千葉県市川市にて小森邦夫のテラコッタ像、佐々木象堂の鋳銅置物。

千葉県市川市にて小森邦夫のテラコッタ裸婦像「渚」、人間国宝 佐々木象堂の鋳銅 鳥の置物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。置物やお茶道具などをご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、お稽古用の茶道具、小森邦夫のテラコッタ裸婦像「渚」、人間国宝 佐々木象堂の鋳銅 鳥の置物など。当社で買取を強化している作家作品などもあり、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。処分されようとしていたお品にもお値段が付き、お喜びいただけました。お売りいただいたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、当社をお呼びいただき誠に有難うございました。

小森邦夫(こもりくにお)1917~1993 昭和-平成時代の彫刻家。
大正6(1917)年6月6日、東京都浅草今戸に生まれる。赤坂高等小学校を経て日大皇道学院に学ぶ。昭和10年、構造社彫塑研究所に入り斉藤素厳(さいとうそがん)に師事。構造展に出品し、昭和15年紀元2600年奉祝展に「めぐみ」で入選して官展初入選をはたす。昭和16年第4回新文展に「断」で入選するが、のちに従軍。昭和21年春、第1回日展に「久遠」で入選し、以後同展に出品を続ける。昭和8年第9回日展に「ながれ」を出品して特選・朝倉賞受賞、同年第1回日本彫塑会展に「婦(A)」を出品して、以後同会にも出品を続ける。昭和30年第11回日展に「裸婦立像」を出品して特選。昭和31年第12回展では「若い女」で2年連続特選となり、翌32年には日展依嘱となった。同年中国平和委員会からの招待で茨城県文化人代表として約40日間中国視察旅行、中国の古代遺跡等を訪れた。昭和33年よりたびたび日展審査員をつとめ、昭和34年日展会員、昭和39年日展評議員となる。昭和55年第12回日展に「腰かけた婦」を出品して文部大臣賞受賞。昭和60年、戦後間もない昭和23年から運営委員、審査員を続けていた茨城県展に「青春譜」を出品し、この作品により昭和59年度日本芸術院賞を受賞した。昭和60年日展理事、日本彫刻会理事となる。平成元年日本芸術院会員に選ばれた。裸婦像によって抽象的概念や情趣を表現するのを得意とし、流麗なポーズ、穏やかな作風を好んだ。代表作に茨城県立運動公園に立つ「緑に舞う」、勝田市駅前「であい」、土浦市にある「湖畔に佇つ」などがある。女性をモチーフにした作品がおおい。平成5年10月22日死去。76歳。

佐々木象堂(ささきしょうどう)1882~1961 明治-昭和時代の鋳金家。
1882年新潟県佐渡生まれ。本名文蔵。1901年(明治34)同郷の初代宮田藍堂(らんどう)について蝋(ろう)型鋳造を学んだ。13年(大正2)上京し、日本美術協会展などに出品してつねに上位の賞を得、27年(昭和2)帝展出品の「鋳銀孔雀(くじゃく)香炉」、29年同展出品の「金銅鳳凰(ほうおう)置物」がともに特選となった。この間、1925年には美術工芸振興を目的とする工芸済々会に入会し、翌26年には近代意匠の樹立を目ざす无型(むけい)会の結成にも参画している。第二次世界大戦後、日本伝統工芸展へ出品した「瑞鳥(ずいちょう)」(1958)、「采花(さいか)」(1959)がいずれも最高賞を受け、60年(昭和35)重要無形文化財「蝋型鋳造」保持者(人間国宝)に認定された。1961年(昭和36)1月26日死去。78歳。作品は、題材を大胆にデフォルメした斬新な形態をみせたものが多い。