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千葉県松戸市にて平尾秀明の日本画、大山忠作のリトグラフ、着物、反物など。

 

千葉県松戸市にて平尾秀明の日本画「足柄の富士」、大山忠作のリトグラフ「双鶴富士」、着物、反物などをお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介でお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やお着物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、日本画家 平尾秀明の絵画「足柄の富士」、大山忠作のリトグラフ「双鶴富士」、着物、反物など。たくさんのお品をお売りいただきました。こちらの他にも油彩画、リトグラフなど、たくさんの絵画をお売りいただきました。お着物がたくさん有り、作家物のお着物などもございましたが、残念ながら全体的にシミや汚れが出てしまっておりました。状態にやや難有でしたが、ウール、喪服以外は全て買取させていただきました。お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂のご指名ありがとうございました。

平尾秀明(ひらおひであき)
昭和18(1943)年11月30日、岐阜県瑞浪市明世町山野内に生まれる。
明世小学校・明世中学校(当時)・岐阜県立瑞浪高校を経て、金沢美術工芸大学日本画科に進学。
昭和42(1967)年に、大学を卒業すると、瑞浪市を離れた。橋本明治、大山忠作に師事。
昭和56(1981)年、第13回日展特選
平成元(1989)年、第21回日展特選
現在は、日展特別会員・日春展会員として、日本画壇をリードしている。

大山忠作(おおやまちゅうさく)1922~2009
1922年 福島県二本松で生まれる。家業は紺屋で父も趣味で日本画を描いていた。
1943年 東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。
1947年 山口蓬春に師事。
1952年 第8回日展特選・白寿賞(同1955年)および朝倉賞受賞。
1962年 初の個展開催。(銀座、文芸春秋画廊)
1967年 1968年にかけて、法隆寺金堂壁画再現模写に従事。
1973年 「五百羅漢」で日本芸術院賞受賞。
1984年 大山忠作襖絵展。(日本橋三越・福島県文化センター)
1986年 日本芸術院会員となる
1991年 日展事務局長を務める。その後、1992~1995年まで日展理事長を努める
1992年 成田山聖徳太子堂壁画展。(日本橋三越)
1996年 勲三等瑞宝章受章。
1999年 文化功労者。現在、日本芸術院会員、日展常務理事。
2009年 逝去

千葉県市川市にて高田博厚のブロンズ像 femme assise、絵画など。

千葉県市川市にて高田博厚のブロンズ裸婦像「femme assise(座る女性)」、絵画などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画やブロンズ像をご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、人気彫刻家 高田博厚のブロンズ裸婦像「femme assise(座る女性)」、絵画など。絵画は油彩や水彩画、リトグラフなど、外国人画家の作品が多くございました。馬の絵画がお好きだったのでしょうか、ポール・ギヤマンやアンドレ・ブラジリエの馬のリトグラフが多くございました。ブロンズは彫刻家 高田博厚の「femme assise」。高田博厚は日本を代表する彫刻家であり、思想家であります。彫刻において、オーギュスト・ロダン、アントワーヌ・ブールデル、アリスティド・マイヨールといった近代彫刻の流れを吸収し、西洋的な人体造形が特徴的な作風で知られております。フランス滞在の時には作家のロマン・ロナン、哲学者のアラン、画家のジョルジュ・ルオーなどと交流しました。femme assiseはフランス語で日本語に訳すと座っている女性となります。1968年の製作、高さ約70㎝の大振りな作品になります。大理石の台座にスレ傷などございましたが、こちらは当社で買取強化中の作家作品になりますので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。お売りいただいたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はお忙しい中、お呼びいただき有難うございました。

高田博厚(たかたひろあつ)1900年(明治33年)~1987年(昭和62年)
1900年 石川県七尾市で三男として生まれる。
1903年 父の弁護士開業に伴い福井市に移る。そこから16年にわたり福井で過ごす。
1913年 県立福井中学校(現在の福井県立藤島高等学校)に入学。彫刻家である雨田光平の作品を通して彫刻に出会う。
1918年 高村光太郎や岸田劉生らと出会う。
1919年 東京外国語学校イタリア語科に入学する。
1921年 東京外国語学校を中退。翻訳したミケランジェロの書簡が、同人誌「白樺」に掲載される。彫刻の制作を志し、胴体像であるトルソーづくりを開始。沢田庚子生と結婚する。
1927年 武者小路実篤主唱の第一回大調和美術展に彫刻6点を出品する。
1928年 武者小路実篤や中原中也らと親交を深める。
1929年 梅原龍三郎の国展に出品した彫刻作品が受賞し、会員に選出される。
1931年 妻と4人の子を残して渡仏する。ノーベル賞作家のロマン・ロランに才能を評価される。ロマン・ロランとマハトマ・ガンジーの会談に同席。
1932年 哲学者でモラリストのアランをはじめとするフランスの文化人と交流を深め、彫像を制作する。
1935年 アンデパンダン展(歴史あるパリの無審査大型展)に出品。国画会の会員に選出される。
1938年 パリ日本美術家協会を設立。第一回展をベルネーム・ジューヌ画廊で開催する。
1940年 毎日新聞の嘱託として、パリ兼ヴィシー特派員を務める。パリ外国記者協会の副会長に就任。
1957年 28年ぶりに帰国。東京都新宿区を拠点とする。
1963年 日本ペンクラブ会員理事に就任する。
1964年 東京藝術大学の講師を務め、九州産業大学芸術学部の創設にも尽力。
1966年 鎌倉市稲村ヶ崎に住居兼アトリエを移す。
1975年 勲三等瑞宝章を受章する。
1980年 埼玉県東松山市で高田博厚彫刻展と講演会を開催する。
1986年 東武東上線高坂駅西口に「遠望」と「大地」が設置される(高坂彫刻プロムナードの発祥彫像)。
1987年 心不全のため神奈川県鎌倉市で亡くなる。享年86歳。東松山市の高坂彫刻プロムナードに14体の彫刻作品が増設される。