月別アーカイブ: 2020年5月

東京都練馬区石神井台にて山田常山の急須、湯呑、三浦常山の煎茶器など。

 

東京都練馬区石神井台にて人間国宝 山田常山の急須、湯呑、若壷、水注、三浦常山の湯呑、煎茶器など煎茶道具をお売りいただきました。

お蔵のお片付け整理でお呼びいただきました。お蔵に保管されていた時代箪笥や煎茶道具をご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は山田常山の急須、湯呑、若壷、水注、三浦常山の湯呑、煎茶器など。山田常山(やまだじょうざん)は当社で買取強化している人気作家。朱泥の若壷や三十六歌仙彫刻の湯呑急須や水注などをお売りいただきました。陶印から三代山田常山の作品と思われます。三代山田常山の本名は稔。名工といわれた初代山田常山に少年の頃より陶技を学びました。昭和22年頃から父の号小常山を名乗り、没後に三代常山となります。平成6年、朱泥急須で愛知県指定無形文化財保持者に、平成10年には常滑焼(急須)で愛知県初の国指定・重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。山田常山は初代山田常山にはじまり、現在四代まで続いております。中でも三代の作品は人気があり、当社でも高価査定となります。二点は共箱、三点は共箱無し。また、同じ常山でも佐渡無名異焼 常山窯 三浦常山(翠雨軒)の作品もお売りいただきました。湯呑に煎茶器揃の二点。煎茶器揃の数点、底にひび割れがございましたが、こちらもお売りいただきました。他にも錫製茶托、盃なども多数お売りいただきました。蔵の中にはたくさんの掛け軸や屏風、時代箪笥がありましたが、今回は煎茶道具のみ、残りは数回に分けての買取とさせていただきました。また来月お呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は六角堂のご指名、良いお品をお売りいただき有難うございました。帰りにお弁当をいただきました。とても美味しかったです。ご馳走様でした。

三代 山田常山(やまだじょうざん)大正13年~平成17年
愛知県常滑市に生まれる
昭和16年 愛知県立常滑工業学校窯業科卒業、在学中より祖父・初代 山田常山に師事
昭和21年 父・二代 山田常山に師事
昭和33年 第5回日本伝統工芸展初入選、ブリュッセル万国博覧会にてグランプリ受賞
昭和34年 第7回生活工芸展 第一席 朝日賞受賞
昭和36年 三代 山田常山襲名
昭和38年 財団法人 日本工芸会正会員(~現在)
昭和45年 日本万国博覧会出品
昭和48年 フランス 第3回ビエンナーレ国際陶芸展名誉最高大賞受賞/渡欧
昭和49年 日本陶芸巨匠大展 出品
昭和50年 常滑「手造り急須」の会 会長(~現在)
平成 2年 「心と技ー伝統工芸名品展」、北欧巡回展及び帰国展招待出品(東京国立近代美術館・朝日新聞主催)
平成 5年 平成5年度日本陶磁協会賞受賞
平成 6年 愛知県指定 無形文化財保持者認定「陶芸ロクロによる手造り朱泥急須技法」
平成8年 勲五等瑞宝章受賞
平成10年 国指定 重要無形文化財保持者認定「常滑焼(急須)」(通称「人間国宝」)、日本工芸会参与、東海テレビ文化賞受賞
平成16年 旭日小綬章受賞
平成17年 10月19日 永眠

東京都武蔵野市にて岸田陸象の阿弥陀如来座像、木彫り仏像、桐たんす。

  

東京都武蔵野市にて岸田陸象の阿弥陀如来座像、仏像、桐箪笥をお売りいただきました。

解体業者様のご紹介で、お片付け整理でお呼びいただきました。仏像や桐たんすをご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、岸田陸象の阿弥陀如来座像、木彫り仏像、桐箪笥など。桐たんすは明治期のもので、厚みある金具の時代箪笥。状態の良い総桐でございました。木彫りの仏像は江戸期の大黒天、観音菩薩像など。状態の悪いものもございましたが、全て買取させていただきました。仏像彫刻家岸田陸象(きしだりくぞう)の阿弥陀如来座像は、高さ65㎝と大振りのブロンズ像。共箱あり。こちらは当社で買い取りを強化している作家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買取させていただきました。お喜びいただけて良かったです。お父様やお母様が大切にされていたお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。本日はお忙しい中、六角堂をご指名いただき誠に有難うございました。

岸田陸象(きしだりくぞう)1919年~2002年
1919年、長野県下水内郡旭村生まれ。本名は陸蔵といいます。1937年、中村實のもとで農民美術工芸の指導を受ける。20歳で入隊、7年間の軍隊生活を経て復員。1947年、長野県展に木彫作品が初入選。1949年、中村直人に師事。1953年に中村直人が渡仏のため、新海竹蔵に師事し第38回院展初入選。以後連続入選して1957年、日本美術院院友となる。1962年、院展彫刻部解散に伴い創造美術会に彫刻部を新設して同展に出品を続け「瞑想の曲」が東京都知事賞など受賞を重ねる。運営委員も務めるが退会。1976年、日本美術家連盟会員。1984年、コンクール連展で埼玉県知事賞。1985年、長野県立信濃美術館で個展。日本現代美術家連盟理事。木彫、ブロンズを並行して制作、仏像、裸婦、オブジェと幅広い。2002年、永眠。享年83歳。

千葉県船橋市にて十八世紀 英国民芸硝子花生、岩田久利の花瓶、反物など。

     

千葉県船橋市にて十八世紀 英国民芸硝子花生、岩田久利の手吹硝子花瓶「雪牡丹」、反物などをお売りいただきました。

美術品や反物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、十八世紀 英国民芸硝子花生、岩田久利の手吹硝子花瓶「雪牡丹」、反物など。反物は都喜ヱ門の本場大島紬や結城紬など。状態の良いものでした。18世紀のイギリスアンティークガラス花生は乗馬の図柄。アンティークで大変雰囲気の良いお品。ガラス工芸家 岩田久利の作品は手吹硝子花瓶「雪牡丹」。奥様である糸子の識箱。岩田久利の代表作品の一つであります。岩田久利はガラス工芸家 岩田藤七(いわたとうしち)の長男。妻は、ガラス工芸家の岩田糸子。長女は、イワタルリ。次女は、岩田マリ。東京美術学校工芸部図案科に学び、在学中の同24年第5回日展に「硝子ぶどうの鉢」で初入選。以後、日展に出品を続ける。同26年東京美術学校を卒業。制作のかたわら、東京工業大学でガラスの組成を研究します。同30年第11回日展に「藻」を出品して特選、同31年第12回同展には「萌生」を出品して二年連続特選。同30年より光風会にも出品。同33年日展会員となり、同年からたびたび日展審査員をつとめる。同47年日本ガラス工芸会を設立し、同年より同52年までその初代会長をつとめる。同51年第8回改組日展に「孔雀文大皿」を出品して文部大臣賞を受賞。同57年毎日芸術賞を受賞し、同58年「聖華」で日本芸術院賞を受賞。 父が創立した岩田工芸硝子を継ぎ、社長をつとめつつ制作を続け、斬新で優美な作風を示した。宙吹きガラスを得意とし、国際的にも高い評価を得た。六角堂でも買取を強化している作家さんの一人であります。素晴らしい作品、反物をお売りいただき有難うございました。

岩田久利(いわたひさとし)1925年12月18日~1994年1月8日
1925年 東京新宿弁天町に二代目岩田藤七の長男として生まれる
1939年 小寺健吉画塾に学ぶ
1941年 廣川松五郎に師事、デザインを学ぶ。伊藤熹朔に師事
1942年 和田三造に師事、デッサン、図案を学ぶ。春台美術・本郷研究所に通う
1944年 東京美術学校工芸部図案科入学
1946年 外山卯三郎に西洋美術史およびバウハウス・デザイン運動の理論につき個人教授を受ける
1947年 阿部俊夫(東芝電気ガラス研究所室長)にガラスの科学的基礎を学ぶ
1948年 東京工業大学窯業科ガラス研究室研究生、森谷太郎教授にガラス組成の指導を受ける。株式会社岩田硝子製造所入社
1949年 第5回日展初出品。初入選、以後毎年出品、連続入選。糸子(旧三井物産社長山本正男長女)と結婚
1950年 東京工業大学窯業科ガラス研究室研修修了
1951年 東京美術学校工芸部図案科卒業
1953年 岩田工芸硝子株式会社に社名変更、代表取締役社長となる
1955年 第11回日展特選受賞。国際工芸美術家協会設立、初代理事長。カリフォルニア州博覧会・ブラッセル博覧会にて金賞受賞
1956年 第12回日展特選受賞
1957年 財団法人日本デザイン協議会理事。財団法人世界デザイン会議日本運営設立準備委員
1959年 第2回日展審査員。以後数回
1963年 武蔵野美術大学講師。窯業協会理事(~1967)
1966年 第7回国際ガラス会議年会参加。
1968年 日本硝子製品工業会評議員
1971年 初の個展開催
1972年 日本ガラス工芸協会創立、初代会長。日展評議
1973年 社団法人窯業協会理事(工芸担当)
1974年 現代工芸美術家協会評議員
1975年 第1回「資生堂現代工藝展」に出品。以後毎回出品。岩田工芸硝子株式会社社長を糸子に譲り、ガラス制作に専念する
1976年 第8回日展文部大臣賞受賞。労働省より技能者表彰審査員委嘱される。
1979年 紺綬褒章受章
1981年 ホテルニューオータニ鶴の間にガラスによる大装飾壁面製作
1982年 第23回毎日芸術賞受賞。第38回日本芸術院賞受
1986年 ニューヨークメトロポリタン美術館20世紀Design and Architecture部門に藤七・久利・糸子作品が永久収蔵される
1993年 最後の個展開催。日展及び資生堂現代工藝展に最終出品
1994年 1月8日永眠。68歳。

東京都練馬区関町南にて山本陶秀の香合、朝鮮伊羅保茶碗、お茶道具、着物。

  

東京都練馬区関町南にて人間国宝 山本陶秀の備前宝珠香合、朝鮮伊羅保茶碗「銘:清栄」大徳寺芳春院三重野与雲書付、茶道具、お着物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しすることとなり、お茶道具やお着物を減らしたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、人間国宝 山本陶秀の備前宝珠香合、朝鮮伊羅保茶碗「銘:清栄」大徳寺芳春院三重野与雲書付、茶道具、作家物のお着物など。山本陶秀は備前焼の人間国宝となられた陶芸家で、お売りいただいたお品は宝珠形の香合。人間国宝になられる前の作品になります。伊羅保茶碗(いらぼちゃわん) は、高麗茶碗の一種で、多くは江戸時代初期に日本からの注文で作られております。伊羅保の名前は、砂まじりの肌の手触りがイライラしていることから付けられました。やや薄めで、形は深め、胴はあまり張らず、腰から口まで真直ぐに延び、口は大きく開いてます。素地は、鉄分が多い褐色の砂まじりの土で、轆轤目が筋立ち、石灰の多い伊羅保釉(土灰釉)を高台まで薄く総掛けしてあり、土見ずとなっています。お売りいただきました伊羅保茶碗は大徳寺芳春院三重野与雲の書付箱、銘「清栄」とあります。与雲和尚は芳春院の前住職。画像の香合や茶碗の他、水差 、棗、茶入、花入、茶杓、釜、茶掛なども買い取らせていただきました。たくさんあるお品の中から今回ご処分されるお品を分けながら、一点一点査定させていただきました。買い取りを強化している作家作品があり、お客様にご満足いただける査定額で買い取りさせていただくことが出来ました。またお着物やお茶道具をご処分される際にお呼びいただけるとのこと、楽しみにお待ちしております。本日は六角堂をお呼びいただき、有難うございました。

山本陶秀(やまもととうしゅう)1906(明治39)年~1994(平成6)年
山本陶秀は1906年、岡山県に生まれました。本名を政雄といいます。油断と妥協のない端正で気品溢れる芸術的な作風は広く茶人に喜ばれ、轆轤成形の技術は他の追随を許さないとの評価を不動のものにしています。
1921(大正10)年 当時の伊部で最大の窯元・黄薇堂へ入り、陶芸の道に進みます。
1933(昭和8)年 独立して岡山県備前市伊部に築窯しました。
1938(昭和13)年 楠部彌弌に師事し、生涯において大きな分岐点となります。
1939(昭和14)年 中国・四国九県連合工芸展で優良賞を受賞しました。
1948(昭和23)年 備前焼の技術保存資格者(丸技)に認定されました。
1951(昭和26)年 イサム・ノグチや北大路魯山人と交友を深めて感化を受けます。
1954(昭和29)年 岡山県重要無形文化財に認定されました。
1959(昭和34)年 日本工芸会正会員となりました。ブリュッセル万国博覧会でグランプリ金賞を受賞しました。
1960(昭和35)年 日本工芸会東中国支部展の審査員に就任しました。
1965(昭和40)年 岡山県陶磁器指導所(現:備前陶芸センター)の嘱託講師に就任しました。
1966(昭和41)年 岡山県展の審査員に就任しました。
1969(昭和44)年 備前陶友会の副会長に就任しました。
1970(昭和45)年 日本工芸会理事に就任しました。
1972(昭和47)年 岡山県文化賞を受賞しました。
1975(昭和50)年 山陽新聞文化賞、三木記念文化賞を受賞しました。
1976(昭和51)年 紫綬褒章を受章しました。中国文化賞、備前市功労賞を受賞しました。
1977(昭和52)年 毎日芸術賞を受賞しました。
1981(昭和56)年 紺綬褒章を受章しました。
1982(昭和57)年 勲四等瑞宝章を受章しました。
1987(昭和62)年 重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1991(平成3)年 備前市名誉市民となりました。
1994(平成6)年 逝去。

千葉県市川市にて小森邦夫のテラコッタ像、佐々木象堂の鋳銅置物。

千葉県市川市にて小森邦夫のテラコッタ裸婦像「渚」、人間国宝 佐々木象堂の鋳銅 鳥の置物などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。置物やお茶道具などをご処分されたいとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、お稽古用の茶道具、小森邦夫のテラコッタ裸婦像「渚」、人間国宝 佐々木象堂の鋳銅 鳥の置物など。当社で買取を強化している作家作品などもあり、お客様にご満足いただける査定額で買取することが出来ました。処分されようとしていたお品にもお値段が付き、お喜びいただけました。お売りいただいたお品々、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日はお忙しい中、当社をお呼びいただき誠に有難うございました。

小森邦夫(こもりくにお)1917~1993 昭和-平成時代の彫刻家。
大正6(1917)年6月6日、東京都浅草今戸に生まれる。赤坂高等小学校を経て日大皇道学院に学ぶ。昭和10年、構造社彫塑研究所に入り斉藤素厳(さいとうそがん)に師事。構造展に出品し、昭和15年紀元2600年奉祝展に「めぐみ」で入選して官展初入選をはたす。昭和16年第4回新文展に「断」で入選するが、のちに従軍。昭和21年春、第1回日展に「久遠」で入選し、以後同展に出品を続ける。昭和8年第9回日展に「ながれ」を出品して特選・朝倉賞受賞、同年第1回日本彫塑会展に「婦(A)」を出品して、以後同会にも出品を続ける。昭和30年第11回日展に「裸婦立像」を出品して特選。昭和31年第12回展では「若い女」で2年連続特選となり、翌32年には日展依嘱となった。同年中国平和委員会からの招待で茨城県文化人代表として約40日間中国視察旅行、中国の古代遺跡等を訪れた。昭和33年よりたびたび日展審査員をつとめ、昭和34年日展会員、昭和39年日展評議員となる。昭和55年第12回日展に「腰かけた婦」を出品して文部大臣賞受賞。昭和60年、戦後間もない昭和23年から運営委員、審査員を続けていた茨城県展に「青春譜」を出品し、この作品により昭和59年度日本芸術院賞を受賞した。昭和60年日展理事、日本彫刻会理事となる。平成元年日本芸術院会員に選ばれた。裸婦像によって抽象的概念や情趣を表現するのを得意とし、流麗なポーズ、穏やかな作風を好んだ。代表作に茨城県立運動公園に立つ「緑に舞う」、勝田市駅前「であい」、土浦市にある「湖畔に佇つ」などがある。女性をモチーフにした作品がおおい。平成5年10月22日死去。76歳。

佐々木象堂(ささきしょうどう)1882~1961 明治-昭和時代の鋳金家。
1882年新潟県佐渡生まれ。本名文蔵。1901年(明治34)同郷の初代宮田藍堂(らんどう)について蝋(ろう)型鋳造を学んだ。13年(大正2)上京し、日本美術協会展などに出品してつねに上位の賞を得、27年(昭和2)帝展出品の「鋳銀孔雀(くじゃく)香炉」、29年同展出品の「金銅鳳凰(ほうおう)置物」がともに特選となった。この間、1925年には美術工芸振興を目的とする工芸済々会に入会し、翌26年には近代意匠の樹立を目ざす无型(むけい)会の結成にも参画している。第二次世界大戦後、日本伝統工芸展へ出品した「瑞鳥(ずいちょう)」(1958)、「采花(さいか)」(1959)がいずれも最高賞を受け、60年(昭和35)重要無形文化財「蝋型鋳造」保持者(人間国宝)に認定された。1961年(昭和36)1月26日死去。78歳。作品は、題材を大胆にデフォルメした斬新な形態をみせたものが多い。

東京都杉並区天沼にて人間国宝 前田竹房斎の輪違文花籃、煎茶道具など。

   

東京都杉並区天沼にて人間国宝 前田竹房斎の輪違文花籃(わちがえもんはなかご)、煎茶道具などをお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。数年前にお亡くなりになられたお婆様のご遺品で煎茶道具などを次へ大事にしていただける方へと繋げるようにとご用命いただきました。お売りいただきました煎茶道具は、煎茶碗、茶壷、ボーフラ、湯さまし、水注、涼炉、火箸、宝瓶、急須、建水、瓶座、器局、茶托、煎茶盆、など。たくさんのお道具をお売りいただきました。竹細工の花籃は人間国宝 二代前田竹房斎の作品。前田竹房斎は大阪の竹工芸家の名称で、親子に渡って受け継がれていました。人間国宝となられた2代が亡くなってから前田竹房斎は途絶えてしまいましたが、前田竹房斎が残した竹工芸品は、竹材の美しさをいかし高い評価を得ており、今もなお人気の高い竹工芸作家として認識されています。お婆様が大事にされていた御道具、大切に次へと橋渡しさせていただきます。本日は六角堂のご指名、誠に有難うございました。
六角堂では、竹編、竹籠、竹細工を高価買取しております。飯塚鳳斎(いいづかほうさい)、飯塚小玕斎(いいづかしょうかんさい)、飯塚琅干斎(いいづかろうかんさい)、田辺竹雲斎(たなべちくうんさい)、 早川尚古斎(はやかわしょうこさい)、前田竹房斎(まえだちくぼうさい)、鈴木玩々斎(すずき げんげんさい) 、和田和一斎(わだわいちさい)などの有名作家の竹籠は特に人気があり、 高価で買取りさせていただきます。

二代 前田竹房斎(まえだちくぼうさい)1917年(大正6)~2003年(平成15)
大阪府堺市出身。本名は房次。
初代竹房斎を父に持ち、自然に竹芸を修練。父の後を嗣いで二代竹房斎として日本伝統工芸展などに作品を発表。竹材の美しさを生かし、造形、意匠に独自の工夫をこらす。繊細な編みを重ねていく一方で大胆な造形を展開。
1935年、2代目竹房斎を襲名。初め日展に作品を発表し、その後11回入選。1959年、日本伝統工芸展に入選、1970年以降毎回入選。1972年、日本伝統工芸展東京都知事賞。1992年、勲四等瑞宝章受章。1995年、竹工芸技術で国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定。2003年3月12日死去。85歳。
代表作に「網干編花籃」、「縞文小壺花籃」など。

東京都中野区沼袋にて島田文雄の花生、古代七宝焼花瓶、桐たんす、反物。

 

東京都中野区沼袋にて島田文雄の彩磁椿文花生、喜八作古代七宝焼花瓶、桐箪笥、反物をお売りいただきました。

不動産業者様のご紹介で、お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。島田文雄の陶器や反物などをご処分されたいとご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。お売りいただいたお品は、島田文雄の彩磁椿文花生、喜八作 古代七宝焼花瓶、桐箪笥、反物など。桐箪笥は、府中家具松創のもの。多少シミ汚れはありましたが、厚みあるしっかりとしたタンスです。反物は本場大島紬、牛首紬など。喜八作七宝焼花瓶は古代図で出来の良い作品。人気陶芸家 島田文雄の花生は、島田文雄の代表作である彩磁の椿文のもの。当社の買取強化中の作家作品でしたので、お客様にお喜びいただける査定額で買取することが出来ました。お引越し先に保管するスペースがなく、今回泣く泣くのご売却とのこと。査定を頑張らせていただきました。大切にされていたお品々、大事に次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂のご指名、たくさんのお品をお売りいただき有難うございました。

島田文雄(しまだふみお)
島田文雄は、1948年に栃木県佐野市に島田隆の四男として生まれる。兄は日本画家の松本哲男。東京芸術大学美術学部工芸科陶芸を専攻し、卒業しました。1974年には、第21回日本伝統工芸展で初入選します。1975年に東京芸術大学大学院を修了し、以後、陶芸講座の非常勤講師や講座助手、講師、助教授、教授を務めます。同年「日本工芸会長賞」を初受賞し、1977年に2度目の「日本工芸会長賞」を受賞、その後も数々の賞に輝いております。1975年大学院を修了し、同大学陶芸講座非常勤講師となる。1986年に陶芸講座助手、1990年講師に、1994年助教授に、2003年教授に就任し現在に至る。1993年には、イギリスを拠点として、欧州14か国へ研修旅行に向かいます。兄は日本画家の松本哲男で、1999年に地元の佐野市文化会館にて兄弟展を開催し、話題を呼びました。招待教授として毎年、アメリカ、中国、韓国など海外各地で轆轤(ろくろ)の実技指導や釉薬の講義を行うなど、国内外において、制作に、指導に、執筆に、取材にと各方面で多忙に活動を行っております。

彩磁(さいじ)
成型素地に描画彩色し、そのあとで透明釉を掛けて本焼きします。素地は文様や絵画的装飾を効果的に見せるために白い磁器が用いられます。
彩色は顔料を混入した彩土を生素地に文様として塗り重ねる場合と、素焼きの前、または素焼きの後の素地に直接液体顔料で着色する方法があります。
宮之原謙の彩盛磁や楠部彌弌の彩埏は彩土によるもので、板谷波山や島田文雄の彩磁は液体顔料を用いてます。

埼玉県さいたま市大宮区にて竹内栖鳳などの掛軸、ちりめんなどの反物。

  

埼玉県さいたま市大宮区にて竹内栖鳳などの掛軸、ちりめんなどの反物をお売りいただきました。

数か月前にお呼びいただきましたお客様から、掛け軸や反物などがまだ出てこられたとのことでご連絡いただき、本日出張買取させていただきました。本日お売りいただいたお品は、竹内栖鳳などの掛軸、ちりめんなどの反物、洗い張りの生地など。掛け軸は竹内栖鳳の花鳥図「柳鷺図」(二重箱)、赤松雲嶺、中倉玉翠の四季を描いた四幅対など。残念ながら赤松雲嶺は一本欠品しておりました。多少のシミはあるものの、全て買取させていただきました。反物は古代苑の浜ちりめん、扇昌の丹後ちりめんなど。こちらはシミ汚れも良く、保管状態の良いものでした。他にも洗い張りの生地なども併せてお売りいただきました。二度にわたり六角堂をご指名いただき、ありがとうございました。

竹内栖鳳(たけうちせいほう)1864(元治元)~1942(昭和17)
1864年、京都府京都市中京区の川魚料理屋「亀政」の一人息子として生まれました。本名恒吉。1877年(明治10年)に四条派の土田英林に絵を習い始めるが、1881年(明治14年)の17歳の時に同派の名手として知られた幸野楳嶺の私塾へ正式に入門する。この頃から頭角を現し、翌年には私塾の工芸長となり、「楳嶺四天王」(栖鳳と都路華香、谷口香嶠、菊池芳文の高弟4名を指す)の筆頭と呼ばれるようになりました。1887年(明治20年)、23歳の時に結婚し、これを機に絵師として独立する。同年、京都府画学校(現:京都市立芸術大学)修了。1889年(明治22年)には京都府画学校に出仕し、京都の若手画家の先鋭として名をあげていきます。1891年(明治24年)山元春挙、菊池芳文らと青年画家懇親会を興す。1899年(明治32年)京都市立美術工芸学校の教諭に就任。1900年(明治33年)36歳の時に7ヶ月かけてヨーロッパを旅行し、ターナー、コローなどから強い影響を受ける。帰国後、雅号を栖鳳と改める。1909年(明治42年)京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)の教諭に就任。1913年(大正2年)に「帝室技芸員」に推挙されることで、名実共に京都画壇の筆頭としての地位を確立されました。1919年(大正8年)帝国美術院会員。1920年(大正9年)と1921年(大正10年)の二度にわたって東洋画の源流を訪ねるために中国へ旅行し、代表作で重要文化財の「班猫」は、そののちに描かれた。1924年(大正13年)フランスのレジオンドヌール勲章を受賞、1931年(昭和6年)ハンガリー最高美術賞およびドイツのゲーテ名誉賞を受賞。1937年(昭和12年)、横山大観とともに第一回文化勲章を受章。1942年(昭和17年)、78歳で死去。 評論家の竹内逸は息子である。

東京都世田谷区下馬にて籔内佐斗司のブロンズ像「卯吉」、反物など。

 

東京都世田谷区下馬にて籔内佐斗司のブロンズ像「卯吉」、反物などをお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、籔内佐斗司のブロンズ像「卯吉」、反物など。籔内佐斗司は、日本を代表する彫刻家として知られています。東京芸術大学の教授としても高い功績を残しており、数々の後進を育て上げている事でも知られています。平城遷都1300年記念事業のマスコット「せんとくん」を制作した事でも有名です。本品は、平成11年の干支作品、うさぎの「卯吉」。330個限定のブロンズ置物。小振りながら、大変かわいい人気作品です。共箱にしまわれて大事に保管されておりましたので、大変状態が良かったです。六角堂で買い取りを強化している作家作品の為、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。また、本場結城紬や、黄八丈の反物なども併せてお売りいただきました。素晴らしいお品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では「籔内佐斗司」作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
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籔内佐斗司(やぶうちさとし)
1953年、大阪府大阪市にて生まれる。大阪府立三国丘高等学校を経て、1978年、東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。1980年、東京芸術大学大学院美術研究科澄川喜一研究室で彫刻を専攻し、修了する。1982年から1987年まで、東京芸術大学大学院美術研究科保存修復技術研究室の非常勤講師を勤める。仏像などの古美術の古典技法とその修復技術を研究、新薬師寺地蔵菩薩立像(奈良市)、平林寺十六羅漢像(新座市)などで東京芸術大学が中心となって行った、保存修復に参加する。1987年、彫刻家として活動を開始する。作品には、横浜ビジネスパークの「犬も歩けば」(1990年)など、パブリック・アートも多い。1996年、ニューヨークにて『The World of Satoshi Yabuuchi-scuiptor』展。1997年に第17回現代日本彫刻展の宇部興産株式会社賞。1999年にはパリ三越にて個展を開催。2000年、個展『新世紀に向けて 籔内佐斗司の世界展』。2003年、第21回平櫛田中賞を受賞。2004年、東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室教授に就任する。