東京都豊島区雑司が谷にて、掛け軸、茶道具、千家十職十二代楽吉左衛門(弘入) の菊乃絵盃台、古い染付伊万里茶碗をお売りいただきました。

dscn3729 dscn3730 dscn3955 dscn3956 dscn3957 dscn3958 

東京都豊島区雑司が谷にて、掛け軸、茶道具、千家十職十二代楽吉左衛門(弘入) の菊乃絵盃台、古い染付伊万里茶碗をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お着物やお茶道具など、生前お婆様が大事にされておりましたお道具を多数お譲りいただきました。大事に次へと繋げさせていただきます。

盃台とは客に酒を勧めるとき、盃を載せる器で、懐石道具の一種として知られる。本来は木製で漆塗り、引盃と呼ばれる塗りの盃を重ねて使われておりましたが、陶磁器の発達にともない、やきものの盃台が現れるようになりました。樂吉左衛門は千家の正統的な茶道具を制作する千家十職の一家(茶碗師)です。当時はまだ、長次郎が造った茶碗に「樂茶碗」という名称はなく、「今焼茶碗」と呼ばれていました。「樂」という名称の始まりは、長次郎が秀吉より聚楽第の一字にも含まれる「樂」字を拝領した事によると伝えられます。轆轤を用いない手捏ねによって成形され、内窯と呼ばれる家屋内の小規模な窯で焼成されます。表玄関の暖簾「樂焼 御ちやわん屋」は本阿弥光悦の筆と伝えられており、歴代当主が襲名の際に樂家に残されている字型を基に新調します。茶室、窯場を含む家屋全体は国の登録文化財に指定されています。
樂焼のルーツは中国・明時代の「華南三彩(素三彩)」である事が判明しています。
「一樂、二萩、三唐津」と謳われるように茶陶の分野において最高の評価を受けています。

六角堂では、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。
お茶道具の強化買取作家は以下となります。
千家十職 大西清右衛門、駒沢利斎、土田友湖、黒田正玄、永楽善五郎、中川浄益、楽吉左衛門、中村宗哲、奥村吉兵衛、飛来一閑
陶芸家 朝日豊斎、上田直方、 大樋長左衛門、 小川長楽、大野鈍阿、亀井楽山、久世久宝、坂倉新兵衛、坂田泥華、清水六兵衛、須田青華、杉田祥平、杉本貞光、膳所焼陽炎園、田原陶兵衛、高取静山、高取八仙、高橋道八、長岡空権、中村翠嵐、西村徳泉、三浦竹軒、三浦竹泉、宮川香斎、清風与平
金工 角谷興斎、角谷一圭、角谷莎村、金谷五良三郎、木村清五郎、菊地政光、 佐藤浄清、高橋敬典、 高木治良兵衛、長野烈、根来実三、根来茂昌、畠春斎、明珍
漆芸 一后一兆、川端近左、川瀬表完、前畑雅峰、道場宗廣、村瀬治兵衛、渡辺喜三郎

12代 樂吉左衛門(弘入) 1857(安政4)年~1932(昭和7)年
12代樂吉左衛門は11代樂吉左衛門(慶入)の長男として京都に生まれました。
名を小三郎(後に惣治郎・吉左衛門)、諱を喜長、号を翫土軒・雪馬・弘入といいます。
1871(明治4)年、12代樂吉左衛門を襲名しました。
1890(明治23)年、長次郎三百回忌に赤樂茶碗を300碗制作しました。
この時に使用した印は表千家11代碌々斎宗左の筆による「草樂印」です。
1919(大正8)年、惺入に家督を譲って滋賀県石山の別邸に隠居しました。
苦難の茶道衰退期を慶入と共に乗り越えて家業維持に貢献しました。
作風は温和な性格を反映した物が多く、鋭い箆削りは豪放で黒樂の幕釉を得意とします。