神奈川県川崎市麻生区にて、和箪笥、着物、茶道具、膳所焼 淡海ぜぜ 陽炎園造 朝鮮唐津写 耳付花入をお売りいただきました。

神奈川県川崎市麻生区にて、和箪笥、着物、茶道具、膳所焼 淡海ぜぜ 陽炎園造 朝鮮唐津写 耳付花入をお譲りいただきました。

不動産業者様のご紹介にて、遺品整理にてお呼びいただきました。いつもお呼びくださり有難うございます。膳所焼陽炎園は当社で強化買い取り中の作品でしたので、お客様にご満足いただける査定・買い取りが出来ました。

膳所焼の歴史は江戸初期から始まりますが、沿革は湖南の国分焼、大江焼、などがあり確立していません。通説では、元和7年(1621)膳所城主の菅沼織部定芳が御用窯として始めたものと言われています。定芳は諸芸に通じ、本阿弥光悦、松花堂昭乗、小堀遠州、金字院崇伝、等と親交が深く、茶陶の名窯といわれる膳所焼の創始者としてふさわしいと考えられます。このような関係からか、光悦が膳所の土を取り寄せて造ったいわゆる膳所光悦が数碗つたえられています。
菅沼氏のあと膳所城主となった石川忠総(1583-1650)は小堀遠州政一の門下生で遠州の指導のもとに近江八景の一つ、勢多の唐橋の近く、大江の地に窯を築いて茶陶のみを焼かせました。世に遠州七窯の一つとして名のある膳所焼きはこの大江窯のことだとされています。
大江窯では特に茶入がすぐれており、中興名物の銘[大江]の茶入などがそれと考えられ、茶入の名手として陶工太郎右衛門の名が記録にあります。遠州好みの茶陶を焼くのに適した良土と窯であったと思われます。その後、膳所窯は延宝年間まで焼成されたとされますが、茶入、水指など遠州好の茶陶は城主忠総一代だけでした。
江戸時代末期に近い天明年間の膳所の地では、御用窯ではなく民間の窯、梅林焼(ばいりんやき)があります。古膳所(こぜぜ)の特色である黒褐色の鉄釉とはまた違った、はなやかな釉調に特色が見られます。 湖南の景勝地にはぐくまれてきた膳所の名窯にも幾たびかの途絶えがあり、梅林焼のあとはなく、わずかに雀ヶ谷焼が伝えられるだけですが、近代になり大正8年(1919)、遠州ゆかりの茶陶の名窯の廃絶を惜しんだ膳所の人岩崎健三が、時の日本画壇の巨匠、山元春挙とともに膳所窯を復興し、その工房を陽炎園としました。
現在、陶磁器業界はもとより茶道界にても膳所窯は著名な存在になっています。

ただいま六角堂では、茶碗をはじめ、壷・花瓶・皿など陶磁器の買取りに力を入れています。
流氷焼、小久慈焼、堤焼、楢岡焼、平清水焼、会津本郷焼、大堀相馬焼、笠間焼、益子焼、小砂焼、無名異焼、九谷焼、大樋焼、珠洲焼、越前焼、美濃焼、志戸呂焼、瀬戸焼、常滑焼、萬古焼、伊賀焼、信楽焼、膳所焼、湖南焼、京焼、楽焼、清水焼、朝日焼、御室焼、丹波立杭焼、明石焼、出石焼、赤膚焼、布志名焼、備前焼、虫明焼、萩焼、大谷焼、砥部焼、江山焼、上野焼、小石原焼、高取焼、唐津焼、伊万里焼、吉田焼、波佐見焼、三川内焼、小代焼、小鹿田焼、薩摩焼、壺屋焼、李朝時代の陶磁器、中国の古陶磁器など幅広く買い取りしております。ご自宅にお持ちの陶磁器のご売却をお考えの際は、是非お気軽にご相談下さい。
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