神奈川県鎌倉市にて、総桐箪笥、着物、和装小物、掛け軸、書道具、嘉宮造 京薩摩 双耳花鳥文花瓶をお売りいただきました。

神奈川県鎌倉市にて、総桐箪笥、着物、和装小物、掛け軸、書道具、嘉宮造 京薩摩 双耳花鳥文花瓶をお譲りいただきました。

不動産屋さんのご紹介で、神奈川県鎌倉市へと遺品整理にてお呼びいただきました。今回が初めてですが、当社をお呼びいただき有難うございます。六角堂では、不動産、解体、引越し、介護関連、遺品整理等の業者様より、随時買取や処分を受け付けております。残置物が少ない場合でも、気になるお品がございましたら、六角堂までメール、またはお電話にてお問い合わせください。当社で、出来る限りの対応をさせていただきます。出張から帰宅後、家族で外食しに出かけました。最近野菜不足でしたので、近所のしゃぶしゃぶ店「しゃぶ葉」さんへと行きました。しゃぶしゃぶ食べ放題のお店ですが、野菜をはじめお寿司やデザートなどたくさん種類がありました。野菜の種類も豊富で、たくさん栄養補給できました。明日からもまた頑張れそうです!

薩摩焼は鹿児島県内で焼かれる陶磁器の総称です。種類は、竪野系、龍門司系、苗代川系等があります。中心の窯場は姶良市の龍門司窯、日置市の苗代川窯、鹿児島市の長太郎窯等です。2002年には、国の伝統的工芸品に指定されています。
薩摩焼の歴史は1598年の豊臣秀吉による朝鮮出兵にまで遡ります。
天下統一を果たした秀吉は明(中国)の征服を目論んでいました。その足がかりとして、当時明の属国のような関係にあった李氏朝鮮に日本に服属をもちかけたが、断られてしまいます。
そこで秀吉は朝鮮に出兵します(朝鮮出兵)。その際、朝鮮から製陶、刺繍、測量、医学、瓦製造、木綿栽培、養蜂などの技術者たちが日本にやってきました。そして薩摩の地で窯業をはじめたのです。彼らは陶器の原料を薩摩の国中に求め、地産地消の陶器を作りだしました。
朝鮮からやってきた窯業の技術者たちは薩摩に流れる苗代川沿いに集落を作り、窯業を開始して薩摩藩の御用窯になりました。このとき作られはじめたのが、クリーム色の下地に豪華絢爛な絵付けを施した「白薩摩」というものです。
白薩摩は、白い土を使用して透明な釉薬をかけます。そして窯で焼いたときにできる細かなキズ(貫入)が大きな特徴です。
薩摩藩ではこの白薩摩を、藩専用として幕府や他藩への贈答品して送っていました。
1800年代にパリ万博にも出品して、白薩摩の絢爛豪華さが欧米の人の好評を博したようです。
黒薩摩は、白さつまとは対照的で、大衆が使用する日曜雑器として焼かれていました。使用されている土には鉄分が豊富に含まれています。その為、黒くなるのが特徴でしょう。他にも黒ヂョカと呼ばれる土瓶があります。焼酎を飲む時に使用される素朴な趣の陶器です。
他にも、京薩摩や、横浜薩摩があります。幕末から明治初期の京都で、欧米への輸出用に焼かれていました。伝統的な日本のデザインを意識した絵付けの陶器です。
横浜や東京で絵付けされ、横浜港から輸出された物が横浜薩摩です。。しかし、そのなかでも、龍門司窯は黒薩摩の技法を発展させ、上級武士や藩主に進呈する陶器を受け継いでいます。
薩摩焼では沈寿官が有名ですが、当社では沈寿官をはじめ、全ての薩摩焼の買い取りをしております。薩摩焼をはじめ、陶磁器の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりました陶磁器がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。

鎌倉市出張地域は、稲村ガ崎、今泉、岩瀬、植木、扇ガ谷、大船、大町、岡本、御成町、梶原、鎌倉山、上町屋、極楽寺、腰越、小袋谷、小町、材木座、坂ノ下、笹目町、佐助、七里ガ浜、十二所、浄明寺、城廻、関谷、台、、高野、玉縄、津、手広、寺分、常盤、二階堂、西鎌倉、西御門、長谷、笛田、山崎、山ノ内、由比ガ浜、雪ノ下