東京都世田谷区成城にて、唐木の花台、香炉台、宣統(愛新覚羅溥儀)御筆書法「福寿」の掛軸をお売りいただきました。

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東京都世田谷区成城にて、唐木の花台、香炉台、宣統(愛新覚羅溥儀)御筆書法「福寿」の掛軸をお売りいただきました。

ラストエンペラーで有名な愛新覚羅溥儀の掛軸になります。清朝皇帝時代には、治世の元号から中国語で宣統帝と称されました。清朝滅亡後に日本政府の支持のもと満洲国の執政に就任、満洲国の帝政移行後は皇帝に即位して康徳帝と称し、満州国軍大元帥や満州国協和会名誉総裁などを兼任。満洲国の崩壊とともに退位し、赤軍の捕虜になる。その後中華人民共和国に引き渡され、撫順戦犯管理所からの釈放後は一市民として北京植物園に勤務、晩年には中国人民政治協商会議全国委員に選出されました。
字は「耀之」。号は「浩然」。辛亥革命後の呼称としては、廃帝と国民党政府から呼ばれる一方、旧清朝の立場からは遜帝(「遜」は「ゆずる」の意)とも呼ばれました。末代皇帝(末帝)と呼ばれる場合もあります。

中国近代/現代作家の作品から明/清の時代の古い作品からまで取り扱っております。
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愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)

1906年:醇親王載灃の子として北京に生まれる
1908年:第12代清朝皇帝(宣統帝)に即位
1912年:辛亥革命により退位
1917年:張勲復辟により清朝皇帝に復位するも、10日あまりで再び退位
1919年:イギリス人のレジナルド・ジョンストンを帝師として招聘
1922年:正妻の婉容、側室の文繍と結婚
1924年:クーデターにより紫禁城から退去。ジョンストンが帝師を退任
1925年:イギリスやオランダ公使館へ庇護を要請するものの拒否され、天津日本租界内張園に移転
1931年:文繍と離婚。満洲事変勃発後、大日本帝国陸軍からの満洲国元首への就任要請を受諾し、日本軍の手引きで天津を脱出、満洲へ移る
1932年:満洲国の建国に伴い満洲国執政に就任
1934年:満洲国皇帝(康徳帝)に即位
1935年:初の外国訪問として日本を公式訪問
1937年:譚玉齢を側室とする
1940年:日本を再び公式訪問、最後の外国訪問となる
1942年:側室の譚玉齢が死去
1943年:李玉琴を側室とする
1945年:満洲国の崩壊に伴い皇帝を退位し、その後日本への亡命途中に、侵略してきたソ連軍の捕虜になる
1946年:極東国際軍事裁判にソ連の証人として出廷させられる、正妻の婉容死去
1950年:中華人民共和国に身柄を移され撫順戦犯管理所に収容される
1959年:模範囚として釈放され、その後北京植物園を経て政協第4期全国政治協商会議文史研究委員会専門委員会に勤務
1962年:李淑賢と再婚
1964年:中国共産党政治協商会議全国委員に選出される
1967年:10月17日北京で死去