東京都世田谷区太子堂にて、和たんす、和家具、掛け軸、人気作家加守田章二作灰釉花瓶。

東京都世田谷区太子堂にて、和たんす、座卓、衝立、屏風、掛軸、人気作家加守田章二作灰釉花瓶をお譲りいただきました。

旧家解体前のお荷物整理にてお呼びいただきました。骨董品のコレクターであるお客様で、たくさんの古きよき品々を拝見させていただきました。どれもとても素晴らしい品々でした。今でも骨董品を探し買っていらっしゃるとのこと、今後も骨董品、古美術品を大事にされてください。お譲りいただいたお道具、大切にしていただける愛好家の方々や次の世代の収集家へ引き継いでいくお手伝いをさせていただきます。 有難うございました!

加守田章二のような人気有名作家はもちろん、六角堂では作家の無い陶芸作品も買い取りしておりますので、ご不要の場合は、ご処分前にご連絡ください。作品に詳しい鑑定士がお見積りに伺わせていただきます。

加守田章二—(かもだしょうじ)
昭和8年(1933)〜昭和58年(1983) 49才没。
加守田章二は、父加守田貞臣、母八重子の長男として大阪府岸和田市に生まれる。
高校時代から美術の才能を発揮し、京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)工芸科陶磁器専攻に進み、富本憲吉、近藤悠三に師事する。
卒業後、茨城県日立市の日立製作所関連の製陶所を経て、 昭和34年(1959)、栃木県益子町に窯を借りて独立し、本格的な作陶生活を始める。
昭和36年(1961)、鉄釉作品で日本伝統工芸展に初入選したのを皮切りに、 昭和42年(1967)には陶芸家として唯一第10回高村光太郎賞を受賞する。
また、同じ年に、伝統的な作風からの脱却を考えて日本伝統工芸展への出品をやめ、 岩手県遠野市で新しい陶房と単窯で修行僧のように制作に励み、曲線彫文、彩陶など新境地を次々と発表し、遠野時代を確立した。
昭和49年(1974)には、40歳の若さで陶芸家初の芸術選奨文部大臣新人賞(美術部門)を受賞している。
デザインを研究し、独創的な器形を広く展開した加守田の作品は、高い評価を受けていたが、昭和56年(1981)白血病を発症し、昭和58年(1983)50歳を前に夭逝。