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さいたま市大宮区にて天猫作甑口釜(大西清右衛門識)、中川浄益の南鐐蓋置など。

埼玉県さいたま市大宮区にて、天猫作肩霰宝書地紋甑口釜(千家十職 十五代大西清右衛門識)、千家十職 中川浄益(11代)の純銀製一葉蓋置などのお茶道具、お着物をお売りいただきました。

遺品整理でお呼びいただきました。お母様が生前裏千家茶道をされており、残されたお道具を処分されたいとのことでお呼びいただきました。本日お売りいただいた茶道具は、千家十職である中川浄益(11代)や 大西清右衛門の識箱に入っている釜など良いお道具が多くございました。十五代大西清右衛門(浄心)の識箱の収められている釜は天猫作肩霰宝書地紋甑口釜。天猫(てんねこ)作は江戸時代初期から後期にかけての釜で底を直して茶の湯に使用できるようにした釜です。本来の天明釜より後の時代です。
千家十職とは茶道の三大流派の表千家、裏千家、武者小路千家の三千家好みの茶道具の制作を行っている金物師(中川浄益家)表具師(奥村吉兵衛家)や茶碗師(楽吉左衛門家)塗師(中村宗哲家)釜師(大西清右衛門家)土風炉・焼物師(永楽善五郎家)一閑張細工師(飛来一閑家)指物師(駒澤利斎家)竹細工・柄杓師(黒田正玄家)袋師(土田友湖家)の十の職業、十の家のことを言います。六角堂では千家十職のお道具を強化買取しております。ご不用のお道具がございましたら、是非六角堂をご指名ください。茶道具に詳しいスタッフが査定し、高価買取させていただきます。
良いお道具、お着物をお売りいただき有難うございました。倉庫へ戻る途中、近くにある「武蔵野うどん 竹國」さんへと寄り、肉うどんをいただきました。こちらは並盛、中盛、大盛どれも同じ料金、もちろん大盛りをいただきました。すごいボリュームでしたが美味しかったです。

中川浄益(なかがわじょうえき)
千家の流れを汲む茶の湯の道具を、代々にわたって制作する「千家十職」の一つ「金物師」。 中川家当主が代々襲名する名称である中川浄益。 もともとは越後国で、甲冑(かっちゅう)や鎧(よろい)などの武具を作っていたが、千家の依頼により茶道具を手掛け、薬鑵(やかん)を作ったのが家業のはじまりといわれている。 中川家は錺師(かざりし)とも言われ、金工の技を伝承してきた家でもある。 鋳物(いもの)や鎚物(うちもの)、彫金、象眼、七宝など、また用いられる金属素材も金、銀(南鐐)や銅を中心に青銅、真鍮(しんちゅう)、砂張(さはり)と豊富。その名跡は代々継承されており、現在は11代目が継いでおります。
1559~1622年 初代(紹高)
1593~1670年 2代(重高)
1646~1718年 3代(重房)
1658~1718年 4代(重忠)
1724~1791年 5代(頼重)
1766~1833年 6代(頼方)
1796~1859年 7代(頼実)
1830~1877年 8代(幾三郎)
1849~1911年 9代(益之助)
1880~1940年 10代(淳三郎)
1920~2008年 11代(紹真)

十一代・中川浄益(紹真)
京都市立第二工業高校(現在の京都市立伏見工業高等学校)金属工芸科卒業。
1920(大正9)年 十代浄益の長男として京都に生まれる。幼名を紹真という。
1940(昭和15)年 父の死後、十一代浄益を襲名。
2008(平成20)年 逝去。十一代亡き後、当主の座は空席が続いている。

大西清右衛門(おおにしせいえもん)
大西清右衛門(おおにしせいうえもん)は千家十職の釜師。大西家は、室町時代後期から400年以上続く京釜師の家。四代当主が清右衛門を名乗り、六代目以降は代々清右衛門という名を継いでおります(九代目を除く)。工房は、京都市中京区の三条釜座にあり、「大西清右衛門美術館」が併設されてます。釜の他にも、鉄、唐銅、銀などの金属を使って、花入や蓋置、建水、火箸などの茶道具を制作しております。当代は、十六代。
1590~1663年 初代・浄林
1594~1682年 2代・浄清
1630~1684年 3代・浄玄
1645~1700年 4代・浄頓
1647~1716年 5代・浄入
1689~1762年 6代・浄元
1720~1783年 7代・浄玄
1747~1785年 8代・浄本
1749~1881年 9代・浄元
1777~1852年 10代・浄雪
1808~1875年 11代・浄寿
1841~1869年 12代・浄典
1866~1943年 13代・浄長
1888~1960年 14代・浄中
1924~2002年 15代・浄心
1961~        16代・大西清右衛門

十五代・大西清右衛門(浄心)
先代の『[父]大西家十四代/大西浄中(1888-1960)』の次男として生まれ「九州大学」卒業後、「京都大学大学院」、「京都美術学校専攻科」にて学ぶ。
昭和三十五年(1960年)、三十六歳の時に【大西家十五代/大西清右衛門】を襲名。
京釜についての執筆も旺盛に行い、多くの論文をのこしている。
隠居後『表千家十三代/即中斎無盡宗左(1901-1979)』より【浄心】の号を受ける。

千葉県佐倉市にて中島潔、林静一、ディズニ-のリトグラフ、リュージュのオルゴールなど。

千葉県佐倉市にて中島潔、林静一、ディズニ-のリトグラフ、リュージュのオルゴールなどをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は千葉県佐倉市へ、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。お売りいただいたのは、絵画、置物、茶道具、リサイクル品など。多数まとめてお売りいただきました。絵画は中島潔のリトグラフ「花の夢」、林静一のリトグラフ「竹取物語」、ディズニ-映画「バンビ」のリトグラフなど。どれも可愛らしい作品でした。REUGE(リュージュ)のオルゴールは72弁のもので、素敵な象嵌入りの箱に収められております。茶道具はお稽古用のものでしたが、全て買い受けさせていただきました。まとめてお売りいただき有難うございました。二件目は東京都板橋区新河岸へ、お片付け整理でお呼びいただきました。こちらではお着物や湯呑などの贈答品を買い取らせていただきました。ウール交じりのお着物でしたが、全てまとめて買い取らせていただきました。ご家族の思い出のお着物、大切に次へと繋げさせていただきます。当社をご指名いただき有難うございました。
本日の昼食は、佐倉市にある「タンメンしょうや」さんへ行きました。テレビにも紹介された地元では有名なお店のようです。わたしは佐倉タンメン、ドンシャリ、どぶづけ餃子をいただきました。佐倉タンメンはもちろん、甘辛いたれにどっぷり浸かったどぶづけ餃子がとても美味しかったです。帰りには京葉道路幕張PA上り線Pasar幕張にあるお店で、木更津市の道の駅「うまくたの里」で有名な「クレイジーピーナッツ」を買いました。クレイジーピーナッツはフレーバーチョコレートにくるまれたポップでカラフルなピーナッツ菓子で、味は全部で16種類はあるようです。以前テレビで見た時に食べたいなと思っていたので、すぐに購入しました。カップに詰め放題なのですが、種類が豊富で結局2パックに全種詰め込みました。帰り道いただきましたが、とても美味しかったです。

中島潔(なかじまきよし)1943年~
郷愁を誘う童画や、儚げな女性画を得意とする画家。「風の画家」として知られております。
現在はパリに長期滞在しての制作、京都・清水寺襖絵の制作など精力的に活動しています。
1943年 満州に生まれる。1歳で両親の故郷、佐賀へ戻る
1961年 高校卒業後上京し、働きながら独学で絵の勉強をする
1964年 広告会社に就職し、アートディレクターとして数々の賞を受賞
1971年 渡欧し、美術学校へ通う
1976年 広告会社を退職し、フリーのイラストレーターとなる
1982年 NHKみんなのうた等のイメージ画を手がけ、一躍注目を浴びる。初個展開催
1987年 ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞
1990年 北京で初の海外展を開催
1998年 画業30年を記念して、7年の歳月をかけて完成させた「源氏物語五十四帖」を発表

林静一(はやしせいいち)1945年(昭和20年)~
イラストレーター、漫画家、アニメーション作家。
満州生まれの東京都育ち。妻は、染色作家の林節子。
なよやかな女性美の表現に定評があり、「現代の竹下夢二」とも称される。
LOTTEの梅味キャンディー『小梅』のキャラクター「小梅ちゃん」のイラストレーションで有名。NHK『みんなのうた』においてアニメーションを多数手掛けたことでも知られる。
画家、実写映画の監督、アニメーション作家として多才な活動を見せている。

横浜市鶴見区にて、柿右衛門などの陶器、平安象彦などの漆器、藤田喬平やドームのガラス工芸品、玉川堂の茶器揃など。

神奈川県横浜市鶴見区にて、十三代酒井田柿右衛門などの陶器、平安象彦などの漆器、藤田喬平やドームのガラス工芸品、玉川堂の茶器揃などをお売りいただきました。

遺品整理でお呼びいただきました。生前お父様が贈答品などでいただいたという陶器や漆器、ガラス工芸品、金・銀製品などをご処分されたいとのことでご連絡いただきました。良いものは数点残されたいとのことでしたので、この品はどういったものなのかを説明しながら仕分けしていきました。箱とお品がバラバラになってしまっているものもあり、こちらで箱合わせなどをしていきました。なるべく小さなものを残されたいとのことで、茶道具の茶碗などを説明しながら分けて行きました。青木龍山や備前焼作家の茶碗などを残されることとなり、他は全て買い受けさせていただくこととなりました。陶器は人間国宝13代酒井田柿右衛門窯の花瓶や皿、他作家物の皿や花器、茶道具などをお売りいただきました。漆器は輪島塗や平安象彦のものが多くございました。象彦の手文庫もたくさんあり、こちらも何点か残されたいとのことでしたので状態の良いものを残されました。ガラス工芸品は人気作家藤田喬平のものや切子、Daum(ドーム)など海外クリスタルなど。銀盃や銀製置物、金製品、玉川堂の銅製茶器揃など金属工芸品も多数お売りいただきました。数百点のお品をお売りいただき、トラックも満載になりました。最初ご連絡いただいた時とてもすごい量とのことでしたので、トラックを用意して良かったです。想像以上の量に査定に時間が掛かってしまいましたが、最後までお付き合いくださり有難うございました。明日以降の仕分け作業が楽しみです。お父様の思い出のお品々、当社で責任もって次へと繋げさせていただきます。本日は六角堂をご指名いただき有難うございました。
夜となってしまいましたが、川崎市川崎区南町にある「鴻運厨房」さんで本日一食目の食事をしました。麻婆豆腐定食は本場のお味でとても美味しかったです。お腹がペコペコでしたので、尚更美味しく感じました。

13代 酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)1906(明治39)年~1982(昭和57)年
13代酒井田柿右衛門は12代酒井田柿右衛門の長男として佐賀県に生まれました。本名を渋雄といいます。
1947年(昭和22年)頃から濁手の復活を目標とする。1953年(昭和28年)、第12代柿右衛門とともに、「濁手」を復興。1955年(昭和30年)、濁手の製作技術は、国の無形文化財に指定。 1963年(昭和38年)、日本伝統工芸展に入選。 1964年(昭和39年)、日本工芸会正会員となる。1970年(昭和45年)、佐賀県陶芸協会会長となる。 1971年(昭和46年)、濁し手の技法で国の重要無形文化財に総合指定。柿右衛門製陶技術保存会会長となる。1975年(昭和50年)、西日本文化賞などを受賞。
個人作家として新しい柿右衛門の確立を目指した13代は、伝統を墨守し続ける頑固な父の方針に不満を持ち、お互いの方向性の違いから親子喧嘩が絶えなかった事でも有名です。
この父より受け継がれた職人気質を基礎に現代様式の柿右衛門を創造すべく、日本画家、彫刻家、芝居役者、政治家、実業家等のあらゆる分野の人々と交流を深め、近代的な独自の新意匠を取り入れた新境地を築き上げました。
頻繁に全国各地の野山へ出掛けては膨大な量のスケッチを取った事でも知られており、こうして図案化されたものが濁手素地の上に彩られました。
芸術作家としての柿右衛門の評価は13代の出現で不動のものとなりました。

藤田喬平(ふじたきょうへい)1921(大正10)~2004(平成16)
東京に生まれ、東京美術学校卒業後、本格的にガラスの世界に入りました。1960年代後半には、ガラス素材の特性を生かした「流動ガラス」を、1973年からは藤田の代表作ともいえる「飾筥」作品を発表し、国内外から高い評価を受けました。50歳を過ぎてからもイタリアのヴェネチアで伝統技法を学び、レースガラスやオブジェなど新たな作品にも積極的に取り組んだことで知られています。色ガラスの持ち味を生かし、日本の文化や伝統美を反映させた作品や、優れた色彩感覚と造形力で芸術性の高い作品を残した。

玉川堂(ぎょくせんどう)
創業1816年(文化13年)の日本の金属加工業者。日本国内の地場産業として有名な新潟県燕市の金属加工業の中でも唯一、1枚の銅板を鎚で叩き起こして銅器を製作する「鎚起銅器」(ついきどうき)の伝統技術を二百年弱に渡って継承している老舗企業。銅に多彩な着色を施す技術は、世界でも玉川堂のみが保有している。世界最高品質の銅器を製造し、世界中に顧客を持つ。