神奈川県横浜市鶴見区にて、絵画、お茶道具、水月焼好川恒方作天神蟹彫花瓶。

 

神奈川県横浜市鶴見区にて、絵画、お茶道具、水月焼の天神蟹彫り花瓶をお譲りいただきました。

お引越し前の荷物整理にてお呼びいただきました。お茶道具がたくさんありましたので、一点一点査定し、お客様にご満足いただける査定額にて全て買い受けさせていただきました。大事にされていたお道具をきちんと次へと繋げさせていただきます。お忙しい中、ご指名くださり有難うございました。帰宅時、首都高速平和島PAへと寄りました。ウコンサイダーなる珍品を見かけましたので、思わず購入しました。サービスエリアや道の駅に行くと、よく変わったサイダーを見かけるのですが、これもそのうちのひとつでしょうか。見た感じはオレンジジュースのような感じですが、ウコンの苦味がほんのりとあり。柑橘風味も付いているのですが味はさっぱりめ、かつ甘さも控えめです。今日もとても暑い一日でしたが、ウコンで栄養補給をし、無事帰宅しました。

水月焼(水月の名は松山城の堀に映る月影に得たと云われております)
創始者好川恒方は明治16年5月6日、伊予松山の通町、狩野派の画家好川馬骨(号)の長男として出生、幼少より画道に精進しておりましたが、陶芸にも深い愛着を持っていました。二十才の頃、松山の西郊衣山に良質の陶土を発見し「絵を立体的に表現したい」と本格的に庭へ窯を造り、趣味の窯水月焼を創始しました。当時公開されなかった釉薬の秘密を独自の力で研究し、あらゆる辛酸をなめつつ独特の色を焼きつけるのに長の年月を要しました。然して水月焼の生き生きとしたカニを発表したのは大正10年頃のこと、庭内にハサミと甲羅の赤い天神蟹を飼って生態観察研究の後、この作品を完成させました。また常々彫塑の研究に情熱をたぎらせた結果、さらに観音、不動、羅漢などの仏像。寒山拾得、ガマ仙人などの人物をはじめ、動植物など種々の対象と取り組み、その卓越した技法と芸域は数多くの名陶を生むに至りました。殊に、壷や渇呑に見る山水には樹木、谷川、そま道を深く彫り込み、深山幽谷を偲ばせる作品は「全く他の追随を許さぬものがある」″水月焼″それは絵と彫刻と焼物の三位一体のものであると云えます。今日まで師事することなく、感覚のままに土を練り、形態を作り、色彩を出して独創の境地を進んで来たのであります。故にその作品には独特の香気と味わいがあり、人の心を魅了するものがあるのは当然のことと思われます。明治、大正、昭和の三代に亙り七十有余年、只ひたすら斯道に精進し、昭和53年8月16日、95才と3ヶ月の天寿を全うしました。恒方亡き後、恒方の唯一の弟子として、又晩年の伴侶として十年間恒方と起居を共にしつつ、手をとって朝に夕に教え込まれた恒悦が二代を継承しました。一つひとつ真心こめて丹念に良いものをつくるという初代恒方の意志、ゆき方を尊重しつつ懸命に水月焼と取組んで作品を造ってきたが、老齢により釜は閉釜しました。現在は下所にて作品の展示・販売を続けております。