埼玉県日高市、入間市へ出張見積もりへ行ってまいりました。

埼玉県日高市、入間市へ出張見積もりしてまいりました。本日は見積もりのみ、二件回ってまいりました。日高市では、桐箪笥、お着物、入間市では時代和家具、お茶道具、書道具の見積もりでした。お引越しが決まり次第、お呼びいただけるとの事、楽しみにお待ちしてます。仕事帰りに、入間市にあるコストコさんへ寄りました。さすがアメリカの企業、量がどれも半端ないです。家族にティラミスとパンを買って帰りましたが、果たして全て食べきれるのか・・・という量です。実家におすそ分けすることにします。店内のフードコートでホットドッグ、ピザなどをいただきましたが、こちらも量が多いです。安かったので、ついつい頼み過ぎてしまいました。玉ねぎ好きのわたしには、入れ放題なのが嬉しかったです。また来たいと思います。
本日は、先日栃木県足利市で買い取った尾形乾山作 色絵定家詠十二ヶ月花鳥和歌色紙皿をご紹介したいと思います。尾形乾山は兄・尾形光琳と共に琳派の発展に大きな影響を与えた一人。京焼の名工、野々村仁清から陶芸を学ぶ。その作風は自由闊達な絵付や洗礼された中にある素朴な味わいが特徴で、多くの作品が重要文化財に指定される。芸術的香気があり、格調高く秀でたものでありました。こちらの色絵皿十二枚は、表面に藤原定家が詠んだ和歌 ― 詠花鳥倭歌各十二首 ― に因んだ花鳥の絵が描かれ、裏面に各月ごとの花鳥に因む倭歌二首づつが書かれています。表面の花鳥図の絵付けは狩野派が得意とした仁清窯と同様に狩野派絵師との合作が考えられる作品です。季節の雰囲気をよく捉えた各月の絵は、下地の温雅な色調に鉄絵具の褐色が効果的に使われており、乾山焼の中でも逸品といえます。

尾形乾山(おがたけんざん)
寛文3年(1663年)〜寛保3年(1743年7月22日) 81才没。
京都の呉服商「雁金屋」の当主 尾形宗謙の三男として生まれる。尾形光琳は兄。
野々村仁清に陶芸を学び、元禄12年(1699)、37歳のとき京都市の鳴滝に開窯する。
その場所が都の北西(乾)の方角あたることから、「乾山」と号した。
正徳2年(1712)、二条丁子屋町に移住して多くの作品を手がけ「乾山焼」として世にもてはやされた。
享保12年(1731)江戸入谷に移住。
寛保3年(1743)逝去。81歳。
鳴滝時代末期から丁子屋町時代にかけて、兄の光琳は絵付で乾山を助け、兄弟合作の作品が数多く残されている。
陶芸作品においては成形、施釉、焼成は他の専門的な陶工に任せ、絵付についても光琳との合作以外に複数の専門画家が携わっていたと思われど、
基本的には工房生産態勢をとっていたと思われる。
乾山の作品は、陶芸作品のみならず書や絵画においても、俗気を脱したおおらかで文人的な洒脱味がある。
代表作は、
花籠図(福岡市美術館、重要文化財)
金銀藍絵松樹文蓋物(出光美術館、重要文化財)
銹藍金絵絵替皿(根津美術館、重要文化財)