東京都中央区築地にて、桐たんす、お着物、長火鉢、屏風、掛け軸、重要無形文化財(人間国宝)13代酒井田柿右衛門の葡萄文花瓶をお売りいただきました。

東京都中央区築地にて、桐たんす、お着物、長火鉢、屏風、掛け軸、重要無形文化財(人間国宝)13代酒井田柿右衛門の葡萄文花瓶をお譲りいただきました。

解体前の片付け整理にて、お呼びいただきました。柿右衛門は当社でも強化買取り中している人気作品でしたので、お客様にご満足いただける高額査定で買い取りさせていただきました。他にも桐たんす、お着物、,掛け軸、置物などを買い受けいたしました。有難うございました。仕事帰りに倉庫そばにある中華料理「磨味坊」さんへと寄り、スタミナラーメンをいただきました。ここのラーメンは野菜がたくさん入っており、外食の多いわたしには大事に栄養源です。出張が続いておりますので、たくさんスタミナ付けて明日からも頑張ります!

六角堂では、酒井田柿右衛門の作品を探しております。何代の作品でも構いません。また、本人作でなくとも、柿右衛門窯作品でも構いません。ご所蔵の作品がございましたら、無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
酒井田柿右衛門作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。ぜひご利用ください。

13代 酒井田柿右衛門 1906(明治39)年~1982(昭和57)年
13代酒井田柿右衛門は12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれました。
本名を渋雄といいます。
1924(大正13)年、有田工業学校製陶科を卒業しました。
1953(昭和28)年、父と濁手素地の復興に成功しました。
1955(昭和30)年に「柿右衛門」の製陶技術が文化財保護委員会より、
記録作成等の措置を構ずべき無形文化財として選択を受けました。
1963(昭和38)年、13代酒井田柿右衛門を襲名しました。
一水会審査員に就任しました。
1964(昭和39)年、日本工芸会正会員となりました。
1966(昭和41)年、佐賀県文化功労者に選択されました。
「柿右衛門」の陶芸技法が佐賀県重要無形文化財に指定されました。
濁手草花文蓋物が宮内庁に買い上げられました。
1967(昭和42)年、佐賀県重要無形文化財に認定されました。
1969(昭和44)年、皇居新宮殿に濁手瓢形壷一対を制作しました。
1970(昭和45)年、佐賀県陶芸協会会長に就任しました。
濁手菊鳥文壷が外務省に買い上げられ、サンパウロ日本館に展示されました。
1971(昭和46)年、13代を会長に上級技術者11人で柿右衛門製陶技術保存会を設立します。
これは素地の調製から作品完成に至るまでの工程を江戸時代以来の分業による集団体制で、
伝統の濁手によって柿右衛門様式を制作する技術保持を目的とした団体です。
技術保存会による「濁手」の技法が重要無形文化財として総合指定を受けました。
濁手露草文鉢等が宮内庁に買い上げられました。
東宮御所の御用食器を納入しました。
濁手花鳥文陶額がオランダ日本大使館展示品として外務省に買い上げられました。
1972(昭和47)年、紫綬褒章を受章しました。
1974(昭和49)年、迎賓館に濁手梅花文壷を制作しました。
1975(昭和50)年、西日本文化賞を受賞しました。
濁手草花文鉢と濁手椿文壷が文化庁に買い上げられました。
1976(昭和51)年、柿右衛門製陶技術保存会が技術保持団体として認定されました。
1978(昭和53)年、勲四等旭日小綬章を受章しました。
1982(昭和57)年、有田名誉町民の称号を受けました。
個人作家として新しい柿右衛門の確立を目指した13代は、
伝統を墨守し続ける頑固な父の方針に不満を持ち、
お互いの方向性の違いから親子喧嘩が絶えなかった事でも有名です。
この父より受け継がれた職人気質を基礎に現代様式の柿右衛門を創造すべく、
日本画家、彫刻家、芝居役者、政治家、実業家等のあらゆる分野の人々と交流を深め、
近代的な独自の新意匠を取り入れた新境地を築き上げました。
頻繁に全国各地の野山へ出掛けては膨大な量のスケッチを取った事でも知られており、
こうして図案化されたものが濁手素地の上に彩られました。
芸術作家としての柿右衛門の評価は13代の出現で不動のものとなりました。