東京都渋谷区円山町にて、古い和家具や掛け軸、鏑木清方の日本画「一葉舟」をお売りいただきました。

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東京都渋谷区円山町にて、古い和家具や掛け軸、鏑木清方の日本画「一葉舟」をお売りいただきました。

引越し前の処分整理にてお呼びいただきました。シミが若干でてしまっておりましたが、人気作家の作品ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けさせていただきました。

鏑木清方絵画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
六角堂では日本画作品を探しております。
秋野 不矩、池上 秀畝 、池田 蕉園、池田 遙邨、伊東 深水、稲田 和正、今村 紫紅、入江 波光、岩橋 英遠、上村 淳之、上村 松園、上村 松篁、梅津 道雄、大橋 翠石、大山 忠作、岡 信孝、小川 芋銭、奥田 元宋、奥村 土牛、小倉 遊亀、小野 竹喬、尾竹 国観、小茂田 青樹、片岡 球子、堅山 南風、加藤 栄三、加藤 東一、金島 桂華、狩野 芳崖、鏑木 清方、加山 又造、川合 玉堂、川端 龍子、菊池 契月、北野 恒富、吉川 霊華、木村 武山、工藤 甲人 、小泉 淳作、小杉 放庵、児玉 希望、小林 古径、小松 均、郷倉 和子、郷倉 千靱、酒井 三良、榊原 紫峰、佐藤 太清、柴田 是真、下田 義寬、下村 観山、杉山 寧、千住 博、高山 辰雄、竹内 栖鳳、竹久 夢二 、田中 一村、土田 麦僊、寺島 紫明、徳岡 神泉、富岡 鉄斎、冨田 溪仙、堂本 印象、堂本 元次、中島 千波、中村 岳陵、中村 貞以、中村 不折、西村 五雲、橋本 関雪、橋本 雅邦、橋本 明治、浜田 昇児 、濱田 台児、林 功 、速水 御舟、東山 魁夷、菱田 春草、平川 敏夫、平福 百穂、平松 礼二 、平山 郁夫、福井 爽人、福王寺 法林、福田 平八郎、堀 文子、前田 青邨、牧 進、松尾 敏男、松岡 映丘、松林 桂月、宮廻 正明、三輪 良平、武藤 孤舟、村上 華岳、森田 りえ子、守屋 多々志、安田 靫彦、山口 華楊、山口 蓬春、山本 丘人、山元 春挙、横山 大観、横山 操、渡辺 省亭
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鏑木 清方(かぶらき きよかた)明治11年(1878)8月31日~昭和47年(1972)3月2日 93才没
近代日本の美人画家として上村松園、伊東深水と並び称せられ、「西の松園、東の清方」と称されるほど、美人画の描写に優れています。人物画が多く、明治時代の東京の風俗を写した風俗画というべき作品が多い。東京・神田に生まれ。本名は健一。一家の生計を立てるために新聞の挿絵や本の口絵をたくさん手がけていった。ただ、挿絵を描く傍ら、本画を描くことで自立できる画家を目指して友人たちと烏合会を結成し、日本画の発表の場を求めていく。42年第3回文展で初入選し、以後文展に出品しながら、一方で大正5年、松岡映丘や平福百穂らと革新的な日本画を生み出そうと金鈴社という絵画団体を結成し、次々と意欲作を発表していく。そうした中で、大正8年第1回帝展の審査員に任命され、名実ともに日本画を代表する画家となる。
終戦後の晩年は鎌倉に住み、描きたいものを自由に描く画生活を送り、自分がこよなく愛した東京の下町風俗や当世風の美人を終生描き続けた。

1878年 東京都で生まれる
1891年 浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門する
1893年 年方より「清方」の雅号を授かる
1897年 第2回日本絵画協会共進会に出品する
1900年 第8回日本絵画協会、第3回日本美術院連合絵画共進会に出品する
1901年 梶田半古の研究会に出席し、前田青邨、小林古径を知る。烏合会を結成する
1902年 第5回烏合会展に出品する
1903年 都築照と結婚する。木挽町の自宅を紫陽花舎と名づける
1909年 第3回文展で初入選、褒状を受賞する
1910年 日英博覧会で銅賞を受賞する
1914年 第8回文展で二等賞を受賞する
1915年 第9回文展で二等賞首席となる
1916年 吉川霊華・平福百穂らと金鈴会を結成
1917年 第11回文展で特選第一席となる
1927年 帝国美術院賞を受賞する
1932年 聖徳記念絵画館の壁画「初雁の御歌」を制作する
1935年 日本橋三越で個展「明治風俗」を開催する
1937年 帝国芸術院会員となる
1940年 紀元二千六百年奉祝展に出品する
1941年 『こしかたの記』『四季しのぶ草』『風俗画技法』を刊行する
1944年 帝室技芸員に任命される
1945年 矢来町の自宅、戦火により焼失する
1948年 第4回日展に出品する
1954年 文化勲章を受章する
1972年 93歳で逝去