月別アーカイブ: 2018年5月

東京都墨田区本所にて、紬の反物、中島千波の木版画「久遠寺の瀧櫻」。

東京都墨田区本所にて、紬の反物、中島千波のオリジナル木版画「久遠寺の瀧櫻」をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいた絵画は、人気日本画家中島千波の木版画。中島千波は桜を描く現代日本画壇の巨匠で、伝統的な⽇本画の美しさを継承する独⾃の画⾵を確⽴させ、花⿃画も得意としております。桜や牡丹は中島千波の代名詞となるほどで、まるで本物の花のように⽣き⽣きと咲き誇る表現⼒が⾼く評価されております。身延山久遠寺周辺は、日本桜の名所100選に選ばれ、桜の名所となってます。中でも身延山にある日蓮宗の総本山・久遠寺のしだれ桜は樹齢400年で全国しだれ桜10選のひとつとなっております。桜の花が地面に垂れ下がる様子は大変見応えがあります。 大変素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。夕方ご指定の出張買取でしたので、帰りに近所のラーメン屋さん「チャーシュー力」で夕食をしました。サソリ固めこってりラーメンに焼餃子でスタミナをつけましたので、明日からも出張買取頑張れそうです!
六角堂では「中島千波」の絵画、版画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(版画、肉筆画も高額買受致します。)がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
中島千波作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

中島千波(なかじまちなみ)
1945年 日本画家・中島清之の三男として疎開先の⻑野県小布に⽣まれる
1969年 東京藝術⼤学⽇本画科を卒業。第54 回院展へ初出品した「窓」が⼊選
1971年 東京藝術⼤学⼤学院を修了
1979年 第5 回⼭種美術館賞で、優秀賞を受賞
1984年 第1回横の会結成に参加(以後1993年の第10回最終展まで参加)
1987年 NHK テレビ「きょうの料理」のテキスト表紙絵を担当。以降、3 年間⼿掛ける
1990年 三溪園臨春閣第六室襖絵「不⼆と桃花図」「松林図」が完成
1992年 「おぶせミュージアム・中島千波館」が開館
1994年 東京藝術⼤学美術学部助教授に就任
1995年 歌舞伎座緞帳「淡紅⽩梅」が完成
2000年 東京藝術⼤学美術学部デザイン科教授に就任
2006年 ⼩布施名誉町⺠に選出される

東京都足立区千住柳町にて、時代和箪笥、純銀製の酒器や茶道具一式。

東京都足立区千住柳町にて、時代和たんす、純銀製の酒器や茶道具一式をお売りいただきました。

遺品整理でお呼びいただきました。お母様が、生前大切にされていた和たんすや茶道具などを処分されたいとの事でお呼びいただきました。お茶道具は、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、花入、茶杓、菓子皿などが一式ございました。長年しまわれていたお茶道具は、お稽古用のものですが、当社強化買取りアイテムですので、全て買い取らせていただきました。箱などのないものが多くございましたが、こちらも全て買い受けさせていただきました。茶道具の他にも純銀製のちろりや盃などの酒器を買い取らせていただきました。お母様の思い出のお品、当社で責任もって次へと繋げさせていただきます。有難うございました。
六角堂では、裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりにお伺いし、査定させていただきます。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。お客様にご満足いただけるよう、頑張らせていただきます!
今日のランチは、足立市場に入っている、「徳田屋食堂」さんへと行きました。昨年、A堂のT橋さんに連れて来ていただき、とても美味しかったのでまた寄らせていただきました。今回は特盛豪華海鮮丼を注文。10種以上の海の幸がふんだんに盛り込まれておりました。市場食堂ですのでネタが新鮮、ボリューム満点、とっても美味しかったです。また寄らせていただきます。

神奈川県横浜市港南区にて、階段箪笥、小箪笥、掛軸、漆器、高橋楽斎の花入。

神奈川県横浜市港南区にて、両面階段箪笥、小箪笥、掛軸、漆器、三代高橋楽斎の花入をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。メールでお問い合わせいただき、お時間を合わせようやくお伺いさせていただくことが出来ました。長らくお待たせしてしまい申し訳ございませんでした。本日お売りいただきました和家具は、欅材の両面階段箪笥と、同じく欅材に表へ金具をたくさん飾られた時代仕上げ小箪笥。階段箪笥とは、階段下の空間を有効利用する目的で、抽斗 (ひきだし) や戸棚を取り付けたたんす。江戸時代の初め、狭い町屋に登場し、箱階段と呼ばれておりました。衣裳箪笥や商業用の箪笥が現れるよりも前から使われてました。台所の間の正面にあることの多かった階段箪笥、「水屋箪笥」と同様、実際に食器や道具を入れたりするのに使われていたようです。今回お売りいただいた階段箪笥は、近年造られたもので、両面使用できる使い勝手の良い両面階段箪笥です。小振りのものですが、雰囲気の良いたんすでした。また、吸物椀や盆などの漆器、初代高橋楽斎の信楽焼うずくまる掛け花入も併せてお売りいただきました。天保年間(1830~1844)の初代より続く高橋楽斎。二代目楽斎(藤太郎)は、製陶業を継がず、その子の光之助へ三代目が受け継がれました。現在は、五代高橋楽斎が、その伝統を受け継がれております。本品は三代高橋楽斎のもの。初代、二代目が地元の職人的陶工だったため、三代高橋楽斎を初代と考える場合もあるようです。うずくまる(蹲る)とは、人が蹲った様な形をした小壺で、茶の湯では花入れ用に使います。本来は、農作業用の種を入れる壺で、鼠の被害に会わない様に、首に紐を結んで、納屋などの梁にぶら下げて使用した様です。それを茶人が花入に転用されたといわれております。良い和家具やお道具をお売りいただき有難うございました。
帰りに、大黒パーキングエリアへと寄り、ネギ塩豚バラ丼をいただきました。大黒パーキングエリアは今も昔も変わらず活気がありますね。GWで大勢の人たちが休憩をしたり食事をしておりました。GW期間中も毎日出張買取のため、休みがとれなそうです。少しでも早く帰宅して、家族孝行するようにします。明日も頑張ります!!

三代 高橋楽斎(たかはしらくさい) 1898(明治31)年~1976(昭和51)年
3代高橋楽斎は2代高橋楽斎の長男として滋賀県に生まれました。
本名を光之助といいます。
1915(大正4)年、京都陶磁器研修所に学びました。
1916(大正5)年より信楽で作陶に従事しました。
1917(大正6)年、3代高橋楽斎を襲名しました。
1941(昭和16)年、商工省より信楽焼技術保存者の資格認定を受けました。
1960(昭和35)年、ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞しました。
デンマーク日本陶芸十傑展に選ばれて出品しました。
1964(昭和39)年、滋賀県指定無形文化財に認定されました。
1971(昭和46)年、労働大臣より最優秀技能者の表彰を受けました。
1973(昭和48)年、米国ロサンゼルスで市長より感謝状を受けました。
豪放な魅力をもつ古信楽や古伊賀の作風を採り入れた茶陶を中心に制作し、
4代上田直方と共に近代信楽の名工として高い評価を受けています。

東京都世田谷区経堂にて、長火鉢、菊地政光の鉄瓶、銀製ヨットなど。

本日は、四件の出張買取。一件目は東京都文京区小石川へ、お片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、お着物や長火鉢、硯や油彩画などを買い取らせていただきました。ずいぶんと前にご予約いただきましたが、お時間が合いようやくお伺いすることが出来ました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきますね。有難うございました。二件目は、世田谷区経堂にて、長火鉢、菊地政光の鉄瓶、銀製ヨットの置物などを買い取らせていただきました。菊地政光は山形鉄器の釜師で、鉄瓶や釜などをたくさん作られており、当社でもよく取り扱う作家さんです。本日お売りいただいた鉄瓶は、雨龍文に斑紫銅蓋の雰囲気良い鉄瓶。良いお品をお売りいただき有難うございました。三件目は、杉並区上高井戸へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、たくさんのお着物をお売りいただきました。そのほとんどが、高級呉服店である「越後屋」さんのタトウ紙に包まれておりました。お勤めされていた頃、お給料日にはいつも越後屋さんへと足を運び、お着物を買われていたという思い出話をしていただきました。丈が短かったのが残念でしたが、大変良いものでしたので全て買い受けさせていただきました。お客様の大事な思い出のお着物、当社で責任もって大切に次へと橋渡しさせていただきます。素敵なお着物たち、きっと次に良い出会いをされることと思います。ありがとうございました。四件目は、文京区関口へ出張買取。本日一件目に続いて、もう一度文京区へと戻りました。こちらのお客様は、昨年に二度ほどお伺いした大切なお客様。以前は、桐たんすやお着物、掛け軸などを買い取らせていただき巻いた。今回は、別宅のお荷物を整理したいとの事で、ブランドお洋服や贈答品、リサイクル品などをたくさん買い取らせていただきました。昨年同様、お元気そうで良かったです。また何かありましたら、いつでもご用命ください。有難うございました。
本日の昼食は、いつも寄らせていただいている世田谷区の「長浜ラーメン」さんへと寄りました。普段は必ず替え玉をさせていただいておりますが、本日はあとに二件買取が控えておりましたので、我慢させていただきました。次は、出張買い取り終了後に寄り、がっつりと替え玉いただきたいと思います。今日もとても美味しかったです。

菊地政光
昭和13年生まれ
茶釜師:人毛国宝である高橋敬典氏の工房で修行
昭和48年独立,菊地政光工房を立ち上げる。
その後,数々の入選や受賞を重ね,平成3年には山形市技能功労賞を受賞。
平成5年に朝日新聞社賞を受賞。
国指定伝統工芸士
40年以上の長い作歴を誇り,いまなお茶釜製作の先頭に立ち製作に励みます。
奥州山形鋳物の伝統を受け継ぐとともに、常に新しい時代の感覚を取り入れ、
みやびある茶の湯釜をと日々精進を続け、日本伝統工芸展へ出品、入選を重ねております。

埼玉県東松山市にて、桐たんす、船箪笥、14代沈寿官の薩摩焼花瓶など。

埼玉県東松山市にて、時代桐たんす、船箪笥、14代沈寿官の薩摩焼花瓶などをお売りいただきました。

東松山市へ解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。時代家具やお爺様が集めていらっしゃった陶磁器などを買い取らせていただきました。14代沈寿官は、12代の作風を模した伝統の白薩摩の金襴手や透彫、独自の研究により創作した「井光黒」と称される黒薩摩の作品など幅広く手掛ける作家です。薩摩焼を代表する作家で、当社でも買い取りを強化している作家さんです。良いお品をお売りいただきありがとうございました。大切に次へと繋げさせていただきます。
帰宅時に東松山市にある「いっちょう」さんへと寄りました。こちらは、昨年買取りの帰りに寄らせていただきました。高級料亭を思わせる雰囲気のお店ですが、とても低価格の和食居酒屋さんです。和食を中心にお料理メニュー約300種、ドリンクメニュー約200種類と豊富に揃っていますので、ついついたくさん注文してしまいました。「おっきりこみうどん」とても美味しかったです。また近くへ来た時には、寄りたいと思います。

十四代 沈寿官(ちんじゅかん) 1926(大正15)年生
14代沈壽官は13代沈壽官の長男として鹿児島県に生まれる。本名 大迫恵吉。
早稲田大学政経学部を卒業後は東京で代議士秘書を務めていましたが、
1961(昭和36)年から作陶生活に入りました。
1964(昭和39)年、14代沈壽官を襲名しました。
1973(昭和48)年、社会教育振興の功労により文化大臣感謝状を受賞しました。
1984(昭和59)年、文部大臣表彰を受賞しました。
1987(昭和62)年、地域文化功労賞文部大臣表彰(文化財保護功労)を受賞しました。
1989(平成元)年、大韓民国名誉総領事に任命されました。
1993(平成5)年、フランス国際陶芸ビエンナーレでフランス政府首相奨励賞を受賞しました。
大韓民国大田世界博覧会組織委員会長より感謝状を受賞しました。
鹿児島県民表彰を受けました。
1996(平成8)年、南日本文化賞を受賞しました。
1998(平成10)年、鹿児島県知事薩摩焼振興功労賞表彰を受賞しました。
1999(平成11)年、大韓民国銀冠文化勲章を受章しました。
名誉博士号を受けました。
2000(平成12)年、早稲田大学より芸術功労賞を受賞しました。
2003(平成15)年、大韓民国国済州道国際自由都市名誉弘報大使に就任しました。
2010(平成22)年、旭日小綬章を受章しました。
優美で気品に満ちた白薩摩、素朴で力強い黒薩摩、辰砂や鉄絵等も幅広く手掛け、
薩摩焼宗家としての名に相応しい創作活動を広く展開しています。
又、日韓の親善交流に果たした努力の数々は枚挙に遑がありません。
司馬遼太郎著『故郷忘じがたく候』のモデルとしても知られています。
司馬遼太郎によって井戸水が光る趣の「井光釉」と命名された独特の黒釉を開発し、
氏の芸術の特質を的確に言い表したものとして世に知られています。

埼玉県朝霞市にて、水屋箪笥、エコーネスのストレスレスチェアなど。

埼玉県朝霞市にて、水屋箪笥、エコーネスのストレスレスチェアなどをお売りいただきました。

本日は、二件の出張買取。一件目は、お片付け整理で埼玉県朝霞市へ伺いました。こちらでは、桐たんす、茶箪笥、エコーネスのストレスレスチェアなどの家具を買い取らせていただきました。今日は、O橋氏と大きめのトラックで回りましたので、ご不用品をたくさん積むことが出来ました。たくさんのお品をお売りいただきました。一件目でトラックが満載となってしまいましたので、一度市場へと寄り、荷物を降ろして二件目へ行くこととなりました。二件目は、業者様のご紹介でさいたま市北区へ、リフォーム前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、鉄道グッズや、掛軸などをお売りいただきました。お客様のお父様が、昔国鉄でお勤めされていたようで、国鉄時代のものなどを、色々お売りくださいました。他にもリサイクル品などをお売りいただき、O橋氏も喜んでおりました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。有難うございました。
倉庫へ戻る途中、さいたま市にあるくるまやラーメンへと寄り、スタミナラーメンに辛ネギトッピングをいただきました。くるまやラーメンの濃い目のスープが癖になります。とても美味しかったです。スタミナ付けて明日も出張買取、頑張ります!!

エコーネスは、1934年にノルウェーのJ.E.エコーネスにより設立され、当初はマットレスやソファベッドの製造を行い、1971年発売の「ストレスレスチェア」のヒットを経て北欧最大のブランド家具メーカーとなりました。
エコーネスの人気ブランド「ストレスレス」には、1人掛けリクライニングチェア・2人掛けシート・3人掛けソファ・オットマン・オフィスチェアがあり、「グライドシステム」「360度回転式ベース」「プラスシステム」などの機能を備えた究極の座り心地とスタイリッシュで高級感のあるデザインで、世界50カ国以上のセレブ・ビジネスマンに愛用されています。
ご不要になりましたデザイナーズ家具・北欧家具などがございましたら、お問い合わせください。もちろん桐タンスや和家具等、併せてのお見積もり、買い受けも対応させていただきます。和家具・デザイナーズ家具、北欧家具などをご処分の際には、是非六角堂をご指名ください!

神奈川県相模原市中央区にて、吉川啓示の屏風、薩摩琵琶、刀剣、掛軸、茶道具など。

     

神奈川県相模原市中央区にて、吉川啓示の屏風、薩摩琵琶、刀剣(銘あり刀、軍刀つくり)、掛軸、茶道具など、骨董品をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。吉川啓示の屏風、薩摩琵琶、刀剣(銘あり刀、軍刀つくり)、掛軸、茶道具、銀製品など、たくさんのお品をお売りいただきました。吉川啓示(よしかわけいじ)は相模原市の日本画家です。作品は「丹嶺新雪」、六曲一双の屏風で、平成三年に描かれたものです。とても迫力のある大作となっております。刀剣は、銘のある刀や、軍刀のつくりをお売りいただきました。琵琶は、薩摩琵琶。薩摩琵琶は、鎌倉時代の初期に島津忠久と共に薩摩に移り住んだ盲僧宝山検校により伝えられたといわれています。薩摩藩の藩士達を修養する教訓歌を作り作曲して、薩摩琵琶が発展して広がりました。大きく鋭角なバチで琵琶の前面を叩きながら演奏するのが特徴です。今回お売りいただいた琵琶は薩摩琵琶ですが、琵琶には楽琵琶、筑前琵琶、荒神琵琶、盲僧琵琶、平家琵琶、五弦琵琶などの種類がございます。もちろん当社では、全ての琵琶、撥などの小物も買取いたします。掛軸は、仏画や日本画、書など。茶道具は、お稽古用のものが多くございましたが、一式全て買い取らせていただきました。中村清六は、佐賀県有田町にて高麗庵清六窯を構え、ロクロの名手といわれた陶芸家。佐賀県重要無形文化財 陶芸白磁 保持者に指定されました。本日は氏を代表する、白磁の壷を買い取らせていただきました。たくさんの品々をお売りいただき有難うございました。また、駐車スペースを用意していただいたり、お気遣いくださり有難うございました。またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。
帰りの途中、相模原市にある「味の民芸 相模原並木店」へと寄り、食事をしました。ピリ辛牛肉山盛りつけ汁そば(麺二倍)に、アメーラトマトとをいただきました。ピリ辛牛肉山盛りつけ汁そばはすごいボリュームでしたが、とても美味く全て完食しました。最近食べ過ぎてしまいがちなので、夏に向けて体を引き締めなければと思います。

中村清六(なかむらせいろく)
佐賀県重要無形文化財 陶芸白磁 保持者。
大正5年長崎県波佐見町生まれ。田工業高教員を経て、初代奥川忠右衛門氏に師事。
昭和41年高麗庵清六窯を建て独立。
52年「現代の名工」で労働大臣卓越技能者表彰。
54年伊万里・有田焼第1回伝統工芸士に認定される。
55年黄綬褒章受章。全国伝統的工芸品展、日本伝統工芸展など多数入賞。
日本伝統工芸士会理事、県陶磁器技能士連合会会長。
平成23年没。

吉川啓示(よしかわけいじ)1910(明治43)年~2006(平成18)年
明治43年神奈川県生まれの日本画家
神奈川県生まれ
前田青邨(まえだせいそん)に師事。
溝村(現在の相模原市上溝)の出身で、院展(日本美術院)を中心に長年にわたって活躍されました。
院展への出品作品は、異国情緒漂う横浜の街並みが中心でしたが、院展引退後は矢立(携帯用の筆)を手に全国を巡り、市域や県内はもとより、坂東三十三霊場、四国八十八ケ所、奥の細道、中国へとわたり、二万枚もの写生画を残されたといわれております。

東京都江東区豊洲にて、加賀友禅作家百貫華峰の黒留袖、帯、お着物。

東京都江東区豊洲にて、加賀友禅作家百貫華峰の黒留袖、帯、着物、和装小物などをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しを機会に、お着物をまとめて整理されるとの事でお呼びいただきました。たんす三竿分と、たくさんのお着物がありましたが、一点一点丁寧に査定させていただきました。お売りいただいたのは訪問着、留袖、振袖、紬、名古屋帯、袋帯と様々。中でも、加賀友禅の巨匠作家である百貫華峰の黒留袖は、当社で買い取りを強化している作家作品でしたので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただきました。和の伝統を極限まで昇華した、極上の逸品でした。百貫華峰氏は、写生を基盤とした加賀友禅の伝統的技法を見事に継承し、その巧みな表現力、配色力はご覧頂く通り。他の追随を許さないほど独自の美を魅せ、高い評価を受けつづけている加賀友禅の巨匠でございます。加賀友禅は、加賀地方の独自の染色技法「加賀染め」を基に、友禅染の祖・宮崎友禅斎が享保年間に新しく模様を取り入れた事に始まります。藍・臙脂・黄土・草・古代紫を基調とした「五彩」の色彩に、絵画的な構図、模様の外から内側にボカシを入れる技法などが特徴です。手描きの加賀友禅は全工程が手仕事となるので、完成までに長期間を要し、その価値はたいへん高いものとなっております。加賀友禅をはじめ、友禅は当社でも買い取りにとても力を入れております。友禅をお売りの際には、是非友禅買取六角堂をご指名ください!他にも、作家物の黒留袖やたくさんの帯などをお売りいただきました。お客様の思い出のお着物たち、大切に次へと繋げさせていただきます。有難うございました。
倉庫へ戻ると仕事仲間たちが待ってましたので、ガストさんで一緒に食事をしました。画像のメニュー全て、大人食いしてしまいました。明日も一日頑張って体を引き締めます!

百貫華峰(ひゃっかんかほう)
加賀友禅作家 本名・俊夫
1944年 石川県金沢市に生まれる
1963年 東京美研荘にて2年間ローケツ染を学ぶ
1966年 木村雨山に師事
1974年 日展に初入選し、以降18回入選
1977年 現代美術展の審査員となる
1979年 日本現代工芸展に初入選
1981年 日本現代工芸展にて日本現代工芸賞を受賞
1985年 日本現代工芸展にて日本現代工芸会員賞を受賞
1990年 第29回日本現代工芸展審査員に就任
1991年 日展特選
1993年 第32回日本現代工芸展にて東京都知事賞を受賞
2002年 第41回日本現代工芸展にて文部科学大臣賞のを受賞
2010年 第42回日日展にて第4科工芸美術部門文部科学大臣賞を受賞