月別アーカイブ: 2018年2月

埼玉県和光市にて、高田博厚のパステル画「裸婦」、ブロンズ像の買取り。

埼玉県和光市にて、高田博厚のパステル画「裸婦」、ブロンズ像をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お父様が大事にされていた絵画やブロンズ像を買い取らせていただきました。絵画は高田博厚のパステル画。高田博厚(たかだひろあつ)は1900年生まれの日本の彫刻家、思想家、文筆家です。少年時代から文学や芸術に目覚め、18歳で上京し彫刻や翻訳に従事しました。31歳でフランスに渡ると、作家のロマン・ロナン、哲学者のアラン、画家のジョルジュ・ルオーなどを始めとするヨーロッパの優れた知識階層と交流を重ねました。戦後もフランスにとどまり、彫刻家としての創作活動などを行います。帰国後は東京にアトリエを構えて制作を再開しました。写実にもとづく知的な作風の作品は今でも人気があります。ブロンズ像は人気の裸婦像、残念ながら作者は不詳でした。良いものをお売りいただきありがとうございました。お父様の思い出のお品、大切に次へと残していきたいと思います。帰りに市場へ寄ると、仲間たちがちょうど荷物を入れておりましたので、みんなで「とんでん」さんへと行きました。画像のあんこうの唐揚げ、白子の天ぷらは季節限定メニューですが、とっても美味しかったです。明日は仲間の倉庫作業を手伝うため、出張買取はお休みいただきます。
六角堂では「高田博厚」の作品を探しております。
ご所蔵の作品(版画、肉筆画、彫刻、ブロンズ像など)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取させていただきます。
高田博厚作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

高田博厚(たかだひろあつ)
1900年 石川県で生まれる
1912年 父の蔵書を読み、ロマン・ロナンの「ジャン・クリストフ」に感化される。当時12歳。
1918年 東京外国語学校イタリア語科に入学する
1921年 落第し退学 沢田庚子生と結婚する
1922年 コンディヴィの『ミケランジェロ伝』の翻訳を行う
1928年 当時非合法の共産党員をかくまい、警察に留置される
1931年 妻と子供を残して渡仏。
1937年 在欧日本人向けに、謄写版刷りの日刊『日仏通信』を始める
1938年 パリ日本美術家協会を設立
1940年 毎日新聞の特派員になる
1944年 駐独大使大島浩の命令で、在仏日本人とともにベルリンへ移される
1945年 ドイツ降伏後ソビエト軍に保護される
1948年 カンヌ国際映画祭日本代表をつとめる
1949年 読売新聞嘱託となる
1957年 帰国して東京へ住む
1966年 鎌倉市稲村ヶ崎にアトリエを建てる。大野常と再婚
1978年 逝去。(86歳)

東京都墨田区太平にて、桐箪笥、花梨の違い棚、火鉢、水月焼の花瓶。

東京都墨田区太平にて、桐箪笥、花梨の違い棚、火鉢、水月焼天神蟹彫の花瓶をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理にてお呼びいただきました。画像の水月焼は生き生きとした蟹の彫り細工が細密で、時代を超えて愛されています。隙間に隠れている蟹の姿がとても可愛らしいですね。他にも時代和家具などをお売りいただきました。お忙しい中、当社のご指名ありがとうございました。帰りに、先日墨田区へ買い取りへ来た時に寄った「ペッパーランチ 吾妻橋店」へ寄りました。先日十何年ぶりに食べた味が忘れられず、またまた来てしまいました。今回もまた「ビーフペッパーライス」をいただきました。ランチタイムでしたので、サラダとお味噌汁のセットが付いてました。この味噌汁がまた美味しくて、おかわりをしてしまいました。熱々の鉄板の上で、ビーフとライスとソースを掻き混ぜていただく「ビーフペッパーライス」、たまらなく美味しいです。また絶対に寄りたいと思います。今日もまた、スカイツリーを眺めて帰省しました。

水月焼(すいげつやき)水月の名は松山城の堀に映る月影に得たと云われております。
創始者好川恒方は明治16年5月6日、伊予松山の通町、狩野派の画家好川馬骨(号)の長男として出生、幼少より画道に精進しておりましたが、陶芸にも深い愛着を持っていました。二十才の頃、松山の西郊衣山に良質の陶土を発見し「絵を立体的に表現したい」と本格的に庭へ窯を造り、趣味の窯水月焼を創始しました。当時公開されなかった釉薬の秘密を独自の力で研究し、あらゆる辛酸をなめつつ独特の色を焼きつけるのに長の年月を要しました。然して水月焼の生き生きとしたカニを発表したのは大正10年頃のこと、庭内にハサミと甲羅の赤い天神蟹を飼って生態観察研究の後、この作品を完成させました。また常々彫塑の研究に情熱をたぎらせた結果、さらに観音、不動、羅漢などの仏像。寒山拾得、ガマ仙人などの人物をはじめ、動植物など種々の対象と取り組み、その卓越した技法と芸域は数多くの名陶を生むに至りました。殊に、壷や渇呑に見る山水には樹木、谷川、そま道を深く彫り込み、深山幽谷を偲ばせる作品は「全く他の追随を許さぬものがある」″水月焼″それは絵と彫刻と焼物の三位一体のものであると云えます。今日まで師事することなく、感覚のままに土を練り、形態を作り、色彩を出して独創の境地を進んで来たのであります。故にその作品には独特の香気と味わいがあり、人の心を魅了するものがあるのは当然のことと思われます。明治、大正、昭和の三代に亙り七十有余年、只ひたすら斯道に精進し、昭和53年8月16日、95才と3ヶ月の天寿を全うしました。恒方亡き後、恒方の唯一の弟子として、又晩年の伴侶として十年間恒方と起居を共にしつつ、手をとって朝に夕に教え込まれた恒悦が二代を継承しました。一つひとつ真心こめて丹念に良いものをつくるという初代恒方の意志、ゆき方を尊重しつつ懸命に水月焼と取組んで作品を造ってきたが、老齢により釜は閉釜しました。現在は下所にて作品の展示・販売を続けております。

東京都港区三田にて、人間国宝森口華弘の付け下げ、訪問着、上布の単衣、帯など。

東京都港区三田にて、人間国宝森口華弘の付け下げ、訪問着、上布の単衣、帯などのお着物をお売りいただきました。

本日は二件の出張。一件目は、港区白金へ、黒柿の水屋箪笥、絵画の見積もりへ伺いました。外国人のお客様でしたが、日本のものがお好きなお客様で、和家具や竹久夢二の版画など日本のものを大切にしていらしてました。古き良き日本の家具、伝統工芸品などが多くございました。二件目は、お着物の出張買取で、三田へお呼びいただきました。お着物を一点一点丁寧に査定させていただくと、染織家で友禅染めの重要無形文化財保持者(人間国宝)である森口華弘さんのたたき染め付け下げがございました。森口華弘さんは蒔糊技法を用いた友禅染め作品で知られておりますはね。久々人間国宝のお着物に出会えました。残念ながら、所々にシミ汚れが付いてしまってましたが、当社の強化買取り作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。他にも上布の単衣、訪問着、袋帯、和装小物などまとめて買い受けました。さすが港区ですね、良い作品がたくさん眠っております。お客様の思い出のお着物、大切に次へと繋げさせていただきます。この度は当社のご指名ありがとうございました。
倉庫へと戻る途中、埼玉県戸田市にある「らあめん花月嵐」へと寄りました。本日は期間限定メニューの薬膳火鍋ラーメン天紅、豚めしをいただきました。薬膳火鍋ラーメン天紅はたくさんの香辛料が入っておりますので、滋味豊富な味わいが特徴です。刺激的な辛さが美味しく、かつ元気になれますね。こちらでは色々な期間限定メニューが出ますので、毎回楽しみにしております。

六角堂では、人間国宝の着物作家作品を探しております。
森口華弘、小宮康孝、稲垣稔次郎、千葉あやの、芹沢銈介、森口邦彦、鈴田滋人、鎌倉芳太郎、志村ふくみ、羽田登喜男、二塚長生、玉那覇有公、宮平初子、北村武資、木村雨山、久保田一竹、小川規三郎、小川善三郎、上野為二、小宮康助、児玉博、古賀フミ、佐々木苑子、清水幸太郎、城ノ口みゑ、芹沢銈介、平良敏子、田島比呂子、中村勝馬、南部芳松、深見重助、福田喜重、松原定吉、宗廣力三、森口邦彦、山田栄一、山田貢、与那嶺貞、六谷梅軒、由水十久
以上の作家作品がございましたら、六角堂をご指名ください。高額査定で買い受けます。

森口華弘(もりぐち かこう)1909年(明治42)~2008年(平成20)
滋賀県守山市出身。本名は平七郎。号は華弘。
1924年より京友禅師中川華邨に師事。四条派画家疋田芳沼に日本画を学び、1939年に独立。
蒔絵技法のひとつ梨子地と伝統の染め技法である撒糊を組み合わせた独自の技法により創作的な技術を完成させる。
1955年、第2回日本伝統工芸展に3作品を初出品しすべてが入選。
その内一点が朝日新聞社賞に選出。翌年第3会展でも文化財保護委員会会長賞を受賞する。
67年には58歳の若さで国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定。
71年に紫綬褒章、80年に勲四等旭日小綬章を受章など日本を代表する友禅師として国内のみならず世界的に高い評価を得ている。
平成20年2月21日逝去。

東京都練馬区南大泉にて、木彫りの釈迦如来坐像、佐野宏采の菊華香炉。

本日は二件の出張買取。一件目、練馬区南大泉へお荷物整理でお呼びいただきました。画像の木彫り釈迦如来坐像、佐野宏采の菊華香炉の他、家具やオーディオ、贈答品などを買い取らせていただきました。佐野宏采の白銅製香炉は高岡銅器のもの。佐野宏采は昭和19年、高岡市に生まれ、昭和43第15回日本伝統工芸展初入賞。その後昭和45年から日本伝統工芸金工新作展に13回連続入賞という輝かしい実績をあげている金工師です。残念ながら底に記念が入ってしまっておりましたが、細密細工が素晴らしい作品でした。他にもお父様が生前仏像を彫っていらっしゃったようで、大切にされていた彫刻刀をお譲りくださりました。木彫りの仏頭が数点ありましたが、とても立派な作品でした。大事にされていた彫刻刀をはじめ、たくさんお売りいただき有難うございました。ご家族皆様の思い出のお品、大切に次へと繋げさせていただきます。二件目は、目黒区洗足へとお伺いさせていただきました。こちらでは、たくさんのお着物、掛け軸(茶掛け)、盆などを買い取らせていただきました。お着物は、残念がらシミが出てしまっておりましたが、ウールや喪服を含め全て買い取らせていただきました。掛軸は茶掛け、盆は鎌倉彫のもの。お母様が大切にされていたお着物、お道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。この度は当社のご指名ありがとうございました。帰りに洗足駅のそばにある中華料理屋「高楽」さんへと寄りました。地元に根付くアットホームな中華料理屋さんといった感じのお店で、わたしは大好きです。ワンタンメンに餃子をいただきましたが、昔ながらのシンプルなお味で、餃子がとても美味しかったです。また近くへ来た時には寄りたいと思います。

佐野宏采(さのこうさい)
昭和42年 伝統工芸富山展支部賞受賞
昭和43年 日本伝統工芸展初入選 以後28回入選
昭和45年 日本伝統工芸金工展入選 以後13回入選
昭和46年 伝統工芸富山展 北日本新聞社賞受賞
昭和49年 伝統工芸富山展 日本工芸会賞受賞
昭和49年 日本工芸会 正会員認定
平成 4年 日本伝統工芸富山展芳春賞受賞
平成 9年 高岡物産振興協会表彰
平成13年 日本伝統工芸富山展 高岡市長賞受賞
平成17年 伝統工芸高岡銅器振興協同組合表彰
平成18年 伝統工芸富山展 日本伝統工芸会賞受賞
平成22年 高岡市民功労者賞受賞

東京都台東区竜泉にて、時代五月人形、お着物、お茶道具。

本日は、三件の出張買取。一件目は、業者様のご紹介で、文京区小石川へ遺品整理でお呼びいただきました。時代桐箪笥、お着物、勲章、メダルなどを買い取らせていただきました。お母様が大事にされていたものとのこと、大事に次へと橋渡しさせていただきます。二件目は、台東区竜泉へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、画像の時代五月人形、たくさんのお着物、お稽古用のお茶道具一式を買い受けせていただきました。お人形は、昭和初期頃のものかと思われます。大変良いお顔のお人形さんたち、きっと次の方にも大事にしていただけるかと思います。シミ汚れがたくさん出てしまっておりましたが、お着物も全て買い取らせていただきました。全て、大切に次へと繋げさせていただきます。三件目は、台東区西浅草へ、振袖のお見積りへと伺いました。時間調整をしていただき有難うございました。帰りに、台東区西浅草にある「じゃん腹」さんへと寄りました。懐かしい食堂のような雰囲気で、落ち着いてゆっくりできる居心地の良いお店でした。ランチタイムだったようで、ご飯と、餃子、高菜がサービスで付いておりました。このサービスがとても美味しかったです。高菜に挽き肉、とっても合うんですね。また寄りたいと思います。今日もまた、スカイツリーを眺めて帰宅しました。
ただいま古い人形・彫刻作品を探しております。木彫、ブロンズ像、日本人形、御所人形、市松人形、抱き人形、鳴き人形、三つ折人形、はいはい人形、木目込人形、能人形、土人形、紙塑人形、桐塑人形、生き人形、鎧兜、甲冑、こけしなどの民芸人形、創作人形、西洋人形、ビスクドールなどがございましたら六角堂をご指名ください。堀 柳女、平田郷陽、野口園生、秋山信子、鹿児島寿蔵など人気作家の日本人形やジュモー・ゴーティエ(ゴーチェ)・ブリュ・ステネール(スタイナー)・シュミット・ユレ・バロア・A.テュイエ・A.マルク・ケストナー・シモン&ハルビック・シアーエレガンス・カマー&ラインハルト・ホイバッハ・アーモンド マルセル・S.F.B.J.・モリムラドールなどのビスクドールを強化買取りしております。古くて痛みや汚れのあるお人形でも、お気軽にお問い合わせください。お待ちしております。

東京都東久留米市にて、軽井沢彫りの飾り棚、お茶道具など。

 

東京都東久留米市にて、軽井沢彫りの飾り棚、お茶道具などをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。画像の軽井沢彫りの違い棚、お稽古用のお茶道具一式、贈答品などを買い取らせていただきました。軽井沢彫り違い棚は、前面に痛みがございましたが、六角堂で買い取りを強化をしている家具ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。お母様が大事にされていた家具とのこと、大切に次へと繋げさせていただきます。良いお品をお売りいただき有難うございました。倉庫に戻る途中、所沢市にある「蔵出味噌 麺場 壱歩」、さんへと寄りました。こちらは私が良く行くお店「田所商店」さんの系列店で、前からずっと行きたかったお店です。メニューを見るとほぼ田所商店さんと一緒です。近所に大好きなお店が出来てとても嬉しいです。今日は北海道味噌の辛味噌野菜ラーメンをいただきました。やはりここの味噌は美味しいです。また寄りたいと思います。
軽井沢彫り家具は別荘に居住する外国人向けに製作された彫刻家具。別荘が多くなるにつれ、別荘用の家具の需要も急増しました。当時の欧米人たちは、木彫り細工の装飾がほどこされた家具を好みました。そこで、その頃日本で最も華麗な木彫細工の1つを作っていた日光の木彫り職人たちが軽井沢に呼ばれ、欧米人の別荘のために製作した家具が、現在の軽井沢彫の原型です。当初の図柄は松や竹、梅、牡丹、菖蒲、菊などでしたが、欧米人の要望により桜の木や花、葡萄がモチーフに制作されるようになりました。現在では、桜の模様が人気です。長野県知事指定伝統工芸品の指定を受け、代々引き継がれています。今回お売りいただいたお品のように、軽井沢彫りは仕上げの「星打ち」が特徴の一つです。 絵柄の背景に細かい点模様をほどこして絵柄をより際立たせます。 ひっかきや星打ちによって、可憐な花々を表現していきます。 花びらの一つひとつが繊細な彫りで表現されるところが、軽井沢彫りの最大の魅力です。当社では、軽井沢彫りをはじめ、日光彫り、鎌倉彫りのたんすや家具、製品を買受けしております。軽井沢彫り製品の買い取りは東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。何かございましたら、六角堂までお問い合わせください。

本日はお休みをいただきました。

本日はお休みさせていただきました。連日の出張買取で、疲れがたまっていたため、買い取り日程の調整をさせていただきお休みをいただきました。相当疲れていたのか、お昼過ぎまで寝てしまっておりました。明日からも出張買取が続きますので、夕方倉庫へと行き、荷物の整理やトラックの掃除などをしました。夕食は家族で近所の「徳樹庵」さんへと行き、大好物のもつ鍋をいただきました。二人前から注文できるとの事でしたので、二人前を注文。もちろん一人で食べてしまいました。更にトッピングで中華麺をいただき、汁まで全て完食。もつ鍋美味しいですね。栄養満点、たくさんパワー充電出来ました。明日は東京都東久留米市へ和家具の買い取り、またしばらくの間出張続きになりますが、頑張ります!

東京都北区赤羽西にて、古書、いわさきちひろのリトグラフ「赤い毛糸帽の少女」。

東京都北区赤羽西にて、古書、いわさきちひろのリトグラフ「赤い毛糸帽の少女」をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理にてお呼びいただきました。いわさきちひろの木版画は所々シミ、額に痛みがございましたが、当社の強化買取り作品でしたのでお客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。いわさきちひろと言えば、誰もが一度は目にしたことのある、水彩画の柔らかい色使いと可愛らしい子どもの絵を描かれる画家。有名な「窓際のトットちゃん」という絵本を描かれた画家さんです。きっと小さいころに一度は読まれているのではないでしょうか。彼女の作品は、常に「子どもの幸せと平和」をテーマとされました。お母様の思い出の作品とのこと、大切に次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、当社のご指名有難うございました。
倉庫へ戻る途中、板橋区高島平にある「とんこつらーめん 無極」さんへと寄りました。定食や居酒屋メニューもある豚骨らーめんのようで、私は辛ネギらーめんをいただきました。細麺にしてほしいという無茶な注文にも答えてくれて、とても気持ちの良い店員さんでした。とんこつのしっかりとしたスープに辛ネギがとても美味しかったです。意外な場所で穴場を発見、また寄りたいと思います。明日は一日お休みをいただきます。明後日より13日までの間、出張買取が続きます。ゆっくりと体を温めます。
六角堂では「いわさきちひろ」の作品を探しております。
ご所蔵の作品(版画、肉筆画も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取させていただきます。
いわさきちひろ作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!

いわさきちひろ 1918~1974
三人姉妹の長女として生まれ、子どもをテーマにたくさんの作品を残す。
明るく淡い透明な水彩画で、赤ちゃんや子どもたちの、色々な表情を生き生きと描き続けた。
子供の発達段階を、数ヵ月の単位で、描き分けることができる観察力と表現力を有していました。たっぷりと水分を含ませて描く、透明感のある独特の画風が印象的な作品です。
1918 12月15日、福井県武生市に生まれ。翌年、東京に移る。本名、松本知弘(旧姓、岩崎)。
1933 岡田三郎助に師事、デッサン・油絵の勉強をはじめる。
1936 朱葉会女子洋画展に入選。
1937 小田周洋に師事、藤原行成流の書を習いはじめる。
1942 中谷泰に師事、再び油絵を描きはじめる。
1946 日本共産党に入党、人民新聞の記者となる。日本共産党宣伝部・芸術学校に入る。赤松俊子(丸木俊)に師事。
1948 新聞のカット・挿絵、絵雑誌、教科書の仕事の多く手掛ける。
1949 紙芝居「お母さんの話」を出版し、翌年、文部大臣賞を受賞。
1956 小学館児童文化賞を受賞。
1960 「あいうえおのほん」を描き、翌年、サンケイ児童出版文化賞を受賞。
1964 安泰、遠藤てるよ、久米宏一、滝平二郎、東本つね、箕田源二郎らと「童画ぐるーぷ車」を結成。
1971 「ことりのくるひ」を描き、73年、ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞を受賞。
1974 8月8日、肝臓ガンのため逝去、享年55歳。没後、『戦火のなかの子どもたち』で、ライプツィヒ国際書籍展銅賞を受賞する。