月別アーカイブ: 2017年7月

東京都世田谷区三宿にて、和箪笥、掛け軸などの骨董品、煎茶道具、純銀製急須。

東京都世田谷区三宿にて、和たんす、掛け軸などの骨董品、煎茶道具、純銀製急須をお譲りいただきました。

いつもお世話になっている不動産屋さんのご紹介で遺品整理とのことでお伺いしました。即日のご依頼でしたが、お客様に訪問時間を調整していただきましたおかげで、ご要望にお応えすることが出来ました。銀製品は当社で買い取りを強化しておりますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。このたびは当社をご用命いただきありがとうございました。即日のご依頼の場合でも、近くを回っている時にはすぐにお伺いすることも可能です。急な出張見積もりの場合でも、一度お問い合わせください。東京都内に限らず、関東県内であればすぐ側にいるかもしれません。

六角堂では、純銀・銀製品の茶道具(銀瓶・棗・急須・茶托・茶釜)を高価買い取り致します。
価値ある銀製茶道具、銀細工置物、銀食器などを潰し価格で処分するのは、非常に惜しいです。銀瓶などを潰し価格で買取る業者が多く見られますが、当社は潰しではなく商品としての適正価格にて高価買取致しますので、是非六角堂へご相談ください。霰打ち銀瓶、鳳凰口銀瓶、鉄砲口銀瓶、宝珠形銀瓶、南瓜形銀瓶、翡翠摘み銀瓶、鎚目銀瓶、秦蔵六、中川浄益、石黒光南、名越弥五郎、木村清雲、北村静香、一鶴斎、尚美堂などの銀瓶は高価買い取りいたします!また、鉄瓶も強化買取中ですので、あわせてお問い合わせください。内容や量にもよりますが、銀瓶などの骨董品類の買取に関しては、全国出張します。もちろん出張料、査定料は無料で行っておりますので、お気軽にお問い合わせください。
和家具・古美術・骨董品・茶道具・美術品・古道具・諸道具類のご処分をお考えのお客様は、お気軽に六角堂までご相談くださいませ。

北海道、青森県、岩手県、秋田県、宮城県、山形県、福島県、群馬県、栃木県、茨城県、千葉県、埼玉県、東京都、神奈川県、新潟県、富山県、長野県、山梨県、静岡県、岐阜県、愛知県、三重県、石川県、福井県、滋賀県、奈良県、京都府、大阪府、和歌山県、兵庫県、岡山県、鳥取県、島根県、広島県、山口県、香川県、徳島県、愛媛県、高知県、福岡県、大分県、佐賀県、長崎県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県

世田谷区出張地域は、赤堤 池尻 宇奈根 梅丘 大蔵 大原 岡本 奥沢 尾山台 粕谷 鎌田 上馬 上北沢 上祖師谷 上野毛 上用賀 北烏山 北沢 喜多見 砧 砧公園 給田 経堂 豪徳寺 駒沢 駒沢公園 桜 桜丘 桜新町 桜上水 三軒茶屋 下馬 新町 成城 瀬田 世田谷 祖師谷 太子堂 代沢 代田 玉川 玉川台 玉川田園調布 玉堤 千歳台 弦巻 等々力 中町 野毛 野沢 八幡山 羽根木 東玉川 深沢 船橋 松原 三宿 南烏山 宮坂 用賀 若林

東京都杉並区高井戸東にて、伝統工芸士吉沢昭次作加茂桐箪笥(和たんす)、お着物、茶道具など。

   

東京都杉並区高井戸東にて、伝統工芸士吉沢昭次作加茂総桐箪笥(和たんす)、着物、お茶道具などをお売りいただきました。

知人のリサイクルショップさんのご紹介で、お引越しの荷物整理にてお呼びいただきました。こちらは四方丸の下三大洋和箪笥という最高級に近いタイプもので六角堂でも数多く扱う桐たんすになります。前飾りが漆塗りになっております。多少シミなどございましたが、比較的状態も良く、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。搬出の途中、お客様から冷えたコーラをいただいたり、荷物を運びやすいようにスペースを作っていただいたり、色々お気遣いくださり有難うございました!

出張帰りにいつもお世話になっている中野の画商、T橋社長にデニーズへ連れてってもらいました。空前絶後のパクチーブームですので、新メニューの「パクチーと緑野菜のアジアンハンバーグ」をいただきました。パクチーはクセがありますが、わたしは大好きです。もちろん、「追いパク」しちゃいました。T橋社長、いつもご馳走様です!

六角堂では、桐箪笥の買取りを強化しております。桐タンスには、和たんす(衣装たんす)、洋服たんす、整理たんす(昇りたんす)、小袖たんす、チェストなどがございますが、六角堂では全て買取対象となっております。また、新潟県の加茂桐タンス、埼玉県の春日部桐タンス、愛知県の名古屋桐タンス、大阪府の泉州桐タンス、和歌山県の紀州桐タンスなどのブランド桐タンスを強化買取しております。ブランド桐タンスに関しましては、高価買い受けさせていただきますので、お早めにご相談ください。他にも和家具、民芸家具をはじめ、デザイナーズ家具、各種ブランド家具まで、幅広く買い取りしておりますので、ご売却をお考えの際には、六角堂をご指名ください。

『伝統工芸士』は、経済産業大臣指定伝統的工芸品の製造に直接従事する者を対象に、財団法人伝統的工芸品産業振興協会が実施する伝統工芸士認定試験において、実技試験及び知識試験に合格した者をいい、経済産業大臣認定資格制度により『伝統工芸士』の称号が得られます。受験資格は、伝統的工芸品の製造に現在も直接従事し、12年以上の実務経験年数が必要になります。

『加茂桐箪笥伝統工芸士』(物故作家含む) 田澤謙介 石川鬼千 吉沢昭次 頓所芳男 皆川新司 東樹義明 番場堅介 中山昌二 坪谷哲男 三本和好 山本隆 鈴木浩市 水科政明 皆川繁之 横山松雄 番場堅 大橋勉 金井国男 鈴木進 神保良雄 石井克彦 高橋浩人 高橋聡 高橋研二 野本光男 藤田隆二 坂井昭兵 阿部健 斉藤敬二  江部雅之 大関正 堀正和 小柳幸太郎 小池茂次

千葉県千葉市稲毛区にて、掛け軸、書道具、木彫りの置物、金工師貞石作 古銅製鯉仙人のったり香炉。

千葉県千葉市稲毛区にて、掛軸、書道具、木彫り置物、金工師貞石作 古銅製鯉仙人のったり香炉をお売りいただきました。

遺品整理の買取にてお呼びいただきました。鯉仙人とは、中国、周代の趙(ちょう)の仙人、琴高仙人(きんこう せんにん)を指します。琴の名手で、鯉(こい)を巧みに乗りこなしたという。道家の始祖である涓子と長寿で有名な彭祖の道法を修練し、河北の冀州と涿郡の間を200年以上も遊歴。800年生きたと云われています。ある時「龍の子を捕らえて見せる」と弟子たちに約束して川の中に入り、約束の日に大きな鯉に乗って現れ人々を感嘆させたと伝えられています。故事人物画の画題として知られております。琴高仙人は、絵画や彫刻など、様々な作品に登場してます。雪村周継や尾形光琳の絵画、日光東照宮陽明門の彫り物などがございます。

ただいま六角堂では、金工作家のお品を探しております。
飴谷有珉、石黒光南、初代魚住為楽、内島青鳳、海野盛寿(凌雲斎)、海野勝珉、二代海野美盛、海野清、圓鍔勝三、大澤光民、大島如雲、大森雪峰英友、奥山峰石、香川勝広、鹿島一谷、鹿島秀広、桂盛仁、加藤忠三郎(紫金堂)、香取秀真、香取正彦、門脇喜平、金森映井智、金谷五郎三郎、加納夏雄、鴨下春明、菊池政光、北村静香、黒川栄勝、黒瀬宗康、高玉斎一久、小林親光、駒井音次郎、齋藤明、佐々木象堂、澤田宗味、正阿弥勝義、須賀松園、須賀月真、関谷四郎、紹美栄祐、鈴木長翁、鈴木盛久、高村豊周、田口壽恒、玉川宣夫、帖佐美行、塚田秀鏡、豊田勝秋、内藤四郎、中川衛、中杉与七、二橋衡、根来実三、野上龍起、般若勘渓、羽原秋芳、本間琢斎、蓮田修吾郎、増田三男、丸谷瑞堂、三好三治、村田整珉、米光光正、和田美之助、山田宗美
などのお品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。豊富な知識と鑑定経験をもつスタッフが、一つ一つ丁寧に最大限の正当評価をさせていただきます。

六角堂出張買取地域
東京都
世田谷区・港区・中央区・渋谷区・杉並区・目黒区・千代田区・大田区・品川区・新宿区・文京区・豊島区・中野区・練馬区・足立区・荒川区・板橋区・江戸川区・葛飾区・北区・江東区・墨田区・台東区・武蔵野市・昭島市・小金井市・三鷹市・あきる野市・日野市・調布市・府中市・小平市・国分寺市・国立市・武蔵村山市・清瀬市・東村山市・西東京市・福生市・青梅市・東大和市・羽村市・立川市・町田市・多摩市・稲城市・狛江市・八王子市・東久留米市
神奈川県
横浜市(鶴見区・中区・緑区・港北区・戸塚区・神奈川区・西区・栄区・泉区・旭区・南区・保土ヶ谷区・港南区・筑紫区・金沢区・瀬谷区・磯子区・青葉区)・川崎市(多摩区・川崎区・中原区・幸区・高津区・宮前区・麻生区)・相模原市(緑区・中央区・南区)・小田原市・平塚市・横須賀市・藤沢市・厚木市・大和市・秦野市・鎌倉市・茅ヶ崎市・伊勢原市・座間市・三浦市・海老名市・綾瀬市・逗子市・南足柄市
千葉県
千葉市(稲毛区・中央区・緑区・花見川区・美浜区・若葉区)・我孫子市・市川市・市原市・印西市・浦安市・柏市・香取市・鎌ヶ谷市・木更津市・君津市・佐倉市・山武市・白井市・匝瑳市・袖ヶ浦市・東金市・富里市・流山市・習志野市・成田市・野田市・富津市・船橋市・松戸市・茂原市・八街市・八千代市・四街道市・八潮市・大網白里市・神崎町・栄町・酒々井町・芝山町・長生村・長南町・長柄町・睦沢町・横芝光町
埼玉県
さいたま市(大宮区・南区・西区・北区・中央区・見沼区・岩槻区・浦和区・桜区・緑区)・川口市・越谷市・川越市・所沢市・熊谷市・草加市・春日部市・東松山市・狭山市・三郷市・上尾市・深谷市・富士見市・入間市・朝霞市・鳩ヶ谷市・本庄市・坂戸市・戸田市・飯能市・ふじみ野市・加須市・鴻巣市・鶴ヶ島市・新座市・桶川市・北本市・久喜市・行田市・蓮田市・羽生市・幸手市・蕨市・秩父市・日高市・志木市・八潮市・和光市・吉川市・比企郡・北葛飾郡・大里郡・児玉郡・入間郡・南埼玉郡・北埼玉郡・秩父郡・北足立郡
山梨県、栃木県、群馬県、茨城県
その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。 お気軽に、ご相談ください!!

東京都目黒区緑が丘にて、茶箪笥、長火鉢、掛軸、金屏風、玉川堂の鎚起銅製茶筒、菓子器、上彬堂の茶托。

東京都目黒区緑が丘にて、茶箪笥、長火鉢、掛け軸、金屏風、玉川堂の鎚起銅製茶筒、菓子器、上彬堂の茶托をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。掛軸やたくさんの鎚起銅器をお売りいただきました。玉川堂の作品は当社で買い取りを強化しておりますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。お忙しい中、当社のご指名有難うございました。本日は二件の出張買取、一軒の見積もりととても忙しく、移動途中の松屋でカレー牛、目玉焼きソーセージ、豚汁をいただきました。忙しくて時間がない時には、いつも松屋さんにお世話になります。安くて早くて美味しい、忙しい時期はとても助かります。暑い日が続きますが、夏バテしないようしっかり栄養を取って頑張ります。

六角堂では、玉川堂・上彬堂をはじめ、松栄堂・銀川堂・山川堂・海玉堂・清雅堂・富貴堂などの茶器(湯沸、水注、急須、茶筒、茶托、茶合)や酒器(銚子、猪口、ぐい呑)、花器(花瓶、一輪生)、皿(菓子器、銘々皿、盆)などの製品を探しております。ご不要のお品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。

玉川堂(ぎょくせんどう)
創業1816年(文化13年)の日本の金属加工業者。日本国内の地場産業として有名な新潟県燕市の金属加工業の中でも唯一、1枚の銅板を鎚で叩き起こして銅器を製作する「鎚起銅器」(ついきどうき)の伝統技術を二百年弱に渡って継承している老舗企業。銅に多彩な着色を施す技術は、世界でも玉川堂のみが保有している。世界最高品質の銅器を製造し、世界中に顧客を持つ。商号は「株式会社玉川堂」(GYOKUSENDO Co., Ltd. )。
ルイヴィトングループで、シャンパンの帝王と称されるクリュッグの六代目当主オリヴィエ・クリュッグと玉川堂七代目当主玉川基行が意気投合し、コラボレーションとしてクリュッグオリジナルのボトルクーラーを共同開発。仏日の高級レストランやバーで使用されるなど、日本の伝統工芸老舗企業としては稀な世界的ブランド認知の高さを誇る。

上彬堂(うえよしどう)上野彬郎(うえのよしを)
伝統の燕鎚起銅器金工師
昭和27年 玉川堂五代目玉川覚平に師事。
昭和42年 独立、工房「上彬堂」主宰。
平成2年 通商産業大臣認定資格。「伝統工芸士」取得。
平成10年 「燕大賞」を受賞。
平成20年 第3回新潟県伝統工芸作家展。「奨励賞」受賞。

目黒区出張地域は、青葉台 大岡山 大橋 柿の木坂 上目黒 五本木 駒場 下目黒 自由が丘 洗足 平町 鷹番 中央町 中町 中根 中目黒 原町 東が丘 東山 碑文谷 三田 緑が丘 南 目黒 目黒本町 八雲 祐天寺

東京都品川区大崎にて、和箪笥・お着物・茶道具・五十一代 明珍宗之作明珍火箸の風鈴。

 

東京都品川区大崎にて、和たんす・着物・お茶道具・五十一代 明珍宗之作明珍火箸の風鈴をお売りいただきました。

本日は朝からの出張買取でした。今日は、六本木で中国オークションに下見があるとのことで、お昼に骨董屋仲間たちと合流し、勉強がてら下見をしてきました。スターバックス・コーヒー アークヒルズ店で仲間たちと合流し、泉ガーデンにあるタワーロイヤルインディアンダイニングでランチバイキングをしました。色々な種類のカレーがあり、欲張りな私は全種類いただいてしまいました。キーマカレー、マンゴーラッシーがとてもおいしかったです。中国美術の下見を終えた後、the 3rd Burger アークヒルズサウスタワー店へとお茶をしにいきました。バンズは発酵から焼き上げまで店内で。 パティはブロック肉で仕入れて店内でミンチ。野菜は厳選素材を店内でカット。 本当にフレッシュなハンバーガーがここにあります。 オーガニック系のハンバーガーということで、前々からチェックしていたのですが、六本木一丁目はなかなか利用しないのでずっといけないでいました。カレーですでにお腹いっぱいでしたが、滅多にこれない場所ですのでアボカドわさびバーガー、グリーンスムージーを注文。ほんのりわさびがきいててあっさりとしたハンバーガーでしたので完食しました。スムージーもとても美味しかったです。さすが六本木です、食事も景色もとってもお洒落ですね。古美術A堂のT橋さん、ご馳走様でした!

明珍火箸風鈴とは、平安時代から続く甲冑師の一族である明珍家の52代目である明珍宗理(みょうちんむねみち)氏が、それまで良い音がすると評判だった明珍火箸を、風鈴として商品化したものであり、現在兵庫県の伝統工芸品として指定をされている。

明珍(みょうちん)
平安時代、増田宗次を初代と数えると22代目であり、明珍家の初代となる、京都九条にて具足(ぐそく、防具のこと)甲冑師をしていた増田宗介紀ノ太郎が、第76代天皇である近衛天皇(このえてんのう、生没1139年~55年)に鎧とくつわを献上したところ、「音響朗々光り白にして玉の如く類稀なる器なり(触れ合う音が明るく、たぐいまれな珍器であるの意味)」と賞賛されたことで明珍(みょうちん)の名字を賜ったことが明珍家の始まりである。
室町時代から江戸時代にかけては、明珍家と言えば最も著名な甲冑師の一族であり、武田信玄が被っていたとされる諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)を始め、様々な甲冑の銘品を手がけた。
江戸時代には、江戸幕府大老四家の一つ、酒井家のお抱え甲冑師として仕え、酒井家の姫路藩転封(てんぽう、国替えのこと)に伴い拠点を姫路に移した。
明治維新後の廃藩置県により甲冑の需要がなくなったことで、甲冑制作から火箸制作へと業態を変え、1960年代のエネルギー革命による火鉢から電気・石油・ガスストーブに時代が移り変わったことにより、火箸制作から風鈴制作へと業態を変化させながらも、「鉄を焼いて打つ」という「鍛えの明珍」としての本質は変えずに、伝統を守り、進化させ続けている。

品川区出張地域は、荏原 大井 大崎 勝島 上大崎 北品川 小山 小山台 戸越 中延 西大井 西五反田 西品川 西中延 旗の台 東大井 東五反田 東品川 東中延 東八潮 平塚 広町 二葉 南大井 南品川 八潮 豊町

東京都江戸川区東瑞江にて、桐たんす、座卓、書棚、衝立などの和家具、書道具、絵画、佐賀の陶芸家小野次郎(師小野珀子)作釉裏金彩香炉をお売りいただきました。

東京都江戸川区東瑞江にて、桐たんす、座卓、書棚、衝立などの和家具、書道具、絵画、小野次郎作釉裏金彩香炉をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。本日お買い上げしました香炉は、金襴手(きんらんで)、釉裏金彩(ゆうりきんさい)という技法を操り、優美な金色世界を表出する小野次郎の釉裏金彩香炉。母親は金襴手、釉裏金彩を独自に編み出し世に知られた小野珀子。祖父は琥山窯を開いた小野琥山。摘みの箇所に接着による直しがございましたが、良い作品でしたので買い受けさせていただきました。六角堂では、吉田美統、小野珀子、小野次郎の釉裏金彩作品を強化買取しております。ご不要の作品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。本日も、仕事帰りに志木市場近くの「小池さんらーめん」へと寄りました。小池さんらーめんは、ニンニクがたっぷり。明日も暑さに負けず、頑張ります!

釉裏金彩(ゆうりきんさい)は素焼きした素地に金箔(きんぱく)を貼りつけ、透明釉をかけて低火度焼成する技法です。高温で焼くと金箔が変形するため1,000℃未満の低温で焼成することになります。金箔や金泥(きんでい)で装飾する金彩は、一般的に釉薬の上に施されます。これを釉上彩(ゆうじょうさい)といいますが、釉裏金彩は釉薬の下(裏側)に施されるため釉下彩(ゆうかさい)の一種でもあります。釉裏金彩の利点としては金が釉薬に守られている点が挙げられます。そのため釉上彩のような金箔が剥がれるようなこともなく耐久性に優れています。また、作品として完成したあとは汚れもつかないうえ色合いも変わりにくいものです。しかし金箔に釉薬をかけて焼成するため、釉との反応によって金箔が変色したり、釉との兼ね合いで意図する金色に発色しないことがあります。このように美しさと耐久性を兼ね備える反面、繊細な金箔を扱うきわめて高い技術と経験を要します。現代における釉裏金彩の第一人者としては人間国宝の吉田美統(よした みのり 1932年~)が挙げられます。

小野次郎(おのじろう)
小野次郎は小野珀子の次男として東京都に生まれました。
1979(昭和54)年、九州山口陶磁展で二席を受賞しました。
1980(昭和55)年、日本工芸会西部工芸展で朝日新聞社金賞を受賞しました。
佐賀県美術協会展で受賞しました。
1981(昭和56)年、九州山口陶磁展でNHK賞を受賞しました。
日本工芸会西部工芸展でKBC賞を受賞しました。
1982(昭和57)年、九州山口陶磁展でNHK賞を受賞しました。
日本工芸会西部工芸展で日本工芸会賞を受賞しました。
日本工芸会正会員となりました。
1983(昭和58)年、西日本陶芸美術展で優秀賞を受賞しました。
1984(昭和59)年、九州山口陶磁展で三席を受賞しました。
1985(昭和60)年、西日本陶芸美術展で優秀賞を受賞しました。
1986(昭和61)年、西日本陶芸美術展で奨励賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、西日本陶芸美術展で奨励賞を受賞しました。
1988(昭和63)年、西日本陶芸美術展で奨励賞を受賞しました。
1996(平成8)年、釉裏金彩、金襴手の制作を始めます。
2001(平成13)年、作品が大英博物館に収蔵されました。
2002(平成14)年、琥珀陶芸舎を開窯しました。

 

神奈川県横浜市鶴見区にて、絵画、お茶道具、水月焼好川恒方作天神蟹彫花瓶。

 

神奈川県横浜市鶴見区にて、絵画、お茶道具、水月焼の天神蟹彫り花瓶をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。お茶道具がたくさんありましたので、一点一点査定し、お客様にご満足いただける査定額にて全て買い受けさせていただきました。大事にされていたお道具をきちんと次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、ご指名くださり有難うございました。帰宅時、首都高速平和島PAへと寄りました。ウコンサイダーなる珍品を見かけましたので、思わず購入しました。サービスエリアや道の駅に行くと、よく変わったサイダーを見かけるのですが、これもそのうちのひとつでしょうか。見た感じはオレンジジュースのような感じですが、ウコンの苦味がほんのりとあり。柑橘風味も付いているのですが味はさっぱりめ、かつ甘さも控えめです。今日もとても暑い一日でしたが、ウコンで栄養補給をし、無事帰宅しました。

水月焼(水月の名は松山城の堀に映る月影に得たと云われております)
創始者好川恒方は明治16年5月6日、伊予松山の通町、狩野派の画家好川馬骨(号)の長男として出生、幼少より画道に精進しておりましたが、陶芸にも深い愛着を持っていました。二十才の頃、松山の西郊衣山に良質の陶土を発見し「絵を立体的に表現したい」と本格的に庭へ窯を造り、趣味の窯水月焼を創始しました。当時公開されなかった釉薬の秘密を独自の力で研究し、あらゆる辛酸をなめつつ独特の色を焼きつけるのに長の年月を要しました。然して水月焼の生き生きとしたカニを発表したのは大正10年頃のこと、庭内にハサミと甲羅の赤い天神蟹を飼って生態観察研究の後、この作品を完成させました。また常々彫塑の研究に情熱をたぎらせた結果、さらに観音、不動、羅漢などの仏像。寒山拾得、ガマ仙人などの人物をはじめ、動植物など種々の対象と取り組み、その卓越した技法と芸域は数多くの名陶を生むに至りました。殊に、壷や渇呑に見る山水には樹木、谷川、そま道を深く彫り込み、深山幽谷を偲ばせる作品は「全く他の追随を許さぬものがある」″水月焼″それは絵と彫刻と焼物の三位一体のものであると云えます。今日まで師事することなく、感覚のままに土を練り、形態を作り、色彩を出して独創の境地を進んで来たのであります。故にその作品には独特の香気と味わいがあり、人の心を魅了するものがあるのは当然のことと思われます。明治、大正、昭和の三代に亙り七十有余年、只ひたすら斯道に精進し、昭和53年8月16日、95才と3ヶ月の天寿を全うしました。恒方亡き後、恒方の唯一の弟子として、又晩年の伴侶として十年間恒方と起居を共にしつつ、手をとって朝に夕に教え込まれた恒悦が二代を継承しました。一つひとつ真心こめて丹念に良いものをつくるという初代恒方の意志、ゆき方を尊重しつつ懸命に水月焼と取組んで作品を造ってきたが、老齢により釜は閉釜しました。現在は下所にて作品の展示・販売を続けております。

東京都港区愛宕にて、時代和箪笥、お着物、掛け軸、書道具、石川滋彦の油彩画「鹿島槍 新雪」。

東京都港区愛宕にて、時代和箪笥、お着物、掛軸、書道具、洋画家石川滋彦の油彩画「鹿島槍 新雪」をご売却いただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。額の破損などございましたが、当社強化買取中の画家作品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。お忙しい中、六角堂をご指名いただき有難うございました。仕事帰りに市場の仲間たちと、いつも寄る「がってん食堂 大島屋 朝霞店」さんへとお邪魔しました。今日もT橋さんの奢りとの事でしたので、うな重やもつ煮込み、馬刺し、メロカマの煮つけなど贅沢をしてしまいました。いつもご馳走様です!

六角堂では「石川滋彦」の作品を探しております。
ご所蔵の作品(版画、陶額も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取させていただきます。
石川滋彦作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
六角堂では、日本人洋画家作品の買い取りを強化しております。強化作家は以下となります。
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。

石川滋彦 略歴 (1909-1994)いしかわしげひこ
1909年 東京都麹町区麹町に洋画家石川欽一郎の長男として生まれる。
台北に移り台北師範付属小学校へ入学するが、一学年一学期を終わり東京の番町小学校
に転校。さらに小田原に移り、ついで鎌倉に転居。鎌倉師範付属小学校を卒業する。
1922年 神奈川県立湘南中学に入学。三学年一年間は関東大震災後の避難もかね、台北一中に移るも
また湘南中学に戻り卒業。
1927年 東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科に入学。岡田三郎助に師事。
1929年 第10回帝展に「湖畔の丘」を出品して入選。
1932年 東京美術学校西洋画科を卒業。同校研究科に入学。
1936年 西洋美術史の矢代幸雄先生のもと研究科を修了。
1938年 第2回文展に「信濃の鍛冶屋」を出品し特選。(京都市立美術館所蔵)
1939年 第3回文展に「迷彩する商船」を出品し特選。光風会会員となる。
1940年 海洋美術展に「入港準備」を出品し海軍大臣賞を受ける。
1942年 東大工学部講師。7月、海軍報道班員としてジャワに派遣され、戦争記録画として「バタビア沖海戦」を描く。
1943年 9月、北京へ旅行。10月、海軍報道班員として第二南遣艦隊付と発令されていたが、ジャカルタ海軍武官府に派遣され、シンガポールとジャカルタを行き来する。
1945年 3月、横須賀海兵団に召集。8月、終戦でおわる。
1947年 学習院講師となる。第11回新制作展に出品、会員に推挙される。
1952年 5月下旬、あらすか丸という貨物船で神戸を出港し西回りで南米へでかける。
1955年 明大工学部建築科講師となる。
1956年 7月下旬に船で出発、スエズ運河を通り10月はじめロンドンに着く。その後欧州各地をまわり翌年帰国し個展を開く。
1959年 NHK教育テレビで絵画教室を一年間にわたり放送。
1966年 秋、カリフォルニア旅行。この後ほぼ毎年海外スケッチ旅行が続く。オーストラリア、南太平洋、ハワイ、地中海、北欧、バリ島、タヒチ、インド、ネパール、スペイン、ノルウェーなど。
1986年 「7月のアムステルダム」で第10回長谷川仁記念賞を受賞。
1994年 東京にて逝去(84歳)。

埼玉県三郷市にて、桐たんす、時代箪笥、座卓、秋田木工のスタッキングスツール、他和家具をお売りいただきました。

埼玉県三郷市にて桐たんす、、時代箪笥、座卓、秋田木工のスタッキングスツール、他和家具をお譲りいただきました。

解体業者様のご紹介で、旧家解体前の片付け整理にてお呼びいただきました。いつもご紹介いただき有難うございます。六角堂では、不動産、解体、引越し、介護関連、遺品整理等の業者様より、随時買取や処分を受け付けております。残置物が少ない場合でも、気になるお品がございましたら、六角堂までメール、またはお電話にてお問い合わせください。当社で、出来る限りの対応をさせていただきます。
桐箪笥・古家具・民芸家具・茶道具・書道具・掛軸・絵画油絵・リトグラフ・骨董品・中国骨董・李朝骨董・西洋アンティーク・屏風・仏像・仏具・香木・置物・古道具・陶磁器・漆器類・甲冑・火鉢・軍服・勲章・古絵葉書・古書・着物・和装小物・かんざし・花瓶・人形・こけし・ブロンズ・彫刻・三味線・琴・尺八・レトロおもちゃ・蓄音機・キセル・金銀製品・印籠・古時計・剥製・バッグ・腕時計・オーディオ・ギター・楽器・ミシン・レコード・釣具・贈答品・貴金属・毛皮・絨毯・香水・化粧品・古酒・中古・新品・ジャンク品等々 、ご不用品がございましたら、六角堂までお問い合わせください。少量から多量まで、古いものから新しいものまで対応しておりますので、まずはお問い合わせください。

今日も仕事帰りに、仕事仲間たちと合流し、志木市にある「華屋与兵衛」さんㇸと行きました。本日は、良く体を動かしましたので、味噌煮込みうどん、棒ヒレカツ、和風パフェとたくさん食べてしまいました。とても美味しかったのですが、昨日サウナで絞った分をまた戻してしまいました・・・明日もたくさん絞れるよう、買い取り頑張ります!

秋田木工(あきたもっこう)は、秋田県湯沢市で創業し、およそ100年の歴史がございます。その秋田木工のロングセラーである、このスタッキングスツールの脚は、1本の木を曲げた曲げ木。曲げ木とは、木に蒸気を当てて熱し、熱いうちに曲げて型にはめて曲線を作り出す加工法です。秋田木工は、曲げ木の加工技術がとても高く、秋田木工でないと作れないとされている製品が多くあります。このスツールが製品として発表されたのは、1958年 銀座松屋で行われた「アパート生活展」で、デザイナーは剣持勇。高度経済成長にともない、集合住宅が増えたこの時代に、シンプルでスペースを取らないこのスツールは爆発的にヒットしました。現在でも、秋田木工の定番として販売され続けております。

 

東京都武蔵野市緑町にて、和たんす、お着物、掛け軸、十二代今泉今右衛門本人作色鍋島更紗文花瓶をお売りいただきました。

 

東京都武蔵野市緑町にて、和たんす、お着物、掛軸、十二代今泉今右衛門本人作色鍋島更紗文花瓶をお譲りいただきました。

遺品整理の買取でお呼びいただきました。掛軸やたくさんの作家物陶磁器をお売りいただきました。今右衛門作品は当社で買い取りを強化しておりますので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。お忙しい中、当社のご指名有難うございました。本日も大変暑く、たくさん汗をかきましたので、仕事帰りに骨董屋仲間たちと合流し、埼玉県川越市にある「小江戸はつかり温泉 川越店」へと行きました。仕事終わりの温泉はとても気持ちよかったです。夏休みに向けてサウナも頑張って入りました。入浴後の食事も美味しかったです!

今泉今右衛門(いまいずみいまえもん)は、肥前有田の窯家。焼物の三右衛門(柿右衛門、今右衛門、太郎右衛門)の一つ。
赤絵屋十六軒の一つで江戸期は鍋島藩の御用赤絵師。後期以降は藩の勢力と同様に衰退の道を辿る。
明治維新の窯業の自由化を機会に、かつて作風を取り戻そうと作陶を始めたのが十代今右衛門。当代は十四代。

十二代 今泉今右衛門(1897〜1975)
昭和23年(1948)襲名。本名は今泉平兵衛。
祖父である十代、父である十一代のもと専ら家業に打ち込み、近代色鍋島の復興に生涯を捧げる。 昭和27年に無形文化財の指定を受け、昭和46年には色鍋島技術保存会代表として、国重要無形文化財総合指定を受ける。
1967年、紫綬褒章
1968年、今右衛門古陶磁参考館を設立。
1972年、勲四等旭日小綬章

色鍋島(いろなべしま)鍋島焼のうち上絵付けの施されたものをいいます。色鍋島の色は、染付けの藍色と上絵の赤・緑・黄色の4色が基本となってます。染付の段階で主要な文様が描かれ、上絵付けの赤の文様の部分にも薄い染付で輪郭が施されます。その上から赤の線が引かれ、その線描きの中が赤で塗られます。緑や黄色は赤の様に輪郭線がはっきりとは出ないため、染付け線で枠取りされ内側に緑・黄色が塗られます。4色の配分は標準的作品では染付の藍色が面積が広く、次に上絵の赤、次に緑です。黄色は最も少ない配分です。(中には配分が異なるものもあります)文様が変わっても同じような印象があるのはこのようなルール化された配色が大きく関係していると思われます。