神奈川県相模原市緑区にて、時代桐箪笥、掛け軸、お茶道具、14代亀井味楽造 高取焼 御花入をお売りいただきました。

神奈川県相模原市緑区にて、時代桐箪笥、掛軸、茶道具、十四代亀井味楽作高取焼御花入をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。人気作家亀井味楽さんの作品は当社強化買取り作家ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。高取焼(たかとりやき)は、福岡県直方市、福岡市早良区などで継承されている陶器で、400年ほどの歴史を持つ県下有数の古窯です。高取焼は時代によって、全く毛色が違っております。高取焼草創期の「古高取」の中でも、特に「内ケ磯窯」は豪放かつ大胆な織部好みの意匠で、ロクロによって成形された真円にヘラで歪みを加えており、今日の視点から見れば芸術性豊かで興趣をそそる志向があるが、その奥に隠された思想により御用窯廃絶の憂き目に遭遇する事になりました。後の「遠州高取」になると器は端正になり、古高取とは対照的に瀟洒、風流人好みの作品が焼かれるようになりました。「小石原高取」の頃になると技術は爛熟し、「遠州高取」より更に繊細な作風となっております。なお、小石原高取は民窯の小石原焼に多少の影響を与えています。今日の作風は小石原高取以後の技法で、使用する釉薬は多い。個性的な釉薬が多く、高取黄釉、春慶釉、高宮釉、道化釉、ふらし釉、真黒釉などがございます。

出張帰りに、相模原市にある「めた喰え屋」さんへとお邪魔しました。日曜日のためか、ツーリング客などで大変混雑しておりました。長時間待ったかいありました。わたしはステーキ丼をいただきましたが、丁度良い味付けでとっても美味しかったです!

14代 亀井味楽(又生庵) 1931(昭和6)年~2014(平成26)年
14代亀井味楽は13代亀井味楽の孫として福岡県に生まれました。
本名を源八郎、号を味楽・又生庵といいます。
1943(昭和18)年に福岡県中学修猷館を卒業後、
1946(昭和21)年から祖父に師事して家業に従事しました。
1955(昭和30)年、福岡県美術協会賞を受賞しました。
1959(昭和34)年、福岡県美術展で佳作賞を受賞しました。
1963(昭和38)年、福岡県美術展で美術協会賞を受賞しました。
1964(昭和39)年、福岡県美術展で福岡県教育委員会賞を受賞しました。
福岡県美術協会会員に推挙されました。
14代亀井味楽を襲名しました。
1966(昭和41)年、日本伝統工芸西部工芸展で受賞しました。
日本工芸会西部支部幹事長に就任しました。
1968(昭和43)年、西日本婦人文化サークル常任講師に就任しました。
1972(昭和47)年、福岡市美術展審査員に推挙されました。
1975(昭和50)年、「高取耳付茶入」等が北九州市民芸資料館に収蔵されました。
三笠宮妃殿下に御来窯御台臨を賜りました。
福岡市美術展審査員に就任しました。
1976(昭和51)年、福岡市美術展審査員、福岡県立文化センター常任講師に就任しました。
1977(昭和52)年、福岡市美術展運営委員、福岡市美術展審査員、福岡文化連盟理事に就任。
福岡市無形文化財に認定されました。
1978(昭和53)年、福岡市美術展審査員に就任しました。
1982(昭和57)年、「夏草花文飾鉢」が米国オハイオ州クリーブランド美術館に買い上げられました。
福岡市美術展審査員に就任しました。
1983(昭和58)年、福岡県美術展審査員、日本陶磁協会博多支部長に就任しました。
1984(昭和59)年、西日本陶芸展でテレビ西日本賞を受賞しました。
1986(昭和61)年、福岡市美術展招待賞、芸術公論賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、福岡県展審査員に就任しました。
1988(昭和63)年、国際芸術文化賞を受賞しました。
1989(平成元)年、福岡市美術展審査員に就任しました。
1991(平成3)年、福岡県技能功労賞を受賞しました。
1992(平成4)年、ポール・アンビニュー大賞を受賞しました。
米国センチュリー大学芸術博士号を取得しました。
福岡県陶磁展講師に就任しました。
1993(平成5)年、インターアート特別賞を受賞しました。
福岡県陶芸作家選抜展で選考委員に就任しました。
福岡市市民大学講座講師に就任しました。
1996(平成8)年、福岡市文化賞を受賞しました。
1999(平成11)年、福岡市教育文化表彰を受けました。
2001(平成13)年に京都・大徳寺本山で得度し、
大徳寺520世雪底宗潭より「又生庵」の号を授かりました。
黄綬褒章受章しました。
祖父に師事して江戸時代の高取焼の再現に取り組み、
きめ細かい土を用いた瀟洒で端正な遠州好みの茶入制作を得意とします。
数多くの高取焼の名品を所蔵し、展示室を設けて一般にも公開しています。
祖父の許での修行中に見た福岡・崇福寺の寺宝「金結晶釉天目茶碗」に魅せられ、
復元に挑んで失敗を繰り返しながら50年余りの歳月を経て金彩釉の作品を発表しました。
又、伝統技法を駆使した新境地である絵高取の作品も公開しています。