埼玉県蓮田市にて、岩谷堂箪笥、秋田木工の椅子、中国ミャオ族の衣装、絵画など。

埼玉県蓮田市にて、岩谷堂箪笥、秋田木工の椅子、中国ミャオ族の衣装、絵画、掛け軸などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、業者様の倉庫へ買い取りへ伺いました。当社がお世話になっている業者様の友人の会社様からお呼びいただきました。初めてお呼びいただきましたが、とても良い社長様で気持ちの良いお取引が出来ました。関越~圏央道で向かおうとしておりましたが、途中事故渋滞が発生してしまいお約束の時間に少し遅れてしまいましたが、気持ちよく受け入れてくれました。有難うございました。六角堂の強化買取り中のものが多くあり、色々なお品をお売りいただきました。古いものですので痛みのあるものもございましたが、きちんと保管されておりましたのでまだまだリサイクルできるものばかりでした。家具は、当社でもよく取り扱う岩谷堂箪笥、秋田木工のもの。掛軸は中国の工芸品など。絵画はリトグラフなど。画像の民族衣装は、中国ミャオ族の男性衣装。ミャオ族は中国の少数民族の一つ。貴州省を主に、南部の山地に広く居住し、一部はベトナム・ラオス・タイの北部に居住、メオ族とよばれております。農業を主とし、女性は刺繍に長じている。苗(びょう)族とも呼びます。勇者が着るといわれているこちらの衣装、きちんと額装されておりましたので、痛みも少なく保管されておりました。こちらの衣装は近年のものになりますが、民族衣装には古くからの歴史があり、時代ある衣装は高額査定となるものが多くございます。良いものをたくさんお売りいただき、ありがとうございました。またお呼びいただけるとのこと、お仲間の会社さんをご紹介していただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。とても良い出会いが出来ました。有難うございました。
本日の平昌五輪は、羽生選手の出番ですので、食事をしていったん帰宅することにしました。帰り道の大宮綜合食品地方卸売市場へと寄り、市場内にある「藤よし」さんという食堂で昼食をいただきました。こちらは、昨年末出張買取の帰りに寄った場所で、その時はとなりの花いちさんというお店に寄りました。藤よしさんでは、カキフライカレーをいただきました。価格表に時価と書いてありいくらかドキドキしておりましたが、千円ちょっとでした。ボリュームいっぱいで、とても美味しかったです。いったん帰宅してテレビを見ると、ちょうど羽生選手の出番でした。羽生選手やってくれましたね。日本人初の金メダルです。オリンピック二連覇おめでとうございます。本当に本番に強い選手ですね。すごく尊敬します。また、宇野選手も銀メダルおめでとうございます。表彰台に二人が並んで日本人として誇りに思います。この瞬間を見れて自営業で良かったなって思いました。倉庫へと戻り、本日買い取らせて頂いたお品の修復作業をしました。家具は綺麗に、衣装の額縁も直りました。平昌五輪の選手たちに負けないよう、明日の出張も頑張ります。

東京都中央区佃にて、絵画、書道具、古唐木製の牛乗童子。

 

東京都中央区佃にて、アンティークスタンドライト、絵画、書道具、古唐木で作られた牛乗童子をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。明治期頃の時代家具のご処分でお呼びいただきましたが、残念ながらパーツの欠品や破損などで全てを買い取ることは出来ませんでした。小引き出しやスタンドライトは、破損個所も少なく買い受けさせていただきました。牛乗童子の置物は、古いものですのでひび割れなどございましたが、人気の古唐木で作られたものでしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。「牛乗り童子」は、禅の悟りをあらわしたもので、牛の背に乗り家に向かう(悟りを得て、世間にもどる)姿と言われています。きめ細かい彫りで、とても出来の良い木彫りでした。他にも、硯や墨、石の置物などを買い取らせていただきました。たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。六角堂では、ブロンズ作品や木彫などの彫刻品、江戸期から現代にかけての根付作品、現代の人形作家から古い時代の日本人形や海外のアンティーク人形など、木彫・人形・ブロンズ作品に付きましては、幅広い作品を高価買取り致します。ご不要の作品がございましたら、お問い合わせください。
買い取りを終えて、お腹がすきましたので地図で検索してみると月島がすぐそばにありました。歩いて数分で行ける場所でした。たまにはN尾氏ともんじゃでも食べようかと、月島もんじゃストリートへ向かいました。到着して見渡すと、どこももんじゃ、もんじゃ、もんじゃ焼き。店選びがとても大変でした。悩んだ結果、わたしたちが入ったお店は「いろは本店」さんというお店。後々調べましたら、とても有名なお店だったようです。お腹がペコペコでしたので、たくさん注文しました。牛すじお好み焼き、アスパラベーコン、五目焼きそば、餅入りもんじゃなどなど。一番の当たりは牛すじお好み焼き、とっても美味しかったです。わたしの子供たちもお好み焼き、もんじゃ焼きが好きなので、いずれ連れてきたいと思います。車に戻る途中、月島もんじゃストリートなのになぜかメロンパンのお店がございました。こちらのお店を調べてみると週末には行列ができる人気店のようでした。月島久栄、東京メロンパンの二店舗で家族にお土産を買って帰りました。先ほどいただきましたが、すごく美味しかったです。子供たちも喜んでくれました。月島、いいですね!

埼玉県さいたま市緑区にて、般若勘渓の唐銅群鯉地文丸型花瓶など。

埼玉県さいたま市緑区にて、般若勘渓の唐銅群鯉地文丸型花瓶などをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。般若勘渓(はんにゃかんけい)といえば高岡を代表する釜師として有名ですね。ろくろの技術を駆使して銅と錫の合金を用いて鋳造を行う砂張(さはり)を得意としています。茶道を嗜む方からも好んで使用される般若勘渓の作品は六角堂でも買取を強化している作家の一人です。鯉の群れが泳ぐ姿が雰囲気良い作品となっております。こちらの他にも、掛け軸や置物、贈答品などを買い受けました。たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。ただいま六角堂では、金工作家のお品を探しております。金工作家作品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。豊富な知識と鑑定経験をもつスタッフが、一つ一つ丁寧に最大限の正当評価をさせていただきます。
帰りに、近所の中華料理屋「珍来」さんへと寄りました。本日は勝浦担々麺にレバニラ炒めをいただきました。疲れがたまってますので、たくさん栄養補給させていただきました。明日は東京都中央区へ出張買取、頑張ります!

般若勘渓(はんにゃかんけい)1933(昭和8)年生
般若勘渓は富山県高岡市に生まれました。号を勘渓といいます。宗勘は兄、保は弟。
般若勘渓は高岡を代表する釡師である父与吉の稼業を手伝っていた事がこの世界に入るきっかけとなりました。1611(慶長16)年に加賀藩2代藩主・前田利長が高岡入封の際、般若郷西ノ保(現:富山県高岡市)より鋳師7名を招いたのが高岡鋳物の創始です。般若郷には鋳物発祥の地・河内国丹南郡(現:大阪府)より移り住んだ、十数軒の鋳師がいたと伝えられます。般若家はその末裔にして祖先から受け継いだ技術を一層研磨して高い評価を受けています。般若勘渓は古作釜の研究を続けて数多くの写しを制作し、日本伝統工芸展で数々の賞を受賞しており、宮内庁正倉院の依頼により、正倉院宝物の複製を行うなど実力を兼ね備えた鋳物作家として知られています。高度な轆轤技術を駆使して銅と錫の合金を用いて鋳造を行う砂張(さはり)を得意としています。
昭和44年 第16回日本伝統工芸展初入選
昭和46年 第1回日本伝統工芸金工展初入選
昭和48年 第3回日本伝統工芸金工展日本工芸会賞受賞
昭和57年 第13回日本伝統工芸金工展奨励賞受賞
昭和60年 第15回日本伝統工芸金工展朝日新聞社賞受賞
平成13年 宮内庁正倉院の依頼により正倉院宝物「砂張理加盤」複製
平成17年 宮内庁正倉院の依頼により正倉院宝物「黄銅合子」複製

東京都調布市にて、高畠達四郎の油彩画「富士」、染川宗進の奈良一刀彫「達磨大師」など。

東京都調布市にて、高畠達四郎の油彩画「富士」、染川宗進の奈良一刀彫「達磨大師」などをお売りいただきました。

一昨日に出張買取させていただいたお客様宅へ、本日も出張買取させていただきました。一昨日トラック二台分のお品を買い取らせていただいたのですが、それでも積みきることが出来ませんでしたので、本日は残りのお品を引き上げさせていただきました。本日買い取らせていただきましたのは、高畠達四郎の油彩画「富士」、染川宗進の奈良一刀彫「達磨大師」など。また、追加で出てきましたロイヤルコペンハーゲンの食器なども追加見積の上、全て買い受けました。高畠達四郎(1895-1976)は、素朴で詩情豊かな風景画を多く手掛け、林武、野口彌太郎らとならび称される洋画家。26歳でフランスへ渡り、藤田嗣治やキースへリングらパリ画壇の影響を受けた方です。画題は人気の富士、少々汚れや額に痛みなどありましたが、当社で買い取りを強化している作家作品でしたのでお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。奈良人形師である染川宗進の一刀彫「達磨大師」は、表情に迫力があり、見ていると引き込まれます。良い作品をお譲りいただき有難うございました。一昨日はお客様の弟様、本日は妹様がいらっしゃってお荷物たちとお別れをしておりました。そんなご家族の思い出がつまったお品、六角堂で大切に次へと繋げるようさせていただきます。帰りに、お客様にバレンタインチョコとお手紙をいただきました。お客様にチョコレートをいただくまで、今日がバレンタインデーということに気付いておりませんでした。お見積り、二日間の出張買取と三度もお付き合いいただきありがとうございました。また何かありましたら、六角堂をご指名ください。帰り途中いつも寄っている世田谷区の長浜ラーメンさんへと寄りました。お客様宅が甲州街道から近かったので、今日もまた寄ってしまいました。とんこつ味噌に玉ねぎ多め、麺バリカタ、わたしの至福の時です。もちろん替え玉もしました。とても美味しかったです。

高畠達四郎(たかばたけたつしろう)1895~1976
1895 東京に生まれる
1916 慶應義塾大学理財科を中退して本郷洋画研究所に学ぶ
1919 光風会展に入選
1921 帝展入選。渡仏しアカデミーランソンに学び、サロン・ドートンヌなどに出品
1928 国画会展に出品
1930 独立美術協会創立会員となる
1952 美術団体連合展の出品作が毎日美術賞受賞
1955 日本国際美術展で佳作賞受賞
1976 死去

東京都国分寺市にて、桐たんす、茶道具、村瀬治兵衛の独楽茶器。

東京都国分寺市にて、桐たんす、茶道具、村瀬治兵衛の独楽茶器をお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理にてお呼びいただきました。古いものがたくさんあるとの事でお呼びくださりましたが、お茶道具をはじめ、日本人形、置物などがございました。お茶道具がたくさんあり、全て買い取らせていただきました。村瀬治兵衛の独楽茶器は、当社で買い取りを強化している作家の作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。初代村瀬治兵衛は名古屋の木地師の家に生まれ、薄手と荒挽きの両方を得意とし、魯山人の指導を受けた漆芸家。茶の湯の世界では有名な方です。現在は三代が跡を継ぎ、作品を制作しております。良いお道具をお売りいただきありがとうございました。
帰宅後、家族でららぽーと富士見に行き、「彩の国レストラン」さんで夕食をいただきました。こちらのお店は、色々な野菜をたくさん使った自然食ビュッフェレストラン。外食が多く、野菜不足が続いておりますので、こちらには時々寄らせていただいております。本日もまた、たくさんの野菜を補給させていただきました。
六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取しております。作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。
お茶道具の強化買取作家は以下となります。
千家十職 大西清右衛門、駒沢利斎、土田友湖、黒田正玄、永楽善五郎、中川浄益、楽吉左衛門、中村宗哲、奥村吉兵衛、飛来一閑
陶芸 朝日豊斎、上田直方、 大樋長左衛門、 小川長楽、大野鈍阿、亀井楽山、久世久宝、坂倉新兵衛、坂田泥華、清水六兵衛、須田青華、杉田祥平、杉本貞光、膳所焼陽炎園、田原陶兵衛、高取静山、高取八仙、高橋道八、長岡空権、中村翠嵐、西村徳泉、三浦竹軒、三浦竹泉、宮川香斎、清風与平
金工 角谷興斎、角谷一圭、角谷莎村、金谷五良三郎、木村清五郎、菊地政光、 佐藤浄清、高橋敬典、 高木治良兵衛、長野烈、根来実三、根来茂昌、畠春斎、明珍
漆芸 一后一兆、川端近左、川瀬表完、前畑雅峰、道場宗廣、村瀬治兵衛、渡辺喜三郎
作家の無い、時代お道具なども探しております。お茶道具を売却される際には、六角堂までお問い合わせください!

初代村瀬治兵衛(むらせじへい)
1897年(明治30年)4-5代続く木地師の家に生まれる。極薄挽きを得意とする腕の良さがあったが素地まででは満足せず、漆器として完成品を目指した。魯山人の塗師・木地師として椀を作り、”はつり”の生かした薄挽きの中に大胆さがある特徴的な作風が作られた。その後、東京からの注文が増え、昭和26年(1951) 一家で東京へ移動。昭和51年には二代に代を譲って治庵と名乗り、陶芸の楽茶碗制作を始める。

東京都調布市にて、太郎右衛門窯の絵唐津皿、源右衛門窯のぐい呑、吉川修身の古染ぐい吞、湯呑。

東京都調布市にて、太郎右衛門窯の絵唐津皿、源右衛門窯のぐい呑、吉川修身の古染ぐい吞、湯呑などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、先日お見積りへお伺いしたお客様宅へ、遺品整理でお呼びいただきました。数社相見積もりでしたが、当社へお売りいただくこととなりました。画像の陶磁器の他、紫檀の違い棚、絵画、掛け軸、陶磁器、茶道具、ガラス工芸品、漆器、貴金属など、たくさんのお品をお売りいただきました。お父様が生前会社経営されていたようで、とてもたくさんの贈答品がございました。本日お売りいただいただけでもトラック二台パンパンの量、残りは明後日14日に引き上げに来ることとなりました。これだけの贈答品、さぞかし人望の厚いお父様だったのかと思います。お父様の思い出のお品、少しでもリサイクルしてほしいというお客様のご希望に応えられるよう、精一杯頑張りました。また、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくこととなりました。午前中からの作業でしたが、梱包などで時間が掛かってしまい、お昼休憩をさせていただきました。向かった先は、近所の「ジョナサン世田谷給田店」。O橋氏、N尾氏とランチをしました。あまり食べ過ぎてしまうと午後の作業に支障が出てしまうので、デザートは我慢。本日はたくさんのお品をお売りいただき有難うございました。また14日、よろしくお願い致します。

吉川修身(よしかわおさみ) 昭和12年生
美濃古染付代々の圓正窯元に生まれる。 日本伝統工芸展、朝日陶芸展、中日国際陶芸展、日本陶芸展他多数入選入賞。 日本橋三越他全国で個展開催。日本工芸会正会員。 美濃陶芸協会会員。 日本簒刻会常任委員。 日本書芸院一科会員。 多治見市美術展審査員。
修身窯陶房。 ’03名鑑評価額82万。

13代中里太郎右衛門(なかざと たろうえもん)1923年(大正12年)5月31日 – 2009年(平成21年)3月12日
陶芸家、日本藝術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市生まれ。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。
中里太郎右衛門 (12代)の長男。弟の中里重利、中里隆も陶芸家。

千葉県市川市にて、伝統工芸士中沢和夫作加茂桐箪笥(帯箪笥)、大名時計、和家具。

千葉県市川市南八幡にて、伝統工芸士中沢和夫作加茂桐箪笥(帯箪笥)、大名時計、九州民芸家具の椅子、囲炉裏ダイニングセットなどの和家具などのをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お伺いした市川市南八幡はわたしが20年近く前に数年間住んだ土地。久々の本八幡駅でとても懐かしかったです。本日お売りいただいたタンスは、伝統工芸士中沢和夫の加茂桐箪笥。新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、四方丸の帯箪笥というタイプのもので、高級桐たんすになります。帯箪笥とは、帯専用の桐たんすで、出し入れがしやすく機能的な作りが特徴です。通常の和たんすとの大きな違いは、横幅。帯の幅に合わせて制作するため、和たんすよりも狭く無駄のない作りです。引き出しには帯締め・帯揚げなどの小物を収納します。所々シミ汚れが出てしまっておりましたが、痛みも少なくお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。また、三越で購入されたという大名時計を買い取らせていただきました。大名時計とは、江戸時代に大名お抱えの御時計師達が、長い年月をかけて手造りで製作したもの。製作技術、機構、材質などの優れた「大名時計」は美術工芸品で世界に類のない日本独特の時計です。時刻はヨーロッパで使用された、24時間の定時法の時刻と異なり、大名時計は不定時法を用いた時計です。不定時法とは、夜明けから日暮れまでの昼を六等分、日暮れから夜明けまでの夜を六等分した時刻で、数字と十二支を使って表現されていました。夜明けと日暮れは季節によって時間が変わるため、昼と夜の長さが変わり、一時[いっとき]の長さが変わる時刻です。明治6年(1873年)を以って日本は定時法へ移行したことにより、その実用的使命を終えました。こちらは、三越が創業300年の際に販売されたレプリカモデルになります。欅材を使用し、鉄味の良い鐘が雰囲気良いですね。他にも、火鉢や和家具などを買い取らせていただきました。また、25日にオーク材のアンティーク家具を買い取らせていただくこととなりました。本日は良いものをお売りいただき有難うございました。
帰りに、市川駅にある「中華麺工房 男爵」さんへと寄り、味噌らーめんをいただきました。市川駅はやはり20年近く前に10年近く住んだ土地で、こちらの男爵にも数回来たことがございます。市川駅は数年前に大規模な土地開発がされたので、お店の場所が変わっておりました。本八幡駅もそうですが、10年もたつとずいぶんと変わってしまうものなんですね。それでも駅ビルのシャポーや喫茶店など、わたしが愛用したお店がまだ残っておりました。次お呼びいただいた時は、もう少しブラブラしてみようと思います。

東京都板橋区成増にて、掛け軸、屏風、スタンドライト、模型など。

東京都板橋区成増にて、掛け軸、屏風、アンティークスタンドライト、ルフトハンザ航空の飛行機模型などをお売りいただきました。

お家の建て替え前のお片付け整理でお呼びいただきました。成増はわたくしが学生時代に通学で毎日利用していた駅で、はじめてアルバイトをしたのも成増駅でした。そんな思い出の土地への出張買取でした。一か月くらい前よりお問い合わせていただき、お客様とご日程を調整してようやくお伺いすることができました。お問い合わせいただいたお客様のご実家の整理で、お客様自身も群馬県から来てくださりました。掛軸は、日本画、仏画、中国書画など様々で、状態の良い物、悪いもの全て買い受けさせていただきました。屏風は、虎の絵が描かれているもので、アンティークライトは海外製のもの。残念ながら、所々カケがございました。ルフトハンザ航空の飛行機模型は、とても希少なものとのことで、アクリルのショーケースを特注で作られており、セットで買い取らせていただきました。お客様のご実家で、大切に使われていた品々、大切に次へと繋げさせていただきます。ご日程のご調整をいただいたり、お気遣いくださり有難うございました。
今日は志木の市場が開催日でしたので、市場へ向かう途中の埼玉県和光市にある「くるまやラーメン」さんに寄りました。メニューを見ると「納豆味噌らーめん」なるものがありましたので、注文しました。納豆に味噌、どちらも大豆が原料ですが、これが意外と合いました。とっても美味しかったです。市場を終え、いつもお邪魔する朝霞市の大島屋食堂で、みんなで食事をしました。牡蠣、白子、あん肝のセットに海鮮丼、とても美味しかったです。最近外食が増えてしまっており、なかなか家族で家の食事ができません。我々古物買い出し屋はなるべく自分で栄養管理をしなければと思います。
六角堂では、掛け軸の買取りを強化しております。日本画、書、仏画、墨蹟、書簡、浮世絵、中国書画など全般取り扱っております。また、掛け軸の他にも、巻物・屏風・襖絵やまくりの状態のものも買い取り強化中です。ご不要の掛軸がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください!無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取させていただきます。

本日の出張買取はお休みいただきました。

本日は、仲間が倉庫を借りたので、荷物の運び出しや掃除、倉庫周りの草刈りなどをしました。たまにはのんびりと作業するのもいいものですね。倉庫を借りてからがまた色々と大変なのが我々古物商。頑張ってほしいです!一通り整理が終わったところで、三芳町にある台湾料理屋「香林坊」さんでみんなで食事をしました。一仕事した後の食事はとても美味しかったです。明日からまた出張買取の日々、六角堂も頑張ります!

埼玉県和光市にて、高田博厚のパステル画「裸婦」、ブロンズ像の買取り。

埼玉県和光市にて、高田博厚のパステル画「裸婦」、ブロンズ像をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お父様が大事にされていた絵画やブロンズ像を買い取らせていただきました。絵画は高田博厚のパステル画。高田博厚(たかだひろあつ)は1900年生まれの日本の彫刻家、思想家、文筆家です。少年時代から文学や芸術に目覚め、18歳で上京し彫刻や翻訳に従事しました。31歳でフランスに渡ると、作家のロマン・ロナン、哲学者のアラン、画家のジョルジュ・ルオーなどを始めとするヨーロッパの優れた知識階層と交流を重ねました。戦後もフランスにとどまり、彫刻家としての創作活動などを行います。帰国後は東京にアトリエを構えて制作を再開しました。写実にもとづく知的な作風の作品は今でも人気があります。ブロンズ像は人気の裸婦像、残念ながら作者は不詳でした。良いものをお売りいただきありがとうございました。お父様の思い出のお品、大切に次へと残していきたいと思います。帰りに市場へ寄ると、仲間たちがちょうど荷物を入れておりましたので、みんなで「とんでん」さんへと行きました。画像のあんこうの唐揚げ、白子の天ぷらは季節限定メニューですが、とっても美味しかったです。明日は仲間の倉庫作業を手伝うため、出張買取はお休みいただきます。
六角堂では「高田博厚」の作品を探しております。
ご所蔵の作品(版画、肉筆画、彫刻、ブロンズ像など)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取させていただきます。
高田博厚作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

高田博厚(たかだひろあつ)
1900年 石川県で生まれる
1912年 父の蔵書を読み、ロマン・ロナンの「ジャン・クリストフ」に感化される。当時12歳。
1918年 東京外国語学校イタリア語科に入学する
1921年 落第し退学 沢田庚子生と結婚する
1922年 コンディヴィの『ミケランジェロ伝』の翻訳を行う
1928年 当時非合法の共産党員をかくまい、警察に留置される
1931年 妻と子供を残して渡仏。
1937年 在欧日本人向けに、謄写版刷りの日刊『日仏通信』を始める
1938年 パリ日本美術家協会を設立
1940年 毎日新聞の特派員になる
1944年 駐独大使大島浩の命令で、在仏日本人とともにベルリンへ移される
1945年 ドイツ降伏後ソビエト軍に保護される
1948年 カンヌ国際映画祭日本代表をつとめる
1949年 読売新聞嘱託となる
1957年 帰国して東京へ住む
1966年 鎌倉市稲村ヶ崎にアトリエを建てる。大野常と再婚
1978年 逝去。(86歳)