東京都小平市にて、和箪笥、お着物、反物、和装小物、茶道具、人間国宝浜田庄司の鉄釉茶碗をお売りいただきました。

東京都小平市にて、和箪笥、お着物、反物、和装小物、茶道具、人間国宝浜田庄司の鉄釉茶碗をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。生前お婆様が大事にされておりましたお着物やお道具、大事に次へと繋げられるよう、頑張らせていただきます。お忙しい中、当社のご指名有難うございました。二件目、国分寺市へ向かう途中、最近よく行く「丸源ラーメン」さんへと寄りました。ランチタイムでしたので、定番の肉そばに餃子ライスセットをいただきました。

ただいま人間国宝、作家物の陶芸作品を強化買取りしております。
作家のないお品も多数扱っておりますので、処分される前に一度お問い合わせください。
たくさんの御見積お待ちしております。

陶芸(人間国宝)  色絵磁器 - 富本憲吉、加藤土師萌、藤本能道、十三代今泉今右衛門、十四代酒井田柿右衛門、鉄釉陶器 - 石黒宗麿、清水卯一、原清、民芸陶器 - 濱田庄司、志野 - 荒川豊蔵、萩焼 – 三輪休和(十代三輪休雪)、三輪壽雪(十一代三輪休雪)、備前焼 – 金重陶陽、藤原啓、山本陶秀、藤原雄、伊勢崎淳 唐津焼 – 中里無庵、染付 – 近藤悠三、白磁・青白磁 -塚本快示、琉球陶器 - 金城次郎、鉄絵 - 田村耕一、練上手 - 松井康成、白磁 - 井上萬二、三彩 - 加藤卓男、民芸陶器- 島岡達三、青磁 – 三浦小平二、中島宏、彩釉磁器 - 三代徳田八十吉、常滑焼(急須)-三代山田常山、釉裏金彩(ゆうりきんさい)-吉田美統、無名異焼(むみょういやき)-五代伊藤赤水

浜田庄司 (はまだしょうじ)1894(明治27)~1978(昭和53)

神奈川県橘樹郡高津村(現在の川崎市)溝ノ口の母の実家で生まれる。東京府立一中(現東京都立日比谷高等学校)を経て、1913年(大正2年)、東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科に入学、板谷波山に師事し窯業の基礎科学面を学ぶ。1916年(大正5年)同学校を卒業後は、学校が2年先輩の河井寛次郎と共に京都市立陶芸試験場にて主に釉薬の研究を行う。またこの頃柳宗悦、富本憲吉やバーナード・リーチの知遇を得る。 1920年(大正9年)、イギリスに帰国するリーチに同行、共同してコーンウォール州セント・アイヴスに築窯する。1923年(大正12年)にはロンドンで個展を開催、成功する。 1924年(大正13年)帰国、しばらくは沖縄・壺屋窯などで学び、1930年(昭和5年)からは、それまでも深い関心を寄せていた益子焼の産地、栃木県益子町で作陶を開始する。 殆ど手轆轤のみを使用するシンプルな造形と、釉薬の流描による大胆な模様を得意とした。戦後、1955年(昭和30年)2月15日には第1回の重要無形文化財「民芸陶器」保持者(人間国宝)に認定。また1964年(昭和39年)に紫綬褒章、1968年(昭和43年)には文化勲章を受章する。 柳宗悦の流れをうけて民芸運動に熱心であり、1961年(昭和36年)の柳の没後は日本民藝館の第2代館長にも就任する。また1977年(昭和52年)には自ら蒐集した日本国内外の民芸品を展示する益子参考館を開館。1978年(昭和53年)益子にて没。享年83。

1894 神奈川県川崎市で生まれる。生家は東京で文房具店経営。本名象二
1916 東京高等工業学校(現、東京工業大学)窯業科卒
1918  河井寛次郎と沖縄へ、壷屋を訪問
1920 バーナード・リーチに同行し、渡英。
1937 日本民芸館の理事に就任
1942 益子に大型登窯築窯
1949 第1回栃木県文化功労賞受賞
1953 昭和27年度芸術選奨文部大臣賞受賞
1956 民芸陶器で重要無形文化財保持者認定
1964 紫綬褒章受章
1968 沖縄タイムス賞受賞。文化勲章受章
1969 益子名誉町民となる
1974 日本民芸協会会長就任
1976 川崎市文化賞受賞
1977 益子参考館開館 館長に就任
1978 死去

小平市出張地域は、大沼町、小川町、学園東町、喜平町、栄町、上水新町、鈴木町、たかの台、津田町、天神町、中島町、仲町、花小金井、花小金井南町、美園町、御幸町、回田町