埼玉県さいたま市見沼区にて、山本倉丘や安西啓明などの掛軸。

埼玉県さいたま市見沼区にて、日本画家の山本倉丘や安西啓明などの掛軸、置物、雑貨などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは、日本画家の山本倉丘や安西啓明などの掛軸、木彫りや陶製の置物、雑貨など。鳥を題材にした掛軸がお好きだったのでしょうか、鳥の描かれているものが多くございました。山本倉丘の掛軸は「千鳥」というもの、二重箱に収められておりました。安西啓明は「辛夷花」というもの、辛夷花とはこぶしの花のことです。シミなどが出てしまっておりましたが、六角堂で買取を強化している作家作品、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良い作品をお売りいただき有難うございました。
本日のランチは、さいたま市見沼区にある「麵家 光」へ寄りました。辛ネギ味噌ラーメンをいただきましたが、見た目通りの超激辛。この辛さがまた癖になりそうです。とても美味しかったです。

安西啓明(あんざいけいめい)1905~1999
明治38年4月15日生まれ。日本画家。東京生。名は正男。川端龍子に師事。
大正15年院展に「学校」が初入選。再興院展に入選するが、龍子が青龍社を結成するに及びこれに参加、社人となる。また龍子の画塾御形塾の塾頭をつとめ、自らは青明会を主宰した。
昭和20年新京芸術院教授として満州(中国東北部)にわたる。帰国後は建築をテーマに青竜展,個展などで活躍。日本美術家連盟理事。平成11年(1999)1月11日死去、93才。

山本倉丘(やまもとそうきゅう)1893~1993
本名は伝三郎。号は橘村のち倉丘
京都に出て、山元春挙の画塾早苗会に入る。
昭和元年、第7回帝展にて初入賞を果たし、以後も出品入選を繰り返す。
昭和8年、第14回帝展で特選を受賞。
早苗会解散後は、堂本印象の画塾東丘社にも属す。
戦後は日展などに出品し、昭和40年には新日展で日本芸術院賞を受賞する。
昭和の京都画壇で活躍されました。
1893 高知県大方町伊田に生まれる。
1919 京都市立絵画専門学校を卒業
1922 池田遥邨、上村松篁らと水明会を結成
1936 水明会を結成する
1953 日展審査員になる
1961 紺綬褒章を受章
1966 日本芸術院賞を受賞
1974 勲四等旭日賞を受賞
1993 死去、99才。