東京都文京区千駄木にて株木秀明 鋳銅筍に雀、龍村平蔵の名古屋帯。

 

東京都文京区千駄木にて明治期の金工師 株木秀明 鋳銅置物「筍に雀」、龍村平蔵の正倉院文様名古屋帯、着物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、明治期の金工師 株木秀明 鋳銅置物「筍に雀」、龍村平蔵の正倉院文様名古屋帯、お着物など。お着物は少々古いものではありましたが、保管状態よくシミ汚れなどはほとんどみられませんでした。京友禅の総刺繍黒留袖、上布のものなどもございました。帯は龍村平蔵の正倉院文様名古屋帯、川島織物など素晴らしい帯がございました。和装小物を含め、全てお売りいただきました。筍に雀の置物は、明治の金工師 株木秀明の作品。雀の表情、筍の繊細な造りが大変素晴らしい作品です。共箱などの付属品はありませんでしたが、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。次回お茶道具をご処分される際にまたお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は素晴らしいお品々をご売却くださり、誠に有難うございました。

龍村平蔵(たつむらへいぞう)
初代龍村平蔵は、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)で構成される織物を、独特の陰影をたたえた立体の造形としてとらえ、新技法を次々と生み出しました。数々の特許を取得し、織物を芸術の域まで高めた先駆者として、近代染織史に大きな足跡を残されました。当代の四代平蔵にいたるまで、きらびやかな錦の帯、法隆寺や正倉院に伝わる古代裂(ぎれ)の復元、祇園祭など各地の祭りの山鉾(やまぼこ)などにかけられる懸装品などで、今なお染織分野の最高峰であり続けています。
龍村平蔵略歴
1876年、大阪博労町に生まれる。
幼少の頃から茶道、華道、謡、仕舞、俳諧と文芸美術の豊かな環境の中で育った。
16歳で祖父が死去し、それをきっかけに府立大阪商業学校を中退し、家業の西陣にて呉服商の道へ進む。
当初は呉服販売に従事していたものの、徐々に織物の世界へと傾倒する。
その後、自ら機場に入るようになり、織物の研究・制作に没頭する。
18歳には独立し、商売も順調に拡大した。
1906年には龍村製織所を設立し、若手デザイナーを起用するために当時では異例の学校訪問で採用を働きかけた。
海外から持ち込まれたジャカード機により機械化の幕開けとなり、機械が主流になれば織の技術ではなく図案が良し悪しを左右すると感性に富んだ若手を多数採用する。
1919年 初の個展を開催する。そこで芥川龍之介から絶賛を受け、龍村平蔵の名を不動のものとした。
1956年 日本芸術院恩賜賞を受賞
1958年 紫綬褒章を受章
1962年 逝去