月別アーカイブ: 2020年12月

令和二年、お世話になり有難うございました!

今年も残すところあと僅かとなりました。
新型コロナウイルスの影響で大変な一年でしたが、六角堂が無事に一年を過ごせましたのも、 皆様の多大なご支援のおかげでございます。
今年お会いしましたたくさんのお客様、仕事関連の皆さまには大変感謝しております。
来年はさらなるサービス向上に向け、気持ちを新たに取り組んでまいりますので、変わらぬご愛顧のほど心よりお願い申し上げます。
新年もまた、たくさんのお客様とお会いできますことを楽しみにしております。
皆様よいお年をお過ごしください。

栃木県宇都宮市にて坂本好一、相澤弘邦の版画、佐伯守美、山口幹彦など陶器。

 

栃木県宇都宮市にて坂本好一の銅版画、相澤弘邦の木版画、佐伯守美、山口幹彦など陶器を多数お売りいただきました。

質屋さんのご紹介で先月お見積りへお伺いしたお客様宅へ、出張買取させていただきました。たくさんの陶器や絵画をご処分されたいとご連絡いただき、先月お見積りへお伺いさせていただきました。ご検討いただき、当社にお売りいただけるとのこと、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は坂本好一、相澤弘邦の版画多数、佐伯守美のひび化粧葡萄文ぐい吞、山口幹彦の染付山水香炉、益子焼や備前焼など花器、茶器、皿、置物などたくさんの陶器。絵画は銅版画、木版画など、たくさんの版画がありました。坂本好一、相澤弘邦、いずれも同じ栃木県の画家さんです。風景画が多くございました。陶器は佐伯守美、山口幹彦の他、栃木県の焼き物である益子焼が多くございました。作家物、作家のないもの、共箱のあるもの、箱のないものなどございましたが、全て買い取らせていただきました。ご家族の大切にされていた絵画、陶器、大切に次へと橋渡しさせていただきます。二度にわたり、六角堂をご指名いただき有難うございました。帰りにシュークリームをいただきました。とても美味しかったです。ご馳走様でした。
最後の画像は昨日宇都宮駅近くにある「鶏そば HIBARI」さんで食べた鶏そば、パクチーメンマ。こちらは前回の見積りの時にも寄らせていただきました。濃厚スープがとても美味しいです。帰りには「宇都宮餃子 来らっせ」さんへ寄りました。こちらは宇都宮で人気の餃子店の餃子が日替わりで食べることが出来ます。一皿で5店舗の餃子、二皿10店舗分の餃子をいただきました。どれも美味しかったですが、個人的には高橋餃子さんの餃子が一番おいしく感じました。日替わりですので、また寄りたいと思います。

坂本好一(さかもとこういち)
栃木県生まれ。
1953(昭和28)年頃より日本画を学ぶ。
1955(昭和30)年頃には独学で版画を始める。
1957(昭和32)年に新制作協会展に日本画を出品。
1960(昭和35)年に日本版画協会展に初出品。
1966(昭和41)年以降、春陽会展と日本版画協会展に銅版画を出品。主な活動の場とする。
1967(昭和42)年に初の個展を開催。鳥、鳩、殻、民家集落などのシリーズを発表し、孤独感漂うひとの棲家に独自の情感を盛り込んでいる。

相澤弘邦(あいざわひろくに)
1946年 栃木県大田原市生まれ
1990年 板院展新人賞
1992年 JCAA日中美術家協会理事・板画院々友推薦
1993年 板院展院友賞
1944年 板画院同人推挙
1994年 初個展
1997年 栃木県美術作家連盟会員
1998年 八星会々員
1999年 板院展審査員・日本作家協会々員
2000年 朝日新聞「歌壇」欄の挿絵版画担当

佐伯守美(さえきもりよし)
1949年 彫刻家佐伯留守夫の長男として生まれる
1975年 東京藝術大学院修了。「掻落し芙蓉文大皿」芸大資料館買上げ
1978年 栃木県芸術祭工芸部門芸術祭賞受賞
1987年 東京藝術大学非常勤講師となる(~2001年)
1988年 第28回伝統工芸新作展奨励賞受賞、国際陶芸展優秀賞受賞
1989年 栃木県文化奨励賞受賞
1990年 マロニエ文化賞受賞
1991年 第31回伝統工芸新作展「練込象嵌樹林文扁壺」東京都教育委員会賞受賞
2001年 文星芸術大学非常勤講師となる
2002年 「象嵌釉彩樹林文扁壺」宮内庁買上、第4回益子陶芸展審査員特別賞受賞
2004年 大滝村北海道陶芸展金賞受賞。第66回 一水会陶芸展 一水会賞受賞
2013年 現代工芸アートフェアに参加。高輪会にて個展。
2017年 日本橋三越本店で「象嵌・彩泥 佐伯守美の世界展」を開催

山口幹彦(やまぐちみきひこ)
1980年 九州山口陶磁展入選、以後入選。佐賀県展入選、以後連入
1981年 西日本陶芸美術展入選入賞 以後入選入賞
1982年 山幹窯 開窯
1983年 日本伝統工芸展入選、以後入選
1995年 通商大臣指定 伊万里有田焼伝統工芸士認定
2002年 日本工芸会正会員認定
2004年 ドイツ マイセン陶芸展出品
2009年 九州国立博物館出品
2016年 有田国際陶磁展入選、以後入選

東京都西東京市にて和田美之助、田原陶兵衛、中村翠嵐など茶道具。

東京都西東京市にて和田美之助、十二代 田原陶兵衛、中村翠嵐など、お茶道具を多数お売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お茶道具を整理されるとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。数社相見積でありましたが、査定を頑張らせていただき当社にお売りいただくこととなりました。お売りいただいたお品は釜師 和田美之助の雲龍釜、十二代 田原陶兵衛の萩焼茶碗、中村翠嵐の青交趾荒磯蓋置、加賀瑞山のトルコ釉青海波末広形水指など、お茶道具五十点ほど。多数ございましたが、一点一点丁寧に査定し他社より高額査定で買取することが出来ました。お稽古用や箱のないお道具もございましたが、こちらも全て買い取らせていただきました。共箱に収められ、大切に保管されておりましたので、全体的に良い状態でございました。ご家族の大切にされていたお道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき、誠に有難うございました。

和田美之助(わだみのすけ)
江戸時代から続く釣鐘鋳造師でその当主が代々受け継ぐ名前です。
初代は京都三条釜座に居を構え、座衆取締役として活躍し、釜や釣鐘を鋳造して天下一釜師の号を拝受されました。
10代の時に茶釜の制作を行うようになり、12代は炉釜・風炉釜・風炉・花入・燗鍋・火箸・釜環・五徳など斬新な作品を手掛け、現在は13代が当主となっています。

十二代 田原陶兵衛(たはらとうべえ)1925~1991年
独自の高麗、朝鮮陶器の研究、茶事への造詣を深め茶陶中心に制作。灰被の技法に優れ「陶兵衛萩」を継承し裏千家宗匠好みの物を造った。
1925年 十代の二男として山口県長門市に生まれる。
1944年 旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る。
1945年 シベリアに抑留される。
1948年 抑留先のシベリアから復員後、兄である十一代 田原陶兵衛が後継者不在の為、家業を継承する。
1956年 兄の死去により、十二代 田原陶兵衛を襲名。
1972年 日本工芸会正会員。
1981年 山口県の無形文化財保持者に認定。
1991年 66歳没。

中村翠嵐(なかむらすいらん)1942年~
1942年 京都生まれ。
1961年 京都市立日吉ヶ丘高等学校美術課
1982年 上絵陶芸展京都府知事賞。
1984年 第6回京焼・清水焼展グランプリ。第9回全国伝統的工芸品展NHK会長賞。
1987年 京焼・清水焼伝統工芸士認定。
2003年 経済産業大臣表彰。京都府伝統産業優秀技術者表彰。
2010年 厚生労働大臣表彰。
2014年 瑞宝単光章。

埼玉県ふじみ野市にて仏像、こけしなど、狭山市にて金重晃介の備前花器。

  

埼玉県ふじみ野市にて木彫りの千手観音や金属製、陶器製の仏像、こけしなど、狭山市にて桐箪笥や金重晃介の備前花器、反物などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は埼玉県ふじみ野市へ遺品整理でお呼びいただきました。仏像や木彫りなどをご処分されたいとお電話いただき、出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は木彫りの如来や菩薩像、陶製、金属製の仏像、こけしや木彫りの民芸品など。たくさんのお品をお売りいただきました。中でも木彫の千手観音像は彩色が施され、大変造りの良い仏像でございました。石製の地蔵菩薩など、本日積み残したお品を来年またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。ご主人様が生前大切にされていた仏像など、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、有難うございました。本日二件目は、業者様のご紹介で狭山市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、新潟県の伝統工芸品 加茂桐箪笥、金重晃介の花器、他陶器など。加茂桐箪笥は35年ほど前の桐たんすで所々に砥粉落ち、傷みがございましたが、買取強化しているお品ですので買い取らせていただきました。金重晃介は人間国宝である金重陶陽の三男。金重道明の弟であります。受け継がれてきた伝統を尊重しながらも、伝統の重みと技法にとらわれることなく、土の特性を生かした独自の備前焼を発表、抽象花器を得意とする作家であります。お売りいただいたお品もまた素晴らしい花器でございます。付属品もあり、保管状態も良かったのでお客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。他にも備前焼や九谷焼など、たくさんの陶器をお売りいただきました。搬出時に手伝っていただいたりお気遣いいただき有難うございました。

金重晃介(かねしげこうすけ)
1943年 金重陶陽の三男として、岡山県備前市伊部に生まれる。
1970年 東京藝術大学大学院彫刻科修了
1975年 陶芸作品を発表し始める
1982年 築窯
1988年 田部美術館「茶の湯の造形展」優秀賞 (1990年同賞受賞)
1994年 日本陶磁協会賞受賞
1999年 山陽新聞社賞受賞
2005年 岡山日日新聞社賞受賞
現代日本の陶芸(ボストン美術館)
2012年 岡山県重要無形文化財保持者 認定
2014年 岡山県文化賞

東京都練馬区早宮にて川北良造の茶筒、宇野宗甕の花生、煎茶道具、着物。

東京都練馬区早宮にて人間国宝 川北良造の神代欅茶筒、初代 宇野宗甕の仿作青磁国宝鳳凰耳花生、煎茶道具、着物、反物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。長年集めていらっしゃった煎茶のお道具やお着物をご処分されたいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。本日お売りいただいたお品は、人間国宝 川北良造の神代欅茶筒、初代 宇野宗甕の仿作青磁国宝鳳凰耳花生、煎茶道具、着物、反物など。
川北良造は1934年に石川県山中町(現加賀市)に生まれ、人間国宝の氷見晃堂に師事し技術を磨きます。挽物と呼ばれる木材をろくろで削り出す技法を得意としており、作品のほとんどは皿や椀、棗など円形のものとなっています。欅、桑、楓、黒柿などのそれぞれの特性を生かした作品制作に定評があります。1994年には重要無形文化財(人間国宝)「木工芸」保持者に認定されております。お売りいただいたお品は神代欅茶筒。素地を最大限に活かした実に川北良造らしい作風で、美しい木目が無紋ゆえに際立ち、作者の高度な技量ゆえの圧倒的仕上がりは驚嘆の一言に尽きます。
宇野宗甕(うのそうよう)は中国五大名窯の釉薬研究と作品の再現に努めた陶芸家。家業が欧米の不況によって国外貿易陶磁から国内向け制作に転換することになり辰砂や釣窯、青磁や天目などの釉薬の研究と再現に没頭します。二世仁松から宗甕に名を改め、いっそう釉薬研究に独自の作品制作を続けて辰砂や青磁の無形文化財の認定を受けております。お売りいただいたお品は仿作青磁国宝鳳凰耳花生。宗甕の代表的な青磁の作品で、二重箱に収められております。
他にも煎茶道具や紬のお着物や反物など、たくさんのお品をお売りいただきました。状態の悪いものも数点ございましたが、当社で買い取りを強化している煎茶道具、着物ですので、全て買い取らせていただきました。お売りいただきましたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名くださり有難うございました

川北良造(かわきたりょうぞう)1935~
1935年 石川県加賀市中山温泉に生まれる
1950年 父:浩一の元で山中漆器ろくろ挽物技術を修行
1962年 第9回日本伝統工芸展にて初出品して入選する
1966年 第13回日本伝統工芸展にて日本工芸会長賞を受章
1968年 第15回日本伝統工芸展にて日本工芸会長賞を受章
1994年 木工芸にて重要無形文化財保持者に認定〈人間国宝〉
1999年 紫綬褒章を受賞する
2004年 旭日中綬章を受賞する

初代 宇野宗甕(うのそうよう)1888~1973年
1888年 宇野仁松の長男として京都に生まれる。本名 宗太郎。
1942年 三男仁平に「仁松」名を譲り自身は「宗甕」と号す。
1943年 京都陶磁器技術保存組合理事長に就任
1952年 辰砂で無形文化財記録保持者
1955年 日本工芸会正会員
1957年 青磁で無形文化財記録保持者
1965年 紫綬褒章を受章
1967年 勲四等瑞宝章、京都府美術工芸功労章受章
1972年 美術功労賞受章
1973年 死去(85歳)

東京都武蔵野市にて和家具、三鷹市にてジャックデペルトの絵画、小鼓。

    

東京都武蔵野市にて欅の小引出し、三鷹市にてジャックデペルトのリトグラフ「ジュネーブのゴルフ場 16番ホール」、蝶に桜の蒔絵小鼓をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は東京都武蔵野市へお引越しによる和家具のお片付け整理でお呼びいただきました。加茂桐箪笥の出張買取でお呼びいただきましたが、残念ながら搬出が出来ない状態でしたので断念しました。桐たんすは新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、伝統工芸士 吉沢昭次の作で、四方丸の総盆和箪笥というタイプのものになります。他の桐箪笥は数段に分かれるので搬出しやすいのですが、こちらは分かれない形になりますので搬出が難しいたんすになります。階段を回すことも出来ず、吊り作業も出来ない環境でしたので、お客様も私どもも大変残念でした。まだ状態も良く、人気の形になりますので、本当に残念です。桐たんすは残念でしたが、欅材の小引出しをお売りいただきました。お売りいただきましたお品、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日二件目は、東京都三鷹市へ、絵画、和楽器の買取でお呼びいただきました。お売りいただいたお品は、ジャックデペルトのリトグラフ「ジュネーブのゴルフ場16番ホール」、蝶に桜の蒔絵小鼓、お琴など。ジャック・デペルトは整然とした画面構成とデリケートな描線による静謐な作風が世界的に高く評価されております。本作品は凛とした空気の漂う田園風景が繊細かつ秩序整然と描かれており見る人に静寂の緊張感とともに何故かしら郷愁の念を抱かせ、画家独自の詩的世界に導いてゆきます。本作のように世界各地のゴルフ場を描く画家として知られております。和楽器は小鼓や琴など。お琴はお稽古用のものでしたが、買い取りを強化している小鼓もあり全て買い取らせていただきました。また絵画をご処分される際にはお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日はお忙しい中、当社をご指名いただき有難うございました。

ジャック・デペルト (Jacques Deperthes)
1936年  フランス、シューレンヌに生まれる。
1954年 サント・エティエンヌ国立芸術大学、およびジュネーブ装飾美術学校に学ぶ。
1960年  ジュネーヴのユニオン・ド・バンク・スイスの壁画制作。
1961年  この頃から、ジュネーブ、パリ、カンヌ、ロンドン、シカゴ、東京などで個展を開催。
国際的に作家活動を展開する。
1965年  フランス政府給費留学生としてイタリアに滞在。
1976年  来日し、東京・大阪にて個展。
1984年  11月、ビジョンヌーベルの招きで来日。
1986年  二度目の来日。

東京都渋谷区上原にて李朝白磁筆筒、八雲作家 柴崎重行の木彫り熊、和家具。

東京都渋谷区上原にて李朝白磁笹文筆筒、八雲作家 柴崎重行の木彫り熊、時代箪笥、桐たんすなどをお売りいただきました。

解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。骨董品や時代家具などを御処分されたいとお電話いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は李朝白磁笹文筆筒、八雲作家 柴崎重行の木彫り熊、時代箪笥、桐たんすなど。李朝陶磁器は白磁の筆筒。笹の透かし彫りでやや大振りな筆筒であります。口縁にソゲなど多少の傷みはありますが全体的に状態の良い筆筒です。1392年、高麗に代わり李成桂が立てた国号が「朝鮮」であり、その時代の王朝を日本では李朝と呼んでおります。朝鮮半島では古くから仏教が主流をなしていましたが、儒教(朱子学)の伝来により次第に宗教的世界観が変化し、生活にも浸透していくことで、陶器の好みにも変化がみられるようになりました。清楚さ・潔癖さ・純粋さをイメージする白が宗教的にも重要視されるようになり、陶磁器においても白磁が隆盛をみるようになりました。李朝陶磁器は戦国時代からすでに日本人の間で人気が高く、現在も収集家が多く存在します。私達美術商の間でも人気は高く、六角堂でも李朝陶磁器の買取を強化しております。熊の木彫りは八雲熊の代表的作家「柴崎重行 」の作品。ガラス目が可愛らしい小振りの熊です。スレなど多少の傷みはあるものの、全体的に良い状態です。熊の木彫りは厳しいと思われておりますが、本品のような八雲系のものや旭川アイヌ系のものは大変人気が高く、高価査定となる作品が多くございます。作家では、柴崎重行の他、伊藤政雄、十倉金之(兼行)、松井梅太郎、茂木多喜治、引間二郎、鈴木吉次、上村信光、根本勲、藤戸竹喜などが高価査定となる作家であります。時代家具は仙台箪笥、明治期の桐たんすなど。傷みが全体的にありましたが、全て買取させていただきました。ご家族が大切にされてきたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、素晴らしい骨董品などをお売りいただき有難うございました。

柴崎重行(しばざきしげゆき)1905年~1991年
号:他化志 別号:志化雪
1905年 八雲町鉛川で生まれる。
1930年 東京に於いて、帝国工芸会主催、観光地土産品展覧会が開催。出品した作品で、根本勲(画号土龍、一陽会彫刻部会員)に見いだされる。
1932年春、家業の酪農を父と弟にまかせて、彫刻の本質を探究するべく、手斧を背に根本氏と共に放浪の旅に出た。旅の途中、詩人・更科源蔵の庵を訪ね生涯忘れ得ぬもてなしを受ける。旅の途中で「手斧による一刀彫り柴崎熊」の方向性を決定づけた。柴崎重行には一般的にいうアトリエはなく、住家の近くの樹間で、切り株を制作台として彫る。
1981年 NHK「原野に彫る」が北海道一円に放映。全国的にファンが拡大し、「幻の熊」と呼ばれるようになる。
1991年10月17日 逝去。
民芸運動で著名な陶芸家、バーナード・リーチも柴崎熊を愛し、セント・アイビスにある工房に所蔵される。

東京都墨田区吾妻橋にて渡辺秀紀、横山松雄、長谷川進之介の加茂桐箪笥。

  

東京都墨田区吾妻橋にて伝統工芸士 渡辺秀紀、横山松雄、長谷川進之介の加茂桐箪笥をお売りいただきました。

桐箪笥をご処分されたいとお電話いただき、本日出張買取させていただきました。お伺いするとお客様宅にはたくさんの素晴らしい桐たんすがございました。本日お売りいただいた桐たんすは、新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥。伝統工芸士である渡辺秀紀、横山松雄、長谷川進之介の作品。渡辺秀紀の加茂桐箪笥は天丸の帯箪笥。帯箪笥とは、帯専用の桐たんすで、出し入れがしやすく機能的な作りが特徴です。通常の和たんすとの大きな違いは、横幅。帯の幅に合わせて制作するため、和たんすよりも狭く無駄のない作りです。引き出しには帯締め・帯揚げなどの小物が収納出来るよう作られております。横山松雄の加茂桐箪笥は四方丸下三大洋和箪笥という形のタンスになります。四方丸は箪笥の四方(四つの角)を丸める加工で、最高級のタンスによく見られます。天と地を丸めるので天地丸とも呼ばれ、天地丸はその佇まいから「四方全て丸くおさまる」と言われ縁起の良い箪笥といわれております。前飾りには金石 刀の銘があります。長谷川進之介のたんすは天丸下三大洋和箪笥という形のタンスになります。前飾りには秀鳳 刻の銘があります。お売りいただきました三竿の桐箪笥、多少の砥粉落ちや汚れ、小さなアタリなどはございますが、中の状態も良くまだまだ次へと繋げていける桐箪笥でございます。また、お着物も数点見させていただきました。南部紫根染のお着物など、当社で買い取りを強化している着物などあり、こちらは次回査定させていただくこととなりました。またお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。お売りいただきました桐箪笥、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。

加茂桐箪笥(かもきりたんす)新潟県加茂市で作られる最高級の桐たんす。六角堂でも探し求めている桐箪笥の一つになります。加茂市で「桐たんす」が作られるようになったのは、およそ200年以上前(天明年間)と言われており、現在では日本全国の約70%の桐たんすが加茂で作られています。桐たんすと言えば「加茂」と言われるほど、その技術と品質は全国的に高い評価を受けています。数々の逸品を生み出してきたその技は脈々と受け継がれ、その伝統と優れた品質が評価され、1976(昭和51)年、通商産業大臣から伝統的工芸品「加茂桐箪笥」の指定を受けました。木肌のぬくもり、絹に例えられる白い艶や、柾目の色合いは、家具の最高級品の名にふさわしいものです。
『加茂桐箪笥伝統工芸士』(物故作家含む) 石川鬼千 田澤謙介 東樹義明 吉沢昭次 頓所芳男 皆川新司 番場堅介 中山昌二 坪谷哲男 三本和好 山本隆 鈴木浩市 水科政明 皆川繁之 横山松雄 番場堅 大橋勉 金井国男 鈴木進 神保良雄 石井克彦 高橋浩人 高橋聡 高橋研二 野本光男 藤田隆二 坂井昭兵 阿部健 斉藤敬二  江部雅之 大関正 堀正和 小柳幸太郎 小池茂次 坂内純一 長谷川進之助 渡辺秀紀