東京都中央区月島にて、掛け軸や古伊万里、初代真葛香山(宮川香山)作、青瓷香炉、青磁香合をお売りいただきました。

 

img_20161002_181424img_20161002_181925img_20161002_181817img_20161002_181758

東京都中央区月島にて、掛け軸や古伊万里、初代真葛香山(宮川香山)作、青瓷香炉、青磁香合をお譲りいただきました。

解体前のご処分でお呼びいただきました。古い陶磁器や掛け軸などたくさん買い受けしました。宮川香山の香炉は口縁に欠けや共箱割れ、香合は共箱などの付属品欠品など.ありましたが、人気陶芸作家のお品ですので、精一杯頑張らせていただきました。お客様が大事にされていたお品とのこと、大事に次へと橋渡しが出来るよう頑張らせていただきます。お忙しい中、当社をご指名くださり誠に有難うございました!今夜これから京都、名古屋へと出張へ行って参ります。台風が心配ですが、安全運転で行ってきまーす(^^♪

初代 宮川香山 1842(天保13)年~1916(大正5)年

初代宮川香山は宮川長造の四男として京都に生まれました。
本名を寅之助といいます。
大雅堂孫長喜庵義亮に師事して絵画を学びました。
父に師事して熊次郎(2代宮川香斎)達と共に真葛窯に従事しました。
1860(万延元)年、父の没後に窯業を継いで明治維新前後には備前・虫明窯で指導しました。
1870(明治3)年に薩摩藩の小松帯刀より苗代川焼を改良するべく招かれますが、
小松の死去によって実現する事はありませんでした。
これを縁として薩摩御用商人・梅田半之助の勧めで横浜に輸出用陶業を開く事を求められ、
横浜商人・鈴木保兵衛から資金提供を受け、
1871(明治4)年に横浜太田村字富士山下(現:横浜市南区庚台)で真葛窯を開窯しました。
父が京都の真葛ヶ原に開窯した事からの号に因んで真葛焼(別名:太田焼)と称し、
薩摩錦手や粟田口焼を模造して「マクズ・ウェア」の名で海外にも輸出されました。
1873(明治6)年、ウィーン万国博覧会に出品して名誉金牌を受賞しました。
1876(明治9)年、フィラデルフィア万国博覧会で銅牌を受賞しました。
1877(明治10)年、京都博覧会で銀牌を受賞しました。
内国勧業博覧会で竜紋賞牌を受賞しました。
1878(明治11)年、パリ万国博覧会で金牌を受賞しました。
1879(明治12)年、シドニー万国博覧会で特絶一等賞を受賞しました。
この頃の受賞作品は半磁胎の花瓶や壷を主力とし、
細密な上絵装飾に彫刻的手法を加えたリアリズムの作風で他の追随を許しませんでした。
1881(明治14)年に内国勧業博覧会に出品した褐釉蟹貼付台付鉢(重要文化財)は代表作で、
帝国博物館に買い上げられて現在の東京国立博物館に伝わっています。
1883(明治16)年、アムステルダム万国博覧会で銀牌を受賞しました。
1888(明治21)年、バルセロナ万国博覧会で銅牌を受賞しました。
養子・半之助(兄・長平の子)に家督を譲って共同制作を執りました。
この頃は欧州の陶芸様式から大いに刺激を受けて従来の作風を転換し、
釉下彩磁や結晶釉の作品が中心を成すようになります。
1890(明治23)年、内国勧業博覧会で二等妙技賞を受賞しました。
1893(明治26)年、シカゴ万国博覧会で受賞しました。
1896(明治29)年、帝室技芸員となりました。
1898(明治31)年、日本美術院正員となりました。
1900(明治33)年、パリ万国博覧会で大賞を受賞しました。
1904(明治37)年、セントルイス万国博覧会で最高賞を受賞しました。
1905(明治38)年、リエージュ万国博覧会で大賞を受賞しました。
1910(明治43)年、日英博覧会で名誉大賞を受賞しました。
その卓越した技巧は「舶来香山」や「横浜真葛」と呼ばれて絶賛され、
国内外の展覧会で受賞を重ねて世界に真葛焼と宮川香山の名を馳せました。