千葉市緑区にて頓所芳男 加茂桐箪笥、着物、船橋市にて黒田悦子の油彩画。

      

千葉県千葉市緑区にて頓所芳男 加茂桐箪笥、着物、船橋市にて黒田悦子の油彩画をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、千葉県船橋市へ絵画の出張買取でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、女流画家黒田悦子の油彩画「菖蒲」。サイズは四号。趣ある色調で「菖蒲」を描いております。作品左下に「書き印(悦)」あり。黒田悦子画伯は一枚の絵にも取扱いされている人気の作家さんです。作品の状態も良く、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただくことが出来ました。本日二件目は千葉市緑区へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、桐たんす、お着物をお売りいただきました。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、天丸昇り箪笥という形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。伝統工芸士である頓所芳男(とんしょよしお)の作。所々に砥粉落ち、シミ、小傷などございましたが、当社で買い取りを強化している桐たんすですので、買い取らせていただきました。他にもお着物がございましたが、残念ながらシミが出てしまっているものが数点ございました。シミの少ないものもございましたので、全て買い受けさせていただきました。ご家族の思い出の桐たんすやお着物、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は、六角堂のご指名ありがとうございました。
帰宅途中に千葉東金道路野呂パーキングエリアへ寄り、食事をしました。豚骨醤油ラーメンにミニカレーのセット、ボリュームたっぷりでとても美味しかったです。千葉県特産品の落花生をお土産に買って帰りました。

黒田悦子(くろだえつこ)1942年~
1942年 宮城県・石巻市に生まれる。
1962年 女子美術大学付属中等科入学。
1965年 大調和展初入選。
1968年 大調和展新人賞受賞。
1972年 女子美術大学卒業。
1974年 シェル美術展佳作受賞。
1975年 大調和展大調和賞受賞。
1976年 大調和展武者小路賞受賞。
1977年 大調和展武者小路実篤賞受賞、大調和会委員推挙。
1988年 大調和展文部科学大臣賞受賞。
1995年 大調和会運営委員推挙、シェル美術賞展佳作受賞。
現在、大調和会運営委員。

東京都豊島区東池袋にて、木彫り観音、水晶観音や布袋像、薩摩切子など。

 

東京都豊島区東池袋にて、厨子入り木彫り観音、本水晶観音菩薩や黄水晶布袋像、薩摩切子、仏像、天然石置物、数珠などをお売りいただきました。

解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。ご家族が集めていらっしゃったという仏像や水晶、天然石などをご処分されたいとのことでご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたのは、厨子入り木彫り観音、本水晶観音菩薩や黄水晶布袋像、薩摩切子、仏像、天然石置物、数珠など。厨子に埋められた観音菩薩立像は時代ある造りの良い木彫り仏でした。本水晶の観音菩薩や黄水晶(シトリン)の布袋像は近年造られた工芸品でありますが、唐木の台付きで造りの良いものでした。桐箱に納められた天然石は、紫水晶(アメジスト)や茶水晶、瑪瑙など様々で、枝珊瑚(赤珊瑚)などもございました。画像の他、ラピスや琥珀、トルコ石、孔雀石、虎目石など、多数の置物、数珠などの工芸品をお売りいただきました。薩摩切子はカメイガラスのもので、籠目切子洗鉢。たくさんのお品を併せてお売りいただきました。たくさんのお品数でしたので、査定・搬出に時間が掛かってしまいましたが、最後までお付き合い下さり有難うございました。ご家族の集めていらっしゃった仏像などのお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、誠にありがとうございました。
帰宅途中、埼玉県新座市にある「大村庵」さんで、かき玉うどんをいただきました。とろっとしたあんかけ玉子のスープが癖になります。美味しかったです。

埼玉県所沢市にて、江戸期の銭函、古紙、蓄音機など、富士見市にて蒔絵黒檀違い棚。

 

埼玉県所沢市にて、江戸期の升付き銭箱、古紙、蓄音機、SPレコード、アンティーク着物など、富士見市にて蒔絵の入った黒檀違い棚をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県所沢市へ、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。江戸時代よりご商売をされていたお家のお客様で、当時の和紙や古紙などを多数お売りいただきました。他にも江戸時代に使われていた升付き銭函(ぜにばこ)や蓄音機、SPレコード、アンティーク着物なども併せてお売りいただきました。銭箱(ぜにばこ)は江戸時代から大正頃まで使われていたお金をしまう木箱、今でいう貯金箱、金庫になります。「銭函」とも書きます。銭箱の中でも作りの良い物にのみ付属する、升(ます)の付いたお品です。当時ご商売されていたお客様のお店で今で言うレジとして使用されていたものと思われます。忙しい時は升からどんどん売り上げが放り込まれるものであったのでしょう。錠前も大型の立派なものでそれだけでも存在感があります。残念ながら鍵が欠品しておりましたが、六角堂で買い取りを強化している時代和家具ですので、買取させていただきました。ご家族の大切にされていた思い出のお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。また何かご処分されるときにお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は当社をご指名いただき有難うございました。本日二件目は業者様のご紹介で、埼玉県富士見市へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでお売りいただいたお品は、山水蒔絵の入った唐木(黒檀)違い棚。重厚感ある立派な違い棚でした。所々パーツが外れてしまっておりましたので、倉庫へ持ち帰り修理させていただきました。唐木は固い材質ですので、よくある症状ですが、経験豊富な当社のN氏はすぐに直すことが出来ます。違い棚の他、陶器の招き猫、置物なども併せてお売りいただきました。ご家族の大切にされていたお品々、まとめてお売りいただき有難うございました。

東京都練馬区にて、長田晴山の一葉観音、純銀製の恵比寿置物、屠蘇器揃など。

 

東京都練馬区大泉学園町にて、大仏師 長田晴山の一葉観音、純銀製の恵比寿天置物、屠蘇器揃などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、リフォーム前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、大仏師 長田晴山の一葉観音、純銀製の恵比寿天置物、屠蘇器揃など。長田晴山は京都の大仏師。道元禅師が仏法を求め中国に渡られ、修行を終えて船での帰路、大嵐に遭遇し、危うく命を落すところでした。一心に観音経を念誦されると、蓮華の花びらに乗った観音菩薩が現れ、風雨が静まり助けられたと伝えられています。その観音菩薩が、当作品の一葉観音菩薩(いちようかんのんぼさつ)であります。素晴らしい造形の観音菩薩です。950体のみ製造された中の一点。状態も良く、共箱など、栞などの付属品も全てございました。純銀製の恵比寿置物も共箱に保管されておりましたので、良い状態のものでした。純銀製屠蘇器揃は、盃、盃台、銚子、盆のセット。全てに純銀が使用されており、銀製刻印がございます。大変贅沢な屠蘇器揃えとなってます。画像の他、鑑賞水石、こけし、たぬきの置物なども併せてお売りいただきました。まとめてのご売却、ありがとうございました。
倉庫へ戻る途中、埼玉県新座市にあるラーメン屋「伏竜 本店」さんで食事をしました。豚骨野菜増しの味噌味、中盛りでこのボリュームです。こってりスープにもやしがとても良く合い、美味しかったです。

長田晴山(ながたせいざん)1920年-2010
師・彫刻家日本芸術院会員(物故)佐藤朝山(佐藤玄々)に師事(木彫)、京都芸術大学名誉教授 山本恪二に師事(彫塑)。
大正9年 兵庫県姫路市にて生まれる。
昭和35年 日本美術研究所 創設(京都市にて)、常盤工房 開設始動
昭和42年 鳴滝工房 開設始動
昭和55年5月、総本山仁和寺門跡 立部瑞祐、総本山金剛華寺阿含宗管長 桐山靖雄により、大仏師の称号授与さる。
昭和61年 山内工房 開設始動
平成22年 永眠
代表作に、長崎観音(長崎市・福済寺)、京都大仏(京都市山科区・金剛華寺)、金剛華菩薩(京都市右京区・仁和寺)、名古屋大仏(名古屋市・桃厳寺)、北海道大観音(芦別市)がございます。

東京都中野区にて毎田仁郎の色無地、本場村山大島紬、杉田祥平の茶碗など。

 

東京都中野区松が丘にて本加賀友禅作家「毎田仁郎」の色無地、本場村山大島紬の着物、杉田祥平の色絵栗画茶碗などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しすることとなり、お着物やお茶道具を減らしたいとのことでご連絡いただきました。お売りいただいたお品は、本加賀友禅作家「毎田仁郎」の色無地、本場村山大島紬の着物、杉田祥平の色絵栗画茶碗、水指などお茶道具。たくさんあるお品の中から今回ご処分されるお品を分けながら、一点一点査定させていただきました。買い取りを強化している作家作品が多く、また状態の良いお品も多くございましたので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただくことが出来ました。搬出後にお茶をいただき、茶道のお話などをしてとても楽しかったです。美味しいお茶、ご馳走様でした。徐々にお道具をご処分されるとのこと、またお呼びいただけたらと思います。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
倉庫へ戻る途中、所沢市にある玉川さんで食事をしました。本日のランチセットは天丼とおそばのセット。どれもとても美味しくて、お得なセットです。

毎田仁郎(まいだじんろう)
1906年(明治39年)石川県金沢市生まれ。
幼少時より身体の弱かった毎田仁郎は13歳の時に手に職を持つと決め京都で友禅の仕事をしていた、遠縁の下村光鳳(しもむらこうおう)に弟子入りします。下村光鳳の下で友禅の技術を学んでいましたが、第二次世界大戦がはじまり金沢へ疎開しました。戦後も金沢で仕事を続けた彼は、後に人間国宝となる木村雨山(きむらうざん)に弟子入りすることになりました。60歳になるまで自身の作品を展覧会に出品したことがありませんでしたが、師匠である木村雨山の勧めで日本伝統工芸展に初めて作品を出品し、見事入選しました。その後も様々な工芸展へ出展・入選し、1980年(昭和55年)には日本工芸会奨励を受賞しました。1993年(平成4年)逝去されました。

村山大島紬(むらやまおおしまつむぎ)
東京都武蔵村山市周辺で伝統的に生産されている紬。玉繭から紡いだ絹糸を板締染色し、絣織によって文様を出す絹布、およびそれを和服に仕立てたもののブランド名。
奄美大島の特産品である大島紬が生糸を用いるようになって普及が進んだ大正時代に、それに類似したものとして「大島」の名が使われ普及が進んだが、文様の彫刻を施した木の板を用いて意匠を染める板締の技法を用いるなど、それまでの大島紬とは異なる特徴をもっております。
村山大島紬は、1967年に東京都無形文化財に指定され、1975年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。

三代杉田祥平
大正3年11月15日生、京都出身
京都第二工業高校卒業後、二代杉田祥平(龍斎)に師事し作陶を始める。
昭和25年 京都国立陶磁器試験所を経て、家業を継承する。
昭和25年 旧伯爵家より、清閑寺焼を認可される。
京都伝統陶芸家協会役員
昭和60年 京都高島屋にて古稀記念展。
平成12年 逝去。現在は四代目が活躍中。
作風は色絵、色絵金彩等の仁清写し、染付、交趾などを得意とし、主に茶陶を主流とする。
三千家からの信頼も厚く、「色絵扇面草花流水画茶碗:裏千家鵬雲斎家元書付」などが
代表作として知られる。印名は「清閑寺」など

千葉県木更津市にて、片岡球子のリトグラフ、北村西望不動明王、古銅観音菩薩、赤珊瑚など。

      

千葉県木更津市にて、片岡球子のリトグラフ「うららかな富士」、北村西望のブロンズ像「不動明王」、古銅観音菩薩、赤珊瑚(桃色珊瑚)の置物や枝珊瑚などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。長距離出張の為、昨夜木更津へ入りビジネスホテルで一泊し、本日出張買取させていただきました。半月ほど前にご連絡いただき、ようやくお客様宅へお伺いすることが出来ました。本日お売りいただいたお品は、お父様が集めていらっしゃった骨董品など。画像の片岡球子のリトグラフ「うららかな富士」、北村西望のブロンズ像「不動明王」、古銅観音菩薩、赤珊瑚(桃色珊瑚)の置物や枝珊瑚の他、富永直樹のブロンズ、高岡銅器の置物、特大こけし、蛙の置物、有田焼の陶額、絵画、中国の古書など、多数お売りいただきました。
片岡球子は(1905年(明治38年)-2008年(平成20年))、北海道札幌市の出身で昭和、平成の時代に活躍した日本画家です。平成元年には、文化勲章を受章しています。本品は片岡球子のリトグラフ。片岡球子のリトグラフ作品は、作家自らが直接筆を振るって制作されました。1970年頃から描き続け、晩年20年間は制作の大半が富士山になるほど没頭して描れたモチーフです。形の大胆なデフォルメ、三原色や金泥を使った鮮やかな色調などの装飾的な表現によって、富士山の満ち溢れるような生命のエネルギーを描き出しています。
北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年は文化功労者として顕彰され、文化勲章を受章した日本彫刻界の泰斗です。不動明王は仏界と人間界のあいだの天界に住む五大明王のうちの筆頭的存在の明王。右手に魔を断ち切る剣、左手に悪を縛る縄、背中に火の鳥の炎、そして金剛石(ダイヤモンド)の原石とされる座っている岩、これら四つが不動明王を描く際の、ほぼ共通の構図とされており、当作品でも忠実に再現されています。
古銅製の観音菩薩坐像はとても優しいお顔の観音様。所々に破損がありましたが、当社で買い取りを強化している時代ある仏像、買取させていただきました。珊瑚は桃色のものでしたが、太めのしっかりとした珊瑚、置物、枝珊瑚共にお売りいただきました。他にも多数まとめてのご売却、誠に有難うございました。お茶やお菓子をご用意いただいたりと、お気遣いくださり有難うございました。また、東北地方のご実家のお片付けの際にお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は六角堂のご指名、有難うございました。
画像は、昨夜木更津へ向かい際に寄ったアクアライン海ほたる。フードコートで食べた「ち~ば丼」。金目鯛、穴子、あさり、さんがフライ、卵焼き、ねぎ、きゅうり、生姜を乗せた賑やかな丼でした。出張帰りに寄った「活き活き亭 金田店」では、三色丼(ウニ、いくら、ねぎとろ)、あさりご飯と、贅沢な食事をしました。浜焼きで人気のお店のようですが、海鮮丼もとても美味しかったです。帰りにまた、海ほたるへ寄ってお土産を買って帰りました。遠いようで近い千葉県出張買取、お土産選びが難しいです。

片岡球子(かたおかたまこ)1905年(明治38年)-2008年(平成20年)
1905年 1月5日、北海道札幌市に生まれる。
1923年 北海道立札幌高等女学校師範科卒。日本画家を志す。女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科に入学。
1926年 女子美術専門学校 日本画科高等科を卒業。神奈川県横浜市立大岡尋常小学校に教論として赴任。
1930年 日本美術院再興第17回展(以下、院展)に「枇杷」を出品、初入選。
1935年 日本美術院絵画部第19回 試作展に「炬燵」が入選、試作賞。
1938年 日本美術院絵画部研究会員研究会で「寒空」が大観賞第一賞受賞。
1939年 日本美術院絵画部研究会で「新緑」が大観賞第二賞受賞。第26回 院展に「緑陰」が入選。日本美術院院友に推挙される。
1942年 日本美術院絵画部研究会で「祈祷の僧」が大観賞受賞。
1946年 安田靫彦に入門する。第31回 院展無鑑査に出品、「夏」が日本美術院賞受賞。
1948年 第33回 院展で「室内」が入選、日本美術院賞。
1950年 第35回 院展で「剃髪」が日本美術院賞、白寿賞を受賞。
1951年 第36回 院展入選「行楽」が奨励賞、白寿賞を受賞。このころ東京藝大 山本豊市教授より彫刻デッサンを学ぶ。
1952年 第37回 院展で「美術部にて」が日本美術院賞、大観賞を受賞。日本美術院同人に推挙される。
1955年 横浜市立大岡小学校を依願退職。女子美術大学 日本画科 専任講師となる。
1959年 第14回 春の院展に「海岸」を出品。三越本店にて初の個展が催される。
1960年 女子美術大学日本画科の助教授に就任。
1961年 院展出品作「渇仰」が文部省買上げ作品となる。第46回 院展に「幻想」を出品、舞楽をテーマにした初めての作品。第11回 芸術選奨 文部大臣賞を受賞。日本美術院評議員に推される。
1962年 初の渡欧。 フランス・イタリア・イギリス各地の美術館を巡る。第5回現代日本美術展に「桜島の昼」「桜島の夜」を招待出品。女子美術大学 日本画科 教授に就任。
1965年 神奈川県立近代美術館賞を受賞。
1966年 第51回 院展に「面構 足利尊氏、義満、義政」を出品。愛知県立芸術大学の開校に合わせ、日本画科主任教授として迎えられる。「面構」「富士山」両シリーズの制作開始。
1970年 北海道庁よりの依頼で「函館街頭風景」を 制作。神奈川県藤沢市に転居。
1971年 第56回 院展に「面構一 葛飾北斎」「面構二 東洲斎写楽」を出品。
1972年 パリで催された個展「富嶽三十六景」に合わせ渡欧。
1975年 自伝「情(こころ)ありて」を執筆。第59回 院展出品作「面構 鳥文斎栄之」が第31回 日本芸術院恩賜賞を受賞。
1976年 勲三等端宝章を賜る。
1978年 日仏現代美術パリ展に「面構 喜多川歌麿」出品。第27回 神奈川文化賞を受賞。
1981年 日本美術院理事に就任。
1982年 日本芸術院会員となる。
1983年 第38回 春の院展に初の裸婦作品「ポーズ1」を出品。
1986年 文化功労者に顕彰される。
1989年 文化勲章を賜る。第42回 中日文化賞を受賞。
1991年 画業70年を記念して各地で個展が催される。
1993年 愛知県立芸術大学教官・卒業生らと約20年かけた「法隆寺金堂壁画模写」全32面が完成し一般公開。
1996年 画業75年展を各地にて開催。愛知県立芸術大学美術学部に奨学基金として1億円を寄贈。
1999年 都営地下鉄 大江戸線 築地市場駅構内「ゆとりの空間」に設置される「江戸の浮世絵師たち」原画を制作。
2004年 白寿記念展「片岡球子展〈白寿記念・極める—人間と山〉」を開催。
2005年 百歳を記念して各地にて「片岡球子百壽展」を開催。
2008年 1月16日、逝去。享年103歳。従三位に叙せられた。
2015年 生誕110年 片岡球子展 (東京国立近代美術館・愛知県美術館)

北村西望(きたむらせいぼう)1884~1987年
明治17年 12月16日、長崎県に生まれる(現同県南有馬町白木野)。北村家は白木野の豪農で仏教に篤く、西望は四男の末子である
明治36年 京都市立美術工芸学校入学(彫刻科)。師の国安虎三郎、親友建畠大夢に囲まれて、創作に熱中する。日本画の同級生には川路柳虹、村上華岳などがいた
明治41年 文部省第二回美術展覧会に「憤図」が初入選する
大正5年 第十回文展に「晩鐘」が特選になり、翌年には早くも無監査となる
大正8年 第一回帝展の審査員となる
大正10年 東京美術学校教授となる。朝倉文夫も同じく教授になる
大正14年 帝国美術会員になる。「母子像」「喜ぶ少女」等の傑作を世に出す
昭和13年 「板垣退助翁」を国会議事堂内に設置
昭和22年 日本芸術院会員となる
昭和30年 長崎市「平和祈念像」完成
昭和33年 文化功労者に顕彰され、文化勲章受章。日展が創立されると共に常務理事となり、以後日展を中心に旺盛な創作活動を示す
昭和44年 社団法人日展会長となる
昭和45年 社団法人日本彫刻会名誉会長
昭和47年 長崎県島原城内に「西望記念館」完成。多くの作品を寄贈する
昭和49年 日展名誉会長
昭和50年 故郷の長崎県有馬町に「西望公園」完成
昭和51年 新宮殿に「天馬」奉納
昭和52年 広島平和公園「飛躍」設置
昭和53年 信貴山「聖徳太子像」設置
昭和55年 東京都「名誉都民」となる
昭和56年 御岳山「畠山重忠像」設置
昭和58年 日展「天女の舞」出品
昭和62年 3月、天寿をまっとうされる

東京都台東区浅草橋にて、十二世 伊東久重 木彫御所人形「孝丸」

東京都台東区浅草橋にて、十二世 伊東久重 木彫り御所人形「孝丸」、振袖をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。東京都台東区へ出張させていただきました。一件目は、台東区駒形へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、桐たんす、イギリス製のアンティーク食器を買い取りさせていただきました。桐たんすは砥粉落ち、シミ汚れなどございましたが、大切にされていた思い出のお品でしたので、引き上げさせていただきました。次に繋げたいというお客様の思い、六角堂で責任もって次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名くださり、ありがとうございました。二件目は台東区浅草橋へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、お客様が成人式で使われた振袖のセット。大切に保管されておりましたので、良い状態でした。また、お子様が生まれたときにお父様から頂いたという有職御人形司 十二世 伊東久重 木彫り御所人形「孝丸」を併せてお売りいただきました。江戸時代から高貴な人々に愛される人形を作り続けてきた京都の伊東家。その伝統引き継ぐ有職御人形司(ゆうそくおんにんぎょうし)十二世伊東久重(ひさしげ)。伊東家は、江戸・享保年間(1716~36)、当時の当主、桝屋庄五郎が人形司として身を立てたのが始まり。67年に三代目庄五郎が、後桜町天皇から宮廷出入りの御所人形司として「有職御人形司 伊東久重」の名を賜りました。以降、代々久重を名乗っております。伊東久重の造る人形の素材は、ひび割れを防ぐため、30年以上もの間、自然乾燥させた桐材を使用します。子どもの姿を彫り、古い和紙を貼る。貝殻から作る白い顔料胡粉(ごふん)を50回ほど塗り重ね磨き上げることにより、透き通るような白い光沢が生まれる。そこに顔を描いていきます。西陣織を使う衣装作りは、代々の母や娘らが担ってきました。年間に作れるのは約30体で、数年かける作品もあるようです。御所人形は、白い肌の三頭身が特徴で、子供の遊びや、喜びに満ちた姿、様子を主題にしております。江戸時代にはその特徴から「頭大人形」や「三つ割人形」などと呼ばれておりましたが、明治時代になって、宮廷や公家、門跡寺院といった高貴な人々の間で愛されたことから「御所人形」と呼ばれるようになりました。宮中の慶事や出産、結婚など、様々な祝事の際に飾られてきた由緒ある人形です。本品は桐を使用したガラスケースに納められており、大変状態の良いお人形さんでした。大変素晴らしいお人形をお売りいただき有難うございました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。
買取終了後、墨田区にあるペッパーランチ吾妻橋店で食事をしました。近くへ買い取りに来た際にはよく寄らせてもらってます。本日はお肉たっぷりビーフペッパーライス、熱々でとても美味しかったです。

有職御人形司 十二世 伊東久重(いとうひさしげ)
昭和19年 有職御人形司 伊東家の長男として生まれる。
昭和53年 十二世 伊東久重を継承する。
昭和60年 科学万博・日本歴史館にて「伊東久重 御所人形の世界」展。
昭和60年 高島屋京都店美術画廊にて個展。
平成12年 京都にて「十二世 伊東久重 御所人形の世界」展。(京都新聞主催)
平成12年 静岡にて「十二世 伊東久重 御所人形の世界」展。(朝日テレビ主催)
平成17年 福岡にて「十二世 伊東久重 御所人形の世界」展。(北九州市主催)
平成21年 佐川美術館にて「宮廷の雅 伊東久重 御所人形の世界」展。
平成22年 北村美術館四君子苑にて「十二世 伊東久重展」。(同23、24年)
平成26年 高島屋京都店美術画廊にて「十二世 伊東久重 ・ 建一展」を開催する。
平成30年 静岡県駿河平に「十二世伊東久重美術館」を開館。
平成30年 高島屋京都店グランドホールにて「有職御人形司 十二世伊東久重の世界」展。(朝日新聞社・京都新聞主催)
平成30年 日本橋高島屋S.C.本館8階ホールにて「有職御人形司 十二世伊東久重の世界」展。(朝日新聞社主催)
(財)表千家不審菴理事、(財)金剛能楽堂財団顧問、(財)伝統文化保存協会理事長を務める。

千葉県鎌ケ谷市にて吉野民芸箪笥三竿、松戸市にて北川民次の版画。

千葉県鎌ケ谷市にて吉野民芸の箪笥三竿、松戸市にて北川民次のリトグラフをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目はお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は吉野民芸の箪笥三竿、オットマン付きチェアなど。吉野民芸は、福岡県大川市の家具。吉野民芸家具には、木目が美しく堅くて摩耗に強い国内産のケヤキを使用。引出しは釘を使わない頑丈な蟻組み工法で、調湿効果の高い桐材を採用しております。厚みのあるしっかりとしたタンスです。整理箪笥を二竿、階段箪笥(右下がり)を一竿お売りいただきました。所々に小傷、引き出し内側にシミや汚れなどございましたが、素晴らしいタンスですので全て買い取らせていただきました。階段五階からの搬出で時間が掛かってしまいましたが、お客様にお手伝いいただきましたのでスムーズに終えることが出来ました。最近運動不足気味でしたので、良い運動が出来ました。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。二件目は、松戸市へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、北川民次のリトグラフ、掛軸、反物など。北川民次らしい作風の蘭の花のリトグラフ。北川民次はメキシコ美術に影響を受けた太く力強い描線と鮮やかな色彩で、メキシコの独特の気風や人々を描いております。デフォルメされた独特な画風で、生気あふれる作品を多く残されました。残念ながらシミ汚れが多数ありましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、買い取らせていただきました。お引越し準備でお忙しい中、当社をお呼びくださり、有難うございました。
帰りに、松戸市にある「中華厨房ゆうえん」さんで食事をしました。こちらはわたしが15年前ほど前に近所に住んでおり、良く通ったお店です。当時よく食べていた麻婆麺をいただきました。当時から味も変わらず、とっても美味しかったです。また近くに来た時には、寄りたいと思います。

北川民次(きたがわたみじ)明治27(1894)年1月17日~平成元年(1989)年4月26
1894年 静岡県に生誕。
1910年 早稲田大学予科に入学。絵画を描き始める。
1914年 早稲田大学を中退し、カリフォルニア在住の伯父を頼り、渡米する。
1917年 ニューヨークでジョン・スローンに師事する。
1921年 アート・スチューデンツ・リーグ卒業。学友には、国吉康雄がおりました。
1923年 アメリカ南部諸州を放浪し、キューバを経てメキシコへ。
1924年 メキシコのサン・カルロス美術学校に通う。メキシコ革命後の美術運動に参加。
1925年 トラルパムに開設の野外美術学校に勤務。
1931年 タスコの野外美術学校校長となる。
1933年 藤田嗣治の訪問を受ける。
1936年 日本へ帰国する。
1937年 藤田嗣治の推薦を受けて第24回二科展に出品、会員となる。
1943年 愛知県瀬戸市に疎開。
1949年 名古屋動物園美術学校を開き、1951年まで小学生に絵画指導を行う。
1951年 名古屋市内に児童美術研究所を開設。
1952年 中日文化賞受賞。
1955年 メキシコ再訪。
1961年 本間美術館で藤田・北川展開催。
1964年 現代日本美術展優秀賞受賞。
1968年 第6回現代日本美術展佳作賞受賞。
1973年 画業60年回顧展開催。
1974年 飯田画廊で個展を開催。
1978年 東郷青児の死去に伴い、二科会会長に推されるも同年辞任。
1979年 二科会脱会。
1989年 肺線維症のため愛知県瀬戸市の陶生病院で死去。享年97歳。

東京都武蔵野市で、11代田原陶兵衛萩茶碗、福生市で民芸調和箪笥。

     

東京都武蔵野市にて、十一代田原陶兵衛の萩茶碗など茶道具一式、福生市で民芸調和箪笥三竿をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は解体業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでお売りいただいたお品は、お茶道具や市松人形など。茶道具は十一代田原陶兵衛の萩茶碗をはじめ、水差 、棗、茶入、香合、花入、茶杓、釜など一式買い取らせていただきました。共箱のないものも多数ございましたが、茶道具は当社で買い取りを強化しておりますので全て買い取らせていただきました。十一代 田原陶兵衛は十代陶兵衛の長男で、本名を忠太郎といいます。卓越した技術で1943年に技術保存窯に指定されるも、1956年に若くして亡くなり、以降、弟である十二代陶兵衛がその名跡を継ぎ、窯の火を守っていきました。本品は十二代田原陶兵衛の識箱、塗箱に納められております。紐は保管時に切れてしまったようです。鹿背(御本)がほんわかと出ており、素敵な萩茶碗となってます。お客様の大切にされていたお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。まとめてのご売却、誠に有難うございました。二件目は東京都福生市へ、遺品整理でお呼びいただきました。親戚が大切に使われていたという民芸調の箪笥、和箪笥、洋箪笥、整理箪笥の三竿。欅材の張地に中桐、黒塗り鉄金具の装飾素敵なたんすでした。近年タンスのリサイクルが厳しくなっておりますが、当社ではまだまだ買取可能となっております。ご親戚の大切にされていたタンス、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。
帰宅途中、武蔵村山市にある「江川亭 武蔵村山店」で夕食をいただきました。のり麺にニャン玉ごはん、とっても美味しかったです。今日は私の誕生日、良い一日となりました。

田原陶兵衛系譜
初代 赤川助左衛門
二代 赤川三左衛門
三代 赤川忠兵衛
四代 赤川佐々エ門(佐兵衛、左々ヱ門)
五代 赤川忠兵衛(喜右衛門)
六代 赤川喜右衛門
七代 赤川忠兵衛
八代 赤川喜代蔵
九代 田原陶兵衛 – 幕末、喜代蔵の嫡男謙治が田原姓を名乗り田原陶兵衛を称する。
十代 田原高麗陶兵衛 1880年-1939年
十一代 田原高麗陶兵衛 1956年没 十代陶兵衛の長男。1943年技術保存窯指定。
十二代 田原陶兵衛 1925年-1991年十代の二男。1956年(昭和31年)12代田原陶兵衛を襲名。日本工芸会正会員。 1981年 山口県の無形文化財保持者に認定。
十三代 田原陶兵衛 1951年- 現当主。十二代の長男。中里重利に師事。1992年に父の死去により十三代を襲名する。

東京都杉並区阿佐谷南にて、岩崎洋 春日部桐箪笥、中野区にて雨竜蒔絵 印籠。

東京都杉並区阿佐谷南にて、岩崎洋 春日部桐箪笥、IDC大塚家具のソファ、中野区野方にて雨竜蒔絵 印籠、掛軸をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、東京都杉並区阿佐谷南へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は伝統工芸士岩崎洋の春日部桐箪笥、IDC大塚家具のソファ。お売りいただいた桐たんすは、埼玉県春日部市で作られている伝統工芸品春日部桐箪笥、四方丸下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。前飾りには四君子(蘭、竹、菊、梅)が彫金されており、金石刻の銘があります。伝統工芸士である岩崎洋の作。数か所砥粉落ち、小傷などございましたが、全体的に状態の良いタンスでした。春日部桐箪笥の歴史は、江戸時代初期頃、日光東照宮の造営のため全国から集まった腕利きの工匠の一部が、桐が豊富にあった春日部の地に住み桐を材料とした指物や小物を作り始めたのが始まりであると伝えられています。昭和54年に歴史と伝統ある春日部桐箪笥が国から認められ、経済産業大臣指定「伝統的工芸品」の認定を受けました。現在も、伝統技術や職人の誇りを引き継いだ伝統工芸士が丹念に「桐たんす」を造られております。春日部桐箪笥の伝統工芸士には、山田章、田口順一、向佐孝、仙波久善、荒井兼次、飯島勤、岩﨑洋がございます。いずれも当社で買い取りを強化している作家さんでございます。桐箪笥の他、IDCのレザーソファも併せてお売りいただきました。搬出に多少時間が掛かってしまいましたが、最後までお付き合いくださり有難うございました。また着物などをご処分される際には、是非六角堂をご指名ください。本日二件目は、リサイクル業者様のご紹介で中野区野方へお呼びいただきました。お父様のご遺品をご処分されたいとのことで、掛け軸や煙管、印籠などを見積りさせていただき、お客様にご満足いただける査定額で全て買い取らせていただきました。掛け軸は工芸品のものが多くございましたが、全て買い受けさせていただきました。印籠は雨竜の蒔絵に内梨地、根付は柘植で老人を彫ったもの、緒締は瑪瑙製。銘はございません。少々傷みがございましたが、こちらも買取させていただきました。捨てようとされていたお品にもお値段が付き、お客様にお喜びいただけました。お父様の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
帰りに、荻窪駅にある「ステーキのくいしんぼ」さんで食事をしました。ステーキのくいしんぼさんは25年ほど前、学生時代によく通っており、久々の来店でした。本日は豚焼肉&ハンバーグをいただきました。こちらのお店はご飯がおかわり自由ですので、当時はたくさんおかわりしておりましたが、やはり四十代になると食べれないですね。少し歳を感じました。