埼玉県川越市にて、違い棚、伝統こけし、市松人形、山下清のリトグラフ『上野の東照宮』をお売りいただきました。

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埼玉県川越市にて、違い棚、伝統こけし、市松人形、山下清のリトグラフ『上野の東照宮』をお譲りいただきました。

上野の東照宮は、山下清さん17才の作。石灯籠の遠近法。石畳の遠近法。そして、なんといっても本物の木としか思えない幹の質感、素朴な迫力満載です。

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山下清(やましたきよし)1922~1971

日本中を放浪していたことで知られる。驚異的な映像記憶力の持ち主で、「花火」「桜島」など行く先々の風景を、多くの貼絵に残している。とりわけ、花火が好きだった清は、花火大会開催を聞きつけると全国に足を運び、その時の感動した情景をそのまま作品に仕上げている。花火を手掛けた作品としては、『長岡の花火』が著名である。しかし、旅先ではほとんど絵を描くことがなく、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描くというスタイルだった。このエピソードから、清はサヴァン症候群であった可能性が高いといわれている。

戦後は「日本のゴッホ」、「裸の大将」と呼ばれた。1956年(昭和31年)の東京大丸の「山下清展」を始め、全国巡回展が約130回開かれ、観客は500万人を超えた。大丸の展覧会には当時の皇太子も訪れた。1961年(昭和36年)6月、式場隆三郎らとともに約40日間のヨーロッパ旅行に出発。各地の名所を絵に残した。晩年には、東京都練馬区谷原に住み、『東海道五十三次』の制作を志して、東京から京都までのスケッチ旅行に出掛けた。およそ5年の歳月をかけて55枚の作品を遺している。ただし、高血圧による眼底出血に見舞われ、その完成は危ぶまれていた。1971年(昭和46年)7月12日、脳出血のため49歳の若さで死去。

1922 東京都に生まれる
1934 八幡学園(千葉県の養護施設)に入学
1939 大阪の朝日記念館ホールでの展覧会で注目を浴びる
1940 学園を脱走し放浪の旅にでる
1954 鹿児島にて放浪の旅にピリオドをうつ
1954 ヨーロッパ9カ国を訪問
1971 脳出血のため死去