神奈川県相模原市中央区にて、桐箪笥、お茶道具、薬師寺管長橋本凝胤(白鳳庵)書付の唐津筒茶碗(銘:冬こもり)、蓋置、16代 永樂善五郎(即全)御本写茶碗(銘:瑞雪)をお売りいただきました。

神奈川県相模原市中央区にて、桐箪笥、お着物、お茶道具、薬師寺管長橋本凝胤(白鳳庵)書付の唐津筒茶碗(銘:冬こもり)、蓋置、16代 永樂善五郎(即全)御本写茶碗(銘:瑞雪)をご売却いただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お茶の師範をされていらっしゃたようで、素晴らしいお茶道具がたくさんありました。一点一点きちんと査定し、全て買い受けさせていただきました。お母様が大事にされていたお道具を次へと繋げてほしいと仰っていただきましたので、当社できちんと責任を果たさせていただきます!

六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取しております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。

薬師寺管長の橋本凝胤老師(はしもと ぎょういん、1897年 – 1978年)号、白鳳庵法相宗の僧侶で仏教学者。奈良・薬師寺123代管主、法相宗管長。「20世紀最後の怪僧」「昭和の怪僧」の異名を持つ。高田好胤の師
1904年、法隆寺に入山。出家。
1905年、薬師寺に移住。東京帝国大学文学部印度哲学科卒。
1939年、薬師寺管主。
1940年、法相宗管長。
1967年、管主を引退し、薬師寺長老。高田好胤が後を継ぎ、共に金堂や西塔の再建に取り組む。
1978年、遷化。

16代 永樂善五郎(即全)1917(大正6)年~1998(平成10)年
16代永樂善五郎は15代永樂善五郎(正全)の長男として京都に生まれました。
名を茂一、通称を善五郎、号を即全といいます。
1930(昭和5)年に京都市立美術工芸学校に入学しましたが、
1932(昭和7)年の父の死去に伴って、
1933(昭和8)年に退学しました。
1935(昭和10)年、16代永樂善五郎を襲名しました。
1936(昭和11)年に三井高棟の大磯城山荘内に城山窯を築窯し、
1945(昭和20)年まで作陶に出向きました。
1958(昭和33)年、源氏物語五四帖に因んだ連作を発表しました。
1960(昭和35)年、京都伝統陶芸家協会の結成に参加して会長に就任しました。
1971(昭和46)年、表千家13代即中斎宗匠より「陶然軒」の席号を授かりました。
1983(昭和58)年、京都府文化功労賞を受賞しました。
1985(昭和60)年、文部省より地域文化功労者として表彰を受けました。
1986(昭和61)年、京都市文化功労者として表彰を受けました。
1990(平成2)年、勲五等瑞宝章を受章しました。
1992(平成4)年、京都府文化賞特別功労賞を受賞しました。
1998(平成10)年、長男・紘一に家督を譲って隠居し、「即全」と号しました。
千家十職による千松会等を開催し、茶陶界において精力的に活動しました。
作品は染付、色絵、金襴手、交趾、祥瑞等、華麗で伝統的な茶陶を中心としました。