東京都足立区西新井本町にて桐たんす・着物・お茶道具など。

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東京都足立区西新井本町にて桐タンスや着物、裏千家淡々斎書付箱入り須田祥豊 色絵梅月茶碗などのお茶道具一式を買い取りさせていただきました。
ただいま表千家、裏千家のものをはじめお稽古用まで幅広くお茶道具を買い取り強化しております。
たくさんの御見積お待ちしております。

須田祥豊(1885~1974)
京都府出身の陶芸家。
国焼、朝鮮など様々な写しを得意としている作家で、
その広い作域は現在の作家の中ではなかなか見られる事がないため、幻の名工と呼ばれています。
その端正な作風は評価が高く、茶陶に精通していた事から、重すぎず、軽すぎずの使いやすさを重視した作品は多くの茶人たちに愛されてきました。
須田祥豊は家業である製陶業に従事し、明治時代末期には祥雲と称し、茶陶制作を始めるようになります。
後に五条坂に窯を築くと、国焼、朝鮮の写しを中心に作陶を行うようになります。
裏千家14世淡々斎宗室より「祥豊」の号を授与されてからは「祥豊」と名乗るようになりました。
そのため、淡々斎宗匠の書付のある作品もよく見かける事ができます。
また、西本願寺大谷尊由師より「示巧軒」の号を、前大徳寺管長円山伝衣師にも師事しており「如拙庵」の号を受けています。
こうして須田祥豊の名は2代目へと受け継がれましたが、2代目が作陶を行う事はほとんどなく、須田祥豊の名はまさに幻となってしまいました。

裏千家14代 淡々斎宗室 1893(明治26)年~1964(昭和39)年

裏千家14代淡々斎宗室は裏千家13代圓能斎宗室の長男として生まれました。
幼名を政之輔、名を永世・宗叔・宗室、
号を玄句軒・玄句斎・淡々斎・碩叟・梅糸庵・無限斎、画号を玄石といいます。
大徳寺488世全提要宗より「無限斎」、九条家より「淡々斎」の号を授かりました。
1923(大正12)年、裏千家14代家元を襲名しました。
門下の養成ばかりでなく、各宮殿下や神社仏閣への献茶奉仕も積極的に行いました。
学校教育への茶道導入を働きかけた結果、学校のクラブ活動での大半は裏千家となります。
時には海外にまでその教化を計り、茶道普及に奔走した功績は多大です。
社団法人茶道裏千家淡交会や財団法人今日庵を設立し、
現代における茶道普及・伝統保持という組織機構の基礎を築き上げました。
桐蔭席、甘雨亭、玉秀庵等の名席も残しています。
紺綬褒章、紫綬褒章、勲三等旭日中綬章を受章しました。
一行物を始めとする遺墨や各種の著述にも大いにその才を発揮しました。