カテゴリー別アーカイブ: 絵画・掛軸

東京都大田区東雪谷にて、石踊達哉の紙本彩色画、コムサデモードの付下げ。

   

東京都大田区東雪谷にて、石踊達哉の紙本彩色画「みをつくし」、コムサデモードの付下げ、振袖をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お着物、絵画のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、石踊達哉の紙本彩色画「みをつくし」、リトグラフなどの絵画、コムサデモードの付下げ、振袖、和装小物など。たくさんのお品をお売りいただきました。一点一点丁寧に査定させていただき、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。中でも石踊達哉の絵画の査定額にお喜びいただけたようでとても良かったです。保管状態も良く、タトウ箱もございましたので、高額査定と繋がりました。タイトルは「みをつくし」、サイズは6号、紙本彩色の絵画です。石踊達哉の伝統的な花鳥風月を現代感覚で流麗な作品に昇華させる作風は「平成琳派」とも称され、国内外問わず、高い評価を得ております。本作品は人物裸婦でありますが、やはり石踊達哉作品は「秋野」、「秋草」などの花鳥風月作品の方に高価査定が付きやすい傾向にあります。とはいえお客様に想像以上の査定とお喜びいただけましたので、頑張ったかいがありました。絵画では他にもジャンセンのリトグラフなどを併せてお売りいただきました。お着物はコムサデモードの付下げ、振袖、和装小物などをお売りいただきました。どれも保管状態が良く、一点一点査定を付けることができました。お客様の大切にされていた絵画、お着物など、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は当社をご指名くださり有難うございました。
帰宅途中、いつも寄らせていただいている世田谷区にある「長浜ラーメン」さんへ寄りました。とんこつ味噌に玉ねぎトッピング、麺はバリカタ、わたしの至福の時です。また寄らせていただきます。

石踊達哉(いしおどりたつや)
1945年 満州に生まれる。終戦後帰国し、18歳まで鹿児島で育つ。
1970年 東京芸術大学大学院修了。
1974年 創画展に出品。
1976年 春季創画展で春季展賞受賞。
1977年 山種美術館賞展に出品。
1980年 東京セントラル美術館日本画大賞展に招待出品。
1988年 パリにアトリエを構える。
1990年 「両洋の眼 現代の絵画展」に出品。
1998年 瀬戸内寂聴と「源氏物語」展に描き下ろし五十四帖原画を出品。
2001年 Contes d’ici et de l’au-dela展(ニース・アジア美術館)
2007年 金閣寺方丈の杉戸絵及び客殿格天井画を任される
2006年 「両洋の眼 心に残る美術展」に出品。
2011年 三十三間堂障壁画完成記念展(日本橋三越他)開催
現在、日本美術家連盟会員

東京都江東区亀戸にて刑部人の油彩画、錫製時代煎茶道具、着物など。

 

東京都江東区亀戸にて刑部人の油彩風景画、錫製の時代煎茶道具、着物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。旧家に飾られていた絵画や、代々使われていたという錫製の煎茶道具、アンティーク着物などをお売りいただきました。絵画は人気洋画家、刑部人の風景画。1940年に描かれた作品となります。古い作品ですので、額に痛み、作品にシミなどございました。前作の作品となりますが、当社で買い取りを強化している作家ですので、買取させていただきました。煎茶道具は急須二点、湯冷まし、茶合(仙媒)二点、全て錫製のものです。霊芝の摘みや蓮の形をしたりと、煎茶の本場中国でも人気の形でございます。数点在銘となってます。凹みや汚れのあるものなどございましたが、こちらも当社買取強化商品ですので、全て買い受けさせていただきました。煎茶道具には、煎茶碗、香合、茶合、茶量、仙媒、茶入、茶壺、茶心壷、鉄瓶、銀瓶、湯沸し、ボーフラ、湯さまし、水注、涼炉、火炉、炉台、火箸、宝瓶、急須、建水、瓶掛、瓶敷、罐座、瓶座、結界、硯屏、炉屏、茶箱、器局、提藍、茶櫃、茶籠、茶托、煎茶盆、烏府、炭斗、火斗、羽箒、炉扇、滓盂、洗瓶、巾筒、茶具褥などがございます。六角堂では、全ての煎茶道具を買取強化してます。お着物は大正から昭和初期にかけてのアンティーク。古いちりめんのものや紬などがり、シミ汚れのあるものも多くございましたが、ウールのもの以外は全て買取させていただきました。本日はお忙しい中、良いお品を多数お売りいただき有難うございました。
帰宅途中、埼玉県和光市にある「大鷹ラーメン」さんで食事をしました。メガ鷹ラーメンの野菜増しを注文、ボリュームたっぷりで美味しかったです。

刑部人(おさかべじん)明治39年(1906) ~ 昭和53年(1978)
明治39年 栃木県に生まれる
大正7年 上京、川端龍子に師事。
大正11年 川端画学校に学ぶ。
大正13年 東京美術学校(現:東京藝術大学美術)西洋画科に入学。
昭和3年 第9回帝展に刑部人『友人の肖像』が初入選。
昭和4年 東京美術学校(現:東京藝術大学美術)西洋画科卒業。
昭和15年 芝浦の東京高等工芸学校(現:千葉大学工学部)助教授となる。
昭和18年 新文展で無鑑査となる。
昭和21年 第1回日展で刑部人『冬の軽井沢』が特選となる。
昭和23年 第4回日展で刑部人『渓流』が特選となる。
昭和33年 新世紀美術協会に参加。
昭和42年 日展審査員。
昭和53年 逝去。享年71歳。勲四等瑞宝章を受章。

千葉県木更津市にて、片岡球子のリトグラフ、北村西望不動明王、古銅観音菩薩、赤珊瑚など。

      

千葉県木更津市にて、片岡球子のリトグラフ「うららかな富士」、北村西望のブロンズ像「不動明王」、古銅観音菩薩、赤珊瑚(桃色珊瑚)の置物や枝珊瑚などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。長距離出張の為、昨夜木更津へ入りビジネスホテルで一泊し、本日出張買取させていただきました。半月ほど前にご連絡いただき、ようやくお客様宅へお伺いすることが出来ました。本日お売りいただいたお品は、お父様が集めていらっしゃった骨董品など。画像の片岡球子のリトグラフ「うららかな富士」、北村西望のブロンズ像「不動明王」、古銅観音菩薩、赤珊瑚(桃色珊瑚)の置物や枝珊瑚の他、富永直樹のブロンズ、高岡銅器の置物、特大こけし、蛙の置物、有田焼の陶額、絵画、中国の古書など、多数お売りいただきました。
片岡球子は(1905年(明治38年)-2008年(平成20年))、北海道札幌市の出身で昭和、平成の時代に活躍した日本画家です。平成元年には、文化勲章を受章しています。本品は片岡球子のリトグラフ。片岡球子のリトグラフ作品は、作家自らが直接筆を振るって制作されました。1970年頃から描き続け、晩年20年間は制作の大半が富士山になるほど没頭して描れたモチーフです。形の大胆なデフォルメ、三原色や金泥を使った鮮やかな色調などの装飾的な表現によって、富士山の満ち溢れるような生命のエネルギーを描き出しています。
北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年は文化功労者として顕彰され、文化勲章を受章した日本彫刻界の泰斗です。不動明王は仏界と人間界のあいだの天界に住む五大明王のうちの筆頭的存在の明王。右手に魔を断ち切る剣、左手に悪を縛る縄、背中に火の鳥の炎、そして金剛石(ダイヤモンド)の原石とされる座っている岩、これら四つが不動明王を描く際の、ほぼ共通の構図とされており、当作品でも忠実に再現されています。
古銅製の観音菩薩坐像はとても優しいお顔の観音様。所々に破損がありましたが、当社で買い取りを強化している時代ある仏像、買取させていただきました。珊瑚は桃色のものでしたが、太めのしっかりとした珊瑚、置物、枝珊瑚共にお売りいただきました。他にも多数まとめてのご売却、誠に有難うございました。お茶やお菓子をご用意いただいたりと、お気遣いくださり有難うございました。また、東北地方のご実家のお片付けの際にお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は六角堂のご指名、有難うございました。
画像は、昨夜木更津へ向かい際に寄ったアクアライン海ほたる。フードコートで食べた「ち~ば丼」。金目鯛、穴子、あさり、さんがフライ、卵焼き、ねぎ、きゅうり、生姜を乗せた賑やかな丼でした。出張帰りに寄った「活き活き亭 金田店」では、三色丼(ウニ、いくら、ねぎとろ)、あさりご飯と、贅沢な食事をしました。浜焼きで人気のお店のようですが、海鮮丼もとても美味しかったです。帰りにまた、海ほたるへ寄ってお土産を買って帰りました。遠いようで近い千葉県出張買取、お土産選びが難しいです。

片岡球子(かたおかたまこ)1905年(明治38年)-2008年(平成20年)
1905年 1月5日、北海道札幌市に生まれる。
1923年 北海道立札幌高等女学校師範科卒。日本画家を志す。女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科に入学。
1926年 女子美術専門学校 日本画科高等科を卒業。神奈川県横浜市立大岡尋常小学校に教論として赴任。
1930年 日本美術院再興第17回展(以下、院展)に「枇杷」を出品、初入選。
1935年 日本美術院絵画部第19回 試作展に「炬燵」が入選、試作賞。
1938年 日本美術院絵画部研究会員研究会で「寒空」が大観賞第一賞受賞。
1939年 日本美術院絵画部研究会で「新緑」が大観賞第二賞受賞。第26回 院展に「緑陰」が入選。日本美術院院友に推挙される。
1942年 日本美術院絵画部研究会で「祈祷の僧」が大観賞受賞。
1946年 安田靫彦に入門する。第31回 院展無鑑査に出品、「夏」が日本美術院賞受賞。
1948年 第33回 院展で「室内」が入選、日本美術院賞。
1950年 第35回 院展で「剃髪」が日本美術院賞、白寿賞を受賞。
1951年 第36回 院展入選「行楽」が奨励賞、白寿賞を受賞。このころ東京藝大 山本豊市教授より彫刻デッサンを学ぶ。
1952年 第37回 院展で「美術部にて」が日本美術院賞、大観賞を受賞。日本美術院同人に推挙される。
1955年 横浜市立大岡小学校を依願退職。女子美術大学 日本画科 専任講師となる。
1959年 第14回 春の院展に「海岸」を出品。三越本店にて初の個展が催される。
1960年 女子美術大学日本画科の助教授に就任。
1961年 院展出品作「渇仰」が文部省買上げ作品となる。第46回 院展に「幻想」を出品、舞楽をテーマにした初めての作品。第11回 芸術選奨 文部大臣賞を受賞。日本美術院評議員に推される。
1962年 初の渡欧。 フランス・イタリア・イギリス各地の美術館を巡る。第5回現代日本美術展に「桜島の昼」「桜島の夜」を招待出品。女子美術大学 日本画科 教授に就任。
1965年 神奈川県立近代美術館賞を受賞。
1966年 第51回 院展に「面構 足利尊氏、義満、義政」を出品。愛知県立芸術大学の開校に合わせ、日本画科主任教授として迎えられる。「面構」「富士山」両シリーズの制作開始。
1970年 北海道庁よりの依頼で「函館街頭風景」を 制作。神奈川県藤沢市に転居。
1971年 第56回 院展に「面構一 葛飾北斎」「面構二 東洲斎写楽」を出品。
1972年 パリで催された個展「富嶽三十六景」に合わせ渡欧。
1975年 自伝「情(こころ)ありて」を執筆。第59回 院展出品作「面構 鳥文斎栄之」が第31回 日本芸術院恩賜賞を受賞。
1976年 勲三等端宝章を賜る。
1978年 日仏現代美術パリ展に「面構 喜多川歌麿」出品。第27回 神奈川文化賞を受賞。
1981年 日本美術院理事に就任。
1982年 日本芸術院会員となる。
1983年 第38回 春の院展に初の裸婦作品「ポーズ1」を出品。
1986年 文化功労者に顕彰される。
1989年 文化勲章を賜る。第42回 中日文化賞を受賞。
1991年 画業70年を記念して各地で個展が催される。
1993年 愛知県立芸術大学教官・卒業生らと約20年かけた「法隆寺金堂壁画模写」全32面が完成し一般公開。
1996年 画業75年展を各地にて開催。愛知県立芸術大学美術学部に奨学基金として1億円を寄贈。
1999年 都営地下鉄 大江戸線 築地市場駅構内「ゆとりの空間」に設置される「江戸の浮世絵師たち」原画を制作。
2004年 白寿記念展「片岡球子展〈白寿記念・極める—人間と山〉」を開催。
2005年 百歳を記念して各地にて「片岡球子百壽展」を開催。
2008年 1月16日、逝去。享年103歳。従三位に叙せられた。
2015年 生誕110年 片岡球子展 (東京国立近代美術館・愛知県美術館)

北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年
明治17年 12月16日、長崎県に生まれる(現同県南有馬町白木野)。北村家は白木野の豪農で仏教に篤く、西望は四男の末子である
明治36年 京都市立美術工芸学校入学(彫刻科)。師の国安虎三郎、親友建畠大夢に囲まれて、創作に熱中する。日本画の同級生には川路柳虹、村上華岳などがいた
明治41年 文部省第二回美術展覧会に「憤図」が初入選する
大正5年 第十回文展に「晩鐘」が特選になり、翌年には早くも無監査となる
大正8年 第一回帝展の審査員となる
大正10年 東京美術学校教授となる。朝倉文夫も同じく教授になる
大正14年 帝国美術会員になる。「母子像」「喜ぶ少女」等の傑作を世に出す
昭和13年 「板垣退助翁」を国会議事堂内に設置
昭和22年 日本芸術院会員となる
昭和30年 長崎市「平和祈念像」完成
昭和33年 文化功労者に顕彰され、文化勲章受章。日展が創立されると共に常務理事となり、以後日展を中心に旺盛な創作活動を示す
昭和44年 社団法人日展会長となる
昭和45年 社団法人日本彫刻会名誉会長
昭和47年 長崎県島原城内に「西望記念館」完成。多くの作品を寄贈する
昭和49年 日展名誉会長
昭和50年 故郷の長崎県有馬町に「西望公園」完成
昭和51年 新宮殿に「天馬」奉納
昭和52年 広島平和公園「飛躍」設置
昭和53年 信貴山「聖徳太子像」設置
昭和55年 東京都「名誉都民」となる
昭和56年 御岳山「畠山重忠像」設置
昭和58年 日展「天女の舞」出品
昭和62年 3月、天寿をまっとうされる

東京都八王子市にて、東山魁夷の複製画、大山忠作のリトグラフ、北村西望のブロンズ像。

   

東京都八王子市にて、東山魁夷の複製画「朝雲」、大山忠作のリトグラフ「丹頂鯉」、北村西望のブロンズ像「不老長寿」を買い取りました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、東山魁夷の複製画「朝雲」、大山忠作のリトグラフ「丹頂鯉」、北村西望のブロンズ像「不老長寿」。ご連絡いただいた時には東山魁夷のリトグラフとのことでしたが、残念ながら本作は複製画でございました。複製画ではございますが、ただの印刷とは違い本作は岩絵具方式複製画で仕上げられております。岩絵具方式複製画とは共同印刷株式会社が開発した特殊印刷加工技術による複製画。岩絵具・胡粉などの質感・感触がそのまま生かされオリジナルの雰囲気が忠実に再現されております。東山魁夷作品は六角堂で買い取りを強化している作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。大山忠作の作品は石版画(リトグラフ)でございました。大山忠作は鯉の画家として大変有名です。一瞬の動きをその眼力で捕らえ、まるで生きているように泳ぐ鯉の姿を描く作家として知られております。ブロンズ像は文化勲章受賞の北村西望の作品。日本を代表する彫刻家の1人であり、代表作である「長崎平和祈念像」は特に有名であります。当社の得意とする作家物の数々、まとめてお売りいただき有難うございました。お父様の集めていらっしゃた作品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠にありがとうございました。
本日は出張帰りに吉野家さんで食事をしました。牛丼つゆだくに玉子、わたしの至福の時でございます。

東山魁夷(ひがしやまかいい)1908-1999
1908年 横浜市に生まれる。
1929年 第10回帝展に「三国の秋」を出品し初入選。
1931年 東京日本美術学校日本画科卒業。結城素明に師事し、魁夷と号する。
1934年 第1回独文化交換学生としてベルリン大学入学。
1939年 第1回日本画院展で「冬日」が日本画院賞第一席となる。
1969年 文化勲章受章。文化功労者として顕彰される。
1979年 「日本東山魁夷絵画展覧会」が開催され訪独。
1980年 「第二期唐招提寺障壁画展」が開催される。
1995年 米寿記念「唐招提寺障壁画と画業60年の歩み、東山魁夷展」開催
1999年 死去。勲一等瑞宝章受章。
2005年 ⾹川県に「東⼭魁夷せとうち美術館」が開館

大山忠作(おおやまちゅうさく)
1922年 福島県に生まれる。
1943年 東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。
1947年 山口蓬春に師事。
1952年 第8回日展特選・白寿賞(同1955年)および朝倉賞受賞。
1962年 初の個展開催。(銀座、文芸春秋画廊)
1967年 1968年にかけて、法隆寺金堂壁画再現模写に従事。
1973年 日本芸術院賞受賞。
1984年 大山忠作襖絵展。(日本橋三越・福島県文化センター)
1992年 成田山聖徳太子堂壁画展。(日本橋三越)
1996年 勲三等瑞宝章受章。
1999年 文化功労者。現在、日本芸術院会員、日展常務理事。

北村西望(きたむらせいぼう)
大正4年 第9回文展 初入選
大正7年 第12回文展「将軍の孫」出品
大正14年 帝国美術会員
昭和30年 長崎「平和祈念像」完成
昭和33年 文化勲章・文化功労者顕彰・日展創立
昭和40年 日本芸術院第一部長
昭和44年 社団法人日展改組、会長
昭和45年 社団法人日本彫塑会改組、名誉会長
昭和47年 長崎県島原城内に西望記念館完成
昭和49年 日展名誉会長
昭和50年 長崎県有馬町に「西望公園」完成
昭和52年 広島市中央公園 鯉「飛躍」設置
昭和56年 東京都青梅市御岳山頂「畠山重忠公像」設置
昭和62年 逝去 104歳

埼玉県さいたま市緑区にて、出岡実の油彩画「こぶし咲く」「伎芸天」

埼玉県さいたま市緑区にて、出岡実の油彩画「こぶし咲く」、「伎芸天」、をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、元春陽会会員、物故作家の出岡実(いずおかみのる)の油彩画二点。出岡実は東京生まれの洋画家、詩人。春陽会、日本現代詩人会、日本文藝家協会の各会員。洋画家の巨匠、中川一政を師に持つ。風景画や仏画に優れ、また世界的な版画家でもありました。お売りいただいた作品は、「こぶし咲く」、「伎芸天」。どちらもまた出岡実らしい作品であります。共シールもありますし、作品の状態も良かったので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。大切に飾られておりました絵画、大事に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、また素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。
昨日は市場がありましたので、帰りに荷物の片付けで市場へと寄りました。市場近くの「中華料理 五番」さんで夕食をいただきました。味噌らーめんのセット、寒くなってきましたので温まります。野菜が多く、美味しかったです。

出岡 実(いずおか みのる)
1929年 東京日本橋に生まれる。
1952年 春陽会賞受賞。
1959年 シェル賞展佳作。
1960年 春陽会会員推挙、中川一政先生より受賞。安井賞候補展出品。
1962~98年 名古屋画廊で個展。
1966~82年 モザイク壁画制作。
1969年 天井壁画障壁画制作(大宝院恵日山観音)。名古屋松坂屋で個展。
1971~99年 上野松坂屋で個展。
1975年 愛知県美術館作品買い上げ。
1978年 鳴河ビル壁画制作。大乗院内障壁画制作。
1981年 アメリカ国際展銀賞受賞(ロサンゼルス)。
1983年 大乗院帝釈堂壁画制作。
1985年 中日美展(台湾国立歴史博物館)招待出品。
1986年 年度美術選賞受賞。
1989年 サージ・マルジス賞受賞・(パリ)。
1990~94年 大阪三越「花との出会い」展。NEW YORK版画大賞展大賞受賞。
1995年 壁画制作(両口屋是清新宿店・名古屋東新町店)。日輪寺障壁画制作。
1996年 春陽会出品作(ダフネの祈り)第2回芸術倶楽部大賞受賞。
2001年 5月16日、逝去。

千葉県柏市にて、尺八、柴田祐作の絵画、萄雅彦の油彩画、リトグラフ。

本日は二件の出張買取。二件とも柏市の出張買取でした。一件目は、柏市柏へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは絵画四点、尺八をお売りいただきました。絵画のうち一点は柴田祐作のガッシュ画(水彩画)。タイトルは「水郷暖日」。柴田祐作らしい代表的な作品となってます。尺八は林仙の銘あり。都山流のもので、内朱塗、銀縁に銀歌口となってます。残念ながら中継ぎの箇所にヒビが入ってしまっておりました。良い尺八でしたので、こちらも買い取らせていただきました。他にも古銭などの見積もりをさせていただきました。次回、またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。二件目は、先日業者様のご紹介でお呼びいただき、絵画の見積もりをさせていただいたお客様宅へお伺いしました。お売りいただいた絵画は、萄雅彦どうまさひこ)の油彩画二点、リトグラフ三点。油彩画のタイトルは「秋」、「オレンジの視点」、リトグラフは「虹の伝説」など。タトウ箱にシミがありましたが、作品自体は良い状態でしたので、精一杯の査定額で買い取らせていただきました。二度にわたりお呼びいただき、有難うございました。温かいコーヒーをいただき、ご馳走様でした。
帰りに柏市内にある「夢庵」さんへ寄り、食事をしました。わたしは秋限定メニュー「牡蠣の味わい味噌鍋膳」をいただきました。大好物の牡蠣の季節、今年もたくさん牡蠣をいただきます!

柴田祐作(しばたゆうさく)
大正14年 千葉県佐原市に生まれる
昭和21年 小堀進先生に師事 白日展初出品
昭和22年 水彩連盟展初出品
昭和24年 白日展奨励賞受賞 日展初入選
昭和25年 白日会準会員
昭和26年 水彩連盟会友奨励賞受賞
昭和27年 日展入選(以後連続入選)
昭和28年 水彩連盟準会員
昭和29年 白日会会員
昭和30年 日展岡田賞受賞
昭和33年 水彩連盟会員
昭和40年 日展特選受賞
昭和48年 白日展中沢賞受賞
昭和62年 水彩連盟退会
昭和63年 日展審査員
平成元年 日展会員
平成 7年 日展審査員
平成11年 日展会員賞受賞
平成12年 日展審査員
平成15年 日展文部科学大臣賞受賞
平成17年 日展審査員

萄雅彦(どうまさひこ)1930~2010年
1930年 東京都青山に生まれる。
1960年 レリーフ創作に入る。
1975年 木版画創作に入る。
1976年 渡欧。
1977年 新日本美術院展特賞受賞。
1981年 日仏現代美術展入選、 パリ、グランパレ国立美術館出品。
1982年 個展開催、  国際アジア現代美術展版画部入賞、  国際芸術文化振興会、会長賞受賞、  亜細亜美術展海外選抜賞。
1983年 スペイン美術賞展トリエンナーレ入選、 パリ・サロン・ド・メ選考委員会賞。
1984年 オーストラリア美術展最優秀賞受賞。
1985年 パリインターナショナルサロン招待出品。  講談社より萄雅彦版画集出版。
1986年 東京大学に作品収蔵(版画・レリーフ) モントリオール日本芸術祭参加、 カナダ首相ブライアン・マローニ功労賞受賞。
1987年 サロン・インターナショナル・ド・パリ  グランプリ受賞。
≪作品収蔵≫
スペイン近代美術館、 クイーンズランド芸術大学、東京大学など。

神奈川県横浜市港南区にて、野間仁根の油彩画「龍宮城」の出張買取。

 

神奈川県横浜市港南区にて、野間仁根の油彩画「龍宮城」(8号)をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、野間仁根の油彩画「龍宮城」や絵画数点。まとめてご売却いただきました。他社で査定をしたところ、査定額がご希望額に届かず、当社に任されました。野間仁根は当社で買い取りを強化している作家さんですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。お喜びいただけて良かったです。野間仁根(のまひとね)は、愛媛県生まれの洋画家。本作のように鮮やかな色彩と骨太な筆触で、ユーモラスで幻想的な独特の画風を展開されました。「風景を描くなら故郷を描け」といったように晩年は瀬戸内海を題材にした生命力あふれる作品を数多く残されました。本日は大変良い作品をお売りいただき有難うございました。
本日は横浜で中国オークションが開催されており、たくさんの骨董屋仲間が全国から集まっておりました。わたしも横浜での出張買取でしたので、仲間たちと中華街で合流しました。京華楼というお店へ行き、中華料理をいただきました。大阪の古美術商の先輩にご馳走していただけるとのことで、四川風の麻婆豆腐や上海蟹など食べさせていただきました。美味しい食事、ご馳走様でした!

野間仁根(のまひとね)
1901年 愛媛県に生まれる。
1923年 伊藤廉らと童顔社結成。
1924年 中央美術展、光風会展などに出品。第11回二科展に初入選。
1925年 東京美術学校卒業。
1928年 柘榴社入会。第15回二科展で「夜の床」が樗牛賞受賞。
1929年 第16回二科展で「The Full Moon」が二科賞受賞。
1933年 二科会会員となる。
1952年 日展改組に審査員として参加。
1955年 一陽会結成に会員として参加。
1967年 田崎広助、鈴木信太郎と三人展開催。
1979年 死去。享年78歳。

東京都八王子市にて中島裕子の油彩画「碧い夢」、茶道具。

東京都八王子市にて中島裕子の油彩画「碧い夢」、茶道具をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは絵画や茶道具など。絵画は中島裕子の油彩画の他、美人画など。女性を描いた絵画が多数あり、お引越しで不要となった絵画を数点お売りいただきました。中島裕子は、1944年、京都府舞鶴市生まれの画家。東京女子美術大学(短期)を卒業後、1967年に第52回二科展に初入選し、以降連続入選しております。1970年には第55回二科展デンマーク賞を受賞され、その後渡仏しました。帰国後、1973年に二科会会友に推挙され、1996年には会を離れました。独特の色遣いで女性を表現し、女性の気高さ、美しさを描かれている人気作家です。お売りいただいた作品は、会友時代に描かれた作品でございます。茶道具はお稽古用でしたが、茶碗や水指、棗などまとめてお売りいただきました。お引越しで泣く泣くのご処分とのこと、大切に次へと繋げさせていただきます。
帰りに、八王子市にあるカレーそば専門店「大河」さんへ寄りました。出汁がしっかり効いたカレーつゆがそばにしっかり絡みつく、少しスパイシーなカレーそば、とても美味しかったです。

東京都杉並区成田東にて、棟方志功の書「花深処」、日本画など。

 

東京都杉並区成田東にて、棟方志功の書「花深処」、日本画などをお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。
本日お売りいただいたお品は青森出身の人気版画家「棟方志功(むなかたしこう)」の三字書などの掛軸、日本画など。棟方志功の書には「花深処(はなふかきところ)」とあります。志向が好んで用いた言葉に花深処無行跡(はなふかきところぎょうせきなし)がありますが、こちらの三文字をとったものとなります。花深処無行跡とは自分がどんなに偉い人であろうと、金持ちであろうと、この大自然の中では、私たちは皆とても小さく、私たちの足跡などすぐに消されてしまうもの。という意。志功作品には「花深処」のつく作品が数多く残されております。
棟方志功は、版画作品が有名でですが、書、油絵、倭画、詩歌など版画以外にも多くの傑作を残しております。棟方志功は、ゴッホの作品に衝撃を受けて「わだばゴッホになる」と本格的に画家を志したと言われています。極度の近眼が原因となり、遠近感の表現や描写に悩まされ、版画の道へといきました。眼鏡が板につくほどの距離に顔を近づけての制作⾵景は有名であります。棟⽅志功は、板の声を聞き板の⽣命を彫り起こすという意味を込めて⾃⾝の版画を「板画」と称しました。また、中国の古法で和紙の裏から⾊付けする、裏彩⾊の技法も取り⼊れました。
六角堂では、棟方志功の作品を買取強化しています。版画・倭画・書を問わず、お持ちの志功作品の価値が知りたい・ご売却をお考えの際は是非六角堂へご相談ください。詳しいスタッフがお伺いし、丁寧に査定させていただきます。
本日はお父様の大切なお形見、当社にお売りいただきありがとうございました。大切に次へと橋渡しさせていただきます。
帰りに高円寺駅にある中華食堂一番館さんへ行き、スタミナとんこつに麻婆丼のセットをいただきました。こちらはとてもリーズナブルで美味しく、大好きなお店です。駅周辺の駐車場代が高いのが少し残念。

棟方志功(むなかたしこう)
1903年 青森県青森市の刀鍛冶職人である棟方幸吉とさだの三男として生まれる。
1924年 東京へ上京。
1928年 第9回帝展で出品した「雑園」(油絵)が入選。
1930年 文化学院で美術教師を務める。
1932年 日本版画協会会員となる。
1936年 柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎ら民芸運動の人々と交流する。
1938年 第2回新文展で特選。
1941年 第5回佐分賞受賞。
1945年 戦時疎開のため富山県に移住。
1952年 第2回ルガノ〈白と黒〉国際展で受賞。
1956年 ヴェネツィア・ビエンナーレの版画部門で日本人として初の国際版画大賞を受賞。
1960年 アメリカ各地で個展を開催。
1969年 青森市から初代名誉市民賞を授与する。
1970年 文化勲章受賞。
1975年 9月13日、肝臓癌のため逝去。享年72歳。青森市に棟方志功記念館が開館。

茨城県那珂郡東海村にて、掛軸、まくり、印材、壷などの買取。

     

茨城県那珂郡東海村にて、掛軸、まくり、印材、壷などをお売りいただきました。

以前掛軸などの買取でお呼びいただいたお客様から蔵からまた掛軸が出てきたとご連絡いただき、東海村まで再度出張買取へ伺いました。遠距離出張の為、今回もまた水戸駅のビジネスホテルで宿泊し、本日お邪魔させていただきました。本日お売りいただいたお品は、掛け軸や中国のまくり、印材や硯などの書道具、海鼠釉の壺など。掛け軸の中には、松林桂月の扇面山水図などもございました。印材は寿山石、鶏血石、水晶、竹根のものなどございましたが、こちらは次の世代に大切に繋げていかれるとのことでした。時代ある良い印材ですので、大切にされてください。今回もまたお菓子のお土産をご用意していただきました。いつもお気遣いくださり有難うございます。また何か出たときにはお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。
画像は、夜の水戸駅、水戸駅そばにある「わさびの花」さんで食事をしました。かつおの塩たたきがとても美味しかったです。水戸といえば納豆、納豆三種盛、納豆の磯部揚げ、締めには納豆の味噌汁をいただきました。納豆は大好きなので毎日のようにいただいてますが、水戸で食べる納豆は格別美味しかったです。朝の水戸駅はビジネスホテルから撮影しました。買い取りの後に東海村のコンビニへ寄ると道端でカブトムシがひっくり返っておりました。足の関節が一つ折れてしまっており、暑さで死んでしまうと心配していたら、N尾氏が子供たちにプレゼントするというので保護しました。バナナを食べさせたらすぐに元気になりました。前回寄った「なか食堂」さんに今回もよりました。サバの味噌煮定食にサンマの蒲焼、とっても美味しかったです。