊渓とは宜興の昔の名前で、孟臣とは、明の時代の恵孟臣という名家の名前になります。
お譲りいただいた貴重なお品、大切にしていただける愛好家の方々や次の世代の収集家へ大事に橋渡しさせていただきます。お忙しい中、当社をご指名くださり有難うございました。
目黒区出張買取の後、渋谷区笹塚へと見積もりに行き、帰宅時に世田谷区にある長浜ラーメンさんへ寄りました。今日は昼食をとる時間が作れなかったので、勢い余って替え玉を三杯・・・お腹がたぽたぽになってしまいました。健康の為、明日も一日体を動かして頑張ります!

ご不要になりました中国骨董・工芸品がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。ただいま中国骨董・美術品・工芸品を強化買取しております!
中国陶磁器・青花(元染・萬暦・大明年製)・唐三彩・琺瑯彩 粉彩・五彩・粉彩・青磁・白磁・辰砂・七宝・天目・青花・豆彩・五彩 赤絵・金襴手・法花・芙蓉手・琺瑯・釉裡紅・越州窯・景徳鎮窯・汝窯・定窯・鈞窯・哥窯・耀州窯・越州窯・龍泉窯・景徳鎮窯・建窯・吉州窯・磁州窯・官窯・徳化窯・宜興紫砂・鉄画軒(鐵画軒)・文賓軒・古月軒・荊渓恵孟臣・宋・元・明・清・硯・端渓・古墨・筆・印材・田黄・白玉・鶏血石・玉・珊瑚・犀角・金瓶・銀瓶・鉄瓶・鼻煙壷・麻雀牌・硯屏・紫砂・竹彫・鍍金仏・金銅仏・如意・紅木・紫檀・花梨・青銅器・翡翠工芸・香炉・金銅仏・漆器・堆朱・堆黒・印材・竹根・銅器・ガラス古唐木家具・古書・中国古銭・中国切手・中国酒などございましたら、六角堂までお問い合わせください!中国の骨董、美術品に詳しい鑑定士が見積もり査定させていただきます。他にも時代家具、古道具、骨董・美術品をご処分の際には、六角堂までお問い合わせください。

荊渓南孟臣製・・・荊渓とは,宜興の昔の名前。孟臣とは,明の頃の恵孟臣という名家の名前です。

東京都文京区関口にて、輪島塗の衝立、座卓、紫檀の文机、古墨、古筆、硯などの書道具をお売りいただきました。

東京都文京区関口にて、輪島塗の衝立、座卓、紫檀の文机、古墨、古筆、硯などの書道具をお譲りいただきました。

遺品整理の買取でお呼びいただきました。お亡くなりになられたお爺様が大事にされておりました書道具などをお譲りいただきました。生前、書道の先生をやられていたようで、数多く書道具がございました。お爺様の思い出のお品、大事に橋渡しさせていただきます。現在中国のコレクターの買い付けなどで文房四宝をはじめ書道具が高額となっております。古くて状態の悪いお道具でも、高価買取が可能です。お忙しい中、当社をご指名いただき有難うございました。

仕事帰りに倉庫近所の埼玉県入間郡三芳町にあるチャーシュー力さんへと行きました!こってりのラーメンが食べたくなると時々寄らせてもらっております。今日は、一番人気のさそり固めこってりラーメンをいただきました。こちらのお店は、プロレス団体との繋がりがあるようで、力らりあっとラーメン、闘魂担々麺、ブッチャーラーメンとプロレスにまつわるラーメンがたくさんございます。名前の通り、がっつりとしたラーメンが多いです。また行きたくなる癖になる味です!

ただいま六角堂では、端渓硯、端石硯、歙州硯、洮河緑石硯、澄泥硯、魯硯、太史硯などの硯、曹素功、汪近聖、汪節庵、胡開文、古梅園、墨運堂、玄林堂、鳩居堂などの墨、紅星牌、三星牌などの中国画仙紙、古筆をはじめ、拓本、硯箱、硯屏、水滴、墨床、筆架、筆筒、水印、などの書道具を強化買取しております。また、寿山石、青田石、田黄石、鶏血石などの希少な印材も探しております。書道具は、使用済みのものや状態の良くないものでも査定が付く場合があります。ご売却をお考えの際はご相談ください。

書道具の他、時代家具、古道具、骨董・美術品をご処分の際には、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。 お気軽に、ご相談ください!!

文京区出張地域は、大塚 音羽 春日 小石川 後楽 小日向 水道 関口 千石 千駄木 西片 根津 白山 本駒込 本郷 向丘 目白台 弥生 湯島

東京都世田谷区太子堂にて、和たんす、和家具、掛け軸、人気作家加守田章二作灰釉花瓶。

東京都世田谷区太子堂にて、和たんす、座卓、衝立、屏風、掛軸、人気作家加守田章二作灰釉花瓶をお譲りいただきました。

旧家解体前のお荷物整理にてお呼びいただきました。骨董品のコレクターであるお客様で、たくさんの古きよき品々を拝見させていただきました。どれもとても素晴らしい品々でした。今でも骨董品を探し買っていらっしゃるとのこと、今後も骨董品、古美術品を大事にされてください。お譲りいただいたお道具、大切にしていただける愛好家の方々や次の世代の収集家へ引き継いでいくお手伝いをさせていただきます。 有難うございました!

加守田章二のような人気有名作家はもちろん、六角堂では作家の無い陶芸作品も買い取りしておりますので、ご不要の場合は、ご処分前にご連絡ください。作品に詳しい鑑定士がお見積りに伺わせていただきます。

加守田章二—(かもだしょうじ)
昭和8年(1933)〜昭和58年(1983) 49才没。
加守田章二は、父加守田貞臣、母八重子の長男として大阪府岸和田市に生まれる。
高校時代から美術の才能を発揮し、京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)工芸科陶磁器専攻に進み、富本憲吉、近藤悠三に師事する。
卒業後、茨城県日立市の日立製作所関連の製陶所を経て、 昭和34年(1959)、栃木県益子町に窯を借りて独立し、本格的な作陶生活を始める。
昭和36年(1961)、鉄釉作品で日本伝統工芸展に初入選したのを皮切りに、 昭和42年(1967)には陶芸家として唯一第10回高村光太郎賞を受賞する。
また、同じ年に、伝統的な作風からの脱却を考えて日本伝統工芸展への出品をやめ、 岩手県遠野市で新しい陶房と単窯で修行僧のように制作に励み、曲線彫文、彩陶など新境地を次々と発表し、遠野時代を確立した。
昭和49年(1974)には、40歳の若さで陶芸家初の芸術選奨文部大臣新人賞(美術部門)を受賞している。
デザインを研究し、独創的な器形を広く展開した加守田の作品は、高い評価を受けていたが、昭和56年(1981)白血病を発症し、昭和58年(1983)50歳を前に夭逝。