東京都荒川区町屋にて、森村酉三作 新田義貞のブロンズ像。

東京都荒川区町屋にて、森村酉三作 新田義貞のブロンズ像などをお売りいただきました。

本日は所沢市へ見積もり一件、荒川区へ一件の出張買取でした。所沢市では、桐箪笥、お着物のお見積り。荒川区はお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。最近お引越し前のお片付け整理が増えております。いよいよお引越しシーズンでしょうか。六角堂でもまたしばらくの間忙しくなりそうです。こちらでは、森村酉三作 新田義貞のブロンズ像の他、火鉢や鉄瓶を買い受けさせていただきました。森村酉三(もりむらとりぞう)は、群馬県出身の鋳金工芸家、彫刻家。高崎白衣大観音像の原型制作者として知られております。新田義貞が鎌倉幕府を攻める際に稲村ケ崎(神奈川県)で剣を投じて祈る姿をモチーフにしたブロンズ像。当社ではただいまブロンズ像の買取りを強化しておりますので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良いお品をお売りいただき有難うございました。本日の昼食は、所沢市から荒川区根向かう途中、「久兵衛屋 所沢北原町店」さんへと寄りました。きのこほうとうにまぐろたたき丼のセットをいただきました。ほうとう美味しいですね。ほうとうといえば山梨県、山梨へ出張する時には必ずいただいております。山梨県の皆さん、六角堂のご指名をお待ちしております!

森村酉三(もりむらとりぞう)鋳金工芸家。1897(明治30)~1949(昭和24)年。佐波郡宮郷村(伊勢崎市)の旧家森村家に父親連太の三男として生まれる。 酉三の命名はその生年(丁酉)にちなんだものである。1910年、前橋中学校に入学するも2年後に校長排斥運動(ストライキ)を起こして退学処分を受ける。兄らの奔走により当時県議でのちの衆議院議員・今井今助の推薦を得るなどして同県沼田中学校に再入学することができ、1917年春に同校を卒業。1918(大正7)年東京芸術学校鋳造科入学、香取秀真や津田信夫に師事する。在学中に農商務省美術展に入選し、卒業制作『経筒中子付』は学校買上げとなる。 卒業後池袋にアトリエを構え制作を続け、1927(昭和2)年第四部としての初めて工芸部門の設けられた第8回帝展に『鋳銅飾花瓶・燈』が入選。 以後第18回展まで連続入選し、1944年無鑑査となる。この間、パリの御大帝記念日本美術展、サンフランシスコの汎太平洋博覧会にも選ばれて出品するなど、 海外にも紹介される好評を得るが、酉三の名を広く後生に残すことになったのは、1934年に制作された高崎観音山の「白衣大観音」の原型である。 また鋳金制作のかたわら『爆弾三勇士像』など多くの彫刻作品を県内に制作したが、大半が戦争中に壊された。1941年群馬美術会(県美術会の前身)の設立に尽力したことで知られる。1949年、肝臓がんにより死去。満52歳没。