東京都港区西新橋にて島岡達三の陶芸作品、野田芳正の人形、茶道具など。

東京都港区西新橋にて人間国宝 島岡達三の陶芸作品、人形師 野田芳正の日本人形、お茶道具などをお売りいただきました。

お人形や島岡達三の作品をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、人間国宝 島岡達三の陶芸作品、人形師 野田芳正の日本人形、お茶道具など。数社相見積もりでありましたが、精一杯の査定で当社にお売りいただくこととなりました。島岡達三の作品は皿や花瓶、陶板、水滴、湯呑など。たくさんお品がございましたが、全て共箱なし。湯呑、皿数点にカケあり。陶印「タ」なしの前作品などもございましたが、当社で買取を強化している作家作品ですので、全て買い取らせていただきました。茶道具は茶碗、香合、鉄瓶など。他、煎茶器揃や信楽焼、備前焼などの陶器をお売りいただきました。人形師 野田芳正の作品は共箱のある作品、共箱のない作品全てお売りいただきました。他にも人形師 岡本玉水の作品も多数ございましたが、共箱が別宅にあるとのことで、こちらは次回お売りいただくこととなりました。お客様のご家族の思い出のお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。お忙しい中、六角堂をご指名くださり、誠に有難うございました。
帰りに日比谷公園で散歩をしました。所々に紫陽花が咲いており、目の保養が出来ました。30分程度の散歩でしたが、運動不足のわたしには良い運動となりました。

島岡達三(しまおかたつぞう)1919年~2007年
1919 東京都に、三代続いた組紐師 島岡米吉の長男として生まれる。
1938 府立高等学校 (旧制)在学中に日本民藝館を訪れ、河井寛次郎や濱田庄司の作品に影響し、民芸の美に目ざめる。
1939 東京工業大学窯業学科に入学。翌年夏、益子に濱田庄司を訪れ一夏滞在。
1941 東京工業大学窯業学科卒業。
1946 濱田庄司門下となる。同じ益子の土を用いながらも自らの作風を確立すべく試行錯誤を続ける。
1950 栃木県窯業指導所に勤務。白崎俊次の古代土器標本複製の仕事に協力する。ここで縄文土器からヒントを得た縄文象嵌文様によって独自の装飾を生み出す。
1954 益子に築窯。
1964 日本民芸館賞受賞。
1980 栃木県文化功労章受章。
1994 日本陶磁協会賞金賞受賞。
1996 5月10日 民芸陶器(縄文象嵌)で国指定の重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
1999 勲四等旭日小綬章受章。
2007 12月11日没。享年88

東京都八王子市にて着物、芹沢銈介の卓布、マキ・ヨウイチの油彩画など。

東京都八王子市にて着物、人間国宝 芹沢銈介の卓布、マキ・ヨウイチの油彩画などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。いずれも東京都八王子市への出張買取でした。一件目はリサイクル業者様のご紹介で、刀剣の買取。刀、脇差、短刀、槍などをお売りいただきました。ご家族が大切にされていた刀剣、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二件目はお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お着物や絵画などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、訪問着や紬など着物や反物、人間国宝 芹沢銈介の型絵染いろは文卓布、マキ・ヨウイチの油彩画「裏街のカフェ」、リトグラフなど。たくさんのお品をお売りいただきました。芹沢銈介は静岡市生まれで、静岡市名誉市民。文化功労者。重要無形文化財「型絵染」の保持者(人間国宝)であります。20世紀日本の代表的な工芸家として内外から高く評価されており、民芸運動の主要な参加者でもありました。オリジナリティあふれる作品群を生み出したほか、本の装丁など商業デザインも手がけました。東北地方、ことに仙台の街や鳴子温泉を愛したことでも知られてます。お売りいただいた卓布は高島屋150周年の際に販売された作品で、およそ40年前の作品となります。所々にシミが出てしまっておりましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。マキ・ヨウイチは佐伯祐三や荻須高徳の系譜を継ぐフランス仕込み本格的洋画家。お売りいただいた油彩画は、荻須高徳の作品を彷彿とさせる素晴らしい作品であります。サイズは八号、保管状態良好。こちらもお客様にご満足いただける査定額で買い取りすることが出来ました。お売りいただいたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
帰りに「煮干鰮らーめん 圓」さんで食事をしました。こちらは八王子駅にほど近い住宅街の中にひっそり佇むお店で、食べログランキング東京1位を獲得したこともある鰮の煮干しラーメンの名店。わたしは薄口煮干鰮ネギらーめんをいただきました。卵をたくさん使用した自家製麺に、煮干し醤油の優しいスープがよく絡んでとても美味しかったです。次回は濃口の煮干鰮らーめんを食べたいと思います。

芹沢銈介(せりざわけいすけ)1895~1984年
1895年 静岡市の呉服卸商の次男として生まれる
1916年 東京高等工業学校を卒業する
1924年 ろうけつ染めを始める
1928年 御大礼記念国産振興博覧会にて沖縄の紅型に出会い影響を受ける
1929年 国画会、国画奨学賞受賞
1931年 民藝運動の同人雑誌『工芸』の装丁を担当する
1935年 東京都の浦田に工房を構える
1939年 沖縄で紅型の技法を学ぶ
1955年 有限会社芹沢染紙研究所を設立
1956年 「型絵染」で重要無形文化財保持者認定
1976年 パリの国立グラン・パレ美術館で「芹沢銈介展」を開催
1977年 サントリー美術館でパリ帰国展「芹沢銈介展」を開催
1981年 静岡市立芹沢銈介美術館開館
1983年 フランス文化功労章授与
1984年 死去。88歳

マキ・ヨウイチ1951~2011年
1951年 大分県別府市生まれ。
1979年 初渡仏。(この年以降毎年渡仏)
1999年 サロン.ナショナル.デ.ボザール初出品、フランス.メリット勲章メダイユ.ダルジャン受章。
2000年 サロン.ナショナル.デ.ボザール、外国人作家佳作。ノルマディー地方にて個展開催。
2003年 語圏国際ビエンナーレ、グランプリ受賞。
2005年 サロン.アンテルナショナル.デ.クレアトゥール.デュ.シエクル、メダイユ.ドール受章。
2006年 ル.サロン.ド.カンシー、メダイユ.ドール受章。第二回フランス、イタリア国際トリエンナーレ、一等賞。サロン.アンテルナショナル.デ.クレアトゥール.ドュジュール.ドゥイ、一等賞。
2007年 サロン.アンテルナショナル.デ.クレアトゥール.デュ.シエクル、一等賞。グラン.コンクール.アンテルナショナル2007年展、メダイユ.ド.ヴェルメーユ受章。
2008年 第六回リヨン.ビエンナーレ、プリ.ド.プレシティ —ジュ受賞。サロン.デ.ザルティスト.デュ.サンキエーム春のサロン、パリ市章。サロン.ナショナル.デ.ボザール絵画部門、メダイユ.ダルジャン受章。
2009年 サロン.ナショナル.デ.ボザール2009年展特別賞。
2010年 サロン.ナショナル.デ.ボザール、サロン名誉賞。
2011年 永眠。

東京都調布市にて九州民芸家具、茶箪笥など、国立市にて中山正の木版画。

東京都調布市深大寺北町にて九州民芸家具の縦桟格子飾り棚、茶箪笥、島田玉峰の双鯉図銅製花瓶など、国立市にて中山正の木版画「蝶の少女(B)」などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は調布市深大寺北町へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。和家具をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、九州民芸家具の縦桟格子飾り棚、茶箪笥、島田玉峰の双鯉図銅製花瓶など。九州民芸家具はミズメザクラ材を使用された縦桟格子のサイドボード(飾り棚)です。柳宗悦により、イギリスなど諸外国から持ち帰られた家具などを元にデザイン、製作された「民芸家具」。選び抜かれた良質のミズメザクラ無垢材で造られる高品質な民芸家具で塗装工程を繰り返して染め上げております。状態も良好です。茶箪笥は多少時代の傷みがございますが、杢目良く素晴らしい箪笥でございます。島田玉峰の作品は浮き彫りに象嵌の入った双鯉図の銅製花瓶。所々傷みやスレなどございますが、素晴らしい作品であります。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、ありがとうございました。二件目は国立市谷保へ、絵画の出張買取させていただきました。お売りいただいた作品は、中山正の木版画「蝶の少女(B)」、外国人作家のリトグラフなど。中山正は馬・蝶・少女・花をモティーフとし、優美で精緻を極めた多色摺り木版画の第一人者であります。海外で高い評価を得て、多くのコレクターを持つ画家さんであります。「蝶の少女(B)」は少女をモティーフとした中山正の代表的な作品であります。状態も良く、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。大切にされていた絵画、当社にお売りいただき、誠に有難うございました。
お昼は深大寺でお蕎麦を食べることとなり、深大寺門前にある蕎麦屋さん「玉喜」さんへ入りました。深大寺そばは大変人気がありますので、混雑しているお店が多いのですが、こちらは少し距離がある為か比較的空いております。「密」を避けたいいま、穴場のお店です。わたしはとろろそばをいただきましたが、つけつゆ、とろろが一体化して水々しさがあり、お蕎麦は少しだけ太めの印象で力強さを感じます。良いお水、お蕎麦の良さを満喫できました。また寄らせていただきます。

中山正(なかやまただし)1927年~2014年
1927年 新潟県に生まれる。
1947年 多摩美術大学油絵科中退
1951年 日本美術会アンテパンダン展出品、アメリカ、イタリアで木版画展
1958年 第1回東京国際版画ビエンナーレ出品(第3回まで)
1959年 リトグラフ画集『ラッパ手』限定自家出版
1962年 ヨーロッパ、ギリシャ、トルコ、インド旅行、ミラノに滞在(翌年まで)
1963年 リトグラフ集『騎士のない馬』限定出版(パガーニ画廊/ミラノ)
1964年 バース・アカデミー・オブ・アート(イギリス)で木版画の講師を務める
1982年 木版画集『Tadashi Nakayama,His Life and Work』刊行(ヘンドリックス・アート・コレクション)
2000年 6月30日~7月6日、銀座和光ホールにて中山正木版画自選集展
東京国際版画ビエンナーレ、クラコウ国際版画ビエンナーレ、ノースウェスト国際版画展、日本アンテパンダン展などに出品。
2014年 逝去

東京都江東区冬木にて加茂桐箪笥、着物、葛飾区高砂にて手塚石雲の喰籠。

東京都江東区冬木にて加茂桐箪笥、着物、葛飾区高砂にて手塚石雲の天皇皇后両陛下翠玉婚記念 翠玉櫻蝶文喰籠をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は江東区冬木へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。加茂桐箪笥やお着物をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、伝統工芸士 土田耕一の加茂桐箪笥、着物や九谷焼や有田焼の花瓶など。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、四方丸下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社で数多く取り扱う高級桐たんすになります。伝統工芸士である土田耕一の作。所々に砥粉落ち、小傷、前飾りの錆などございましたが、買取強化中のタンスですので買い取りさせていただきました。お着物はシミや汚れの出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。大切にされていた桐たんすやお着物、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日二件目は葛飾区高砂へ、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は花蝶窯 手塚石雲の天皇皇后両陛下翠玉婚記念 翠玉櫻蝶文喰籠、木彫りの置物、時代人形など。翠玉桜蝶文喰籠は京焼の名工 手塚石雲の作。明仁上皇陛下、美智子上皇后陛下の翠玉婚(エメラルド婚)記念として2013年に制作されました。優雅な京焼の伝統をよく受け継ぎ高く評される手塚石雲の陶芸と美意識が集約された高貴なお品で、翠玉を彷彿とさせる鮮やかな緑にて塗り上げられた地に色絵金彩にて咲き誇る桜と蝶の姿を繊細に描き優雅な意匠としており、さらには蓋裏には宝尽し文様を表すなど豊かな芸術性と気品を備えた姿に大いに魅了されます。
共箱紐は無形文化財「道明新兵衛」、菊の御紋章が配された二重箱も実に格調高いものです。二重箱の菊紋にスレなどございましたが、作品の状態良好。素晴らしい作品の為、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。他にも木彫の布袋様や観音菩薩、時代の木目込み人形などをお売りいただきました。お客様のご家族が大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

手塚石雲(手塚充)
1942年 京都府で手塚玉堂の五男として生まれる。
1971年 独立して京都山科清水焼団地にて勧修寺窯を開窯。
1972年 陶朱会に入会。
1973年 東京高島屋雙葉会展に出品。
1974年 東京三越にて個展を開催。東京三越青樹会展に出品。バロリス国際展に出品。
1975年 以後、個展を中心に活動する。
2001年 大徳寺管長高田明浦老師より 窯名・花蝶窯、陶名・石雲を拝命する。

東京都西東京市にて向山僚一、沢悟春夫の油彩画など。

東京都西東京市にて向山僚一、沢悟春夫の油彩画などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。絵画などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、向山僚一の油彩画「名栗の家」、「諏訪湖」、沢悟春夫の油彩画「丹後半系」、アクセサリーなど。向山僚一は一枚の絵にも取り扱われる人気画家であり、六角堂でも買取を強化しております。サイズ小さく絵画に多少のシミなどございましたが、全て買い取らせていただきました。お客様の大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、有難うございました。

向山僚一(むかいやまりょういち)1928年~
1928年 長野県高遠町に生まれる
1954年 白日展初入選
1963年 大潮展初入選新聞社賞 特選(’64)
1965年 日展初入選
1974年 現代洋画精鋭選抜展銅賞
1976年 個展(新宿伊勢丹 以後毎年)
1988年 一枚の繪銀座美術館第4回個展
1991年 精鋭百人記念展受賞
1992年 高遠美術館作品収蔵
1993年 紺綬褒章受賞
2001年 紺綬褒章受賞
現在 無所属

東京都中野区にて橋本朝秀の木彫、加藤卓男の酒杯、世田谷区にて着物、煎茶道具など。

東京都中野区白鷺にて橋本朝秀の木彫彫刻「鷺」、加藤卓男の三彩酒杯、世田谷区代田にてお着物、錫製の茶器揃など煎茶道具、唐木の違い棚などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都中野区白鷺で、お引越し前のお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。置物や骨董品をご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、橋本朝秀の木彫彫刻「鷺」、加藤卓男の正倉院復元三彩花形酒杯、木彫の仏像やブロンズなど。たくさんのお品がございましたが、一点一点丁寧に査定させていただきました。当社で買い取りを強化している作家作品もあり、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。共箱などの付属品も揃っており、状態も良かったので、高価査定となりました。お父様が大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二件目は世田谷区代田へ、お片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、お着物、煎茶道具、唐木違い棚、ブランドバッグなど。お着物や煎茶道具など数多くございましたが、一点一点丁寧に査定し、全て買い取らせていただきました。お売りいただきましたお品、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。

橋本朝秀(はしもとちょうしゅう)1899年~1960年
大正・昭和期の彫刻家
1899年、福島県安達郡二本松町で彫刻家 橋本重治の四男として生まれる。本名橋本 秀次
1919年上京し山崎朝雲の元で1928年まで木彫を学ぶ。同時期に本郷絵画研究所でデッサンを学ぶ。
1925年、第6回帝展(現日展)に出品した「幻想」が初入選。以後1929年の第10回帝展まで5回連続入選。
1930年、第11回「法悦」が特選受賞。1931年、第12回「悉地」も2年連続の特選受賞、以後無鑑査となる。
帝展出品を続ける傍ら、1929年に仏教美術研究のためインドに6カ月滞在したほか、1941年夏より蒙疆大同石仏研究のため中国へ渡っている。中国研究の帰路には満州、朝鮮を経由し朝鮮仏像を研究して帰国する。
1943年、第6回新文展(現日展)にて審査員に推挙され、以後1949年第5回日展、1951年第7回日展、1953年第9回日展と審査員を務める。1948年日展に「飛天」(政府買上げ)を出品。1950日展参事となり、1954年日展出品作「華厳」で翌30年日本芸術院賞を受賞。
官展以外でも日本美術協会、東邦彫塑院、日本彫塑家倶楽部に参加。日本彫塑家倶楽部は1956年に副委員長に就任。
1960年1月31日死去。60歳。

加藤 卓男(かとう たくお)1917年~2005年
1917年 岐阜県多治見市に生まれる。家は江戸時代から続く窯元幸兵衛
1935年 多治見工業学校を卒業する
1954年 第10回日展に入選
1961年 フィンランド政府の招聘で、フィンランド工芸美術学校へ留学
1963年 第6回新日展で特選・北斗賞受賞
1964年 「美濃陶芸協会」設立、初代会長に就任。岐阜県芸術文化顕彰受賞
1965年 第8回新日展にて北斗賞受賞
1976年 東京大学イラン・イラク遺跡発掘調査団に参加
1980年 イラク文化省よりバクダッド大学に客員教授として招聘を受ける
1983年 多治見市無形文化財保持者認定、同岐阜県重要無形文化財保持者認定
1988年 紫綬褒章受章
1989年 正倉院に二彩鉢の復元作品を納める
1991年 美濃陶芸協会名誉会長となる
1995年 重要無形文化財「三彩」保持者認定
1996年 岐阜県名誉県民となる
2005年 1月11日死去

神奈川県藤沢市にて松原直之の花瓶、端渓硯、正田暘谷の鉄瓶や茶托など。

神奈川県藤沢市にて松原直之の花瓶、端渓硯、天明鋳物師 正田暘谷の鉄瓶や茶托などをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。桐たんすや贈答品などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、松原直之の益子焼花瓶、端渓硯、佐野天明鋳物師 正田暘谷の鉄瓶や茶托、輪島塗などの漆器、贈答品や古道具など。たくさんのお品をお売りいただきました。桐箪笥は下二大洋の状態の良い加茂桐箪笥でしたが、運び出しが出来ない状況で断念しました。なんとか運び出したかったのですが、大変残念でした。硯は端渓硯。益子焼の陶芸家、松原直之の作品は鉄砂矢竹文面取花壷。佐野天明鋳物師 正田暘谷の平尾垂形鉄瓶は環付の霊芝摘に斑紫銅の蓋が大変素晴らしい作品であります。鉄瓶、茶托ともに共箱などの付属品はございませんでしたが、買い取らせていただきました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
お客様にいただいた鎌倉のお土産「クルミッ子」、歯ごたえのよいクルミと、甘さとほろ苦さの絡み合ったキャラメルの味がとっても美味しかったです。ご馳走様でした。帰りに江の島へ寄り、「座々丸」さんで江の島名物の生しらすの入った「生しらすいくら丼」をいただきました。遠距離出張が続いて疲れ気味でしたが、江の島の海を眺めながら美味しい食事を食べてリフレッシュしました。明日からも出張買取がんばります!

松原直之(まつばらなおゆき)
1938年益子町に生まれる。
益子焼の木村一郎氏に師事する。
京都市で八木一夫の助手を経て、益子町に「矢竹窯」を築窯。
泥並白釉を下地に鉄砂絵、赤絵を主に製作。
栃木県芸術祭賞、国際陶芸展奨励賞等を受賞。

正田暘谷(しょうだようこく)
栃木県佐野で作られている天明鋳物の鋳物師で、本名 正田治郎右衛門、号を暘谷とす。
氏の作品は東京芸術大学美術館にも収蔵されております。
暘谷は、明治26年(1893)生まれの正田菊次郎で、治郎右衛門の名を継いだ28代目。同家は、安政6年(1859)に朝廷へ献上した際の「紙本着色灯籠献上図(絵巻)」や同型の「六角鉄釣灯籠」など、多くの佐野市指定の文化財を保持しております。
栃木県佐野市で作られた鋳物は美術工芸鋳物を総称して天明鋳物と呼ばれ、鉄瓶をはじめ、茶釜、半鐘、鐘などがつくられました。現在では天明鋳物の技術と伝統を受け継ぎ、美術工芸品の製作をする鋳物師が少なくなってしまいましたが、江戸時代に100軒ほどの鋳物業者と数百人もの鋳物師がいたといわれてます。日光東照宮にある各地の大名から奉納された青銅製の宝塔や灯籠類も、天明鋳物師による鋳造であります。

栃木県下野市にて皆川新司の加茂桐箪笥、濱田庄司、島岡達三の陶器など。

栃木県下野市にて皆川新司の加茂桐箪笥、濱田庄司、島岡達三、木村一郎の益子焼陶器などをお売りいただきました。

桐箪笥や益子焼陶器をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、伝統工芸士 皆川新司の加茂桐箪笥、茶箪笥、着物、人間国宝 島岡達三の象嵌夫婦湯呑、地釉縄文象嵌皿、人間国宝 浜田庄司(窯)の湯呑、益子焼陶芸家 木村一郎の波白茶碗、練上文角壷、他益子焼多数。たくさんのお品をお売りいただきました。お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、胴丸下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社で数多く取り扱う高級桐たんすになります。伝統工芸士である皆川新司の作。前飾りには、光乃の銘あり。所々に砥粉落ち、小傷などございましたが、買取強化中のタンスですので買い取りさせていただきました。お着物はシミや汚れの出てしまっているものもございましたが、全て買い取らせていただきました。陶器は当社で買い取りを強化している作家作品もあり、全て買い取らせていただきました。共箱に入っている状態の良い作品が多くございました。ご家族の大切にされていたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
帰路、「道の駅しもつけ」にある「一休」さんで食事をしました。カツ丼とうどんのセットをいただきましたが、安くて早くて美味しい。とても有難いお店です。また寄りたいと思います。

浜田庄司 (はまだしょうじ)1894~1978年
1894 神奈川県川崎市で生まれる。生家は東京で文房具店経営。本名象二
1916 東京高等工業学校(現、東京工業大学)窯業科卒
1918  河井寛次郎と沖縄へ、壷屋を訪問
1920 バーナード・リーチに同行し、渡英。
1937 日本民芸館の理事に就任
1942 益子に大型登窯築窯
1949 第1回栃木県文化功労賞受賞
1953 昭和27年度芸術選奨文部大臣賞受賞
1956 民芸陶器で重要無形文化財保持者認定
1964 紫綬褒章受章
1968 沖縄タイムス賞受賞。文化勲章受章
1969 益子名誉町民となる
1974 日本民芸協会会長就任
1976 川崎市文化賞受賞
1977 益子参考館開館 館長に就任
1978 益子にて没。享年83

島岡達三(しまおかたつぞう)1919年~2007年
1938 府立高等学校 (旧制)在学中に日本民藝館を訪れ、河井寛次郎や濱田庄司の作品に影響し、民芸の美に目ざめる。
1939 東京工業大学窯業学科に入学。翌年夏、益子に濱田庄司を訪れ一夏滞在。
1941 東京工業大学窯業学科卒業。
1946 濱田庄司門下となる。同じ益子の土を用いながらも自らの作風を確立すべく試行錯誤を続ける。
1950 栃木県窯業指導所に勤務。白崎俊次の古代土器標本複製の仕事に協力する。ここで縄文土器からヒントを得た縄文象嵌文様によって独自の装飾を生み出す。
1954 益子に築窯。
1964 日本民芸館賞受賞。
1980 栃木県文化功労章受章。
1994 日本陶磁協会賞金賞受賞。
1996 5月10日 民芸陶器(縄文象嵌)で国指定の重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
1999 勲四等旭日小綬章受章。
2007 12月11日没。享年88

木村一郎(きむらいちろう)1915~1978年
栃木県益子町に生まれ、昭和8年に栃木県立真岡中学校を卒業。卒業後、祖父の営む郵便局を手伝う旁ら益子の各製陶所で技術習得に努め、昭和12年京都にある商工省陶磁器試験所に入所し水町和三郎、沢村滋郎らの指導を受ける。同15年帰郷し、翌年の国画創作協会展に「象嵌陶箱」が入選。戦後の同21年益子に登窯を築窯。同24年に東京都工芸協会主催第2回工芸綜合展に陶筥3点を出品し一位入賞、同28年日本国陶磁展では「柿釉網目文大皿」で中小企業長官賞を受ける。同30年第4回展台陶芸展に「自釉抜絵文大皿」を出品し特選を受ける。同39年に現代日本国際陶芸展に、翌年にはマルセーユ美術館主催国際陶芸展にそれぞれ招待出品をする。初期から多彩な作風を展開したが、晩年は辰砂や鉄絵の作品を専らとした。同53年没、享年63。

群馬県伊勢崎市にて着物、反物、埼玉県本庄市にて池田修三の木版画。

群馬県伊勢崎市にて着物、反物、埼玉県本庄市にて池田修三の木版画をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は群馬県伊勢崎市へお着物や反物の出張買取。ウールやシミ汚れのあるものもございましたが、全て買い取らせていただきました。ご家族の思い出のお着物、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二件目はリサイクル業者様のご紹介で、絵画のご処分でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、池田修三の木版画「しおん(1974)」、「五月(1983)」など。池田修三は秋田県にかほ市象潟町出身の画家。主テーマはこども達の情景で、晩年は風景画も手がけました。国内の版画展で入賞した他、海外の版画展にも数多く出展し好評を得ました。企業のカレンダー・テレフォンカード・単行本の装丁にも作品が使用されている人気画家でございます。お売りいただいた作品は、池田修三氏のこども達の情景を描かれた代表的な作品「しおん(1974)」、「五月(1983)」。所々にシミなどございますが、強化買取り中の作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただきました。お母様が大切にされていた作品とのこと、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をお呼びいただき有難うございました。
お昼に群馬県伊勢崎市にある「上州手打麺匠 そば蔵」さんで食事をしました。うどんにミニ天丼のセットをいただきましたが、さすがは人気店いずれも美味しかったです。また寄らせていただきます。

池田修三(いけだしゅうぞう)1922~2004年
1922年 秋田県にかほ市象潟町に生まれる
1945年 旧東京高等師範学校(現筑波大)芸能科を卒業
1946年 秋田県、由利高校にて高校美術科教諭になる
1952年 秋田県、聖霊学園に勤務
1955年 退職して上京し、木版画に専念する
1957年 日本版画協会展で受賞し、会員となる
1959年 現代日本版画コンクール展、東京部門で入賞
1977年 日本版画協会を退会
1983年 池田修三木版画展を酒田で開催
1989年 象潟町功労者として表彰される
2004年 11月10日、逝去

静岡県田方郡函南町にて平田郷陽の衣装人形「饅頭喰」。

静岡県田方郡函南町にて平田郷陽の人形「饅頭喰」をお売りいただきました。

平田郷陽のお人形をご売却されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。当社がお伺いする前に他社が査定をされておりましたが、精一杯の査定の上、当社にお売りいただくこととなりました。お売りいただいた作品は、人間国宝である平田郷陽の衣装人形「饅頭喰」。当社で最も買い取りを強化しているお人形の作家作品であります。平田郷陽の作る人形は「生き人形」とまでいわれ、中でもこの度お売りいただいた子どもの無邪気なしぐさの一瞬をとらえた作品は平田郷陽の代表作となっております。愛好家が多く、一生のうち郷陽の作品を一度は持ちたいという熱意を持っているファンが多い昭和を代表する人形作家です。1955年には、人形界初の国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定されており、木目込みの技法を用いた衣裳人形を多数手掛けています。残念ながら饅頭を持つ手の指の破損、欠品などございましたが、共箱もあり指の欠損以外は全体的に状態も良かったので、お客様にご納得いただける査定額で買い取りすることが出来ました。お父様からいただいたという思い出のお人形、責任もって次へと繋げさせていただきます。まだまだ骨董品がたくさんあり、近日またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。平田郷陽作品の買取業者が多数ある中、六角堂をご指名くださり誠に有難うございました。
帰りに沼津港にある丸天さんへ寄り、海鮮丼をいただきました。わたしの大好きなお店であり、近くへ出張した際には寄らせていただいております。かき揚げで有名なお店ですが、海鮮丼もとても美味しいです。また寄らせていただきます。

平田郷陽(ひらたごうよう)1903年(明治36)~1981年(昭和56)
1903年 松本喜三郎・安本亀八 系統の活き人形師であった初代平田郷陽(恒次郎)の長男として、東京浅草に生まれる。
1917年 14歳の時、父のもとで人形製作の修行を始める。
1924年 父の跡を継ぎ二代卿陽を襲名。
1927年 市松人形を製作。
1928年 岡本玉水・久保佐四郎・名川春山・吉田永光らとともに、創作人形の研究団体「白沢会」を結成する。
1935年 日本人形社を立ち上げる。
1936年 第1回帝国美術院展に初入選。
1937年 パリ万国博覧会に出品し、金賞受賞。
1955年 重要無形文化財「衣裳人形」保持者(人間国宝)に認定される。
1959年 皇后宮殿に「瑞鳥」製作。
1968年 紫綬褒章を受賞。
1974年 勲四等瑞宝章を受賞。
1981年 逝去。享年77歳。