東京都目黒区東山にて、日本画家麻田辨自の扇面画「紫」、陽光刻唐銅鍾馗図鍔。

 

東京都目黒区東山にて、総桐箪笥、日本画家麻田辨自の扇面画「紫」、陽光刻唐銅製金銀銅象嵌鍾馗図鍔をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、総桐箪笥、日本画家麻田辨自の扇面画「紫」、陽光刻唐銅製金銀銅象嵌鍾馗図の鍔(つば)など。お引越し先のマンションが洋室しかないので、和のものを処分されたいとのことでお売りいただきました。麻田辨自の扇面画はタトウ箱の欠品、額に痛みなどがありましたが、作品自体は状態も良く、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。鍔は近代造られたもので、陽光刻と銘がございます。金銀銅の象嵌の入った鍾馗が餓鬼を捕まえる姿はとても迫力がございます。良いお品をお売りいただき有難うございました。
本日も昨日に続き、志木市場の仲間たちと食事をすることとなりました。T橋社長の勧めで、高円寺駅にある「山内牧場」さんへ行きました。しゃぶしゃぶ食べ放題のお店ですが、サラダやカレー、牛丼、らーめんなど種類がとても豊富です。デザートもたくさんございました。もつ鍋とさつまいもがとても美味しく、何度もお代わりしてしまいました。T橋社長、昨日に続き本日もご馳走様でした。引き続きまたよろしくお願い致しまーす!

麻田辨自(あさだべんじ)1900(明治33)年12月14日~1984(昭和59)年10月29日
明治から昭和時代に活躍した日本の日本画家・版画家。
京都府船井郡富本村で父・中西栄治と母・ふじの子として生まれる。旧姓は中西。本名辨次。
上村松園の弟子であった麻田鶴と結婚後、麻田を名乗る。長男は日本画家の麻田鷹司、次男は洋画家の麻田浩。
1900(明治33)年 京都府で生まれる
1914(大正3)年 京都市立美術工芸学校 入学
1921(大正10)年 京都市立美術工芸学校 卒業
第3回帝展に「洋犬哺乳」を出品 初入選
1924(大正13)年 京都市立絵画専門学校卒業 研究科に進級
1927(昭和2)年 麻田ツルと結婚 麻田姓を名乗る
1929(昭和4)年 西村五雲に師事
浅野竹二や徳力富吉郎らと共に京都創作版画協会の結成
1933(昭和8)年 武田新太郎らと雑誌『黄楊』を発刊
1938(昭和13)年 山口華楊らと晨鳥社を創設
1946(昭和21)年 第2回日展に「馬」を出品 入選
1950(昭和25)年 第6回日展に「樹蔭」を出品 特選を受賞
1952(昭和27)年 第8回日展に「群棲」を出品 特選・白寿賞を受賞
1958(昭和33)年 日展評議員
1959(昭和34)年 第2回新日展に「風霜」を出品 文部大臣賞受賞
1965(昭和40)年 第21回日本芸術院賞 受賞
1972(昭和47)年 日展理事
1974(昭和49)年 京都市文化功労者
1975(昭和50)年 京都府美術功労者
1977(昭和52)年 日展参与 晨鳥社顧問
1980(昭和55)年 日展参事
1984(昭和59)年 肝不全のため逝去