東京都中野区中野にて振袖、着物、練馬区向山で犬山焼や坂高麗左衛門の茶碗など。

東京都中野区中野にて振袖のセット、着物、練馬区向山で犬山焼赤絵四方皿や十代坂高麗左衛門の萩俵手茶碗など茶道具をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は中野区中野へお着物の処分整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお着物は振袖のセットなど。ちりめん地の振り袖で、柄も良く大変状態の良いものでした。振袖の帯や襦袢なども併せてお売りいただきました。また、草履や帯締めなどの和装小物も併せてお売りいただきました。お客様の思い出のお着物、大切に次へと橋渡しさせていただきます。大切なお着物の整理に当社をご指名いただき、誠に有難うございました。本日二件目は練馬区向山へ、茶道具の整理でお呼びいただきました。数年前に茶道をやめて、保管されていた茶道具を徐々にご処分していきたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。たくさんのお道具がございましたが、少しずつ整理されたいとのことでしたので、本日は茶碗三点、水指二点、茶釜、香合のみお売りいただきました。十代坂高麗左衛門の萩俵手茶碗は十一代坂高麗左衛門の識箱、仕覆に納められておりました。高台脇に印銘「韓峯」がございます。俵形(楕円形)の俵手茶碗、側底部に窯キズ、見込みに窯キズがあるものの、大変素晴らしい茶碗でございます。坂高麗左衛門は当社で買取強化中の作家でありますので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。次回ご処分される際にもまたお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。お忙しい中、六角堂をご指名いただき、有難うございました。

犬山焼(いぬやまやき)
江戸元禄年間、今井村(現在の犬山市今井)において、郷士奥村伝三郎が今井窯を築き、焼物を作ったのが始まりとされています。犬山城主成瀬正寿が文化7年(1810年)丸山に開窯、文政年間(19世紀)には、犬山藩お庭焼として発展しました。中国明時代の呉州赤絵を手本とする呉州風赤絵・成瀬正寿の意匠による光琳風の桜と紅葉をとりあわせた文様「雲錦手」が特徴で、素朴で優雅な陶器として愛用されています。

十代  坂高麗左衛門(さかこうらいざえもん)1890年~1958年
秀輔、号:韓峯
1890年 山口県で生まれる。
1909年 山口県立萩中学校を中退し、父9代・坂高麗左衛門に師事する。
1914年 大正博覧会に出品したガマ仙人置物が宮内省買い上げとなる。
1915年 大正天皇御即位奉祝品として萩町献上の花瓶一対を制作する。大正天皇御大典記念京都博覧会に出品した菓子鉢が宮内省買い上げとなる。
1916年 福禄寿置物が宮内省買い上げとなる。
1920年 李王世子殿下御婚儀奉祝品として山口県献上の高砂尉と姥置物を制作する。
1921年 10代坂高麗左衛門を襲名する。
1922年 皇太后陛下が香椎御参宮の際に置物が買い上げとなる。平和記念東京博覧会に出品した水指が宮内省に買い上げとなる。
1924年 今上天皇御成婚奉祝品として萩町献上の高砂尉と姥置物を制作する。北白川宮大妃殿下が萩町行啓の際に番茶器と湯沸と水注を買い上げとなる。
1925年 秩父宮殿下が山口県行啓の際に萩町献上の抹茶碗一対を制作する。万国装飾美術工芸パリ博覧会で銀牌を受賞する。伏見宮博義王殿下が萩港入港御上陸の際に萩町献上の花瓶を制作する。
1926年 摂政宮殿下が萩町行啓の際に萩町献上の大花瓶を制作する。聖徳太子展覧会委員を委嘱され、総裁久邇宮より香合を授かる。
1928年 天皇陛下御即位御大典奉祝として個人献上を許される。
1931年 梨本宮殿下が山口県行啓の際に武徳会山口支部献上の大花瓶を制作する。
1938年 竹田宮大妃殿下が山口陸軍病院戦傷病将士御見舞の際に、山口県献上の大花瓶を制作する。
1939年 朝香宮殿下が県下軍需工場巡視の際に山口県献上の大花瓶を制作する。
1943年 工芸技術保存資格者として選定される。
1946年 高松宮殿下が萩市行啓の際に萩市献上の抹茶碗を制作する。
1947年 天皇陛下が山口県行啓の際に山口県献上の天人風炉と富士形釜を制作する。
1958年 逝去