千葉県千葉市美浜区にて、加茂桐箪笥、訪問着、小紋、帯、和装小物など。

   

千葉県千葉市美浜区にて、加茂桐箪笥、訪問着、小紋、帯、和装小物などのお着物をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理にてお呼びいただきました。本日はマンションへの出張買取でしたが、お客様に駐車スペースをご用意いただきましたので、スムーズに作業を終えることが出来ました。お気遣いいただきありがとうございます。本日お売りいただきました桐たんすは新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、四方丸の小袖箪笥というタイプのもので、最高級に近い桐たんすになります。一般にチェストといわれる抽斗(引き出し)だけの背の低い桐整理タンスのことを「小袖」と言います。最近の住宅事情がマンション中心になってきている事から、コンパクトなサイズで使い勝手が良いと人気があるようです。背板に割れ、多少シミなどありましたが、厚みのあるしっかりしたものでしたので、買い取らせていただきました。20年近く前に100万円前後されたとの事、四方丸で総厚、納得でございます。画像のように帯締めを収納する箇所があったりと、まさに着物のための桐たんすといったところです。お売りいただいたお着物もこのような厚みあるしっかりとした桐たんすに収納されておりましたので、シミや汚れもほとんど出ておりませんでした。未使用、正絹のものがほとんどで、数点作家物のお着物もございました。画像の帯締めは、組ひも研究家の多田牧子さんが復元されたインカ紐。多田牧子さんは、1970年日本女子大学家政学部被服学科卒業。2003年京都工芸繊維大学大学院博士課程修了。組物複合材料、組機に関する研究で博士(工学)の学位を持つ。京都工芸繊維大学大学院の非常勤講師、組紐・組物学会理事。日本の組ひもを約45年、アンデスの組ひもを約35年にわたり研究制作、また平安時代の組物復元なども行っています。海外からの研修生の受け入れや、海外でのワークショップ、作品展への招待に応え、海外に向けても組ひもの魅力を伝え続けております。また、画像の紬は米沢紬。こちらも未使用で状態の良いものでした。米沢紬(よねざわつむぎ)とは、山形県の米沢盆地周辺で産出される紬織物のことをいいます。手触りは、ふんわり柔らかいのが特徴でありながら、見た目は艶やかな紋様が染め込まれていることが、大きな魅力です。琉球紬に似ているので、「米沢琉球紬」を略して米琉(よねりゅう)、長井町辺りが集散地なのに因んで長井紬ともいいいます。白鷹紬、白鷹御召とあわせて置賜紬(おきたまつむぎ)ということもございます。良い桐たんす、お着物をお売りいただき有難うございました。年明けに関西の方へお引越しになるとの事、本年末はもうしばらくお忙しくなるかと思いますが、頑張ってください。関西方面にもよく出張してますので、また何かございましたらご連絡ください!
本日二件目は東京都練馬区三原台へ桐箪笥、お着物のお見積りで伺いました。練馬区へ向かう途中、京葉道路武石インター近くの「蔵出し味噌 麺場 田所商店 本店」さんへと寄りました。蔵出し味噌 麺場 田所商店はよく寄らせていただいておりますが、五店舗以上回ってようやく本店へと寄ることが出来ました。いつもは九州麦味噌をいただきますが、本日は北海道味噌肉ネギらーめんをいただきました。九州麦味噌は甘口の味噌ですが、北海道味噌は濃い口のお味噌、ポテトフライが入っていてやはりスープがとても美味しかったです。お通しの味噌こんにゃくも美味しかったです。今後も全国各地の田所商店へ寄らせていただきたいと思います。明日は、練馬区、板橋区への出張買取、頑張ります!

東京都港区高輪にて、桐たんす、水屋箪笥、錫屋弥左衛門の古錫大茶壷など。

東京都港区高輪にて、桐たんす、水屋箪笥、京錫屋弥左衛門の古錫大茶壷などをお売りいただきました。

解体前のお片付け整理にてお呼びいただきました。大変珍しい、古錫製の大茶壷などをお売りいただきました。弥左衛門は、京都御所への納品が認められた錫職人。作品は、江戸時代慶応後期頃のものかと思われます。茶壺(ちゃこ、ちゃつぼ)は、煎茶道で使用する道具の一つで、流派によっては「茶心壺」「茶入」「葉茶器」「茶鑵」「茶瓶」「茶盒」とも呼ばれております。茶道の茶入と同じ目的の道具であり、名品は茶道における茶入同様に珍重され、他の道具より格上の扱いをされることも多いです。錫製、陶磁器製、木製、竹製、銀製のものなどがありますが、錫製の物が最上といわれております。明・清から伝来したものが錫製だったからということもあるが、それ以上に錫製の物は中の茶葉がしけらず、品質を長く保つことが出来るという実用上の理由からであります。日本で錫製茶壺をはじめとした錫器が多く親しまれてきたのも、高温多湿の風土に適した特徴があるからなのでしょう。錫製茶壺をはじめとする錫器の技術は、飛鳥・奈良時代に遣隋使によって日本へ伝来し、その後日本の茶の湯の文化とともに発展を遂げました。江戸時代には「錫師」と呼ばれる多くの職人が活躍し、現在の錫器のルーツとなっております。中国渡来の伝世品では、沈存周、張星栄、張星光の作品が人気があり、高値で取り引きされております。国産のものでは泰蔵六の作品に人気がございます。現在、錫製茶壺は中国の方々に人気があり、市場でも高騰しております。もちろん当社でも錫製の茶壷をはじめ、茶器、酒器などを強化買取りしておりますので、ご不要の錫製品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。本日は良いお品をお譲りいただき有難うございました。
市場へ戻る途中、埼玉県戸田市にある「らあめん花月嵐」へと寄りました。本日は嵐げんこつらあめん味噌に白菜をトッピングし、期間限定メニューの「鉄板イタめし牛焼肉味」をいただきました。大好物の壷ニラもたっぷりといただきました。いつ来ても花月は安定の美味しさです。本日も一食目が夕方となってしまいましたが、栄養補給完了、明日は千葉県の出張買取頑張ります!

東京都国立市富士見台にて、玉川堂製の朧銀鎚起銅製一輪生、石井伯亭の自筆色紙画「春社」。

東京都国立市富士見台にて、玉川堂製の朧銀鎚起銅製一輪生、石井伯亭の自筆色紙画「春社」をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お父様が集めていらっしゃった置物や石井伯亭の自筆色紙画「春社」、玉川堂製の朧銀鎚起銅製一輪生などを買い取らせていただきました。玉川堂の作品を数多く扱ってきましたが、朧銀のものは珍しく、はじめて拝見させていただきました。「春社」とは、春の社日(しゃにち)のこと。社日(しゃにち)は、雑節の一つで、産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)といいます。春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日となります。伯亭のこの絵は、春社の日の景色を描かれたもの。他にも、万年筆やカメラなどたくさんのお道具をお譲りいただきました。数多くございましたが、一点一点丁寧に査定させていただき、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。大切にされていた思い出のお道具たち、大切に次へと橋渡しさせていただきます。良いお品をお譲りいただき有難うございました。
倉庫へ戻る途中、所沢市にあるジョリーパスタさんへと寄りました。出張買取がずっと続いており、なかなか我が家で食事が出来ず、外食の日々を送っております。たまにはパスタでもと、ジョリーパスタさんを選びました。わたしは季節限定メニューの「とろ〜りチーズと牡蠣のクリームスープパスタ」に、「パルマ産生ハム」をいただきました。限定メニューという言葉に弱いわたしですが、クリームパスタとっても美味しかったです。

石井柏亭(いしいはくてい)1882年ー1958年
日本の版画家、洋画家、美術評論家。 明治15年(1882年)東京都台東区に生まれ、父は日本画の石井鼎湖、弟は彫刻家の石井鶴三。 明治30年(1897年)浅井忠に入門して油絵を学ぶ。 明治33年(1900年)結城素明らが自然主義を標榜して結成した天声会に参加、新日本画運動を推進。 明治35年(1902年)太平洋画会に参加。 明治37年(1904年)東京美術学校洋画科に入学するが、眼病のため中退。 明治40年(1907年)山本鼎とともに美術雑誌方寸を創刊、近代創作版画運動の先駆をなした。 明治43年(1910年)ヨーロッパに外遊。帰国後大正2年(1913年)日本水彩画会を創立。 大正3年(1914年)有島生馬らとともに二科会を結成。 大正11年(1922年)東京帝国大学工学部講師。西村伊作が創立した文化学院で教壇にたつ。 昭和3年(1928年)フランス政府よりジオンドヌール勲章受賞。翌4年中央美術を創刊。 昭和10年(1935年)帝国美術院会員となり、二科会を辞す。 昭和11年(1936年)一水会を結成 昭和12年帝国芸術院会員 代表作「ウイーン」水彩は静岡県立美術館に所蔵。 東京十二景の連作(木版画)は和歌山県立近代美術館に所蔵されている。

東京都目黒区にて、篠田義一(師:人間国宝 近藤悠三)の山岳花瓶、金糸織の帯やお着物。

 

東京都目黒区自由が丘にて、陶工篠田義一(師:人間国宝 近藤悠三)の山岳花瓶、金糸織の帯やお着物などをお売りいただきました。

年末整理でお呼びいただきました。朝方お電話いただき、即日出張買取へ伺わせていただきました。急なお伺いでしたが、お時間調整などしていただき有難うございました。着物を大切にしまっていたけど着る機会もないので、今回の引越しを機にご処分されるとの事でした。着ることがなくなってしまいお着物を処分される方が最近多いですね。ウールのものが多かったですが、大切に保管されていたので、比較的状態も良く全て買い受けさせていただきました。他にも、篠田義一の山岳花瓶を買い取りました。陶工篠田義一は、染付の技法で人間国宝になられた近藤悠三氏のお弟子さんで、こちらもまた見事な染付の作品です。箱書きに和61年8月10日に作られた作品とあります。篠田義一の作品は、六角堂でも強化買取りしておりますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。良いお品をお譲りいただき、有難うございました。
本日は志木市場がございましたので、いつものように終了後にみんなで食事へと行きました。今日は埼玉県志木市にある小池さんらーめんへと寄りました。連日の買取で体が疲れておりますので、スタミナラーメンに餃子をいただき、更に爆弾チャーハンを仲間と半分ずつを分け合いました。爆弾チャーハンは今日も格別に辛かったです。たっぷりと栄養を付けましたので、明日からも頑張ります!

篠田義一(しのだぎいち)
1924年(大正13年)下伊那郡川路村に生まれる
1942年(昭和17年)人間国宝 京都芸術大学名誉教授・近藤悠三の門に入る
1949年(昭和24年)日展初入選 以後昭和36年まで日展に出品
1953年(昭和28年)長野県展審査員(28歳)
1958年(昭和33年)朝日陶芸賞
1968年(昭和43年)朝日陶芸展審査委員長
1983年(昭和58年)作陶40年記念展開催(松本・東京・名古屋・青森・広島)
1985年(昭和60年)東京日本橋高島屋に於ける個展、第20回記念展開催
1991年(平成3年)松本市文化芸術功労者
1992年(平成4年)長野県文化芸術功労者
2010年(平成12年)逝去

東京都杉並区和泉にて、桐箪笥、幸兵衛窯加藤卓男のミナイ手人物文 盒子、雨宮喜能登の窯彩硝子の花瓶。

    

東京都杉並区和泉にて、桐箪笥、幸兵衛窯加藤卓男のミナイ手人物文 盒子、雨宮喜能登(あまみやきのと)の窯彩硝子の花瓶をお売りいただきました。

贈答品がたくさんあり、年末整理を兼ねて処分したいとの事でお呼びいただきました。上記画像の他に、桐たんす、フランス人形、木彫りの置物などを買いとらっせていただきました。ミナイ手人物文 盒子(ごうす)は人間国宝の加藤卓男の窯である幸兵衛窯のもの。七代加藤幸兵衛である加藤卓男の代でつくられたものです。盒子(ごうす)とは身と蓋(ふた)とを合わせる意味で、蓋のある、小型容器のことをいいます。茶道では、風炉や炉の中で焚く「香」を入れる香合のことを指します。雨宮喜能登の窯彩硝子花瓶は、kinotoのサイン入り。雨宮喜能登は至高の硝子工芸品、硝子粉末を焼き付ける窯彩(ようさい)硝子の第一人者。 窯彩硝子を制作しているのは、現在国内で雨宮喜能登ただ一人。高貴で品格を備えた窯彩硝子は国内外で高く評価されています。良いお品をお譲りいただきありがとうございました。
本日も行ってまいりました。世田谷区にある長浜ラーメンさん、ナビを見るとお客様宅から近かったので寄ってしまいました。本日は珍しくタマネギラーメンをいただきました。昔はタマネギが嫌いだったのですが玉ねぎは血を綺麗にしてくれるからと、妻によく食べさせられていつの間にか好きになっておりました。こちらの玉ねぎは程よい刻み加減で、シャキシャキいただけます。タマネギラーメンもいいですね。また寄らせてもらいます。

窯彩硝子(ようさいがらす)
7世紀にアラビアで創始された絵付け硝子。
硝子の粉末を特別な配合で調合し、硝子の上に彩色してから窯に入れて低温でじっくり焼く事で生まれるガラス工芸品。
1215世紀にフランスで研究され、当時の王候貴族の装飾品としてよういられました。
19世紀末、エミール・ガレによって開花されましたが、その技法がとても困難なため、世の中から姿を消してしまいました。
その後、雨宮氏の研究により、現代に復活。
この技法を扱うのは日本で雨宮氏のみ。高貴で品のあるものとして国内外で高く評価されています。

加藤 卓男(かとう たくお)1917年~2005年
陶芸家。ラスター彩、青釉、奈良三彩、ペルシア色絵などを再現。
1917年 岐阜県多治見市に生まれる。家は江戸時代から続く窯元幸兵衛
1954年 第10回日展に入選
1961年 フィンランド政府の招聘で、フィンランド工芸美術学校へ留学
1963年 第6回新日展で特選・北斗賞受賞
1964年 「美濃陶芸協会」設立、初代会長に就任。岐阜県芸術文化顕彰受賞
1965年 第8回新日展にて北斗賞受賞
1976年 東京大学イラン・イラク遺跡発掘調査団に参加
1980年 イラク文化省よりバクダッド大学に客員教授として招聘を受ける
1983年 多治見市無形文化財保持者認定、同岐阜県重要無形文化財保持者認定
1988年 紫綬褒章受章
1989年 正倉院に二彩鉢の復元作品を納める
1995年 重要無形文化財保持者認定
1996年 岐阜県名誉県民となる
2005年 死去

東京都品川区上大崎にて、関武比古の純銀製兜の置物、版画家 稲垣知雄の木版画「猫」など。

東京都品川区上大崎にて、関武比古の純銀製兜の置物、版画家 稲垣知雄の木版画「猫」などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お客様が置物などを処分したいので早めに来てほしいとの事でしたので、即日お伺いさせていただきました。連日の買取で倉庫整理をしておりましたが、N尾氏がトラックを増車したので、空の状態で伺うことが出来ました。家具はなかったものの、こけしなどの民芸品がたくさんあり、まとめて買い受けさせていただきました。ご夫婦で旅行に行かれるたびにお土産として買われてきたこけしなど思い出のお品々、大事に次へと繋げさせていただきます。こけしは海外での需要も高いようで、市場でも安定して売れております。必ずどこかで大切にされていくことと思います。また、関武比古の純銀製兜の置物、版画家 稲垣知雄の木版画「猫」なども買い取らせていただきました。関武比古の純銀製兜の置物は、未使用で保管状態も良かったので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。版画家の稲垣知雄は、猫をモチーフにされることが多い画家さんです。つぶらな瞳が可愛い猫たちですね。たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。帰りが夜になってしまいましたが、帰宅途中スシローさんへと寄りました。冬のあんかけ茶碗蒸しは大振りのホタテが入っており、とても美味しかったです。

初代 関武比古(せきたけひこ)
明治41年、千葉県勝浦に生まれ、大正11年に上京し、打物の名匠、田島勝之師の門に入り、銀細工を修行、さらに香坂宗廣師について技法を磨き、昭和11年に独立しました。第二次世界大戦で応召、昭和23年に復員し、平和の訪れと共に、再び活発な制作を開始しました。
「貴金属美術工芸品を、ひろく人々に」と、伝統工芸の「手」の技法に、新しい技術をとり入れて制作したヨット、宝船、帆前船、御所車、兜、扇、鶴、打出の古鎚、五重塔、幌馬車、騎士などの金銀製置物や額を数多く残されました。

稲垣知雄(いながきともお)版画家。国画会会員、日本版画協会名誉会員
1902(明治35)年9月4日東京に生まれる。1924年に大倉高等商業学校を卒業した後、恩地孝四郎、平塚運一に版画を学び、日本創作版画協会展に出品、この間「乙女橋」「黄色い花」などを発表し、32年同協会会員となった。30年12月、商業美術家協会研究所に入り、修了後図案社を開業、その後京北商業高校、広告美術学校などで教鞭をとった。戦後47年の第21回展から国画会展にも出品し、東京国際版画展やスイス・ルガーノ国際版画展など国際展への出品も多い。国際版画協会の設立メンバーで、主な作品は「歩く猫」(53年)「猫の化粧」(55年)「尾長猫」(58年)など。猫を好んで描いた。(80年)没。享年77。

東京都足立区千住仲町にて、龍文堂の錫製銚子や袋帯、訪問着などのお着物。

東京都足立区千住仲町にて、龍文堂の錫製銚子や袋帯、訪問着などのお着物をお売りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。年末のお片付け整理が始まり、忙しくなってきました。お客様にはご日程の調整などでお気遣いいただきました。また、搬出時にスペースを作っていただいたり、お気遣いいただきありがとうございました。お母様が大事にされていたというお着物や、倉庫にしまわれていた漆器や龍文堂の錫製銚子など、まとめて買い取らせていただきました。龍文堂(りゅうぶんどう)は江戸末期から昭和33年頃まで8代続いた京都の鉄瓶屋。明治から大正に掛けて、数多くの名品を作れました。鉄瓶ではとても有名ですが、このような錫製の銚子なども作られていたのですね。お着物は、蒔絵春秋貴庭文の袋帯や、訪問着などを買い取らせていただきました。本日は良いお着物、お道具をご売却いただき有難うございました。
年末整理で、お着物を処分されたいとのご依頼が増えてきております。ご自宅でずっと眠っている反物や、なかなか日の目をみない着物、をお持ちの方は着物買取に経験豊富な六角堂をお呼びください。査定のみでも結構ですので、たくさんのご依頼お待ちしております!東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です!
昼食でお客様宅の近くにある足立市場へと行きました。こちらは二か月ほど前に仕事の仲間に連れてきてもらって、是非また来たいと思っておりました。今日は前回と違うお店「かどのめし屋 海鮮食堂 足立市場店」さんへと行ってみました。わたしがいただいたのはアジフライ定食、揚げたてのホクホクでとても美味しかったです。市場食堂はどこもボリュームがあって、食べ盛りの私には嬉しいです。またお邪魔したいと思います。食事を終え、もう一件足立区のお客様宅へお着物、掛け軸の見積もりをして、帰りに河原町稲荷神社で願掛けしてまいりました。こちらの神社の神様は食物の神・商売繁盛の神・出世の神さまで千住市場の守護神のようです。わたしにも食物の神・商売繁盛の神・出世の神さまのご加護がありますように!今日は一日足立区を満喫しました。足立区いいですね!

東京都文京区小石川にて、桐箪笥、お着物、お茶道具、万代草山の茶壷、八木澤啓造の煤竹通い筒。

 

東京都文京区小石川にて、桐箪笥、着物、茶道具、洛東 万代草山の茶壷、竹工芸の名工 八木澤啓造の煤竹通い筒をお売りいただきました。

年末整理とのことでお呼びいただきました。使わずにしまったままになっていた。お着物やお茶道具などを、今年の年末整理で処分されることとなり、お呼びくださりました。万代 草山(まんだい そうざん)は1935年生まれ(昭和10年)はの京焼の陶芸家。茶入、茶壷、飾り壷などを数多く作られていらっしゃいます。茶壺(ちゃつぼ)とは、石臼で擂りつぶす前の抹茶、すなわち碾茶(葉茶)を保管するために用いられる陶器製の壺(葉茶壺)のことで、古くは抹茶を入れる茶入を「小壺」と呼んだことに対して大壺とも呼ばれました。通い筒は、切り花を持ち運ぶために作られた竹筒のことで、送り筒とも言われます。寸動に切った竹に、藤蔓の手提げ緒が付けられた物。煤竹(すすだけ)とは、古い藁葺き屋根民家の屋根裏や天井からとれる竹のことで、100年から200年以上という永い年月をかけ、囲炉裏の煙で燻されて自然についた独特の茶褐色や飴色に変色しているのが特徴。煙が直接当たっている部分は色濃く変色しているが、縄などが巻かれて直接煙が当たらなかった部分は変色が薄く、ゆえに1本の竹に濃淡が出て美しい表情をもっております。良いお道具をお譲りくださり有難うございました。
六角堂では、裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりにお伺いし、査定させていただきます。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。お客様にご満足いただけるよう、頑張ります!
画像の柚子は我が家の庭になったものですが、朝見ると何やらボコボコしてきました。突然変異でしょうか。冬至の柚子風呂が待ち遠しいです。もつ鍋は昨夜志木市場の忘年会に参加していただいたもの。中野駅の和民さんでいただきました。とっても美味しかったです。

八木澤啓造(やぎさわけいぞう)
1927年 10月11日生 大田原市に生まれる
1947年 黒羽町の竹工芸作家鈴木峯斎氏に師事、大田原市に「矢木澤竹工房」を設立
1949年 八木澤蒼幵を名のる 昭和50年蒼幵改め啓造、八木澤竹工房設立、現在に至る
1975年 八木澤竹芸研究会を主催し、竹細工を指導する、日本工芸会より日本工芸会正会員に認定される
1981年 大田原地域職業訓練センターの設立と同時に理事に就任、併せて職業講座竹工芸科の講師となる。栃木県技能検定試験首席検定員(竹工芸)
1982年 第33回全国植樹祭(栃木県開催)において、陛下のお手蒔き会場並びに御宿泊の部屋に盛籠「向日葵」を出品し天覧の栄を賜る
1985年 アメリカ合衆国シアトル市名誉市民、NHK文化センター竹工芸講師を6年間努める、業務精勤により黄綬褒章受賞
1986年 この年から毎年、中国に於いて技術指導を行う(河南省洛陽市、福建省長汀県)
1987年 栃木県警察本部長より天機奉伺の献上,果物籠永年製作により感謝状を受ける
1989年 栃木県文化功労者、栃木県教育委員会より表彰を受ける
1991年 労働関係の功績で勲六等瑞宝章受賞、中華人民共和国河南省洛陽市洛寧県栄誉賞を受ける
2006年 8月9日永眠されました。

神奈川県横浜市中区にて、山本鳳山造の鋳銅蟹銀象嵌花瓶、結城紬などのお着物。

   

神奈川県横浜市中区にて、高岡銅器山本鳳山造の鋳銅蟹銀象嵌花瓶、結城紬などのお着物をお売りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。マンションへの出張買取でしたが、前もって駐車スペースを確保していただいておりましたので、スムーズに作業を進めることが出来ました。お気遣いくださり有難うございました。着物を大切にしまっていたけど着る機会もないので、今回の引越しを機にご処分されるとの事でした。着ることがなくなってしまいお着物を処分される方が最近多いです。お着物は着るときにだけレンタルされる方が増えてきているからのようですね。また、昔知人から頂いたという高岡銅器山本鳳山造の鋳銅蟹銀象嵌花瓶もお売りいただきました。蟹の銀象嵌がとても可愛い花瓶でした。鋳銅製の花瓶はあまり査定が付かないことが多いですが、山本鳳山の鋳銅花瓶はまだまだお値段が付いております。高岡銅器は、富山県高岡市で製造されている伝統工芸品の銅器のことで、質の高いものを生み出せる鋳造技術は全国的に有名です。素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では、高岡銅器の作家作品を探しております。
強化買取り作家は、
会田富康 、麻生三郎 、荒井寿斎 、有栖美津雄 、池田満寿夫 、大角勲 、大森孝志 、可西泰三 、門脇喜平 、金森映井智 、北光修 、北村西望 、熊谷友児 、米治一 、斉藤尤鶴 、三枝惣太郎 、二代須賀松園 、須賀月真 、須賀月芳 、関源司 、大道寺光弘 、高野紫山 、高村光雲 、高村豊周 、竹谷邦夫 、津田永寿 、富永直樹 、鳥山雄示 、内免紫峰 、長田晴山 、中山春山 、名取川雅司 、蓮田修吾郎 、長谷川栄作 、畠春斎 、般若勘渓 、般若純一郎 、般若昭三 、平井昇 、二上元威 、本江好彦 、本保勇蔵 、宮昌太郎 、村田宏 、八島望舟 、横山一夢 、分部順治
などの作品がございましたら六角堂までお問い合わせください。
今回もまた、中華街で昼食をいただく事にしました。「中国料理盛香園」へと寄り、わたしは酸辣湯麵をいただき、N尾氏は体調がすぐれなかったので中華粥をいただきました。とても美味しかったです。また、中華街へ来たら必ず寄らせていただいております横濱媽祖廟へと本日も参拝しに行きました。横濱媽祖廟(よこはままそびょう)は2006年にできたばかりと比較的新しい寺院ですが、そのご利益は「恋に効く」「金運が上昇する」とすでに話題になっていて、横浜のパワースポットの一つとして人気を博しています。【ご利益】は、家内安全、商売繁盛、心願成就、開運成就、身体健全、社運隆昌、交通安全、 旅行安全、厄難削除、合格成就、安産祈願、息災延命、良縁成就、無病息災、除災招福など。わたくしは中国骨董品の買い取りが入るよう祈願させていただきました!これから志木市場の忘年会で、中野駅の居酒屋さんへ行ってまいります。明日も買い取りが入っておりますので、飲み過ぎないよう気を付けてまいります。

東京都葛飾区宝町にて、桐箪笥、琴、砥部焼 森元青芳の壺人形など。

東京都葛飾区宝町にて、桐箪笥、琴、砥部焼 森元青芳の壺人形などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は江東区大島、家電や木工芸の五重塔、掛軸など。お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。途中、お茶やお茶菓子をいただいたりと、お気遣いくださり有難うございました。年末でお忙しいかと思いますが、お引越し終了まで頑張ってください。二件目もお引越し前のお片付け整理。こちらでは、時代桐箪笥、お琴、人形、砥部焼 森元青芳の壺人形などを買い受けました。こちらは森元青芳が女性を表現した陶人形になります。森元氏は独自に調合した土を使い砥部焼の伝統と技で表現し「青芳人形」として制作しております。細かい細工や表情、とてもすばらしい作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い取らせていただきました。
六角堂では、フィギュリン・陶磁器人形・ガラス人形・ブロンズ像の鑑定・買取りをしております。マイセンやリヤドロ、ロイヤル・コペンハーゲンなどのフィギュリン・陶磁器人形や、ラリックやスワロフスキーなどのクリスタル製の人形やオブジェ、日本の陶器人形などを探しております。また、ビスクドールなどの西洋人形、日本の人形やこけしなどの民芸品、仏像なども強化買い取りしております。ご不要にお人形がございましたら、六角堂までお問い合わせください。
江東区から葛飾区へ向かう途中、江東区毛利にある「麺や璃宮」さんへと寄りました。メニューを見るとなんと激辛地獄ラーメンなるものがありました。辛さの段階として風神・雷神・大魔神とそして頂点に立つのが「閻魔大王」。何事にも挑戦したくなるわたしは迷わず閻魔大王を注文。ギネス記録で世界で最も辛い唐辛子とされているトリニダード・スコーピオンが入っている閻魔大王、辛くないわけがありません。痛い痛いと汗と涙を垂らしながらなんとか完食。もちろんスープは残しましたが。口直しに水餃子をいただきました。きっと美味しいのでしょうが、舌がばかになっていてなにがなんだか分からず状態でした。大好きな魚粉が入れ放題でしたので、次回は普通のラーメンに魚粉をたくさん入れていただきたいと思います。明日は神奈川県横浜市へ出張、夜から中野駅で志木市場の忘年会、もうそんな時期ですね。朝早いので早寝します。

森元青芳(もりもとせいほう)
本名 森元志朗(もりもとしろう)
1928年生。伊方町出身。
1928年 昭和3年3月3日 愛媛県西宇和郡伊方町九町に生まれる。
1950年 伊予窯業公共職業補導所入所、梅野精陶所に就職。
1951年 野本星黄氏と共同で砥部町八倉に矢取窯 開窯。
1962年 砥部町五本松に青芳窯 開窯。
1971年 松山三越にて「森元青芳 創作陶芸展」。
1989年 砥部焼伝統産業会館 「坂村真民・森元青芳 二人展」。
1991年 高知市、NTT高知支店「青芳 陶雛人形展」。京都市、京丹後市大宮町、町制40周年記念事業「青芳人形展」。
1994年 松山市 ヨンデンギャラリー「青芳人形展」。他多数の個展を行う。
2013年 84歳にて、死去。