東京都新宿区若葉にて銀製置物、後藤純男、児玉幸雄のリトグラフなど。

東京都新宿区若葉にて銀製置物(関武比古ヨット、宝船、秀雄作末廣、古鏡作三重塔など)、後藤純男のリトグラフ「春の斑鳩」、児玉幸雄のリトグラフ「グリンデルワルド」、玉川堂の茶器揃や花瓶などをお売りいただきました。

先日査定でお伺いしたお客様からご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。数社相見積もりでしたが、当社にお売りいただくこととなりました。お売りいただいたお品は銀製の置物(関武比古ヨット、宝船、秀雄作末廣、古鏡作三重塔など)、後藤純男のリトグラフ「春の斑鳩」、児玉幸雄のリトグラフ「グリンデルワルド」、玉川堂の茶器揃や花瓶、掛軸、絵画、陶器、ガラス工芸品、碁盤や碁石など。たくさんのお品をお売りいただきました。総額で他社より高額査定でありましたが、銀製品は他社の方が若干高かった為、再度査定し全てお売りいただくこととなりました。銀製品は伝統工芸で有名な関武比古の作品などがございました。国宝 当麻寺東塔(三重塔)の置物は古鏡作。神殿に仏像がおさめられていたり見えない箇所にも手を抜かない大変造りの良い作品です。こちらが一番の高額査定となりました。後藤純男は四季折々の情趣のなかに、奈良や京都など日本の古都の風物、寺院を荘厳に描き、また、雄大な中国の自然やそこに生きる人々、北海道の自然などを優しくかつ厳しい眼差しのもとに描いています。日本美術院の重鎮であり、我が国を代表する日本画家のひとりであります。児玉幸雄は西欧の広場を描いた作品で知られる人気洋画家。グリンデルワルトはスイス・アルプスにあるベルン州山岳地方の村で、大自然を観光する拠点として人気のスポットです。澄み渡る青空とアルプス、建物の色彩が素晴らしい作品です。品数が多く、査定や搬出に時間が掛かってしまいましたが、最後までお付き合いいただきました。まだたくさんのお品が残っており、来月に再度お呼びいただくこととなりました。次回もまた、よろしくお願い致します。本日は六角堂をご指名くださり有難うございました。

後藤純男(ごとうすみお)1930年(昭和5年)〜2016年(平成28年)
1930年 千葉県東葛飾郡関宿町の真言宗住職の家に生まれる。
1932年 埼玉県金杉村(現在の松伏町)へ転居。
1946年 山本丘人に師事。
1949年 山本丘人の紹介で田中青坪に師事。
1952年 再興第37回 日本美術院展覧会(院展)で「風景」が初入選。
1954年 日本美術院院友に推挙される。
1955年 約8年間の関西、四国における真言宗の寺を巡るスケッチ旅行を始める。
1962年 第47回 院展で「懸崖」が奨励賞・白寿賞・G賞受賞。
1965年 第50回 院展で「寂韻」が日本美術院賞・大観賞受賞。日本美術院特待に推挙される。
1969年 第54回 院展で「淙想」が日本美術院賞・大観賞受賞。
1974年 日本美術院同人に推挙される。
1976年 第61回 院展で「仲秋」が文部大臣賞受賞。
1979年 現代日本絵画展代表団の一員として初めて中国を訪問。
1981年 ネスカフェ・ゴールドブレンド「違いがわかる男」のTVコマーシャルに出演。
1986年 西安美術学院(中国)名誉教授となる。第71回 院展で「江南水路の朝」が内閣総理大臣賞受賞。
1988年 高野山東京別院に襖絵「高野山の四季」を奉納。東京藝術大学 美術学部教授に就任。
1993年 長谷寺(奈良)に襖絵「夏冬山水」を奉納。
1995年 三越エトワール(パリ)にて個展を開催。
1997年 東京芸術大学を退官。北海道上富良野町に後藤純男美術館を開館。
1999年 東京都高幡不動尊金剛寺に襖絵「桂林山水朝陽夕粧」を奉納。犬吠駅舎内に後藤純男美術館を開館。
2000年 埼玉県松伏町名誉町民となる。上富良野町社会貢献賞を受賞。
2001年 西安美術学院研究棟内に「後藤純男工作室」が落成。
2002年 埼玉県北葛飾郡松伏町の名誉町民に選ばれる。
2005年 喜寿記念展を各地にて開催。
2006年 旭日小綬章を賜る。
2008年 「小海町高原美術館開館10周年記念 後藤純男日本画展」を開催。
2012年 後藤純男美術館開館15周年 後藤純男展 (そごう美術館)
2016年 東京藝術大学名誉教授となる。 第72回日本芸術院賞・恩賜賞を「大和の雪」が受賞。 10月18日、午前3時40分、敗血症のため北海道旭川の病院で死去。

児玉幸雄(こだまゆきお)1916年~1992年
1916年 大阪市に生まれる。
1936年 関西美術展に入選。田村孝之介に師事する。
1937年 二科展に「赤い背景の人形」が入選。
1939年 関西学院大学卒業。
1940年 紀元二千六百年記念奉祝展に出品。
1947年 大阪市展市長賞受賞。二紀会創立に参加、同人となる。
1950年 二紀展同人賞受賞。
1952年 二紀展同人優賞受賞。委員に推挙。
1957年 第一回の渡仏。
1959年 滞欧作品展を東京・大阪で開催。
1960年 選抜秀作美術展に出品。
1988年 ニ紀会退会。
1992年 逝去。享年75歳。