目黒区上目黒にて、東山魁夷のリトグラフ「年暮る」、小倉遊亀の木版画。

 

東京都目黒区上目黒にて、東山魁夷のリトグラフ「年暮る」、小倉遊亀の木版画をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、目黒区上目黒へ出張買取にお伺いしました。絵画をご処分されたいとのことでお呼びいただきました。お売りいただいたのは日本画の巨匠「東山魁夷」のリトグラフ「年暮る」や小倉遊亀の木版画「椿」、「瓶花」、「橘と九谷鉢」。東山魁夷作『年暮る』は、京都鴨川沿い、東山三条あたりの風景。東山魁夷が「年暮る」を描いたきっかけは、川端康成の進言であった「京都は今描いていただかないと、なくなります。京都のあるうちに描いておいてください」と。その後、東山魁夷は「京洛四季」を描かれました。「京洛四季」の一つが「年暮る」。描かれているのは、低く連なる町屋の屋並み。雪がしんしんと降り積もる景色、手前の家に灯る明かりが微かに見えます。年の瀬の京都、その繊細優美な世界です。とても雰囲気の良い作品で、状態も良かったので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。小倉遊亀の木版画は額装のされていないシートの状態で、多少シミが出てしまっておりましたが、当社で買い取り強化中の作家作品でしたので、全て買い受けさせていただきました。大変人気の高い日本画作家作品をまとめてお売りいただき有難うございました。大切に次へと橋渡しさせていただきます。
帰宅途中、志木市場の仲間たちから連絡があり、みんなで食事をしました。朝霞台駅のそばにある「大庄水産」さんへと行きました。ぶっかけ寿司こぼれ盛り、岩ガキ、あんこうの唐揚げがとても美味しかったです。明日は一日お休みさせていただきます。

東山魁夷(ひがしやまかいい)1908-1999
1908年 横浜市に生まれる。
1929年 第10回帝展に「三国の秋」を出品し初入選。
1931年 東京日本美術学校日本画科卒業。結城素明に師事し、魁夷と号する。
1934年 第1回独文化交換学生としてベルリン大学入学。
1939年 第1回日本画院展で「冬日」が日本画院賞第一席となる。
1969年 文化勲章受章。文化功労者として顕彰される。
1979年 「日本東山魁夷絵画展覧会」が開催され訪独。
1980年 「第二期唐招提寺障壁画展」が開催される。
1995年 米寿記念「唐招提寺障壁画と画業60年の歩み、東山魁夷展」開催
1999年 死去。勲一等瑞宝章受章。
2005年 ⾹川県に「東⼭魁夷せとうち美術館」が開館

小倉遊亀(おぐらゆき)1895-2000
小倉遊亀は、身近にあるものに題材に、人物画や静物画を数多く描いた。伝統と創造を重んじた上でその絵は、日常感にあふれる作風が特徴である。
明治28年 小倉遊亀、滋賀県大津市に生まれる
大正6年  奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)を卒業する
大正9年  安田靫彦に指示する
大正15年 第13回院展、小倉遊亀「胡瓜」初入選する
昭和7年  奥村土牛と共に日本美術院の同人に推挙される
昭和26年 小倉遊亀『少女』が第8回毎日芸術賞を受賞する
昭和37年 小倉遊亀『母子』が第18回日本芸術賞を受賞
昭和48年 勲三等瑞宝章を受章する
昭和50年 神奈川文化賞を受賞
昭和51年 日本芸術院会員に任命される
昭和53年 日本美術院理事に就任する。文化功労者となる
昭和54年 滋賀県文化賞を受賞
昭和55年 文化勲章を受章する。女流画家としては、上村松園以来、小倉遊亀で3人目
昭和56年 大津市名誉市民となる
昭和8年  日本美術院名誉理事長に就任する
平成12年 鎌倉で歿