東京都武蔵野市吉祥寺本町にて、ハーモニカ式桐たんす、野口謙蔵の油彩画「夜桜」など。

 

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東京都武蔵野市吉祥寺本町にて、ハーモニカ式桐タンス、野口謙蔵の油彩画「夜桜」をお譲りいただきました。お引越し整理にてお呼びいただきました。桐たんすの買い取りをしていると、年に1棹あるかないかですが、希にハーモニカが付いているものがあります。引出を出し入れすると、音がでる仕掛けです。 桐たんすは、密閉度が高いので、引出を押したり引いたりすると違う段のところの引出がでたり引っ込んだりします。これは引出の各段の棚の奥の方に、空気の通りができるように、少しだけ隙間を作っているです。この空気穴がないと、引出の奥が真空状態になって、引出を引くとき重くなるので、軽く引けるように考えられた職人の知恵です。 そこの空気穴を利用して、ハーモニカを取り付ければ、音が鳴る出る仕組みです。防犯という意味合いと職人の遊び心ですね。桐タンスの他には、野口謙蔵の油彩画を買い取らせていただきました。お引越しの整理でお忙しい中、お呼びいただき有難うございました。

野口謙蔵 (のぐちけんぞう、明治34年(1901)6月17日~昭和19年(1944)7月5日 43才没)

滋賀県蒲生郡桜川村綺田の酒造業を営む家に次男として生まれる。 東京美術学校洋画部に入学。黒田清輝や和田英作に師事しました。 東京美術学校洋画部卒業後は、郷里の桜川村に戻り蒲生野の風物をダイナミックに描き続けました。 途中洋画をやめ、日本画家の平福百穂(ひらふくひゃくすい)に師事したこともあった。帝展で3度特賞に選ばれています。 野口画伯は優れた歌人でもあったといわれ、村内極楽寺の住職米田雄郎が編んだ『凍雪』に数首のせられています。 1903年 滋賀県に生まれる 1917年 水彩画が明治天皇のお持ち帰りとなる 1919年 東京美術学校西洋画科 入学 1924年 同校 卒業し、故郷に戻る 1928年 第9回帝展 初入選(以後、12・14・15回で特選) 1933年 第1回東光会展 出品 1944年 43歳で死去