カテゴリー別アーカイブ: 美術品・骨董品

東京都立川市にて北村西望の銀製聖観世音菩薩、掛け軸、桐箪笥など。

   

東京都立川市にて北村西望の銀製聖観世音菩薩、掛軸、春日部桐箪笥などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすや掛け軸などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、春日部桐箪笥、お父様が集めていらっしゃった仏像、掛軸など。桐箪笥は国の伝統工芸品に指定されている埼玉県の春日部桐箪笥。所々にシミ汚れなどございましたが、当社買取強化商品ですので、買い取りさせていただきました。掛け軸は日本画、山水画、幕末三舟の一人高橋泥舟の書など。銀製聖観世音菩薩は、彫刻家北村西望の作品。北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年は文化功労者として顕彰され、文化勲章を受章した日本彫刻界の泰斗です。お売りいただいた聖観世音菩薩は貴重な銀製の作品。残念ながら銀特有の変色で全体的に真っ黒となってしまっております。久々に箱から出してみて、作品のあまりの変貌にお客様は驚いておりました。可哀想な状態となってしまっておりますので、当社自慢の銀磨きで綺麗な状態に戻したいと思います。状態に難有ではありましたが、元の状態に戻ると信じ、お客様にご満足いただける査定額で買取しました。なるべく元の状態へと戻し、次に大切していただける方へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、当社のご指名ありがとうございました。

北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年
明治17年 12月16日、長崎県に生まれる(現同県南有馬町白木野)。北村家は白木野の豪農で仏教に篤く、西望は四男の末子である
明治36年 京都市立美術工芸学校入学(彫刻科)。師の国安虎三郎、親友建畠大夢に囲まれて、創作に熱中する。日本画の同級生には川路柳虹、村上華岳などがいた
明治41年 文部省第二回美術展覧会に「憤図」が初入選する
大正5年 第十回文展に「晩鐘」が特選になり、翌年には早くも無監査となる
大正8年 第一回帝展の審査員となる
大正10年 東京美術学校教授となる。朝倉文夫も同じく教授になる
大正14年 帝国美術会員になる。「母子像」「喜ぶ少女」等の傑作を世に出す
昭和13年 「板垣退助翁」を国会議事堂内に設置
昭和22年 日本芸術院会員となる
昭和30年 長崎市「平和祈念像」完成
昭和33年 文化功労者に顕彰され、文化勲章受章。日展が創立されると共に常務理事となり、以後日展を中心に旺盛な創作活動を示す
昭和44年 社団法人日展会長となる
昭和45年 社団法人日本彫刻会名誉会長
昭和47年 長崎県島原城内に「西望記念館」完成。多くの作品を寄贈する
昭和49年 日展名誉会長
昭和50年 故郷の長崎県有馬町に「西望公園」完成
昭和51年 新宮殿に「天馬」奉納
昭和52年 広島平和公園「飛躍」設置
昭和53年 信貴山「聖徳太子像」設置
昭和55年 東京都「名誉都民」となる
昭和56年 御岳山「畠山重忠像」設置
昭和58年 日展「天女の舞」出品
昭和62年 3月、天寿をまっとうされる

東京都目黒区自由が丘にて藤本能道の鉄赤絵かわせみ図花壷、桐箪笥、反物。

東京都目黒区自由が丘にて人間国宝 藤本能道 鉄赤絵かわせみ図花壷、桐たんす、反物などをお売りいただきました。

お片付け業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。桐箪笥、陶器などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、藤本能道 鉄赤絵かわせみ図花壷など作家物の陶器、桐箪笥、反物など。桐箪笥は相徳のタンスで大変造りの良い桐箪笥、反物は大島紬、丹後ちりめんなど。陶器は九谷焼や京焼の作家物多数。多数ある中、藤本能道の花壷は当社で買取を強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。藤本能道は富本憲吉、加藤土師萌に師事(共に重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝))し、二人の色絵技術を継承し写実的で情緒ある独自の表現を追求し続けた色絵磁器の巨匠。本人もまた重要無形文化財「色絵磁器」保持者となりました。本作は鉄赤絵かわせみ図花壷。人気のかわせみ図でございます。共箱に二重箱となってます。お引越し先に飾る場所がなく、今回泣く泣くのご売却とのこと。査定を頑張らせていただきました。大切にされていたお品々、大事に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。

藤本能道(ふじもとよしみち)大正8年(1919)1月10日〜平成4年(1992)5月16日
大正8年 1月10日、大蔵省書記官の次男として東京大久保に生まれる。
昭和6年 東京美術学校工芸科図案部卒業。文部省技術講習所入所。
昭和7年 講習所講師の加藤土師萌(かとうはじめ)に師事。
昭和13年 講習所教授の富本憲吉の助手を務め、九谷焼色絵磁器の技法を習得。第31回光風会展光風工芸賞受賞。
昭和21年 日展、国展に初入選。
昭和22年 富本憲吉が結成した「新匠美術工芸会」に参加。
昭和31年 日本陶磁協会賞。
昭和32年 「新匠工芸会」退会。
昭和38年 京都市立美術大学専任講師就任。東京青梅市に築窯。
昭和40年 日本工芸会東京支部展受賞。ジュネーブ国際陶芸展銀賞。
昭和41年 日本工芸会正会員。
昭和45年 東京芸術大学教授就任。
昭和56年 日本陶磁協会賞金賞受賞。紺綬褒章受章。
昭和59年 日本陶磁協会理事就任。
昭和60年 東京芸術大学学長就任。
昭和61年 重要無形文化財「色絵磁器」保持者(人間国宝)に認定。東京芸術大学教授辞職。
平成2年 東京芸術大学学長退官。
平成3年 勲二等旭日重光章受章。
平成4年 5月16日、逝去。73歳。

東京都渋谷区初台にて仁清写 福禄寿の置物、火鉢、勲章など。

東京都渋谷区初台にて仁清写 福禄寿の置物、火鉢、勲章などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お父様が生前大切にされていたという骨董品をご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、仁清写 福禄寿の置物、火鉢、勲章など。火鉢は黒柿の関東長火鉢、勲章は瑞宝章や 勲六等単光旭日章など。仁清写 福禄寿の置物は時代のもので作家などは入っておりません。仁清写の大変造りの良い福禄寿です。京焼の歴史の中で特に影響を与えたといわれる江戸時代前期の陶工・野々村仁清(ののむらにんせい)。ろくろの技術が大変優れた人で、全体に薄手、華麗で繊細、絵画的な絵付けで装飾された作品が特徴です。現在でも野々村仁清の技術力や表現力にあやかろうと多くの陶工や作家が「仁清写」として作品を制作されております。当社では野々村仁清の作品はもちろん、仁清写作品も買取強化しております。茶道具や置物など、全て買取しております。
お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、出張買取でお呼びいただき有難うございました。

野々村仁清(生没年不詳)
丹波国桑田郡野々村(現在の京都府北桑田郡美山町)出身。本名:清右衛門。
若い頃に粟田口や瀬戸で轆轤(ろくろ)の修業を積み、正保年間(1644年 – 1648年)頃、洛西の仁和寺(にんなじ)門前に御室(おむろ)窯を開く。「仁清」という号は、仁和寺の仁と清右衛門の清を合わせたもので、門跡より拝領したと伝えられている。茶人金森宗和とかかわり、野々村仁清は優美な陶器を次々と生み出した。仁清の作品は、巧みな轆轤の技術と華麗な上絵付けに支えられた、茶壺、水指、茶碗、香炉、香合などの茶道具で占められているが、代表作といわれるものが色絵の茶壺である。色絵藤花文茶壺は、仁清の茶壺の中でも最高の傑作として名高い。また、「色絵雉香炉」や「法螺貝形香炉」のような彫塑的な作品にも優れております。

埼玉県桶川市にて石橋古鈴の木彫 恵比寿・大黒天像「招福」、佐野宏采の鼠置物、反物。

埼玉県桶川市にて石橋古鈴の木彫彩色 恵比寿・大黒天像「招福」、佐野宏采のブロンズ鼠置物、反物をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。お遺品である久米島紬の反物の他、彫刻家石橋古鈴(いしばしこすず)の木彫彩色 恵比寿・大黒天像「招福」、佐野宏采のブロンズ鼠の置物などをお売りいただきました。彩色に色落ちなどございましたが、石橋古鈴の彫刻作品は買取強化作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。また、高岡銅器の名工、佐野宏采の鼠の置物も併せてお売りいただきました。共箱の欠品、緑青が出たりと難がございましたが、大変造りの良い作品でしたので、こちらも買い受けさせていただきました。佐野宏采といえば香炉の作品で有名ですが、こちらのような干支の置物なども作られております。ご家族の大切にされていたお品々、大切につぎへと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠にありがとうございました。
帰宅途中、さいたま市桜区にある「くるまやラーメン」さんで食事をしました。くるまやラーメンさんのねぎ味噌らーめんは辛ねぎが絶品ですね。美味しかったです。

石橋古鈴1909~1994 三重県出身の彫刻家
文展、帝展で活躍し、帝展無鑑査となり、戦後は日展委員などをつとめました。日本木彫会の創立に参加した中野桂樹、日本芸術院会員として活躍した内藤伸に師事。中野桂樹、内藤伸いずれも木彫作家として知られており、仏像を手掛けている事から石橋古鈴も師の影響を受け、仏像制作に取り組み、独自の作風を築き上げていきます。石橋古鈴は仏像制作を得意とした彫刻家として知られ、文展、日展作家として活躍しており、同展で受賞も重ねています。日本彫刻会会員でもあり、独自の優美な姿が特徴の作品が多く、細部にまで丁寧に表現された完成度の高い木彫作品に定評があります。平成6年(1994)9月10日没。

佐野宏采(さのこうさい)
日本金工界を代表する高岡金工の名匠。
昭和19年 高岡市生まれ。
昭和42年 伝統工芸富山展支部賞受賞
昭和43年 日本伝統工芸展初入選 以後28回入選
昭和45年 日本伝統工芸金工展入選 以後13回入選
昭和46年 伝統工芸富山展 北日本新聞社賞受賞
昭和49年 伝統工芸富山展 日本工芸会賞受賞
昭和49年 日本工芸会 正会員認定
平成04年 日本伝統工芸富山展芳春賞受賞
平成09年 高岡物産振興協会表彰
平成13年 日本伝統工芸富山展 高岡市長賞受賞
平成17年 伝統工芸高岡銅器振興協同組合表彰
平成18年 伝統工芸富山展 日本伝統工芸会賞受賞
平成22年 高岡市民功労者賞受賞

東京都文京区目白台にて十三代酒井田柿右衛門の深皿、首里花織、着物など。

東京都文京区目白台にて人間国宝十三代酒井田柿右衛門の錦花鳥文深皿、首里花織などのお着物をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。数社相見積でしたが、査定後に当社へお売りいただくこととなりました。本日お売りいただいたお品は、首里花織や大島紬などのお着物、作家物の帯など。当社の得意とするお着物が多くあり、お客様にご満足いただける査定額で全て買取することが出来ました。お着物は全体的に丈が少々短いものの、保管状態よくシミなどはありませんでした。また、証紙のあるものが多くあり、高価査定と繋がりました。当社査定額にお喜びいただけて良かったです。併せて贈答品なども買取させていただきました。贈答品の中には十三代酒井田柿右衛門の錦花鳥文深皿などもあり、全て買取させていただきました。お片付けでお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
帰宅途中、豊島区にある「東池袋大勝軒 本店」さんで食事をしました。誰もが知っている人気の名店。大好きなワンタンメンをいただきました。伝統を受け継いでいる豚骨魚介系のスープがとても美味しいです。さすが名店でございます。

13代 酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)1906(明治39)年~1982(昭和57)年
13代酒井田柿右衛門は12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれました。本名を渋雄といいます。
1947年(昭和22年)頃から濁手の復活を目標とする。1953年(昭和28年)、第12代柿右衛門とともに、「濁手」を復興。1955年(昭和30年)、濁手の製作技術は、国の無形文化財に指定。 1963年(昭和38年)、日本伝統工芸展に入選。 1964年(昭和39年)、日本工芸会正会員となる。1970年(昭和45年)、佐賀県陶芸協会会長となる。 1971年(昭和46年)、濁し手の技法で国の重要無形文化財に総合指定。柿右衛門製陶技術保存会会長となる。1975年(昭和50年)、西日本文化賞などを受賞。
個人作家として新しい柿右衛門の確立を目指した13代は、伝統を墨守し続ける頑固な父の方針に不満を持ち、お互いの方向性の違いから親子喧嘩が絶えなかった事でも有名です。
この父より受け継がれた職人気質を基礎に現代様式の柿右衛門を創造すべく、日本画家、彫刻家、芝居役者、政治家、実業家等のあらゆる分野の人々と交流を深め、近代的な独自の新意匠を取り入れた新境地を築き上げました。
頻繁に全国各地の野山へ出掛けては膨大な量のスケッチを取った事でも知られており、こうして図案化されたものが濁手素地の上に彩られました。
芸術作家としての柿右衛門の評価は13代の出現で不動のものとなりました。

首里花織(しゅりはなおり)
沖縄県那覇市首里産地の織物。先染めの紋織物。士族以上の着衣として用いられました。織地に経糸の一部が緯糸に組合わされずに、経糸と経糸の間に緯糸がはさまれて紋柄を織りだし、両面とも経糸が浮いています。王朝時代は主に男性衣でありましたが、近年はその織の特性を生かして帯や飾布、小物類などもつくられています。首里花織の種類は両面浮花織、緯浮花織、経浮花織、手花織がありますが、両面浮花織はとくに人気があります。両面浮花織とは、平織組織より誘導された織で、平織の地の一部が経糸と緯糸が組合わずに浮いている形で紋柄を織りだし、片面は緯糸が浮き、裏面は経糸を浮かします。柄は幾何学的な紋柄単位を四角形や菱形に展開したもの、市松模様などがあります。配色は黄金色、水色、薄緑などの無地、また、赤や黄、藍などの多色配色の格子柄があります。

東京都世田谷区太子堂にて濱田篤哉、晋作の扁壷、柿右衛門額皿、反物など。

   

東京都世田谷区太子堂にて濱田篤哉、晋作の扁壷、14代柿右衛門(窯)の額皿、反物などをお売りいただきました。

お片付け業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。反物や陶器などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は濱田篤哉 糖釉鉄絵扁壷、濱田晋作 柿釉赤絵扁壷、十四代 酒井田柿右衛門 錦 栗鶉文 額皿など作家物の陶器、反物数点。反物は牛首紬、作家物の友禅など。陶器は益子焼、九谷焼など多数ございました。糖釉鉄絵扁壷は益子焼の物故作家 濱田篤哉(1931-1986)の作品。人間国宝 濱田庄司の三男。土の柔らかな味わいと肉厚でどっしりとした重量感、糖釉独特の色味に鉄絵の絵付けが施された、益子焼らしい素朴で温かな印象の作品です。柿釉赤絵扁壷は益子焼の作家 濱田晋作(1929-)の作品。人間国宝 濱田庄司の次男。柿釉独特の色味に赤絵の絵付けが施され、こちらもまた益子焼らしい素朴で温かな印象の作品です。こちらの二点は人間国宝となられた浜田庄司を父に持つ兄弟の作品となります。どちらも共箱にしまって保管されており、状態も良かったです。14代柿右衛門(窯)の額皿は栗鶉の絵図。柿右衛門窯は、日本初の赤絵の技法を開発し、その『柿右衛門様式』を現代に伝える由緒ある窯元です。作品の大きな特徴の一つに「濁手素地」と呼ばれる、柔らかく温かみのある乳白色の素地があげられます。どの作品も、繊細で華やかな色絵が魅力的です。江戸時代より伝わる技術を継承しながらも次世代への新しい展開を見せる柿右衛門窯の一品です。他にも作家物の九谷焼など、多数お売りいただきました。お引越し先に飾る場所がなく、今回泣く泣くのご売却とのこと。査定を頑張らせていただきました。大切にされていたお品々、大事に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。
倉庫へ戻る途中、戸田市にある「らあめん花月嵐」へ寄りました。今日は期間限定メニューの「戦国武将らあめん前田利家」をいただきました。なんとも古物商好みの名前でございます。戦国時代に兵糧として重宝されていた味噌。1583年(天正11年)に前田利家が金沢城主になってから、加賀藩でも軍用の貯蔵品として味噌が盛んにつくられるようになりました。それが「加賀味噌」の起源といわれております。加賀味噌で造られた戦国武将らあめん、濃いスープに太麺が良く合い、とても美味しかったです。金沢の車麩におてまり麩もスープによく合います。歴史を感じる、美味しいラーメンでした。

濱田晋作(はまだしんさく)
1929年 人間国宝の濱田庄司の次男として生まれる。
1950年 早稲田大学卒業、父の工房で作陶修行を開始。
1963年 父やバーナードリーチのアメリカ陶芸講習巡遊に助手として参加。
1978年 国画会会員となる、財団法人益子焼参考館館長に就任。
1992年 同会を退会。
1982年 作品が外務省に買い上げられる。
1986年 作品がニューヨーク・ブルックリン美術館に買い上げられる。
1987年 サロン・ド・パリ展で大賞受賞。サロン・ド・パリ会員となる。
2008年 栃木県文化功労者の称号を受けました。
鉄釉、灰釉、柿釉、塩釉等の素朴で味わいのある民芸陶器を継承し、父・浜田庄司やバーナード・リーチの公的鑑定家としても知られています。

濱田篤哉(はまだあつや)1931年-1986年
陶芸家。兄の濱田晋作、その息子の濱田友緒も陶芸家。
1931年 人間国宝の濱田庄司の三男として栃木県益子町に生まれる。
1948年 栃木県立真岡高等学校卒業、父の弟子となる。
1957年から1959年にかけ、イギリスのバーナード・リーチの工房(セント・アイヴス)に在籍。
1971年から毎年、日本橋三越で個展を開催。
1979年 益子町大沢に窯と工房を建設。
1986年 逝去。55歳。

東京都武蔵野市にて、沈香(香木)の出張買取。

東京都武蔵野市で沈香(香木)、練馬区で茶道具、人形をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都武蔵野市へ香木の買い取りでお呼びいただきました。お売りいただいた香木は沈香という香木で重みのある香木。水に沈む香木ということから沈香といわれております。残念ながらこちらの沈香は天然物ではなく人工香木になります。虫食い跡などございますが、本物のアガウッドでございます。人工物ではありますが、良い香りがします。所々油分がございますが、水に沈むほどではないようです。人工物ではございますが、約一キロの重量もあり買取させていただきました。天然物でこのサイズでしたらきっと数百万円からの買取りになるかと思います。本日二件目は練馬区南大泉へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは日本人形、ビスクドール、茶道具をお売りいただきました。お茶道具は紙箱に入っているお稽古用のものでしたが、十点近くありましたのでまとめて買い取らせていただきました。家電の処分やお荷物のお片付けをされるとのことでしたので、市場の仲間のリサイクル業者二社をご紹介させていただきました。仲間の業者とお客様のご日程が決まったようでよかったです。本日は六角堂のご指名ありがとうございました。帰りにリサイクルショップの仲間と「丸源ラーメン 練馬関町店」で食事をしました。肉そばに餃子のセット、とても美味しくて体も温まりますね。
六角堂では、伽羅・沈香・白檀など、香木を強化買取りしております。また、香木の他、香道具や仏具なども探しております。ご不要のお道具がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。香木・香道具に詳しいスタッフがお伺い、査定、高価買取させていただきます。

埼玉県桶川市にて、人間国宝井上萬二の湯呑、七代加藤幸兵衛の陶額の買取。

埼玉県桶川市にて、人間国宝井上萬二の白磁緑釉椿彫文湯呑、七代加藤幸兵衛の褐釉陶額などの陶芸作家作品をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理にてお呼びいただきました。有田町の陶芸家で重要無形文化財保持者(人間国宝)井上萬二の作品をはじめ、作家物の作品が多くございました。当社で買い取り強化中の作品も数点あり、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けいたしました。本日は六角堂をご指名くださり有難うございました。
六角堂では、人間国宝、作家物の作品を強化買取りしております。作家のない作品も多数扱っておりますので、ご処分される前に一度お問い合わせください。
市場へと戻る途中、さいたま市にある一風堂さんへ寄り、食事をしました。赤丸らーめんにきくらげをトッピング。とんこつスープが美味しく、久々替え玉をしてしまいました。一風堂さん、美味しいです!

陶芸(人間国宝) 色絵磁器-富本憲吉、加藤土師萌、藤本能道、十三代今泉今右衛門、十四代酒井田柿右衛門 鉄釉陶器-石黒宗麿、清水卯一、原清 民芸陶器-濱田庄司 志野-荒川豊蔵 萩焼-三輪休和(十代三輪休雪)、三輪壽雪(十一代三輪休雪) 備前焼-金重陶陽、藤原啓、山本陶秀、藤原雄、伊勢崎淳 唐津焼-中里無庵 染付-近藤悠三 白磁・青白磁-塚本快示 琉球陶器-金城次郎 鉄絵-田村耕一 練上手 -松井康成 白磁-井上萬二、前田昭博 三彩-加藤卓男 民芸陶器-島岡達三 青磁-三浦小平二、中島宏 彩釉磁器-三代徳田八十吉 常滑焼(急須)-三代山田常山 釉裏金彩(ゆうりきんさい)-吉田美統 無名異焼(むみょういやき)-五代伊藤赤水 小石原焼-福島善三 瀬戸黒-加藤孝造

井上萬二(いのうえまんじ)
佐賀県西松浦郡有田町出身。生家は窯元であったが軍人を志し、15歳で海軍飛行予科練習生となった。翌1945年に復員し、父親の勧めで酒井田柿右衛門|の元で働き始める。修行7年目の1952年頃に奥川忠右衛門の作品に衝撃を受け、門下生となり白磁や轆轤の技法を学んだ。1958年に酒井田柿右衛門窯を退社し、県立有田窯業試験場の技官として勤務を始める。その傍らで独自の意匠や釉薬の研究に励んだ。
1969年、ペンシルベニア州立大学から有田焼の講師として招かれて渡米し、5ヶ月間担当した。海外での活動はドイツなどでの個展や2002年3月のモナコ国王の在位45年記念の展覧会など、多岐にわたっている。1968年、第15回日本伝統工芸展で初入選を果たす。1977年に全国伝統的工芸品展通産大臣賞、1987年には第34回日本伝統工芸展で文部大臣賞を受賞した。1995年5月31日に重要無形文化財「白磁」保持者に認定、1997年紫綬褒章を受章。2002年、モナコ国王の在位45年記念の展覧会開催。2003年旭日中綬賞受賞。
2007年現在、有田町で息子の井上康徳と共に井上萬二窯と平屋建てのギャラリーを構えている。華やかな絵付けが中心の有田焼の中で、白磁に徹するという独特の制作を続けている。教え子は既に500人、アメリカでも150人を超え、なお後進の育成にも力を注いでいる。独自の意匠や釉薬の研究に励み、ろくろの神様と言われている。 端正かつ滑らかな造形白磁、美しさを現在でも追究している。

七代加藤幸兵衛(かとうこうべい)1945年(昭和20)~本名 裕英(やすひで)
人間国宝である加藤卓男を父に持ち、日展、朝日陶芸展で最高賞を受賞するなど、各陶芸展で高い評価を受けて
いる美濃の陶芸家、七代加藤幸兵衛氏。伝統的な作品や、現代感覚の「オブジェ」の作品も制作し、近年は、加藤卓男氏の「ペルシア陶技」を継承した作品をも制作しています。
また現在、社団法人 美濃陶芸協会の会長として、美濃陶芸振興のため活動しています。
1945年 岐阜県に、父加藤卓男(人間国宝)祖父に五代加藤幸兵衛を持つ名家に生まれます
1964年 京都市立美術大学工芸科に入学し、近藤悠三、清水六兵衞氏などに師事します。(1968年 同校を卒業。)
1967年 「朝日陶芸展」で、最高賞を受賞します。
1969年 「日展」で特選北斗賞を受賞します。(1981年にも同賞を受賞。)
1973年 「中日国際陶芸展」で、準大賞を受賞。
1980年 「日本新工芸展」で新工芸会員賞を受賞し、外務省買上となります。
1982年 「日本新工芸展」の審査員に就任します。1987年 日展審査員。
1995年 七代 加藤幸兵衛を襲名します。同年「日本新工芸展」で文部大臣賞を受賞。
2006年 父卓男の逝去に伴い、ペルシア陶技の継承を決意し、日展を退会します。

愛知県名古屋市中区にて鶏血石の置物、須賀月真の文鎮、瑞宝章勲章など。

愛知県名古屋市中区にて鶏血石の置物、須賀月真の鋳銅亀文鎮、瑞宝章勲章などをお売りいただきました。

遺品整理でお呼びいただきました。遠距離の出張でしたので、前日の夜に名古屋市へと入り、ビジネスホテルで一泊しました。本日お売りいただいたお品は、鶏血石の置物など中国工芸品、須賀月真の鋳銅亀文鎮などの書道具、勲三等瑞宝章など勲章や勲記など。多数まとめてお売りいただきました。鶏血石(けいけつせき)は文字通り、鶏が首を切られたときに流す血の色のような鮮やかな赤色をした鉱石です。主成分は粘土と石英で、硬度が7あるため大変硬い鉱石として知られています。これにシンナバーと呼ばれる辰砂が加わり、赤い色を造り出しています。鶏血石はその硬さのため、精度を要求される印鑑によく使われています。鶏血石は中国の昌化とモンゴル自治区でしか採れないため、高く評価されています。昌化鶏血石は赤の色合いがより強いため、価値が高いとみなされています。中国では石后(石の皇后様)と呼ばれてます。印材と言えば田黄石が高価な印材として有名ですが鶏血石も劣らず人気があります、お売りいただいた鶏血石は骨董価値の高い古いものではありませんが、赤味が強く置物としての造りも良いお品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。他にも六角堂で買い取りを強化しているお品が多くあり、まとめて買取させていただきました。本日は当社をご指名いただき有難うございました。
画像は昨夜名古屋へ向かう途中の岡崎SAに名古屋城。名古屋城は遠くから撮影したので撮影が難しかったです。ライトアップがとても綺麗でした。夕食は名古屋市中区栄にある「山本屋本店 栄本町通店」さんへ行きました。二月に名古屋へ出張した時にも寄ったお店で、こちらのお店とても美味しいです。今回は四種のキノコ入りみそ煮込みうどんをいただきました。アツアツのスープにきのこがとても美味しかったです。帰り通の東名高速道路上郷サービスエリアでは、きしめんをいただきました。今回もまたみそ煮込みうどん、きしめんと名古屋飯を食べることが出来ました。次回はひつまぶしを食べたいと思います。

須賀月真(すが げっしん)
蝋型鋳物師初代松園須賀亥子蔵(幕末の名工村田整眠より系統)を祖父に持ち、三代に渉り其の技法を受継ぎ、研鑽に努め、蝋型鋳物を以って各展で受賞しております。
現在は、弟の須賀月芳と共に、月真工房を主管し、其の卓越した技能は、識者間に於て隠れたる名工として夙に知られております。
須賀月真は通産省認定伝統工芸高岡銅器の枠の蝋型の須賀一門秘伝の技法の継承者でございます。
昭和38年 父 三代月眞に師事し、蝋型鋳造技術全般を習得
平成3年 金沢にて個展開催(以後、三回開催)
平成4年 大阪にて個展開催(以後、二回開催)
平成9年 東京にて個展開催(以後、一回開催)
平成13年 横浜にて個展開催(以後、二回開催)
平成21年 高岡市伝統工芸産業技術保持者指定
日展入選(以後、二回)、淡交ビエンナーレ入選

東京都練馬区東大泉にて、偕楽園製黄交趾寿字文大花入、端渓硯など。

東京都練馬区東大泉にて、偕楽園製黄交趾寿字文大花入、端渓硯などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目はさいたま市桜区へ出張買取させていただきました。先日お呼びいただいた不動産業者の方のご紹介で伺いました。本日はお着物、反物、毛皮、贈答品などを買取りさせていただきました。今回もまた、お客様をご紹介くださり有難うございました。二件目は東京都練馬区東大泉へ遺品整理でお呼びいただきました。こちらではお客様のお爺様が大切にされていたという偕楽園製の黄交趾寿字文大花入や端渓硯などをお売りいただきました。お売りいただいたお品は偕楽園焼の代表的な作品である寿字文花生です。釉薬は黄色、内面全体にも黄釉が施されています。底面高台内に陰印刻銘で「偕楽園製」(楷書体)とあります。交趾とは本来、元時代に中国南部で生産された陶磁器の一種で、古くから中国の文化が日本の文化に多くの影響を与えてきました。偕楽園製のお品はよく買い取りさせていただきますが、紫交趾の二彩のものが多く、黄交趾三彩のものは数少ないです。偕楽園製のお品は個人的にも好きで、本品はお客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただきました。端渓硯も古くて良い硯、良いお品をお売りいただき有難うございました。
本日は倉庫近くにある松栄庵さんでなめこそばをいただきました。いつもはうどんを食べますが、たまにはおそばもいいものですね。

偕楽園焼(かいらくえんやき)
紀州藩御庭焼。紀州藩主十代徳川治宝の西浜御殿の偕楽園における御庭焼。文政十年(1827)~嘉永五年(1852)。京より 楽九代了入・十代旦入 永楽保全 仁阿弥道八 二代弥助(久楽)らが来て制作している。
作品には 楽焼、釉の色が黄・紫・緑等の交趾・青磁等があります。紀伊藩10代藩主である徳川治宝は、文政2年(1819)、和歌山城下の南西(現在の県立和歌山工業高校付近)に別邸・西浜御を築き、以後、その御殿の庭園・偕楽園で偕楽園焼という御庭焼をおこないました。
偕楽園焼の制作や指導には、京都から表千家9代の了々斎(1775-1825)や、表千家10代の吸江斎(1818-60)をはじめ、楽旦入(1795-1854)、永楽保全(1795-1854)などの著名な陶工が招かれております。文政2年、文政10年(1827)、天保7年(1836)の少なくとも3回焼かれたことがわかっており、作品には楽焼系と磁器系の二つの種類があります。
偕楽園焼には無銘のものも多く、銘があるものは「偕楽園製」の二行角印や丸印、「偕楽」一行丸印など様々な種類があり、楽焼系と磁器系で押されている印が異なっています。