東京都中央区八丁堀にて、総桐たんす、お着物、お茶道具、表千家十二代惺斎書付一重切竹花入 銘「青柳」をお売りいただきました。

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東京都中央区八丁堀にて、総桐たんす、お着物、お茶道具、表千家十二代惺斎書付一重切竹花入 銘「青柳」をお売りいただきました。

六角堂では、茶碗、水差 、棗、茶入、香合、風呂、釜、花入、茶杓、菓子皿、銀瓶、鉄瓶、 茶棚、炉縁などのお茶道具を強化買取りしております。裏千家、表千家、武者小路千家、裏千家久田家、表千家堀内家、藪内家、遠州流、宗偏流、松尾流、江戸千家、大日本茶道学会などのお道具、作家物からお稽古用まで、お茶道具に関して幅広く取り扱っております。お茶道具の専門スタッフか、お見積もりに伺います。ご不要になりましたお茶道具がございましたら、六角堂までお問い合わせください。六角堂は、東京都内はもちろん、関東一円出張見積無料、鑑定無料です。是非ご利用ください。

表千家12代 敬翁宗左(惺斎) 1863-1937

表千家11代瑞翁宗左の長男として生まれ、30歳で12代目を継ぐという少し遅咲きになりました。瑞翁宗左は、敬翁宗左に12代目を継がせた後も亡くなるまで親子二人三脚で茶道を盛り上げていきました。茶道は明治維新により一時衰退期を迎えましたが、父、11代瑞翁宗左の功績や、日本経済の発展と共に徐々に茶の湯の文化も取り戻されていきます。明治20年に京都御所で明治天皇に茶を献じた碌々斎は、その5年後に惺斎に家督を譲りますが、その後長く親子二人三脚で茶道を盛り立てていきます。明治28年に了々斎七十回忌の茶事、明治31年には豊公三百年祭で太閤垣の献茶、明治33年には如心斎の百五十回忌などなど、絶え間なく茶事と献茶が繰り返し行われ、表千家の存在感も増していきます。大正から昭和初期にかけての景気の好転もあって、表千家は再び隆盛を極めます。

十二代宗匠、惺斎(せいさい)は、彼が時代に応じて3種の花押を使っておりました。明治25年に正式に宗左を襲名し宗匠となるまでの宗員時代は、幼名の「与太郎」にちなみ「与」の字を意匠化したものを使い、代を継ぐと俗に言う「飛行機判」の花押になります。初期の飛行機判は比較的平たく、後に伸びやかに描かれるように変わっていきます。そして晩年を迎えた大正3年からは「自動車判」と呼ばれる丸みを帯びた花押に変わります。それは明治、大正、昭和とめまぐるしく移り変わるの3つの時代を生きた惺斎の心持ちの表れだったのかもしれません。