東京都品川区上大崎にて、指物飾り棚、人間国宝金重陶陽の備前焼耳付花入など。

 

東京都品川区上大崎にて、指物飾り棚、人間国宝金重陶陽の備前焼耳付花入などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、所沢市へ書道具、三味線や琴などを買い取らせていただきました。書道具は端渓硯や那智黒硯の他、墨や印材、筆などをお売りいただきました。習字を教えていらっしゃったお母様のご遺品整理とのこと、大切にお母様の思い出のお品を次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、遠くからご実家まで来ていただき有難うございました。二件目は、品川区上大崎へ遺品整理でお呼びいただきました。こちらでは、指物家具の飾り棚や小箪笥、銀製品、置物、人間国宝金重陶陽の備前焼耳付花入などを買い取らせていただきました。指物(さしもの)とは、釘などの接合道具を使わずに、木と木を組み合わせて作られた家具・建具・調度品などの総称であり、また、その技法をいいます。指物の名の由来については諸説ありますが、ホゾや継ぎ手によって材を組むことを「指す」といい、また「物指し」を用いて細工するからともいわれております。指物の技術者を指物師と呼びます。指物にはいくつかの流派とも呼べるものが存在しますが、特に京都の京指物、東京(旧・江戸)の江戸指物、大阪の大阪唐木指物が有名でございます。こちらの飾り棚もまた、釘などを使わずに、木と木を組み合わせて作られた家具、指物でございます。三味線、お琴はお稽古用でございましたが、お母様の思い出を受け継ぎたく、全て買い取らせていただきました。お売りいただいた備前焼耳付花入は、人間国宝金重陶陽のもの。金重陶陽は、備前焼の陶工として初めて重要無形文化財(人間国宝)となられた陶芸家。人気が低迷していた備前焼を再興させることに成功し「備前焼中興の祖」と称されてます。自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、次々と人間国宝を輩出したことでも知られています。こちらは、底部に掻き銘(ト印)がございます。陶陽らしい、雰囲気の良い作品です。もちろん金重陶陽は当社買取強化中の陶芸家ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い受けさせていただきました。良い家具、お道具をお売りいただき有難うございました。
本日の昼食は、所沢市にある「麺場 壱歩」さんへ行きました。今日は九州麦味噌野菜らーめんをいただきました。甘口の味噌のスープがとても美味しかったです。明日からもたくさんのご予約をいただいておりますので、頑張っていきます!

金重陶陽(かねしげとうよう) 1896年(明治29)~1967年(昭和42)
1896年 岡山県で生まれる。
1910年 伊部尋常高等小学校卒業後、父親について陶法を学び始める。
1928年 大日本博覧会に「彩色備前孔雀置物」出品する。
「備前飛獅子置物」「彩色備前鬼瓦に鳩置物」を天皇陛下に献上する。
1942年 川喜田半泥子、荒川豊蔵、三輪休和と「からひね会」を結成する。
1944年 日本美術及び工芸統制協会代議員に就任する。
1947年 生活用品芸術陶磁器認定委員に就任する。
1949年 備前窯芸会を結成する。
1952年 備前焼の技術で無形文化財保持者に認定を受ける。。
1955年 石黒宗麿、荒川豊蔵ら有志とともに日本工芸会の設立に参加する。
1956年 重要無形文化財「備前焼」保持者の認定を受ける。
1960年 山陽新聞文化賞、岡山県文化賞を受賞する。
1962年 日本伝統工芸展審査委員となる。
1964年 二度に渡りハワイ大学の夏期講座に講師として招聘される。
1966年 紫綬褒章を受章する。
1967年 天皇、皇后両陛下備前町行幸啓の際には御前制作を行う。
勲四等旭日小綬章を受章する。71歳で逝去。