東京都文京区にて、長岡空味の楽山焼茶碗、須田菁華の呉州赤絵赤玉馬上盃など茶道具一式。

 

東京都文京区千石にて、長岡住右衛門九代長岡空味の楽山焼茶碗、三代須田菁華の呉州赤絵赤玉馬上盃など茶道具一式をお売りいただきました。

断捨離との事でお呼びいただきました。十年以上前に茶道をやめてしまい、長い間しまったままにされていたお茶道具を一式出していただきました。茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、茶杓、鉄瓶、茶棚、炉縁などのお茶道具を一式お売りいただきました。お茶道具は当社で最も得意としている取り扱い商品ですので、一点一点丁寧に説明させていただきお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。長岡空味は、7代長岡空入の子で通称を国といい、楽山焼の九代目となりました。空味はたまたま茶道の復興の時期に遭遇し、大正6年に催された松平不昧公百年祭に公開された茶道名器にふれて刺激を受け、これを機に茶趣が加わり名工と称賛されました。須田青華は北大路魯山人とも造詣が深い九谷焼の名門。こちらは三代の作品となります。良い時代のお茶道具、まとめてお売りいただきありがとうございました。
今日は骨董屋の先輩が近くへ買い取りに来ていると連絡をいただき、わたしの大好きな「とんでん」さんで合流しました。先輩の奢りという事でしたので、贅沢にうな重をいただいてしまいました。久々の鰻にいわしの骨せんべい、とっても美味しかったです。ご馳走様でした!

9代 長岡空味(ながおかくうみ) 1874(明治7)年~1960(昭和35)年
1716年頃、松江藩主松平不昧候が同地の焼き物であった楽山焼(4代加田半六の頃)廃絶の危機に対し、
布志名焼陶工であった住右衛門を招いて5代楽山焼窯主として再興を模索したのが始まりといわれております。
以降長岡住右衛門を継承して代々松江藩の御庭焼として制作を続けている陶家で楽山焼の9代目、長岡住右衛門としては5代目となる。
現在は代数の多い9代長岡住右衛門と称す方が通例となっております。

9代長岡空味は9代坂高麗左衛門に師事しました。
1917(大正6)年、不昧公百年祭に公開された茶器名品に刺激されて茶趣がより加わりました。
楽山焼を後世に残した業績は多大で名工の誉が高いです。
藩窯の流れを汲む事から御用窯としての格式を重んじて品位を重視し、
楽山焼の窯場に松平不昧と千利休の坐像を残しました。

須田菁華(すだ せいか)
初代 須田菁華  (1862~1927)は、文久2年(1862)金沢の商家に生まれる。初名与三郎。
明治13年(1880)石川県勧業試験場陶画部を卒業し、京都に出て製陶を研究する。
明治16年(1883)九谷陶器会社に入社。
明治18年(1885)画工長となる。
明治24年    山代温泉に錦窯を築く。
明治39年(1906)自家専用の登窯「菁華窯」を築く。
染付・祥瑞・安南・伊賀・万暦・古赤絵・古九谷などの彷古品に妙技を振るう。
大正4年(1915) 北大路魯山人(当時福田大観)が訪れ魯山人に陶芸の手ほどきをする。
江沼郡九谷陶器同業組合長。
昭和2年(1927) 没。
二代 菁華    明治25年(1892)~昭和46年(1971)初代菁華の子。本名吉次。
三代 菁華    大正5年(1916)~昭和56年(1981)
四代 菁華    昭和15年(1940)~ 三代菁華の子。
金沢美術工芸大学洋画科卒業後、家業を継承するべく父、祖父に就いて陶法を修行。
昭和56年(1981)三代菁華の死去に伴い、四代を襲名。