東京都世田谷区奥沢にて、中里重利の絵唐津ぐい吞や鳥羽絵(春画)巻物など。

東京都世田谷区奥沢にて、中里重利の絵唐津ぐい吞や鳥羽絵(春画)絵巻物などをお売りいただきました。

本日は一件の見積もり、一件の出張買取となりました。一件目は、練馬区石神井町へ時代箪笥や時代蒔絵香炉、掛軸、アンティークスタンドライトなどの見積りへ行ってまいりました。近日お売りいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。二件目は世田谷区奥沢へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、唐津焼の巨匠中里重利の絵唐津ぐい吞や鳥羽絵(春画)巻物などをお売りいただきました。中里重利は人間国宝・中里無庵氏の三男として生まれ、実力作家として活躍されている。絵唐津・朝鮮唐津・斑唐津、黒唐津・黄唐津など、その仕事は多彩です。熟練された轆轤技術には定評があり、伝統的な古唐津の茶陶を基本に瀟洒で洗練された完成度の高い作陶を展開し、唐津焼の重鎮として高い評価を受けております。叩きの技法を駆使した壷を得意としました。鳥羽絵(春画、戯画)絵巻物は江戸~明治期のもの。印刷ではなく、当時の肉筆のものになります。鳥羽絵(とばえ)とは江戸時代に流行した戯画の一種。《鳥獣戯画》の筆者に擬せられる平安後期の僧、鳥羽僧正(覚猷(かくゆう))にちなんでこう呼ばれております。略画的タッチで人物や動物などを滑稽に描く。大坂の狩野派の大岡春卜筆といわれる《軽筆鳥羽車》3冊本(1720)は古例に属する。鳥羽絵はまず大坂で流行し、《絵本水や空》(1780)や《絵本古鳥図賀比》(1805)の作者松屋耳鳥斎が代表的。江戸でも、鍬形蕙斎(くわがたけいさい)、葛飾北斎、歌川広重などが鳥羽絵を試みています。上下巻の面白い作品でした。良い作品をお売りいただき有難うございました。
仕事帰りに市場の仲間達から連絡が入り、みんなで食事をすることとなりました。前に行ったことのある荻窪駅そばの「さかなや道場」さんへと行きました。T橋さんがご馳走してくれるとのことでしたので、生牡蠣やお鍋などわたしの大好物をたくさん食べさせていただきました。鰺の刺身は食べ終わると骨を唐揚げにしてくれます。これがまた絶品です。T橋さんご馳走様でした!

中里重利(なかざとしげとし)1930(昭和5)年~2015(平成27)年
中里重利は12代中里太郎右衛門(無庵)の三男として佐賀県に生まれました。
1944(昭和19)年より父に師事して作陶に従事しました。
1956(昭和31)年、現代日本陶芸展で松坂屋賞を受賞しました。
1964(昭和39)年にオリンピック協賛日展の入選作品が外務省に買い上げられ、
在外公館に陳列されました。
1965(昭和40)年、日展で「三玄壷」が特選北斗賞を受賞しました。
1966(昭和41)年、日展無鑑査となりました。
日展の出品作品が外務省に買い上げられて在外公館に陳列されました。
1967(昭和42)年、日展委嘱となりました。
1969(昭和44)年、日本現代工芸美術展無鑑査となりました。
現代工芸美術家協会会員、日展委嘱となりました。
1970(昭和45)年、日展委嘱となりました。
1971(昭和46)年、日本現代工芸美術展審査員に就任しました。
1973(昭和48)年、唐津市神田山口に築窯して独立しました。
1975(昭和50)年、日本現代工芸美術展で会員賞と文部大臣賞を受賞しました。
1976(昭和51)年、日展審査員に就任しました。
窯名を「三玄窯」としました。
三玄窯とは自身の作品である三玄壷(橙、赤、黒の三色を施した叩き壷)に由来しており、
三玄とは「天・地・人」のもと「土・技・炎」の三位一体を表現しています。
1977(昭和52)年、日展会員となりました。
現代工芸美術家協会評議員に就任しました。
1980(昭和55)年、日本新工芸展で会員賞と楠部賞を受賞しました。
中日国際陶芸展審査員に就任しました。
1981(昭和56)年、九州・山口陶芸展審査員に就任しました。
1982(昭和57)年、日展審査員に就任しました。
1985(昭和60)年、佐賀県芸術文化功労賞を受賞しました。
日展審査員に就任しました。
1986(昭和61)年、日展評議員に就任しました。
1993(平成5)年、佐賀県教育委員会より表彰を受けました。
1996(平成8)年、県政功労賞を受賞しました。
2002(平成14)年、地域文化功労者表彰(文部科学大臣表彰)を受けました。