月別アーカイブ: 2017年8月

東京都目黒区自由が丘にて、和箪笥、お着物、黒漆塗の茶箪笥、座卓、人間国宝三代山田常山の常滑焼朱泥茶器。

東京都目黒区自由が丘にて、和箪笥、お着物、黒漆塗の茶箪笥、座卓、人間国宝三代山田常山の常滑焼朱泥茶器をお譲りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。最近、お引越し前の整理でお呼びくださるお客様が多く、家具をはじめ、古道具や美術品をまとめてお売りいただくケースが多いです。お引越し先が今よりも狭くなり、お荷物が入らなくてご処分されるお客様が多いようです。本日もまた、まとめてのご処分買い取りでした。六角堂は幅広く買い取り可能なお品がございますので、お客様にはご満足いただけるかと思います。お引越しや片付けの際には、是非六角堂をご指名ください!

ただいま人間国宝、作家物の陶芸作品を強化買取りしております。作家のないお品も多数扱っておりますので、処分される前に一度お問い合わせください。たくさんの御見積お待ちしております。陶芸の人間国宝となられた作家は、以下となります。
色絵磁器 - 富本憲吉、加藤土師萌、藤本能道、十三代今泉今右衛門、十四代酒井田柿右衛門、鉄釉陶器 - 石黒宗麿、清水卯一、原清、民芸陶器 - 濱田庄司、志野 - 荒川豊蔵、萩焼 – 三輪休和(十代三輪休雪)、三輪壽雪(十一代三輪休雪)、備前焼 – 金重陶陽、藤原啓、山本陶秀、藤原雄、伊勢崎淳 唐津焼 – 中里無庵、染付 – 近藤悠三、白磁・青白磁 -塚本快示、琉球陶器 - 金城次郎、鉄絵 - 田村耕一、練上手 - 松井康成、白磁 - 井上萬二、三彩 - 加藤卓男、民芸陶器- 島岡達三、青磁 – 三浦小平二、中島宏、彩釉磁器 - 三代徳田八十吉、常滑焼(急須)-三代山田常山、釉裏金彩(ゆうりきんさい)-吉田美統、無名異焼(むみょういやき)-五代伊藤赤水

常滑焼(とこなめやき) 愛知県常滑市を中心とした周辺を含む知多半島内で焼かれる陶器で、日本六古窯の一つです。常滑焼は原料に含まれた鉄分を赤く発色させています。土肌を活かした物や、釉薬を施した製品があります。平安時代末期、猿投窯南部の灰釉陶窯が南下して、知多半島古窯跡群が形成されたのが母体となっています。灰釉陶器の伝統には無かった、大型の甕、新しく壷を主な器種として作成し、瓷器系中世陶器の主要生産地となりました。

三代 山田常山(やまだじょうざん)1924年(大正13)~2005年
愛知県出身。本名は、山田稔。号は、常山、小常山
二代山田常山の長男として生まれ家業を継ぐべく在学中より父や祖父初代常山に師事。
1947年、初代没後は父が常山を襲名、稔は父の号であった小常山を名乗る。
1958年、第5回日本伝統工芸展初入選、同年ブリュッセル万国博覧会にてグランプリ受賞。
1959年第7回生活工芸展第一席朝日賞などの受賞を経て62年日本工芸会正会員に就任。
また61年より父の死去に伴い3代山田常山を襲名している。
1970年代には70年に大阪万博に出品、73年に第3回ビエンナーレ国際陶芸展に出品(名誉最高大賞受賞)など国際的にも評価が高まるきっかけとなった。
また伝統の常滑焼を護ろうと地元の陶芸家らと常滑「手造り急須の会」を発足し会長に就任している。
伝統に甘んじることなく古常滑の穴窯で急須に蓋をしたまま焼成し、そのまま自然釉を掛けるといった、独自の技法を完成させるなど日々研究続け、94年に愛知県指定無形文化財保持者の認定に続き、1998年に国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定された。
常滑朱泥急須=山田常山といわれるほど急須(主に煎茶用)制作の技術に優れ、古典的なものから現代志向に合わせた斬新な作品まで幅広く制作し、原型となるそのデザインは100種類以上あるといわれている。急須作品のほかにも酒器、壺、大鉢など優作を多く残している。

東京都豊島区高田にて、加茂総桐箪笥、お着物、簾、布袋の置物、木魚、線香、レコードなど。

東京都豊島区高田にて、加茂桐たんす、お着物、簾、布袋の置物、木魚、線香、レコードなどをお譲りいただきました。

リフォーム前のお片付け整理にてお呼びいただきました。こちらの買取事例を見て下さっていたお客様でしたので、わたしの買いたいと思うお品がすでにお部屋に並んでおりました。先日掲載した木魚が置いてありましたのには驚いてしまいました。お客様宅で撮影許可をいただき、今回も木魚を載せさせていただきました。桐たんすは、天丸の下三大洋和箪笥というスタンダードなタイプもので六角堂でも数多く扱う桐たんすになります。サイドにシミ汚れなどございましたが、人気の加茂箪笥でしたので買い受けさせていただきました。油単がしまっておりましたので、こちらを掛けておりましたらシミがふさげていたかもしれません。明治頃の時代桐箪笥もございましたが、こちらは削り直しをされて再利用されるとの事、伝統ある桐箪笥を再利用していただけると、毎日桐たんすに接しているわたしとしてはなんだか嬉しいです。金具もごつくて良い桐箪笥でしたので、大事にされてください。マンションで、お部屋が多くお品も多かったので、終了までずいぶんとお時間が掛かってしまいました。長い間お待たせしてしまい申し訳ございませんでした。途中お茶を入れていただいたり、お気遣い有難うございました。本日は、夕方より着物の市場でしたので、向かう途中の埼玉県新座市にある伏竜らーめん本店さんへ寄りました。こちらは、東池袋大勝軒創業者「山岸一雄氏」の下で修業した茨城大勝軒グループ田代浩二の角富士系のお店で、圧巻のボリューム!超こってり!濃厚!脂多め!野菜たっぷり!夕方の四時半が本日の一食目でしたので、超こってりスープもがっつりといってしまいました!

六角堂では、桐箪笥の買取りを強化しております。桐タンスには、和たんす(衣装たんす)、洋服たんす、整理たんす(昇りたんす)、小袖たんす、チェストなどがございますが、六角堂では全て買取対象となっております。また、新潟県の加茂桐タンス、埼玉県の春日部桐タンス、愛知県の名古屋桐タンス、大阪府の泉州桐タンス、和歌山県の紀州桐タンスなどのブランド桐タンスを強化買取しております。ブランド桐タンスに関しましては、高価買い受けさせていただきますので、お早めにご相談ください。他にも和家具、民芸家具をはじめ、デザイナーズ家具、各種ブランド家具まで、幅広く買い取りしておりますので、ご売却をお考えの際には、六角堂をご指名ください。

豊島区出張地域は、池袋 池袋本町 要町 上池袋 北大塚 駒込 巣鴨 千川 雑司が谷 高田 高松 千早 長崎 西池袋 西巣鴨 東池袋 南大塚 南長崎 目白

 

東京都新宿区若松町にて、リトグラフや富士山人気写真家ロッキー田中さんの写真額「光輪」など。

東京都新宿区若松町にて、リトグラフや富士山人気写真家ロッキー田中さんの写真額「光輪」をお譲りいただきました。

回収業者様のご紹介で、事務所移転の片付け整理にてお呼びいただきました。オフィスの移転で、壁にかかっている額類を片付けたいとの事でした。外国人画家のリトグラフの他、人気写真家ロッキー田中さんの写真額がたくさんございました。ロッキー田中さんの作品は次のオフィスへ連れていくとの事で、三点のみ買取させていただきました。ロッキー田中さんは、以前こちらの事例でも紹介しましたが、山梨県富士吉田市に出張買取へ行った際に、個展をしておりわたくし自身はっきりと覚えておりました。富士山専門の写真家で、メディアにもたくさん出演している、今すごい人気の方です。なんとロッキー田中さんの富士山の写真が社長室には飾ってある会社は業績が右肩あがりとのことです!タイトルも「光輪」と縁起がよさそうです。わたし自身写真がへたくそで画像では分かりずらいかと思いますが、とても力強くて元気の出る作品です。移転作業でお忙しい中、当社のご指名有難うございました。
最後の画像ですが、わたしの息子が現在長野へキャンプへ行っております。長野県から写真が送られてきましたが、関東とは違い天気が良いようです。一週間ほどキャンプをするようで、強くたくましい子になって帰ってきてほしいです。息子には、二代目六角堂として頑張ってほしいと思っておりますので、頼もしく成長してほしいものです。本日は午前中のみの出張でしたので、午後は倉庫へと戻り仕分け作業をしました。夕方より、大雨が降ってきましたので、早めに切り上げることにしました。仕事仲間たちから連絡があり、世田谷区、中野区では停電があったようです。日中はとても暑かったからでしょうか、今年の夏はなんともおかしいですね。

ロッキー田中
福井県生まれ。1999年アテネ市世界芸術展大賞、2001年マスターズ大東京展最優秀作家賞、2003年第35回新院展に於いて「天空に舞う」が文部科学大臣賞受賞。「富士山を世界遺産にする国民会議」評議員(2005年~13年)、同223フェローメンバー。著書として「ときめきの富士DVDブック」(評言社)、「誰も見たことのないときめきの富士」(飛鳥新社)他多数。TV出演、新聞、雑誌の取材等多数。東京都品川区に「ときめきの富士アートサロン」、山梨県富士吉田市に「山のアトリエ」を開設。富士山に心を寄せる人のオアシスとなっています。

新宿区出張地域は、愛住町 赤城元町 揚場町 荒木町 市谷鷹匠町 市谷長延寺町 市谷薬王寺町 大久保 改代町 神楽河岸 神楽坂 霞ケ丘町 片町 歌舞伎町 左門町 信濃町 下落合 新宿 水道町 須賀町 住吉町 大京町 高田馬場 箪笥町 築地町 津久戸町 天神町 戸塚町 富久町 納戸町 西落合 西五軒町 西新宿 二十騎町 西早稲田 馬場下町 払方町 原町 東五軒町 百人町 袋町 舟町 弁天町 本塩町 南榎町 南山伏町 山吹町 矢来町 横寺町 余丁町 四谷 四谷坂町 若葉 若松町 若宮町 早稲田鶴巻町

東京都北区西が丘にて、総桐箪笥、古家具、着物、掛け軸、黒漆に蒔絵の入った鼓。

東京都北区西が丘にて、総桐たんす、古家具、お着物、掛軸、黒漆に蒔絵の入った鼓をお売りいただきました。

まだまだお若いお客様でしたが、生前整理との事でお呼びいただきました。最近生前整理との事でお呼びくださるお客様が多いです。はやりの断捨離でしょうか。家具やお道具、時代あるお品を多数お売りいただきありがとうございました。六角堂では、琴や三味線・津軽三味線、琵琶、尺八、和太鼓、鼓、笙などの和楽器を高価買取致します。お客様の大事にされたおりました和楽器を、当社スタッフが真心込めて買い取りいたします。出張費、査定代などは一切かかりませんので、お気軽にご相談ください。東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。 お気軽に、ご相談ください!!

六角堂出張地域
東京都 世田谷区・港区・中央区・渋谷区・杉並区・目黒区・千代田区・大田区・品川区・新宿区・文京区・豊島区・中野区・練馬区・足立区・荒川区・板橋区・江戸川区・葛飾区・北区・江東区・墨田区・台東区・武蔵野市・昭島市・小金井市・三鷹市・あきる野市・日野市・調布市・府中市・小平市・国分寺市・国立市・武蔵村山市・清瀬市・東村山市・西東京市・福生市・青梅市・東大和市・羽村市・立川市・町田市・多摩市・稲城市・狛江市・八王子市・東久留米市
神奈川県 横浜市(鶴見区・中区・緑区・港北区・戸塚区・神奈川区・西区・栄区・泉区・旭区・南区・保土ヶ谷区・港南区・筑紫区・金沢区・瀬谷区・磯子区・青葉区)・川崎市(多摩区・川崎区・中原区・幸区・高津区・宮前区・麻生区)・相模原市(緑区・中央区・南区)・小田原市・平塚市・横須賀市・藤沢市・厚木市・大和市・秦野市・鎌倉市・茅ヶ崎市・伊勢原市・座間市・三浦市・海老名市・綾瀬市・逗子市・南足柄市
千葉県 千葉市(稲毛区・中央区・緑区・花見川区・美浜区・若葉区)・我孫子市・市川市・市原市・印西市・浦安市・柏市・香取市・鎌ヶ谷市・木更津市・君津市・佐倉市・山武市・白井市・匝瑳市・袖ヶ浦市・東金市・富里市・流山市・習志野市・成田市・野田市・富津市・船橋市・松戸市・茂原市・八街市・八千代市・四街道市・八潮市・大網白里市・神崎町・栄町・酒々井町・芝山町・長生村・長南町・長柄町・睦沢町・横芝光町・白子町
埼玉県 さいたま市(大宮区・南区・西区・北区・中央区・見沼区・岩槻区・浦和区・桜区・緑区)・川口市・越谷市・川越市・所沢市・熊谷市・草加市・春日部市・東松山市・狭山市・三郷市・上尾市・深谷市・富士見市・入間市・朝霞市・鳩ヶ谷市・本庄市・坂戸市・戸田市・飯能市・ふじみ野市・加須市・鴻巣市・鶴ヶ島市・新座市・桶川市・北本市・久喜市・行田市・蓮田市・羽生市・幸手市・蕨市・秩父市・日高市・志木市・八潮市・和光市・吉川市・比企郡・北葛飾郡・大里郡・児玉郡・入間郡・南埼玉郡・北埼玉郡・秩父郡・北足立郡
山梨県、栃木県、群馬県、茨城県、福島県、長野県、新潟県、静岡県
その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。骨董品類に関しては全国出張買取致します。お気軽にご相談ください。

北区出張地域は、赤羽 赤羽台 岩淵町 浮間 王子 王子本町 上十条 上中里 神谷 岸町 桐ケ丘 栄町 志茂 十条台 十条仲原 昭和町 滝野川 田端 田端新町 豊島 中里 中十条 西が丘 西ケ原 東十条 東田端 堀船

東京都武蔵野市関前にて、時代桐たんす、アンティーク着物、刺し子の半纏、三つ葉葵紋の陣笠。

 

東京都武蔵野市関前にて、時代桐たんす、アンティーク着物、刺し子の半纏、三つ葉葵紋の陣笠をお売りいただきました。

本日は、練馬区へと出張買取へ伺いました。練馬区では、古い和家具、着物などをお売りいただきました。倉庫へ帰宅する途中、いつもお呼びくださる解体業者様よりお電話をいただき、急遽武蔵野市へと向かいました。解体前のお片付けとの事で、お客様をご紹介くださりました。いつもご紹介いただきありがとうございます。こちらでは、戦前の時代箪笥、着物や刺し子の半纏などを買い受けました。もちろんレプリカではございますが、三つ葉葵紋の陣笠を買い受けました。当社の得意としている古いものが多く、他のも古書などをお譲りいただきました。六角堂では、陣笠をはじめ、甲冑、武具などの買い取りを強化しております。こちらのようなレプリカでも買い受けしてますので、ご処分の際にはご連絡ください。甲冑はもちろん、鎧、大鎧、胴丸、腹巻、当世具足、草摺、籠手、兜、面頬、前立、挂甲、面、羽織、矢籠、笠、馬具などを探しております。部品がそろって無くても、どんなにぼろぼろでも、買取評価できるものが数多く御座います。歴史ある甲冑・鎧をご売却の際は、六角堂までお問い合わせください。甲冑・鎧に詳しいスタッフがお見積り査定させていただきます。明日から息子が一週間ほど長野県へとキャンプへ行きます。出発前夜に家族でデニーズへ行ってきました。おかずをたくさん注文し、息子に栄養を取らせました。いつもいたずらばかりしていて怒ってばかりですが、なぜか寂しいです・・・

武蔵野市出張地域は、吉祥寺東町、吉祥寺本町、吉祥寺南町、吉祥寺北町、御殿山、中町、西久保、緑町、八幡町、関前、境、境南町、桜堤

埼玉県さいたま市浦和区にて、明治期の時代桐箪笥、松本民芸家具の座卓、書棚、ロッキングチェア、ロイヤルコペンハーゲンのフィギュリン「Den Lille Havfrue」など。

 

埼玉県さいたま市浦和区にて、明治期の時代桐たんす、松本民芸家具の座卓、書棚、ロッキングチェア、ロイヤルコペンハーゲンのフィギュリン「Den Lille Havfrue」などをお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。即日のご依頼でしたが、お電話いただいた時には10キロ近くそばの志木市におりましたので、すぐにお伺いすることが出来ました。座卓、ロッキングチェアに痛みがあるものの、今もなお人気の松本民芸家具のお品でしたので、全て買い受けさせていただきました。本品のように、松本民芸家具はミズメザクラを主原料としてます。ミズメザクラは日本にしか生えてない日本固有の木で生産量が少なく入手も困難ですが、堅く、粘り強く、狂いにくい木材のため長年の使用に耐え、強くて丈夫で美しいミズメザクラに職人たちはこだわっております。加工が難しい木材だからこそ研ぎ澄まされる技術。何世代にも渡り、喜びを持って使い続けられる家具作り。その材料として古来より百木の長と詠われたミズメザクラが最も適していると考えているようです。ロッキングチェアには、「市」の刻印がございます。松本民芸家具は、作品の裏に職人の銘を刻みこみます。裏に刻まれる銘は、その職人の『長く使ってほしい』という想いと『仕事に責任を持つ』という誓いの証だそうです。そんな想いが込められているとは、とても素敵ですね。桐のたんすも痛みや虫食いなどがございましたが、当時の立派な金具が付いたタンスでしたので、買い受けさせていただきました。他にも、中国の置物や矢立、民芸品、ロイヤルコペンハーゲンのフィギュリン「Den Lille Havfrue」などをお譲りいただきました。こちらの作品は彫刻家エドワード・エリクソンデザインの人魚。彼の妻、エリーネがモデルといわれています。ちなみに、エリーネの甥は、俳優の岡田眞澄氏になります。Den Lille Havfrueはコペンハーゲンの海辺にある人魚姫の像。世界中の人々に愛されているアンデルセン童話の代表作「人魚姫」ですが、デンマークのコペンハーゲンに人魚姫の像があり、市のシンボルとなっています。雨の中での買取りとなりましたが、お客様が搬出の通路を確保していただいたりしたおかげで手際よく作業が出来ました。ご協力有難うございました。

松本民芸家具(まつもとみんげいかぐ) 長野県松本市にある老舗民芸家具メーカー。
1944年(昭和19年) – 前身である中央構材工業設立。 旧陸軍航空本部用の木製格納庫を製造。戦後は東京を中心に戦後の復興住宅と建具を製造。
1948年(昭和23年) – 京都相国寺第2回日本民芸協会全国大会が開催される。民芸家具の製作を始める。
1950年(昭和25年) – 秩父宮妃来訪、池田三四郎と懇談。
1951年(昭和26年) – 北陸銀行家具一式受注。
1952年(昭和27年) – 「松本民芸家具展」開催。
1953年(昭和28年) – バーナード・リーチが来訪、ウインザーチェアに代表される英国家具の製作指導。
1956年(昭和31年) – 第10回全国民芸大会で、ラッシ編み椅子の一連の仕事が、民芸大賞受賞。
1957年(昭和32年) – 販売会社として中央民芸を設立。創業20周年を記念して製品から500種類を選び展示会を開催。ロックフェラー三世より受注、ニューヨークのロックフェラーセンターに椅子数点を納品。
1964年(昭和39年) – 北海道民芸木工(現クラレインテリア)の設立に協力。
1969年(昭和44年) – 若手職人の養成を目的とした研修棟兼民芸家具の参考館として松本市郊外に松本民芸生活館を建設。
1972年(昭和47年) – 長年のグループ生産方式を基に、松本民芸家具工芸協同組合設立。ネルソン・ロックフェラー米国副大統領(当時)より受注。
1976年(昭和51年) – 通商産業大臣より伝統的工芸品「松本家具」指定。(全国の家具部門で第1号指定)
1978年(昭和53年) – 長野県国体が開催、昭和天皇が訪問、職人2名が伝統工芸品製作実演を披露。長野身体障害者国体が開催、皇太子夫妻(現今上天皇、皇后)が来訪。
1993年(平成5年) – 信州博覧会、松本城築城400年祭参加。
2001年(平成13年) – 松本民芸家具展開催。池田三四郎蒐集の椅子を展示する「三四郎の椅子展」併催。

東京都立川市にて、和たんす、お着物、お茶道具、大阪尚美堂の鎚起銅製菓子鉢。

     

東京都立川市にて、和たんす、お着物、お茶道具、大阪尚美堂の鎚起銅製菓子鉢を買い取りさせていただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。尚美堂は1900年、江藤栄吉郎によって大阪の中心地である淀屋橋に設立し、創業当時から時計だけでなく、貴金属や装身具、美術工芸品なども幅広く取扱ってきたまさに「大阪の商人」といった歴史ある企業です。買い取りをしておりますと、尚美堂のお品を数多く見ます。今回のような銅製のものや銀製品、贈答品などでいただいたりしているようですね。茶道具としての作品も多く、当社で強化買取りしているメーカーの一つになります。特に尚美堂の銀瓶などは、高額で取引されている為、当社でも高額買取りが可能なお品となってます。尚美堂のお品は画像ののような落款が記されています。この落款には「尚美堂」と書かれておりますが、うまく読めないかと思います。画像のような落款のある処分品がございましたら、是非六角堂をご指名ください。他にも、お稽古用ではありましたが、お茶道具を一式買い受けさせていただきました。本日は六角堂をご指名くださり、有難うございました。出張帰りに、立川市の砂川九番にある満北亭さんへと寄り、スタミナ丼をいただきました。夏バテ防止にといただきましたが、最近は雨模様の日が続いておりあまり夏を感じませんね。仕事が辛くはなりますが、夏はやはり暑くあってほしいです。程よくですが・・・

六角堂では、金寿堂、尚美堂、竹影堂、松栄堂、金賞堂、天賞堂、金美堂、金晴堂、金匠堂、銀川堂、生秀堂、呉杉堂、雲色堂、青龍堂、祥雲堂、光玉堂、純古堂、金龍堂、泰山堂、三龍堂、純幸堂、精金堂、皆川堂、秀峰堂、玉川堂、松栄堂、山川堂、海玉堂、清雅堂、秀峰堂、金星堂、富貴堂、上彬堂などの茶器(湯沸、水注、急須、茶筒、茶托、茶合)や酒器(銚子、猪口、ぐい呑)、花器(花瓶、一輪生)、皿(菓子器、銘々皿、盆)などの製品を探しております。ご不要のお品がございましたら、出張専門高価買取六角堂までお問い合わせください。

鎚起銅器(ついきどうき)とは、一枚の銅板を大小さまざまな金鎚、木槌で打ち延ばし、打ち縮め、茶器などの器を作りあげる金属工芸技術。新潟県燕市の燕鎚起銅器は江戸時代後期、仙台の渡り職人が燕に鎚起銅器の基礎となる製法を伝えたとされます。燕で鎚起銅器が確立、発展したのは近郊の弥彦山から優良な銅が産出され、素材の入手が容易であったことが背景にあり、経済産業大臣より「伝統的工芸品」に指定されております。素材の銅は殺菌作用があり、熱伝導率が高く保温性にも優れています。そして銅器は、貴重な実用品として使われ、現在では美術工芸品としての価値も評価されています。

 

東京都国分寺市にて、明治時代の時代金具総桐松本箪笥二竿、時代小箪笥、花器、煎茶道具、ネパール曼荼羅。

東京都国分寺市にて、明治時代の時代金具総桐信州松本たんす二竿、時代小箪笥、花器、煎茶道具、ネパール曼荼羅をお売りいただきました。

先日お邪魔した国分寺市のお客様で、前回物量が多く積み残したお荷物の引き上げでお呼びいただきました。お客様の方でお片付けの際に出てきた、ネパール曼荼羅のタンカなどを追加で買い受けさせていただきました。前回同様、多数お売りいただき有難うございました。
お譲りいただいた時代箪笥は、明治期の信州松本時代箪笥で、金具がとってもしっかりとしており、大変素晴らしいものでした。桐が箪笥の材として大量に使われるようになったのは、明治時代になってから。それまでは、重くて大きな欅の箪笥が一般的でした。大名道具として桐箪笥は造られていましたが、日本中で年に数えるほどの生産でしかありませんでした。明治になり四民平等の世の中になって、桐たんすは急激に普及していきます。家具金物も無骨なものではなく、錺職の伝統を引く職人の手による繊細で優雅なものが付けられます。かつて大名道具にしか付けることが許されなかった「金属芸術」は、新しい活躍の場を得ることなったようです。古い時代箪笥は、この金具が貴重となっております。

六角堂では、ご不要になりました桐箪笥(桐たんす)や和箪笥、和家具を積極的に買取り中しています。以下、強化買取り中のたんすとなります。

1:船箪笥 物資輸送用に誕生した船の中で使用する箪笥で、主に船員が貴重品などを収納しておくために利用していた箪笥となっている。例え船が難破しても壊れないほどの頑丈な造りをしているのが特徴であり、盗難防止も兼ねて非常に複雑な造りをしている。船乗りの威厳と富を象徴していることもあって華美な様相をしているのもこの船箪笥の魅力となっている。江戸時代中期から明治20年ぐらいまで頻繁に利用されていた。当時の日本的な金庫になります。

2:車箪笥 箪笥の下に車が付いたモノで、火事などの自然災害などが発生した際に持ち運びすることを可能とした。しかし江戸で発生した江戸大火によって多くの人々がこの車箪笥を持ち出そうとしたため大混乱が起きた歴史もあるため、その後幕府は主要生産都市に生産中止を言い渡すようになったため、その後は徐々に歴史的に衰退して行くこととなります。
3:帳場箪笥 商店などで利用されていた金庫代わりの箪笥で、別名帳箪笥とも言われている。人目につき安いところに配置していることが多く、店の威厳などを象徴するためにデザインなどもバリエーションに富んでいたこともあって、当時としてはユニークな箪笥の一種として見られていたのかもしれません。
4:水屋箪笥 茶室の隅にある茶器などを洗う場所に置かれるようになる箪笥で、現在で言うところの食器棚の原点とも言える箪笥となっている。当時は大きいモノで一間半、約190cmくらいの大きさの物が多く作られていたので、当時の人々の背丈などを考えると異質な巨大箪笥と見られていたといえる。作り手によってデザインなどが異なることがあるが、全体的に丁寧な仕上がりとなっているのもこの箪笥の特徴となっております。
5:階段箪笥 当時は長屋住まいなどが主流だったが、商家などでは二階建ての住宅に住んでいる人々もいたことから、その階段の下に収納スペースを置くことを目的とした箪笥がこの『階段箪笥』だ。最初から階段に箪笥としての機能を付けたといえる、これは当時からあまり広くなかった住宅事情を加味しての生活の知恵による発展型箪笥、といえます。
6:茶箪笥 茶道具をしまっておくために作られた小型の箪笥で、けんどん扉が付いているなど一般家庭の茶の間に置かれていることが多かった。年代によってはけんどん扉の素材として、硝子製の扉が使用されているものもございます。
7:薬箪笥 全面に細かい引き出しを作り、その中に漢方薬に必要な材料などをそれぞれ収納しておくことが出来る、東洋医学を生業としていた人には必要不可欠な箪笥。伸び縮みが少なく触り心地も良い桐材が主に使われました。材質的に水分を吸いにくい特徴があり、湿気を嫌う薬の保管をはじめ、当時の収納家具に多用された代表的な木材です。
8:刀箪笥 文字通り、刀を収納しておくための箪笥となっている。大きさ的には個人用の刀箪笥としては平均して幅が4尺ほどとなっているのが定番で、引き出しの中には刀を寝かせるために枕が備え付けられているなどの、武士の魂を持て成すという意味では高待遇となっております。衣装箪笥よりも歴史が古く、また時代が過ぎることで生産数も減っていったことも影響してか、箪笥の中でも珍重されております。

また、山形県庄内の庄内箪笥、山形県米沢の米沢箪笥、宮城県仙台の仙台箪笥、長野県地方の松本箪笥、岩手県地方の岩谷堂箪笥、福井県三国の三国箪笥、滋賀県近江の近江水屋箪笥、新潟県佐渡の佐渡箪笥、福島県二本松の二本松箪笥など、産地の時代和箪笥も強化買取りしております。

ご不要になりました古たんすや古い和家具がございましたら、ご処分前に六角堂までお問い合わせください。他にも英国アンティーク家具や北欧家具、デザイナーズ家具、各種ブランド家具まで、幅広く買い取りしておりますので、併せてお問い合わせください。

群馬県高崎市にて、和たんす、お着物、火鉢、お茶道具、持ち手に金銀象嵌の入った霰地鉄瓶。

 

群馬県高崎市にて、和たんす、お着物、火鉢、お茶道具、持ち手に金銀象嵌の入った霰地鉄瓶をお売りいただきました。

旧家解体前の片付け整理にてお呼びいただきました。今回お売りいただきました鉄瓶は、持ち手に金銀象嵌の装飾が入っており、人気の斑紫銅蓋、銀口のお品です。残念ながら、注ぎ口の先にカケがありましたが、良い作品ですので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。他にも、時代ある古き良きお品々をお譲りいただきました。大事にされていたお道具、大事に次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、六角堂をご指名いただきありがとうございました。

現在六角堂では、鉄瓶、急須、銀瓶、金瓶を強化買取りしております。強化買取中の鉄瓶は、以下となります。龍文堂、亀文堂、金龍堂、金寿堂、祥雲堂、瑞雲堂、雲色堂、光玉堂、蔵六造、大国造、日本梅泉造、秦蔵六、畠春斎、 般若勘渓、石黒光南、角谷一圭、鈴木盛久、長野垤志、中川浄益、名越弥五郎、宮崎寒雄、小泉仁左衛門、佐藤清光、菊池政光

六角堂出張地域

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その他、箱根、伊豆方面や軽井沢にも無料にて出張致しております。骨董品類に関しては全国出張買取致します。お気軽にご相談ください。

 

東京都世田谷区代田にて、チーク家具のサイドボード、ペルシャ絨毯、ヒロヤマガタのシルクスクリーン「森の蝶々」。

東京都世田谷区代田にて、チーク家具のサイドボード、ペルシャ絨毯、ヒロヤマガタのシルクスクリーン「森の蝶々」をお売りいただきました。

お引越し前の片付け整理にてお呼びいただきました。先日見積もりにお伺いしたお客様で、合い見積もりでしたが当社に決めていただく事となりました。人気のチーク家具やペルシャ絨毯、ヒロヤマガタのシルクスクリーンなど買い受けさせていただきました。ヒロヤマガタ作品は、当社の強化買取り作家ですので、お客様にご満足いただける価格にて買い受けました。こちらの作品は深い森に囲まれた噴水を囲む人々、森の澄んだきれいな空気まで伝わってくるかのような清清しい作品です。良いお品をお譲りいただき有難うございました。

帰宅時、世田谷区上北沢の甲州街道沿いにある「長浜ラーメン」ㇸと寄りました。こちらのお店の他にはない味に惹かれてかれこれ5年以上通ってます。本日は特盛味噌の全部のせをいただきました。すごいボリュームでしたが、更に替え玉を一杯追加してしまいました。細麺で茹で加減を細かく指定できるのが嬉しいです。やはり男はバリカタですね!

六角堂では「ヒロヤマガタ」の作品を探しております。
ご所蔵の作品(版画、肉筆が、ブロンズも高額買受致します。)がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取させていただきます。
ヒロヤマガタ作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
六角堂では、日本人洋画家作品の買い取りを強化しております。強化作家は以下となります。
六角堂では、ヒロ・ヤマガタをはじめ、インテリアアートの買い取りを強化しております。強化中の作家は以下となります。
天野喜孝、石ノ森章太郎、KAGAYA(カガヤ) 、笹倉鉄平、ジョウ・ナイトウ、鈴木英人、塚本馨三、鶴田一郎、藤城清治、松本零士、山形博導(ヒロ・ヤマガタ)、アイベン・ロール、シム・シメール、丁紹光、ミッシェル・ドラクロワ、ミッシェル・バチュ、トーマス・マックナイト、マーティロ・マヌキャン、クリスチャン・リース・ラッセン、ホアキン・トレンツ・リャド、カーク・レイナート
ご不要になりました作品がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。インテリアアートに詳しいスタッフが、見積もり査定させていただきます。出張料無料、お売りいただくお品が多い場合は、遠距離の出張買取も可能でございます。たくさんのお問い合わせお待ちしております。

ヒロ・ヤマガタ 略歴
滋賀県米原市出身、本名 山形博導
1948年、滋賀県米原市生まれ。アメリカ在住。
1964年、入学した高校で、美術教師でもある日本画家・椙村 睦親(すぎむら まさちか)に出会い、師事する。同時に、椙村先生の本棚で出会った、アンリ・ルソーの画集に多大なる影響を受ける。
1967年、高校卒業後は単身で上京。アルバイト先でもある画材屋で才能を見出され、広告会社でデザインやイラストの仕事を始める。その後、パリへ渡り定住、作品制作に没頭する日々を送る。
1973年、パリの画廊と契約し、ウィーンで初の個展を開催する。この頃は、作品の大半が水彩や油彩で、リトグラフやシルクスクリーンなどの版画は、ほとんど制作されていない。
1978年、ロサンゼルスの画廊と契約してロサンゼルスに移住。シルクスクリーン技法による、100色以上の色を散りばめた鮮やかな版画作品により、一躍その名を馳せる。また、アメリカ各地で個展を開き、アートEXPOへも出展するようになる。
1983年、人類飛行200周年記念財団の公式ポスター作品に選ばれ、翌年の1984年には、ロサンゼルス市観光誘致キャンペーン公式作品を制作。その後も、「自由の女神 100周年記念」「オーストラリア建国記念」「エッフェル 塔100周年」「コロンブス新大陸発見 500年記念」「京都 遷都 1200年祭」など、数々の公式作品を制作する。
1984年には、ロードアイランド州が、9月21日を「ヒロヤマガタの日」と定め、名誉市民の称号が贈られる。東京で初の個展が開催されたのもこの年である。
1987年、ヤマガタ財団を設立。
1992年、米国ウォルト・ディズニーアートクラシックインクと契約。 ヤマガタと言えば、シルクスクリーン技法を用いて、鮮やかな色で描かれた作品が特徴である。しかし、国内においては、カラフルな色使いによる、シルクスクリーン版画のイメージが強いが、世界のヒロヤマガタとしては、レーザーやホログラムを使った現代美術家として知られている。
1996年 長野冬季オリンピックの公式ポスター制作。