東京都荒川区東尾久にて、水屋箪笥、時代和家具、お茶道具、田中柏陰筆楓画、十二代坂倉新兵衛造の萩茶碗。

東京都荒川区東尾久にて、水屋箪笥、時代和家具、お茶道具、日本画家田中柏陰筆楓画、十二代坂倉新兵衛造の萩茶碗をお譲りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。こちらのお茶碗は、日本画家田中柏陰が絵付けし、十二代坂倉新兵衛の窯で焼いた萩茶碗となっており、割高台と大変珍しい萩茶碗になります。当社でも強化買取り作家のお品でしたので、お客様にご満足いただける査定額にて買い受けました。出張帰りに、くるまやラーメン新座野火止店へと寄らせていただきました。こちらではいつも野火止店限定のごまみそネギらーめんを頂いております。濃い目の味噌スープがたまらなく美味しく、10年以上前から時々寄らせていただいております!本日、千葉県柏市のお客様よりお電話をいただきました。わたしの買取事例を見て頂いてるとの事、とても嬉しいです。残念ながら、今回はお伺いに行けませんでしたが、また何かありましたら是非ご連絡ください。同じ2月生まれのようで、大変光栄です!今日はこれから九十九里の方へ前乗りします。眠いですが、安全運転で行ってきます!明日は美味しい海鮮丼食べれるかな??

六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取りしております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。

田中柏陰 (たなかはくいん)生:慶応2年(1866年)4月2日、駿河国(現静岡県)生まれ 没:昭和9年(1934年)、享年69歳

本姓は中川、通称は啓三郎。別名を馨、字を淑明、号は柏陰・静麓(せいろく)・柏舎主人・柏樹子・弧立・空相居士。 明治16年(1941年)、17歳のとき京都に出て田能村直入に師事し、田能村竹田系の南画の画風を受け継ぎ、濃彩の山水画を得意とした。 京都では田能村直入が開いた「私立南宗画学校」で校員として後進の指導にあたった。 明治33年(1900年)結婚後、妻の実家である山口県防府市右田の田中家へ養子として入って田中柏陰を名乗り、画塾・画禅堂を開き多くの弟子を教授した。 のち関西南画界の重鎮となった。 主な弟子に、長松秀鳳(ながまつ・しゅうほう)・植木華城(うえき・がじょう)・藤本木田(ふじもと・ぼくでん)・大庭学僊(おおば・がくせん)・藤井小陰(ふじい・しょういん)などがいる。 同時に田能村竹田系作品鑑定の第一人者でもあった。 昭和9年(1934年)6月3日、療養先の静岡県興津において亡くなった。享年69歳。

坂倉新兵衛(12代) さかくら-しんべえ 1881-1960 明治-昭和時代の陶芸家。

明治14年9月1日生まれ。11代坂倉新兵衛の長男。明治30年12代をつぐ。31年から9代高麗左衛門(こうらいざえもん)に萩(はぎ)焼をまなび,家業を復興。昭和23年萩焼美術陶芸協会会長。32年選択無形文化財保持者。萩焼の販路拡大に尽力し,萩焼中興の祖とされる。昭和35年12月3日死去。79歳。山口県出身。幼名は平吉。