東京都練馬区春日町にて、中島宏の水指、波多野善蔵、西岡小十の茶碗、伊勢崎満の花生など。

東京都練馬区春日町にて、人間国宝中島宏の青磁水指、波多野善蔵の萩茶碗、西岡小十の絵唐津茶碗、伊勢崎満の備前細口花生、贈答品、チーク材のテーブルなどお売りいただきました。

先日遺品整理でお呼びいただいたお客様より、再度出張買取のご依頼をいただきました。今回もまた、お父様、お母様が大事にされていたお茶道具や陶芸作品をお売りいただきました。数多く所有されるお道具の中から、一点一点査定し、買い受けさせていただきました。買い取らせていただいたものの中には、重要無形文化財(人間国宝)である中島宏の作品をはじめ、色々な作家物の作品がございました。陶芸作品の他にも、チーク材のテーブル、贈答品、食器、衣類、火鉢なども併せて買い受けました。まだまだ所有されるお道具を、年内にまたお売りいただけるとの事、楽しみにお待ちしております。良いお道具をお譲りいただき有難うございました。練馬区のお客様宅へ向かう途中、埼玉県新座市にある富士山食堂へ寄らせていただきました。こちらは以前、三珍というお店でしたが、いつの間にかお店の名前が変わっておりました。本日の日替わりセット牛スジカレーにトンコク醤油ラーメンのセットをいただきましたが、すごいボリュームで満腹になってしまいました。次回は、満腹丼かワイルドステーキなるものをいただきたいと思います。
六角堂では、陶芸作品の買い取りを強化しております。ご自宅でずっと眠っている陶芸作品をお持ちの方は陶磁器買取に経験豊富な六角堂をお呼びください。査定のみでも結構ですので、たくさんのご依頼お待ちしております!東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。数量が多い場合、他にも美術品・骨董品などの鑑定物がある場合は全国出張可能です。

中島宏 (なかじま ひろし)1941年(昭和16)~(現在)
日本現代陶芸界を代表する青磁斯界の第一人者で、「中島青磁」、「中島ブルー」と呼ばれる独創的な作品は高い評価を受けており、中国青銅器に学んだ新しい造形の世界を追求しています。青磁釉層に発達した貫入に黒い顔料をにじませた郊壇官窯風の青磁も得意とします。
1941年 佐賀県武雄市に生まれる
1969年 弓野古窯跡に登窯を築いて独立
1977年 日本伝統工芸展で奨励賞を受賞
1984年 中国古陶磁研究所訪中団に参加。青銅器に感銘を受ける。
1990年 佐賀県重要無形文化財技術保持者に認定
1992年 日本陶芸の「今」百選フランス・パリ展に招待出品
1997年 佐賀県芸術文化功労賞を受賞
2007年 重要無形文化財(青磁)の保持者に認定

波多野善蔵(はたのぜんぞう)1942(昭和17)~(現在)
現代工芸界の重鎮であった吉賀大眉に師事して作陶の幅を大きく広げ、伝統的な古萩茶陶を追求した優れた作行や蹴轆轤の技術には定評があります。
釉薬を掛けずに焼き上げて鮮やかな橙色に発色させる「緋色」という技術を考案しました。
1942(昭和17)年、佐賀県唐津市に生まれました。
1968(昭和43)年、萩焼窯元・波多野家(波多野指月窯)の養子となりました。
1972(昭和47)年、山口県美術展で知事賞を受賞しました。
1974(昭和49)年、九州・山口陶磁展で第一席を受賞しました。山口県美術展で文部大臣奨励賞を受賞しました。
1975(昭和50)年、九州・山口陶磁展で第一席を受賞しました。
1978(昭和53)年、日本工芸会山口支部展で支部長賞を受賞しました。
1981(昭和56)年、日本伝統工芸展で日本工芸会奨励賞を受賞しました。日本工芸会正会員となりました。
1982(昭和57)年、山口県芸術文化振興奨励賞を受賞しました。
1986(昭和61)年、田部美術館「茶の湯の造形展」にて優秀賞を受賞しました。
1992(平成4)年、山口県選奨(芸術文化功労)を受賞しました。
2002(平成14)年、山口県指定無形文化財に認定されました。

伊勢崎満(いせざきみつる)1934(昭和9)~(現在)
弟の伊勢崎淳と共に岡山県重要無形文化財に認定されました。
古備前への探究心と彫塑で培った造形感覚を駆使し、円熟した陶技からはベテラン作家としての貫禄が伝わってきます。
作品によって登窯と中世の穴窯を使い分け、電気窯やガス窯は使用しない松割木による焼成にこだわっています。
1934(昭和9)年、伊勢崎陽山の長男として岡山県備前市に生まれました。
1957(昭和32)年に岡山大学教育学部特設美術科彫塑専攻を中退後、父に師事して本格的に備前焼に取り組みました。
1961(昭和36)年、弟・淳と姑耶山の古窯跡に備前で初めて中世の古窯(半地上式穴窯)を復元。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員となりました。
1972(昭和47)年、備前陶心会会長に就任しました。
1973(昭和48)年、緋襷花器が外務省に買い上げられ、中国の日本大使館に展示されました。
1974(昭和49)年、金重陶陽賞を受賞しました。
1984(昭和59)年、岡山日々新聞社文化賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、日本工芸会中国支部審査員に就任しました。
1990(平成2)年、岡山県文化奨励賞を受賞しました。
1994(平成6)年、山陽新聞文化功労賞を受賞しました。
1998(平成10)年、田部美術館大賞「茶の湯の造形展」で大賞を受賞しました。

西岡小十(にしおかこじゅう)1917(大正6)年~2006(平成18)年
西岡小十は佐賀県唐津市に生まれました。本名を悟といいます。
古陶器に関する周到な研究に裏付けられた確かな技術力は、世界的権威のある陶磁研究家・小山冨士夫をも魅了し、「唐津焼の事なら知り尽くしている古唐津の神様」と言わしめ、荒川豊蔵には「唐津を熟知している西岡には何も言う事がない」と評されました。
世間の私利私欲とは無縁の無冠を貫いて絵斑唐津、梅華皮(かいらぎ)といった古唐津再興に邁進した、現代唐津焼の第一人者として不動の地位を確立しています。
茶陶を専門に焼き茶碗、花瓶、水指など風合い豊な情景を表現している。
1953(昭和28)年頃から古唐津を再現すべく、
唐津古窯跡の発掘調査を始めました。
1969(昭和44)年、小山冨士夫と親交を深めました。
1971(昭和46)年、小山冨士夫の指導を受けて「小次郎窯」を開窯しました。
1976(昭和51)年、荒川豊蔵が来窯しました。
1980(昭和55)年、藤原啓が来窯しました。
1981(昭和56)年、「絵斑唐津」の復元に成功しました。
荒川豊蔵の命名による「小十窯」を開窯しました。
1983(昭和58)年、「梅花皮唐津」の復元に成功しました。
1999(平成11)年、石川県辰之口町に加賀唐津「辰之口窯」を開窯しました。