秋田県能代市より木村渡雲の薄端、龍の置物、千葉県市川市にて中島千波の画集。

秋田県能代市より木村渡雲の薄端、龍の置物、千葉県市川市にて中島千波の画集をお売りいただきました。

本日は一件の宅配買取、一件の出張買取。一件目は秋田県能代市より花器の宅配買取。遠州流の茶道、華道を教えていらしゃった曽祖父様が使用されていた花器をご売却されたいとご連絡を頂き、宅配買取にてお売りいただきました。お売りいただいたお品は、木村渡雲(二代 村田整珉)の銅製 細密龍彫刻薄端、古銅龍の置物。いずれも龍の細密彫刻が大変素晴らしく、保管状態も良かったので、お客様にご納得いただける査定額で買い取りさせていただきました。曽祖父様が大切にされ、ご家族の思い出のお品、当社で責任持って次へと橋渡しさせていただきます。最初にメールをいただいた時から、宅配買取終了時まで丁寧にお取引していただき、誠に有難うございました。二件目は千葉県市川市へ絵画の出張買取。絵画をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、外国人画家のリトグラフ数点、中島千波の画集「花物語」。花物語は日本経済新聞社から出版され、中島千波の代表する花の絵画をセットにしたオフセット画集になります。全て保管状態が良く、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。絵画のご処分に六角堂をご指名くださり、有難うございました。

村田整珉(むらたせいみん)1761~1837年 江戸時代後期の鋳金家。
宝暦11年8月13日生まれ。江戸の人。田川珉武の門人。蝋型(ろうがた)鋳造の名手で,置物,花瓶,仏具などをつくった。初代整珉(1761年8月13日 生まれ、1837年11月24日 没)の後は、子供が幼かった為、養子で弟子の木村渡雲(岩手県出身)が二代目整珉となり、後に、初代の実子(仙次郎)が三代目整珉となっています。天保(てんぽう)8年11月24日死去。77歳。本姓は木村。通称は総次郎。別号に北玉叟。

中島千波(なかじまちなみ)1945年~
1945年 日本画家・中島清之の三男として疎開先の⻑野県小布に⽣まれる
1969年 東京藝術⼤学⽇本画科を卒業。第54 回院展へ初出品した「窓」が⼊選
1971年 東京藝術⼤学⼤学院を修了
1979年 第5 回⼭種美術館賞で、優秀賞を受賞
1984年 第1回横の会結成に参加(以後1993年の第10回最終展まで参加)
1987年 NHK テレビ「きょうの料理」のテキスト表紙絵を担当。以降、3 年間⼿掛ける
1990年 三溪園臨春閣第六室襖絵「不⼆と桃花図」「松林図」が完成
1992年 「おぶせミュージアム・中島千波館」が開館
1994年 東京藝術⼤学美術学部助教授に就任
1995年 歌舞伎座緞帳「淡紅⽩梅」が完成
2000年 東京藝術⼤学美術学部デザイン科教授に就任
2006年 ⼩布施名誉町⺠に選出される

埼玉県熊谷市にて加茂桐箪笥、時代桐箪笥、川越市にて木下孝則の油彩画。

埼玉県熊谷市にて加茂桐箪笥、時代桐箪笥、川越市にて木下孝則の油彩画をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県熊谷市へ先日積み残した桐箪笥の出張買取でお呼びいただきました。先日陶器や刀剣、掛軸などの骨董品のお片付け整理でお呼びいただきましたが、お品数が多く積みきれませんでしたので、本日再度お呼びいただきました。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、天丸下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社で数多く取り扱う高級桐たんすになります。伝統工芸士である頓所芳男の作。所々に砥粉落ち、小傷などございましたが、買取強化中のタンスですので買取させていただきました。他にも明治期の時代桐箪笥や小箪笥など、素晴らしい時代金具の桐たんすをお売りいただきました。先日に続き、本日もお忙しい中お呼びいただき有難うございました。ご家族の大切にされていた思い出の桐箪笥、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二件目は川越市へ、絵画の出張買取でお呼びいただきました。お売りいただいた作品は、木下孝則の油彩画「花」の他、リトグラフなど数点。木下孝則の油彩画はタトウ箱あり、状態も良かったのでお客様にご満足いただける査定額で買い取りすることが出来ました。木下孝則は東京都出身の大正~昭和時代に活躍した洋画家。婦人像を描き続け、穏健な写実派の作家として知られており、戦後は一連のバレリーナの作品によって注目されます。婦人像やバレリーナを題材にした作品の他、薔薇などの花を題材にした作品を多く残しました。六角堂でも多数買取させていただいている画家でございます。素晴らしい作品をお売りいただき有難うございました。

木下孝則(きのしたたかのり)1894~1973年
1894年 東京都で生まれる。
1917年 京都帝国大学法科政治経済学科に入学。
1921年 第8回二科展に「富永君肖像」初入選。
1923年 小島善太郎、児島善三郎、林武、野口弥太郎、木下義謙等と円鳥会会員となる。
1924年 二科展で樗牛賞を受賞。
1925年 二科展で二科賞を受賞。
1926年 一九三〇年協会の創立会員となる。春陽会の会員となる。
1928年 渡欧。
1933年 サロン・ドートンヌに「ピンクのガウンをかけた女」出品。
1935年 帰国。
1936年 木下義謙、小山敬三、硲伊之助等と二科会を退会し、一水会の創立に参加。
1937年 第1回一水会展に「O氏像」「ヴォーグ」「K嬢像」出品。
1952年 日本国際美術展に「裸婦」「少女像」出品。
1958年 日本芸術院賞を受賞。
1962年 一水会委員展に「靴下をはく女」出品。
1969年 日展に「水色のバレーダンサー」出品。
1973年 3月、79歳で逝去。勲四等旭日小綬章を受章。

東京都中野区弥生町にて三味線、琴、司馬江漢や与謝蕪村などの掛軸。

東京都中野区弥生町にて三味線、琴、司馬江漢や与謝蕪村などの掛け軸をお売りいただきました。

司馬江漢(しばこうかん)1747~1818
江戸時代後期の絵師、蘭学者。
本名は安藤峻。俗称は勝三郎、後に孫太夫。
字は君嶽、君岡、司馬氏を称し、号は春波楼、桃言、無言道人、西洋道人とする。
なお、浮世絵師の鈴木春重は同一人物。
1747年、江戸に生まれる。狩野古信を師とし、浮世絵は鈴木春信に学び、のち写生体の漢画、美人画を描く。さらに南蘋派を宋紫石から学んだのち、平賀源内や大槻玄沢ら学者との交わりから、西洋画に興味を持つ。1783年の日本初の腐触銅版画「三固景図>」や油彩画「異国風景人物図」など、日本の風景や異国の風俗を題材にした銅版画や油彩画を制作した。絵画のほか、世界地理や天文に関する著書や随筆も残している。

与謝蕪村(よさぶそん)1716~1784
本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」、「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」、「謝寅(しゃいん)」など複数の名を持つ。
与謝蕪村は松尾芭蕉・小林一茶と並び江戸時代における三大俳人に選ばれている俳人です。摂津国(現大阪府)で生まれ1736年頃に江戸に下り俳諧を学びます。1743年、俳諧の師が亡くなり下総国(現茨城県)に住みますが、松尾芭蕉の各地を回る行脚生活に憧れて、自身も僧の姿に身を変え東北地方周遊しました。宿代の代わりに絵を置いていく与謝蕪村の修行の旅が始まりました。京都に居を構え、結婚し娘を授かりますが、妻と娘を残し隠岐に赴き多くの作品を残しています。後に京都に戻り生涯を京都で過ごしました。与謝蕪村の功績として挙げられるのが俳画です。俳句に絵を入れたもので、与謝蕪村が確立した独自のジャンルになります。有名なものですと「奥の細道図巻」があります。これは松尾芭蕉の奥の細道を書き写し、そこに挿絵を入れた作品です、こちらは重要文化財に認定されております。画家としての活躍も素晴らしく1771年に池大雅と合作した文人画「十便十宜帖」は重要文化財に指定されています。

埼玉県熊谷市にて瀧下和之の桃太郎図、深谷市にて和家具、中国家具。

 

埼玉県熊谷市にて瀧下和之の桃太郎図、深谷市にて和家具、中国家具をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県深谷市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。家具や骨董品などをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、欅材のサイドボード、中国家具のチェスト、陶器、お着物など。たくさんのお品をお売りいただきました。陶器は花器や置物など。着物は多少シミ汚れなどございましたが、全て買い取らせていただきました。お忙しい中、お呼びいただき有難うございました。二件目は不動産業者様のご紹介で、熊谷市へ絵画の出張買取でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、瀧下和之の桃太郎図「桜の木の下で」、「鬼ヶ島で水遊び」の二点。瀧下和之は昭和~現在に至るまで活躍している気鋭の若手日本画家。日本人なら老若男女だれもが知っている昔話などをテーマに、本編の話とズレた鬼目線で、生活感ある場面をリズミカルでユーモラスに描く作風が特徴です。お売りいただいた桃太郎図シリーズは瀧下作品の中でも特に人気のあるシリーズです。パネルに破損等ございましたが、作品の状態は問題なくお客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。お喜びいただけて良かったです。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
本日はお昼休憩で、深谷市にある「かつ太郎 深谷店」さんでランチをしました。かつ太郎さんはわたしの好きなばんどう太郎さんのグループ店舗のようです。本日は、とんかつランチセットにしました。キャベツ、ご飯、汁物、香の物はおかわり自由で、ご飯は白米か二十一穀米を選ぶことが出来ます。おかわり自由ですとついつい食べ過ぎてしまうわたしですが、二件の出張買取ですので本日は我慢。次は仕事がオフの時にでも行きたいと思います。

瀧下和之(たきしたかずゆき)
1975年 熊本県中央町に生まれる
1991年 熊本県立第二高校 美術科に入学
1995年 東京藝術大学美術学部デザイン科入学
1999年 東京藝術大学美術学部デザイン科卒業
2001年 東京藝術大学大学院(描画装飾デザイン専攻、中島千波研究室)修了
2008年 第4回 東山魁夷記念 日経日本画大賞展 入選
2009年 「桃太郎図」画集刊行(求龍堂刊)
2011年 画集「瀧下和之作品集 JAPON:ism」刊行(求龍堂刊)
2015年 画集「瀧下和之作品集 桃太郎図Ⅱ」刊行(求龍堂刊)

埼玉県熊谷市にて着物、刀箪笥、加藤豊久のぐい呑、福島武山の香炉など。

 

埼玉県熊谷市にて、お着物、刀箪笥、刀剣、加藤豊久のぐい呑、福島武山の香炉、盃、作家物の陶器多数、掛軸などをお売りいただきました。

箪笥や骨董品などをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、お着物、刀箪笥、刀剣、加藤豊久のぐい呑、福島武山の香炉、盃、作家物の陶器多数、掛軸など。お着物はシミや汚れの出てしまっているものも多くございましたが、すべて買い受けさせていただきました。お父様が集めていらっしゃった骨董品が数多くあり、刀箪笥や刀剣、陶器、掛軸など、こちらもすべて買取させていただきました。刀箪笥は一見すると衣裳箪笥の下の部分のようにも見えますが、衣裳箪笥と比べると抽斗が浅く、奥行は30㎝程度、横幅は長くつくられております。材料の桐は、湿気の侵入を防ぐ性質があり、刀剣や美術品などの保存に適しているとして古来より重用されました。刀剣二振、脇差、拵なども併せてお売りいただきました。刀剣は状態良く、銘ありの良いものでした。陶器は数がたくさんありましたので、一点一点丁寧に査定し、お客様にご満足いただける査定額で全てお売りいただきました。加藤豊久のぐい呑みは赤志野、志野、鼠志野の三種四点。福島武山は赤絵恵比寿大黒文香炉、赤絵布袋遊戯文盃、赤絵網之手鳳凰図酒盃の三点。加藤豊久や福島武山の他、当社で買い取りを強化している陶芸作家作品が多くございました。桐箪笥や時代箪笥が多くございましたが、トラックいっぱいのお品を買い取らせていただきましたので、本日は積みきれず。近日またお呼びいただくこととなりました。お母様の大切にされていたお着物、お父様の大切にされていた骨董品、全て大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は良いお品を多数お売りいただき、誠に有難うございました。

加藤豊久(かとうとよひさ)1962年~
1962年 岐阜県生まれ。
1983年 朝日陶芸展新人奨励賞。
1984年 中日国際陶芸展入選。
1987年 東海伝統工芸展安藤七宝賞。
1988年 岐阜県美術展優秀賞。東海伝統工芸展入選。
1989年 朝日陶芸展入選。
1990年 美濃陶芸展中日奨励賞。
1992年 美濃陶芸展中日奨励賞
1994年 東海伝統工芸展入選。
1995年 美濃陶芸庄六賞茶碗展庄六賞。現代茶陶展入選。
2004年 「土代久」に改名。

福島武山(ふくしまぶざん)1944年~
1944年 生まれる
1963年 石川県立工業高校デザイン科を卒業
1981年 日本伝統工芸展初入選
1982年 全国伝統的工芸品展にて奨励賞を受賞
1983年 創造美術展にて朝日新聞新聞社特別賞受賞
1986年 創造美術展にて北華賞受賞
1987年 日本工芸会正会員
1989年 九谷焼産業デザインコンクールにて名古屋通商産業局長賞受賞
1990年 九谷焼産業デザインコンクールにて石川県知事賞受賞
1995年 創造美術展にて東京都知事賞受賞
1996年 天皇・皇后両陛下ご来県のみぎり、ご使用のお茶碗謹作
1997年 日本工芸の世界巡回展(五か年)に国際交流基金より選抜される
1999年 第23回全国伝統的工芸品公募展にて第1席グランプリ内閣総理大臣賞受賞
2000年 第24回全国伝統的工芸品公募展で伝統工芸士会会長賞を受賞
2002年 第25回伝統九谷焼工芸展で大賞を受賞
2003年 第17回日本陶芸展に入選
2004年 第27回伝統九谷焼工芸展で優秀賞を受賞。石川県指定無形文化財保持団体九谷焼技術保存会会員。
2007年 石川の伝統工芸展で優秀賞を受賞
2008年 九谷焼伝統工芸士会会長に就任
2010年 伊勢半本店で開催の企画展「華雅やきの赤絵細描-九谷赤絵の妙技」に出品
2012年 第65回記念創造展 創造美術大賞受賞
2015年 三井ゴールデン匠賞を受賞
2018年 日本橋三越本店で「出会いから50年 九谷焼赤絵 福島武山展」を開催

千葉県市川市にて藤林徳扇の織物額、船橋市で着物、茶道具、花器など。

 

千葉県市川市にて十二代 藤林徳扇の額装織物「土佐犬」、信楽焼の特大たぬきの置物、船橋市で着物、茶道具、花器、木彫などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は十二代 藤林徳扇の額装された織物や信楽焼の特大たぬきの置物の出張買取。十二代藤林徳扇は生地やキャンバスに、時が経っても変色のない本金糸や本 プラチナ糸を使用し、五大宝石(ダイヤモンドやエメラルド等)をパウダー状にした上で絵の具化し、 様々な独自の特殊技法で着物の他、アート作品を制作されております。お売りいただいた作品は「土佐犬」。共シール・黄袋・色紙・タトウ箱など全ての付属品あり。一度も飾らずに大切にタトウ箱で保管されておりましたので、大変良い状態、お客様にご満足いただける査定額で買取することができました。当社査定額にお喜びいただけて良かったです。二件目はお隣、船橋市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、お着物、茶道具、花器、木彫など。お着物は多少シミや汚れのあるものもございましたが、全て買い取らせていただきました。茶道具は佐藤清光の丸釜や釜釻の他、茶碗や水指などをお売りいただきました。他にも花器や熊の木彫り、雑貨などたくさんのお品をお売りいただきました。お忙しい中、六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。
出張帰りに、船橋市にある「麺場 田所商店 船橋店」さんへと寄りました。田所商店さんはよく食べに行きますが、船橋店は初めてです。いつもは九州麦味噌らーめんを食べますが、今日は伊勢味噌らーめんを選択。こちらは岡崎八丁味噌の流れを組んだ丸大豆が主原料の豆味噌で、やや濃口。甘口の味噌らーめんが好きですが、たまに食べる濃口もとても美味しかったです。

十二代 藤林徳扇
大正9年(西暦1920年)生まれ。 延宝8年より京都市北区鷹ヶ峰にある旧藤林町にて、初代徳扇が、宮家はもとより宮内庁御用達の錦の御旗の織り匠として創業して以来、300有余年、代々名を継承。生地やキャンバスには、時が経っても変色のない本金糸や本 プラチナ糸を使用。また五大宝石をパウダー状にした上で絵の具化し、 様々な独自の特殊技法で創作。芸術界のノーベル賞と表現されるユネスコでのグリーティングアーティストとして日本人で唯一選出される。

佐藤清光
山形県出身の釜師で、清光堂工芸社の8代目として活躍した山形鋳物界の名工として知られています。人間国宝である根来実三に師事して修行を積み、卓越した技術と天性の美術的才能を生かした茶の湯釜には多くの茶人から高い評価を受け、愛用されています。
1916年 山形県で生まれる
1953年 日展で初入選する
1958年 ベルギー万国博覧会で受賞する
1964年 アメリカ万国博覧会で受賞する
1985年 第32回日本伝統工芸展で入選する
1989年 齋藤茂吉文化賞を受賞する
1992年 勲六等瑞宝章を受章する
1996年 逝去

埼玉県行田市にて木内禮智や岳南のブロンズ像、着物、反物など。

埼玉県行田市にて木内禮智や岳南のブロンズ像、着物、反物などをお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しに伴い、お母様のお着物や反物、ブロンズ像や置物などをご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、木内禮智や岳南のブロンズ像、訪問着や大島紬の反物など。たくさんのお品をお売りいただきました。彫刻家木内禮智のブロンズ像は「馬」、「躍進」の二点。共に1982年の作品で共箱あり。大変状態良い作品であります。岳南のブロンズ像は横たわる裸婦で共箱はありません。少々傷みがございましたが、大変造りの良い作品、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。馬や裸婦のブロンズ像は、人気がありますので高額査定となることが多いです。本日は素晴らしい作品をお売りいただき、有難うございました。
帰路、行田市にある「松栄庵」さんで食事をしました。和風だしの効いた昔ながらのカレーそばがとても美味しかったです。また寄りたいと思います。

木内禮智(きうちれいち)
1931年 4月 東京都で生まれる。
1955年11月 日展初入選。
1956年 3月 東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。
1961年 4月 仏国政府給費留学。パリ国立美術学校彫刻科入学。
1964年 8月 帰国。
1965年11月 日展特選。
1966年11月 日展特選。
1967年 4月 東京家政大学助教授就任。
1971年 4月 日彫大賞受賞。
1973年11月 日展審査員。
1974年 4月 日展会員。
1980年 4月 東京家政大学教授就任。
1983年 4月 日彫展西望賞受賞。
1990年 4月 日展評議員就任。
2002年 4月 東京家政大学名誉教授就任。

埼玉県ふじみ野市にて熊谷好博子、菅有鬼一の帯や着物、和光市にて仏像。

埼玉県ふじみ野市にて熊谷好博子、菅有鬼一の帯や着物、和光市にて庄司司峯作木彫観音菩薩像や仏像などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県ふじみ野市へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、熊谷好博子、菅有鬼一の帯やお着物、ギターやオーディオなど。たくさんのお品をお売りいただきました。熊谷好博子(くまがいこうはくし) は昭和30年代から50年代にかけて活躍した東京友禅の作家。川端龍子から日本画を学び、このとき授かった雅号・好博子として生涯活躍しました。日本画を学び、後に江戸友禅に日本画の素養を向けて独自の力量・作風を“東京友禅”として確立した日本を代表する染色家であります。その作風は初めは伝統的な友禅の意匠や技法を取り入れたものでしたが、それまで友禅になかった新しい試みを展開しました。その一つは自身が「天然自然の造形」と称し、人の手では生み出すことの出来ない自然の現象に着目したことです。樹木の木目、葉の形や葉脈、石のざらざらした面などを生地に写し、自然の美を着物の文様に取り入れました。友禅の具体的な文様に対して、曲線で構成した幾何学模様も熊谷好博子作品の特徴です。お売りいただいた帯は春日傘の文様が見事な帯でございます。多少使用感やシミが出てしまっておりましたが、買取強化作家作品ですので、買取させていただきました。菅有鬼一(すがありきいち)もまた、東京友禅の作家であります。東京友禅の特色を生かした現代のきものを数多く制作しております。こちらも使用感やシミが出てしまっておりましたが、強化買取中の作家作品ですので、買取させていただきました。他にもギターやオーディオなど、たくさんのお品をお売りいただきました。お売りいただいたお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日の二件目は、埼玉県和光市へ出張買取させていただきました。こちらでは彫刻作家の観音菩薩の他、布袋様や七福神、不動明王像など多くの仏像をお売りいただきました。お爺様のご遺品である仏像や木彫置物など、ご処分にお困りのようでしたが、次へと繋げることが出来お喜びいただきました。大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、有難うございました。

静岡県浜松市にて田中主水の福禄寿、門井俊夫の大黒天、仏像など。

静岡県浜松市にて田中主水の福禄寿、門井俊夫の大黒天、仏像などをお売りいただきました。

旧家解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。木彫りの仏像や置物を多数ご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただきましたお品は、田中主水の福禄寿、門井俊夫の大黒天、木彫りの仏像や置物など多数。車内一杯お売りいただきました。田中主水は江戸時代後期の大阪の仏師であり、住吉大社の大工の棟梁でもあります。お売りいただいた作品は極彩色の木彫り福禄寿。細部にまで精密に彫刻、彩色されており、大変素晴らしい田中主水作品であります。門井俊夫は周防大島の宮大工の家系に生まれ、彫刻界の巨匠平櫛田中(ひらくしでんちゅう)に師事します。その後彫刻家、仏師として仏像や木彫りなど数々の作品を残されました。お売りいただいた作品は、木彫りの大古久天(大黒天)。残念ながらお顔や台座にひび割れがございましたが、大振りの作品で大変造りの良い大黒様でした。他にも不動明王、観音菩薩、千手観音像などたくさんの仏像をお売りいただきました。遠方の出張買取でしたが、お客様にお喜びいただけて良かったです。お売りいただきました作品の数々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。
帰宅時に新東名の浜松SAで静岡おでんを食べました。京都へ出張する際にはいつも寄らせていただいてます。味噌、けずり粉、青のりを振り掛けて食べる静岡おでんはとても美味しいです。

門井俊夫(かどいとしお) 1917~1986年
社寺彫刻を生業としていた門井鳳雲の長男として周防大島町(旧東和町)に生まれる。少年期に光市上島田に移り住む。木彫界の巨匠平櫛田中に師事し、日展入選21回を数え、同会友となる。日本彫刻会無鑑査会員でもあり、日彫賞を4回受賞する。「弘法大師像」(室積象鼻ヶ岬)、文化センター外壁レリーフなどがある。紺綬褒章受章。

東京都渋谷区代々木にて奥村土牛、木村圭吾のリトグラフ、茶の木人形など。

東京都渋谷区代々木にて奥村土牛、木村圭吾のリトグラフ、茶の木人形などをお売りいただきました。

本日は一件の見積もり、一件の出張買取させていただきました。一件目は新宿区四谷三栄町へ、お着物や煎茶道具の見積もり。作家物のお着物や煎茶道具を一式見積りさせていただき、ご処分が決まり次第お呼びいただくこととなりました。またお呼びいただける日を楽しみにお待ちしております。二件目は渋谷区代々木へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、奥村土牛のリトグラフ「春の富士」、木村圭吾のリトグラフ「富嶽赤映」、日本画、掛け軸、こけし、茶の木人形など。たくさんのお品をお売りいただきました。静岡県ご出身のお客様で、富士山を描かれた日本画や掛け軸が多くございました。奥村土牛、木村圭吾の作品はリトグラフでしたが、当社で買い取りを強化している人気作家作品ですのでお客様のご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。こけしの他にお売りいただきました「茶の木人形」とは、江戸時代後期、茶師上林清泉(1801~70年)により宇治の地で創始された茶摘み姿の女性の根付人形のことをいいます。宇治の地で作られたため、宇治人形とも呼びます。茶の木は、しっかりと根を下ろす強い生命力があり、新芽も次々と出てくる事から無病息災や子宝にも恵まれ、人の縁もしっかり結ぶ縁起物として、皇室や大名家にも愛されました。茶の木は太いものではなく、堅い木ですが、それを滑らかに削って美しい彩色をするということで価値がございます。お売りいただいた茶の木人形は江戸後期頃の作で、底部に焼印がございます。彩色も残っており、良い状態のお人形でしたので、こちらもお客様にご満足いただける査定額で買取することができました。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
本日の昼食は、四谷三栄町にある「徒歩徒歩亭」さんへ行きました。雲吞が有名なお店ですので、迷わず雲吞麺を注文しました。肉厚の雲吞にしっかりとした濃厚スープ、とても美味しかったです。

奥村土牛(おくむらどぎゅう)1889~1990年
1889年 東京の京橋に生まれる。本名は義三。
1905年 梶田半古の門に入り、塾頭の小林古径に師事。
1907年 東京勧業博覧会に「敦盛」を出品し入選。
1911年 約5年間、逓信省貯金局統計課に勤務してポスターなどを描く。
1920年 あらためて小林古径の画室で指導を受ける。
1923年 中央美術社第5回展で「家」が中央美術賞受賞。
1927年 第14回院展に「胡瓜畑」を出品し初入選。
1929年 第16回院展に「蓮池」を出品、日本美術院院友に推挙される。
1932年 日本美術院同人に推挙される。
1935年 帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)日本画科教授に就任。
1936年 第1回帝展で「鴨」が推奨第1位。
1947年 帝国芸術院会員となる。
1959年 日本美術院理事となる。
1962年 文化勲章受章。文化功労者に顕彰される。
1978年 日本美術院理事長に就任。
1990年 死去。享年101歳。

木村圭吾(きむらけいご)1944年~
1944年 京都府生まれ。
1974年 シェル美術賞展佳作受賞。
1987年 滋賀県立近代美術館で個展。(以後多数個展)
1991年 静岡県駿河平に画室を構える。
1993年 両洋の眼展出品。(以降毎年)
1996年 倉吉博物館菅楯彦大賞展市民賞。
1999年 増上寺天井絵奉納。NHK大河ドラマ「元禄繚乱」装画担当。
2001年 法楽寺障壁画完成。
2003年 静岡県「クレマチスの丘」に木村圭吾さくら美術館開館。(2008年閉館)
2006年 カンヌ市・静岡市姉妹都市15周年記念特別展。
2009年 木村圭吾アートホール完成。
2016年 名古屋・京都にて画業50周年記念展。
2018年 平野美術館創立30周年記念展。