東京都世田谷区玉川にて、仙台箪笥、館林源右衛門窯の陶器、岡本太郎太陽の塔の置物。

東京都世田谷区玉川にて、仙台箪笥、館林源右衛門窯の陶器、岡本太郎太陽の塔の置物をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは、仙台箪笥や岡本太郎太陽の塔の置物、贈答品など。贈答品の中には、館林源右衛門窯の花瓶、皿、碗皿、銘々皿、飯碗など、今泉今右衛門窯の陶器など、一点一点買取出来るものも多くございました。源右衛門窯は、260年余の歴史を持つ名窯で、柿右衛門窯、今右衛門窯と並ぶ有田の三右衛門の1つであります。現在も往古のままの手技(てわざ)と、古伊万里のこころを受け継いでおります。六角堂では、源右衛門窯、柿右衛門窯、今右衛門窯の三右衛門作品を強化買取りしてます。岡本太郎太陽の塔の置物は、三菱電機のテレビ「高雄」の景品で関西地区限定のキャンペーンで40000個作られたもののようです。太陽の塔は、芸術家の岡本太郎が制作した芸術作品であり建造物。岡本太郎の代表作として同時期に制作された『明日の神話』とで双璧をなしております。1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO’70・大阪万博)のテーマ館の一部として建造され、万博終了後も引き続き万博記念公園に残されております。近日また、積み残した唐木家具や絵画などの買取でお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日はたくさんのお品をお売りいただき有難うございました。
帰宅後、神奈川県で骨董屋さんをされている先輩から連絡があり、東京へ来ているから食事をしようとご連絡いただいたので、池袋で合流させていただきました。池袋駅西口にある「個室居酒屋にっぽん市」さんへ行き、先輩の奢りで贅沢させていただきました。生牡蠣や刺身、肉まぶし丼などをいただきました。肉まぶしは肉にウニやいくらとなんとも贅沢な組み合わせで、とても美味しかったです。贅沢させていただき有難うございました!

岡本太郎(おかもとたろう)1911~1996
1911年 漫画家岡本一平、小説家かの子の長男として東京に生まれる。
1929年 慶應義塾を卒業。東京美術学校洋画科に入学するも半年で中退。父のロンドン軍縮会議取材に伴い渡欧。
1930年 ソルボンヌ大学哲学科で哲学、心理学、民俗学を学ぶ。
1940年 パリ陥落に伴い帰国。
1942年 召集され、中国にて軍隊生活を送る。
1946年 東京都世田谷区上野毛にアトリエを構える。
1948年 花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」結成。
1954年 青山にアトリエを移し「現代芸術研究所」を設立。「今日の芸術」刊行。
1970年 大阪万国博覧会のシンボル「太陽の塔」制作。
1996年 東京で逝去。享年84歳。
1999年 川崎市岡本太郎美術館開館。