東京都世田谷区祖師谷にて、火鉢や鉄瓶、お茶道具、人間国宝十一代三輪休雪(壽雪)の萩茶碗。

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東京都世田谷区祖師谷にて、火鉢や鉄瓶、お茶道具、十一代三輪休雪の萩茶碗をお譲りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、お引越し前の片付け整理でお呼びいただきました。人気の人間国宝十一代三輪休雪(壽雪)の萩茶碗を買い受けました。残念ながら、共箱はありませんでしたが、人気作家ですので共箱無しでもお客様のご希望額で買い受けする事が出来ました。お客様と一緒に頑張って共箱探しをしましたが、残念(><)当社お得意の共箱探し、共箱合わせも今回ばかりは無念です・・・次は必ず!!

六角堂では山口県萩市で作られる陶器、萩焼の茶碗や湯呑などの茶器や花瓶など、萩焼の買い取りに力を入れております。三輪休雪の作品でけでなく萩焼のご売却、査定でしたらお気軽にお問い合わください!萩焼の強化買取り作家は以下となります。

三輪休雪、田原陶兵衛、坂高麗左衛門、坂倉新兵衛、宇田川抱青、坂田泥華、吉賀大眉、兼田昌尚

三輪休雪(みわ きゅうせつ)は山口県萩市の萩焼窯元・三輪窯の当主が代々襲名している名跡。当代は第12代。三輪窯は江戸時代に起こったと言われ由緒ある窯元。三輪窯の当主の時は休雪を名乗り、隠居後、隠居した上での号を名乗る。10代三輪休和、11代三輪壽雪は人間国宝である。

11代 三輪休雪(壽雪) 1910(明治43)年~2012(平成24)年

11代三輪休雪は9代三輪雪堂の三男として山口県萩市に生まれました。
本名を節夫、号を休(襲名前)・休雪(襲名後)・壽雪(隠居後)といいます。

1927(昭和2)年に山口県立萩中学校を卒業後、兄・10代三輪休雪(休和)に師事して家業に従事しました。
1941(昭和16)年に三重県津市の千歳山窯で川喜田半泥子に師事し、短期間でしたが精神的な面で大きな影響を受けたとされています。
1955(昭和30)年、「休」と号して自己作品の発表を開始します。
これまでの約30年という長い年月は下職として三輪窯を支えながら、置物造りを始めとした基礎的修練に明け暮れていました。
「休」とは兄に対する尊敬の念から、心・技共に休雪の半人前であると卑下した奥床しい心情が滲み出た号でした。
1960(昭和35)年、日本工芸会正会員となりました。
1961(昭和36)年、山口県芸術文化振興奨励賞を受賞しました。
1963(昭和38)年、山口国体開催の際に山口県より天皇陛下献上の作品を制作しました。
1967(昭和42)年、11代三輪休雪を襲名しました。
1968(昭和43)年、中国文化賞を受賞しました。
1970(昭和45)年、山口県選奨(芸術文化功労)を受賞しました。
1972(昭和47)年、日本工芸会理事に就任しました。山口県指定無形文化財に認定されました。
1976(昭和51)年、紫綬褒章を受章しました。
1979(昭和54)年、山口県立美術館顧問に就任しました。
1982(昭和57)年、勲四等瑞宝章を受章しました。
1983(昭和58)年、重要無形文化財「萩焼」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1990(平成2)年、勲四等旭日小綬章を受章しました。
2002(平成14)年、山口県文化特別功労賞を受賞しました。
2003(平成15)年、長男・龍作に家督を譲って隠居し、「壽雪」と号しました。
萩焼の伝統を受け継ぎながら斬新で卓抜した感覚を駆使し、因習的な茶陶の世界に新風を齎すものとして、前例の無い日本伝統工芸史上初の兄弟人間国宝となる快挙を成し遂げました。
日本現代陶芸界の頂点に位置する重鎮で独特の休雪様式を確立して、その技法・伝統を現代に活かしています。
兄と大成した「休雪白」を始めとし、休雪碗ともいうべき「鬼萩」、「割高台」は茶陶という概念を超え、まさに一個のオブジェといえる極致にあります。

六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。 お気軽に、ご相談ください!!