月別アーカイブ: 2018年9月

東京都中野区弥生町にて、二世秦蔵六造の齋法貨書鎮、ペルシャ藍釉壷。

 

東京都中野区弥生町にて、二世秦蔵六造の齋法貨書鎮、12世紀のペルシャ藍釉壷をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、東京都青梅市へ伺いました。こちらは既に二度来ているお客様で、お売りいただいた点数が大変多く、本日はトラック二台で向かわせていただきました。陶器の買取でしたが数の多さにトラック二台パンパンに埋まってしまいました。それでもなお積みきれず、もう一度お伺いさせていただくこととなりました。搬出にお客様の会社の従業員の方も手伝いに来てくださり、スムーズに終えることが出来ました。お気遣いくださり有難うございました。また次回もトラック二台でお邪魔させていただきます。本日二件目は、中野区弥生町へ遺品整理でお呼びいただきました。生前お爺様が集めていらっしゃったという骨董品などをお売りいただきました。お売りいただいたのは、二世秦蔵六造の齋法貨書鎮、12世紀のペルシャ藍釉壷の他、掛軸や書道具など。二世秦蔵六(生没年不詳)は一説に1854年生~1932年没ともありますが詳しくは不明。文久年間から続く鋳金家で、初代は孝明天皇の御印、明治天皇御璽、大日本国璽、徳川慶喜の黄金印を鋳造されました。その後は代々「蔵六」を名乗り鋳金技法を継承しております。青銅器の創作で名高い京都の金工師。署名や落款などから判断した二世の本姓は橘氏であろうといわれております。秦蔵六の作品は、中国からの人気もあり、六角堂でも買取を強化している人気作家であります。波斯(ペルシャ)藍釉壷はおおよそ12世紀のものと思われます。銀化され雰囲気の良い小壺となっております。残念ながらカケや直しなど状態はいまいちでございました。査定に担当したN尾氏がペルシャ陶器が好きな為、わたくしの想像以上の高査定をしておりました。査定額にお喜びいただけたので良かったです。お爺様の大切にされていたお道具、大切に次へと繋げさせていただきます。良いお品をお売りいただき有難うございました。
本日も市場の仲間たちから連絡があり、高円寺で食事をすることとなりました。まずは「らーめん一蔵」さんで赤鬼ラーメンをいただきました。辛味噌のスープですが、追加で油唐辛子を入れるととても美味しいです。そしてそのまま歩いて10秒くらいの場所にある「すてーき亭」さんへまさかのはしご。こちらのステーキですが、ボリュームがあって料金が千円程度。しかもご飯がお代わりし放題のようです。さすがにわたしはご飯を食べれませんでしたが、ステーキは完食。少し体を動かします。

さいたま市桜区にて、清水公照絵付田原陶兵衛造萩茶碗、象彦の茶入など。

埼玉県さいたま市桜区にて、清水公照絵付田原陶兵衛造の萩茶碗、平安象彦の菊寿蒔絵茶入など、お茶道具をお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。生前整理でお茶道具を処分したいとご連絡いただき、出張買取させていただきました。茶碗、水差 、棗、茶入、香合、花入、茶杓、菓子皿などの茶道具を一点一点査定し、全て買い取らせていただきました。十二代田原陶兵衛の萩茶碗には、東大寺長老清水公照によるだるまさんの絵付けが入っており、とても素敵な作品でした。共箱蓋裏にも清水公照の書付がございます。全てのお道具の保管状態が良く、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。お客様の思い出のお道具たち、六角堂で責任もって大切に次へと繋げさせていただきます。本日はご指名いただき有難うございました。
帰宅後に家族でららぽーと富士見に行き、「彩の国レストラン」さんで夕食をいただきました。こちらのお店は、色々な野菜をたくさん使った自然食ビュッフェレストラン。外食が多く、野菜不足が続いておりますので、こちらには時々寄らせていただいております。本日もたくさんの野菜を補給させていただきました。

十二代 田原陶兵衛(たはらとうべえ)1925~1991年 本名:源次郎
温和な人柄で知られ、茶碗にかけては特に攻手。裏千家茶道の造詣を深め、伝統の家法に習熟し、萩焼の源流である高麗茶碗の研究に励み、陶兵衛茶陶とも称すべき独特の作風を作り上げた。
1925年 10代・田原陶兵衛の次男として山口県で生まれる
1944年 旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る
1945年 終戦と共にシベリアに抑留される
1948年 抑留されていたシベリアから復員する
1956年 12代・田原陶兵衛を襲名する
1972年 日本工芸会正会員となる
1981年 山口県指定文化財に認定される
1982年 山口教育文化交流視察団に参加。
1991年 9月27日、66歳にて永眠

清水公照(しみず こうしょう)1911年(明治44)~1999年(平成11)
兵庫県出身 龍谷大学卒 本名「睦治」、号「泥仏庵」、異名「今良寛」
1927年東大寺塔頭宝厳院に入寺、清水公俊(後の義父)の下で修行し、僧名を公照。
33年からの天龍寺での四年間の禅の修業を経て、37年には東大寺塔頭龍蔵院、同上生院住職に就任。戦時中は、中国に出征となるが、帰国後の46年に、東大寺塔頭宝厳院住職に就任。
47年に青々中学(後の東大寺学園)を創建、63年には東大寺幼稚園と女子学園園長に就任するなど
学校教育にも貢献。
華厳宗宗務長、東大寺執事長などの就任を経て、75年から大僧正、華厳宗管長、東大寺住職 第207・208世別当を歴任、81年には東大寺長老となり「仏教伝導文化章」を受章。
氏の代表的な仕事の一つに、71年から10年間かけての東大寺大仏殿の「大仏殿昭和大修理落慶大法要」があり主宰、厳修を務めた。約50億円もの資金を要した大偉業を成し遂げました。
また法務の傍ら美術品研究家として知られ作家作品の箱書、古書や古陶磁の鑑定を行い、自らも絵画、陶芸、書を中心に多数の作品を制作。
特に陶芸作品でテラコッタ風の「泥仏」とされる仏像は愛嬌があり大変人気が高い。

東京都渋谷区上原にて、明代のチベット金銅毘沙門天(クベール)像の買取。

東京都渋谷区上原にて、明代のチベット金銅毘沙門天(クベール)像をお売りいただきました。

お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しに伴い、お父様が生前集めていらっしゃったという仏像や陶磁器の処分でお呼びいただきました。仏像はチベットの金銅仏毘沙門天(クベール)像。時代は中国の明代の頃と思われます。毘沙門天(クベール)は多聞天とも称され、四天王の ひとりとして護法神として崇められてきました。財宝を司る神であり、七福神のひとりにも なっております。 日本では古代より怨敵退散、国土鎮護の 尊格として崇拝されてきましたが、もとは インドのヒンズー教の神さまとされております。金銅仏や渡金仏は、元々鋳銅の仏像の表面に渡金をして金色に仕上げたものですので、古いものになると金色が剥落したものが多いです。古いものになると美術品価値の高いものが多く、特に中国やチベットの金銅仏は市場で高値でお取引されております。もちろん六角堂でも金銅仏や渡金仏の買取を強化しております。
また、六角堂では、その他の仏教美術、密教美術も強化買取りしております。
チベット仏、金銅仏、鍍金仏、銅仏像、古銅仏像、鋳銅仏像、石仏像、木彫仏像、珊瑚仏像、白磁仏像、香木仏像、乾漆仏像、象嵌仏像、インド密教仏、ガンダーラ石仏、アカンサス装飾、スコッタ ストッコ像(ストゥッコ像)、テラコッタ像、タンカ、マンダラ、仏画、中国仏画、チベット仏画、高麗仏画、朝鮮仏画、仏教彫刻、宝塔彫刻、仏舎利(ぶっしゃり)彫刻、舎利塔(しゃりとう)彫刻、多宝塔(たほうとう)彫刻、仏具、厨子、線香、香木、数珠、如意(にょい)、金剛杵(こんごうしょ)、釣鐘、香炉、宝珠、経典、経巻、経箱、石彫レリーフ、愛染明王、阿弥陀如来、韋駄天、観音菩薩、地蔵菩薩、釈迦三尊象、釈迦如来、十一面千手観音、十二神将、千手観音、大黒天、毘沙門天、不動明王、弥勒菩薩、薬師如来などがございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。仏教美術、密教美術に詳しい鑑定士が、見積もりにお伺いします。本日は良いお品をお売りいただき有難うございました。
市場へ戻る途中、中野区でリサイクルショップをされているT橋さんからお電話いただき、高円寺駅で食事をすることになりました。今回もまたT橋さんお勧めの中華料理屋「福龍門」さんへ行き、食事をしました。本日は食べ放題コースにしました。炒飯、麻婆豆腐、小籠包など、どれも美味しかったです。また寄らせていただきます。

千葉県千葉市中央区にて、旧日本軍大礼服、軍隊物、掛軸など。

千葉県千葉市中央区にて、旧日本軍大礼服、軍隊物、掛軸などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。東京都調布市、千葉県千葉市中央区へ出張させていただきました。一件目は業者様のご紹介で、調布市へお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、桐箪笥、お着物、反物、和装小物などをお売りいただきました。桐箪笥は経年のシミ汚れが出てしまっておりましたが、お着物などは比較的状態も良く、全て買い取らせていただきました。まとめてお売りいただき有難うございました。二件目は、千葉市中央区へ出張させていただきました。お荷物のお片付け整理で、旧日本軍大礼服、陸軍鉄帽、進軍ラッパなどの軍隊物、掛軸などをお売りいただきました。お客様と屋根裏に上って掛軸を探したり、ちょっとした探検気分で楽しかったです。探検後にお客様から頂いたコーヒーはとても美味しかったです。大礼服とは、宮中その他の重要な儀式に着用された礼装の一種。1872年衣冠束帯の礼服が洋式の大礼服に改められ、文官・宮内官大礼服、陸海軍武官正装、有爵者大礼服、非役有位(ひやくゆうい)大礼服の種別があり、上着、ズボン、白ワイシャツ、白ネクタイ、黒エナメル靴、白皮手袋、大礼帽に剣を用いました。大礼服は第二次大戦後に廃止されました。 六角堂では旧日本軍のものや、軍服、軍装品、勲章、軍事郵便、戦争の写真などの買取りを行っております。軍隊物は希少価値が高いものが多く、国内外でもコレクターが多く存在し、安定した相場で取引が行われております。六角堂では軍隊物に精通したスタッフが適正価格をご提示し、高価買取致します。ご不要の軍隊関連アイテムがありましたら、是非ご指名ください。本日は多数お売りいただき有難うございました。
帰宅途中、京葉道幕張PAにある「手打ちかつ 山武源」さんで食事をしました。わたしはデカ盛りかつ丼をいただきました。ボリュームたっぷりで美味しかったです。明日の出張買取はお休みさせていただきます。

東京都杉並区方南にて、斎藤清の木版画「京都大徳寺孤篷庵」、反物など。

東京都杉並区方南にて、斎藤清の木版画「京都大徳寺孤篷庵」、反物などをお売りいただきました。

本日は三件の出張買取。神奈川県座間市~横浜市西区~杉並区方南を回りました。一件目は神奈川県座間市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、お着物屋お茶道具などをお売りいただきました。とてもお若い女性のお客様で茶道をされているとのこと、頑張り査定で買い受けさせていただきました。近年若者たちの茶道離れが進む中、茶道具を数多く扱っているわたしとしましてはとても嬉しかったです。また、お婆様からいただいたというお着物は多少シミ汚れなどございましたが、こちらも全て買い取らせていただきました。今後も茶道を頑張ってください。応援しております。二件目は横浜市西区へ出張させていただきました。こちらでは、お茶道具や蓄音機、古時計、雑貨、置物などをお売りいただきました。お茶道具はお稽古用のものですが、茶碗や水指など一式ございました。アンティーク物が数多くあり、多数お売りいただきました。まとめてのご売却、有難うございました。ご家族の思い出のお品々、大切に次へと繋げさせていただきます。三件目は東京都杉並区方南へ、遺品整理でお呼びいただきました。こちらでは斎藤清の木版画「京都大徳寺孤篷庵」、お着物や反物などをお売りいただきました。斎藤清(さいとうきよし)は福島県出身の版画家。国内外で評価されている人気版画家です。作品は京都大徳寺にある孤篷庵(こほうあん)。孤篷庵は京都府京都市北区紫野にある臨済宗の寺院。臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭。境内の最も西、坂の途中に位置しております。江戸時代の大名茶人である小堀遠州(こぼりえんしゅう)が造営し、最晩年の二年余り過ごされました。遠州の隠居寺であり、菩提寺となりました。多少シミ汚れがございましたが、当社で買い取り強化中の人気画家作品ですので、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただくことが出来ました。また、お母様が生前茶道をされていたようで、落ち着いたらお道具をお売りいただけるとのこと、お待ちしております。
今日は横浜市から杉並区へ向かう途中の第三京浜都築PAで昼食をしました。いつもはサンマー麺を食べるのですが、本日はアジコロ定食を食べました。アジフライにコロッケが付いて600円と安く、ボリュームたくさんの定食でした。また、杉並区の出張帰りに高円寺駅にある「伝説のすた丼屋」さんへ寄り、とろろすた丼を食べました。疲れがたまってますので、スタミナをたくさんつけました。明日からも出張買取、頑張ります!

斎藤清(さいとうきよし)1907年~1997年
福島県会津市出身の画家・版画家。1932年 白日会展で初入選。
1933年 東光会展で入選。
1935年 国画会展で初入選。
1936年 日本版画協会展で初入選。
1937年 国画会展版画部門で初入選。
1944年 朝日新聞社に入社。
1948年 サロン・ド・プランタン展で1等賞。
1951年 サンパウロ日本人賞受賞。
1954年 朝日新聞社を退社。
1956年 アメリカ合衆国国務省、アジア文化財団の要請でアメリカやメキシコ各地で版画の指導を行なう。
1957年 リュブリャナ国際版画ビエンナーレ、アジア・アフリカ諸国国際美術展で受賞。
1964年 ハワイ大学より招待を受ける。
1969年 カナダ・グレータービクトリア美術館、アメリカ・サンディエゴ美術館で個展開催。
1976年 福島県の県外在住者知事表彰。柳津町名誉町民となる。
1981年 勲四等瑞宝章
1995年 文化功労者。
1997年 福島県柳津町に斎藤清美術館が完成。11月14日逝去。

東京都豊島区北大塚にて、即中斎書付桐木地四方棚、光清造の蒔絵炉縁など。

東京都豊島区北大塚にて、表千家家元13代即中斎書付桐木地四方棚、光清造高台寺菊桐蒔絵炉縁など、お茶道具をお売りいただきました。

遺品整理にてお呼びいただきました。お母様が表千家茶道の師範をされていたので、お茶道具がたくさん残っており処分されたいとのことでお呼びいただきました。たくさんのお道具をお売りいただきましたが、本日は即中斎書付桐木地四方棚、光清造高台寺菊桐蒔絵炉縁をご紹介します。桐木地四方棚には、表千家十三代即中斎の書付がございます。即中斎(そくちゅうさい)は、茶道表千家の十三代家元。昭和初期に代を継ぎ「現代茶道の祖」とも呼ばれています。四方棚(よほうだな)は、桐木地で、天板と地板が四方の、二本柱で、及台子を二分したものをもとにしていますが、天板の方が地板より大きな形状の小棚です。古くは「半台子」「利休水指棚」とも呼ばれました。四方棚には、利休好みと表千家逢源斎江岑好みがあり、利休好みは天地の板が角隅で、江岑好みは丸隅になっています。光清造の炉縁は高台寺菊桐蒔絵はの入ったもの。高台寺蒔絵とは京都市東山区にある高台寺の霊屋(れいおく)内部や同寺所蔵の秀吉夫妻愛用の調度品に施された蒔絵、および同系統のもの。桃山時代の蒔絵を代表する様式で、秋草文様や本品のような菊桐文様を多く用いております。炉縁(ろぶち)とは、炉の炉壇の上にかける木の枠のことです。 炉縁は大別して木地縁と塗縁があります。塗縁には、無地と本品のような蒔絵の入ったものがございます。他にもたくさんのお道具をお売りいただきましたので、また後日紹介させていただきます。たくさんのお道具をお売りいただき有難うございました。お母様の思い出のお道具たち、当社で大切に次へと橋渡しさせていただきます。
帰る途中、大塚駅の近くにある「二十六代目 哲麺 大塚店」さんへ寄らせていただきました。わたしは豚骨味噌をいただきました。臭みやクセのない上品なスープに、コシのある細麺が良く合ってます。替え玉が50円ですので、もちろんお代わりしました。とても美味しかったです。

無盡宗左 即中斎(そくちゅうさい)1901-1979 幼名覚二郎。無尽・清友軒。
即中斎は、明治・⼤正・昭和にかけて茶道の普及に努めた12 世惺斎(さいせい)の次男として⽣まれた。慶應義塾⼤学⽂学部、及び京都⼤学史学部選科を卒業し、兄に続いて⽗を亡くしたことから、1937年に家元を継ぎ、表千家13 世家元となる。
第⼆次世界⼤戦に前後して、⽇本全国に⽀部を構える⼀般社団法⼈表千家同⾨会を設⽴。表千家同⾨会は海外(ハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコ)にも⽀部を設け、⽇本のみならず海外での茶道普及にも貢献した。
1901年 京都府で、表千家12 世惺斎の次男として⽣まれる
1936年 兄・不⾔斎逝去
1937年 表千家12 世惺斎逝去。表千家13 世家元を継承
1940年 利休350 年忌の法要と茶事を開催
1942年 表千家同⾨会を発⾜し、茶道の全国普及と組織化に尽⼒
1965年 著書「表千家」を刊⾏
1979年 逝去

東京都世田谷区成城にて、総桐箪笥、J.L.Mollerのチェア、家具蔵の食器棚など。

東京都世田谷区成城にて、総桐箪笥、J.L.Moller(J.L.モラー)のダイニングチェア、家具蔵のダイニングボードなどをお売りいただきました。

今年四月にお呼びいただいたお客様より、再度お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。お引越しが決まりなるべくお荷物を減らしたいとのこと、当社で提携しているリサイクルショップのO橋氏を連れての出張買取なりました。本日お売りいただいたお品は、桐たんす、J.L.Moller(J.L.モラー)のダイニングチェア、KAGURA/家具蔵のダイニングボードなど、家具を多数お売りいただきました。桐箪笥は総桐のもので、下二大洋とい形のものになります。厚みのあるタンスでとてもしっかりとしております。前飾りの彫金も大変素晴らしいものでした。ダイニングチェアは人気北欧家具のデザイナーズ家具「J.L.MOLLER(J.L.モラー)」。オーク材とペーパーコードを使用したダイニングチェア『No.75』になります。J.L.MOLLERは、1944年家具職人でありデザイナーのニールス・O・ムラーによって作られた、 デンマークおよび北欧を代表する家具ブランドです。 ダイニングチェアのブランドとして名高く、多くの製品に見られる滑らかで繊細なカーブライン、 先端に向かって細くなる脚が、美しく印象的です。 残念ながら座面のペーパーコードにキレがございましたが、人気の北欧デザイナーズ家具でしたので買い受けさせていただきました。ダイニングボードは、永い時を生きてきた丸太一本一本の自然の素材にこだわり、心が和むような家具造りを心がけている「KAGURA/家具蔵」のもの。「木が育ってきた年数と同じだけ使える家具を作れば、次に使える木が育つ」という観念を持つ家具蔵。 創業以来変わることなく貫いてきた人の暮らしになじむ本物の木の家具を丁寧に作り続けるという基本姿勢で、人の体になじむフォルムが美しいデザインとして完成し、 家具を超えた存在感を漂わせております。こちらはナラ材を使用した「エミネント140」というお品。大変しっかりとしたダイニングボードとなってます。二度にわたり六角堂をご指名いただき、素敵な家具をお売りいただき有難うございました。当社は和家具や骨董品専門店と思われがちですが、高級デザイナーズ家具・北欧家具などの買取もしております。当社提携の専門会社がございますので、高価買取が可能となっております。ご不要になりましたデザイナーズ家具・北欧家具などがございましたら、お問い合わせください。もちろん桐タンスや和家具等、併せてのお見積もり、買い受けも対応させていただきます。
市場へ戻る途中、O橋氏とN尾氏と「しゃぶ葉練馬光が丘店」さんへ寄りました。しゃぶしゃぶ食べ放題のお店ですが、野菜の種類が豊富で、沢山いただいてしまいました。一度に野菜を入れ過ぎてしゃぶしゃぶというよりはお鍋のような状態、普段野菜不足のわたしですが、たくさん野菜を食べて栄養補給することが出来ました。とても美味しかったです!

東京都小平市にて、吉井淳二のリトグラフ「笛」、西村義光作鍛金製茶托など。

東京都小平市にて、吉井淳二のリトグラフ「笛」、西村義光作鍛金製茶托などをお売りいただきました。

本日は四件の出張買取。東京都北区、西東京市、小平市、小金井市へ出張しました。一件目は業者様のご紹介で北区西ヶ原へ、改築前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、着物、和装小物、掛軸、雑貨などをお売りいただきました。アンティークの着物でしたので、シミや汚れなどございましたが、全て買い受けさせていただきました。二件目は業者様のご紹介で西東京市へ出張しました。こちらでは、絵画、贈答品、貴金属などをお売りいただきました。絵画は油彩画や版画など、作家のないものもございましたが、全て買い取らせていただきました。まとめてお売りいただき有難うございました。三件目は小平市へ、遺品整理でお呼びいただきました。こちらでは、吉井淳二のリトグラフ「笛」、西村義光作鍛金製茶托、反物などお売りいただきました。吉井淳二は鹿児島県出身の洋画家。作品のタイトルは「笛」。六角堂の買取強化作家作品でしたので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただきました。反物は結城紬や大島紬など。古くシミや汚れなどございましたが、こちらも買い受けさせていただきました。お茶を入れていただいたり、お気遣いいただき有難うございました。お茶菓子もとても美味しかったです。ご馳走様でした。本日の最終四件目は、小金井市へ伺いました。お荷物の整理とのことで、絵画や額、明珍の鉄製花器などをお売りいただきました。絵画の他、額もまとめてご処分されたいとのことでしたので、全て買い受けさせていただきました。まとめてのご売却、有難うございました。
今日は志木市場の開催日でしたが、出張買取のスケジュールがハードでしたので、お休みいただきました。夕方になってしまいましたが、東久留米市にある大連本店さんで昼食をいただきました。N尾氏が以前よく通っていたそうで、こちらの鶏そばが美味しいとのことでしたので寄ってみました。わたしは炒飯に麻婆豆腐をいただきました。とりそばも一口いただきましたが、とても美味しかったです。メニューが豊富で他にも食べたいものがありましたので、また寄りたいと思います。明日は世田谷区成城へ出張買取、頑張ります!

吉井 淳二(よしい じゅんじ)1904年~2004年
明治37年 鹿児島県曽於郡末吉町に生まれる
昭和 4年 東京美術大学洋画科卒業
昭和15年 二科会会員就任
昭和40年 日本芸術院賞受賞
昭和47年 南日本美術展審査委員長就任
昭和51年 日本芸術院会員就任
昭和52年 勲三等瑞宝章に叙される
昭和54年 社団法人二科会理事長就任
昭和60年 文化功労者として顕彰される
平成元年 文化勲章受章
平成16年 3月6日満100歳を迎える、11月23日逝去

東京都北区田端新町にて、後藤純男のリトグラフ「春映長谷」、甲冑など。

 

東京都北区田端新町にて、後藤純男のリトグラフ「春映長谷」、甲冑などをお売りいただきました。

旧家解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたお品は、後藤純男(ごとうすみお)のリトグラフ「春映長谷」、甲冑など。甲冑はその昔お家に飾られていた、五月飾りの甲冑。残念ながら兜は欠品しておりました。戦で使われていた本物の甲冑ではなくレプリカのものでしたが、六角堂ではこのような甲冑も強化買取りしております。後藤純男のリトグラフは、「春映長谷」という作品。桜と長谷寺が素晴らしい作品です。額に痛みがありましたが、当社で買い取りを強化している作家作品、お客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良いお品をお売りいただき有難うございました。
六角堂では「後藤純男」の絵画、版画作品の高価買い取り、査定・鑑定・出張買取りを致します。
ご所蔵の作品(肉筆画、版画も高額買受致します。)がございましたら、
無料にて誠意査定評価のうえ、即金で高価買取りさせていただきます。
後藤純男作品の正当な評価での売却をご希望の方は、是非六角堂までお問い合わせください!
絵画をお見積りの際には、詳しい鑑定士が査定させていただきます。
帰りに池袋駅の西口にある「つけ麺屋のぶなが」さんへ寄りました。前に寄った時は味噌らーめんをいただいたのですが、こちらはつけ麺で有名なお店でしたので、今回はつけ麺を食べにに寄りました。もちもちの麺に濃厚スープが合い、とっても美味しかったです。ラーメン派のわたしですが、つけ麺派になってしまいそうになる完成度の高いつけ麺でした。

後藤純男(ごとうすみお)1930~2016
1930 千葉県東葛飾郡関宿町(現野田市)に生まれる
1932 埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)へ転居。
1946 山本丘人に師事 3年後、山本丘人の紹介で田中青坪に師事
1952 再興第37回院展で初入選
1962 再興第47回院展で奨励賞・白寿賞・G賞受賞
1965 再興第50回院展で日本美術院賞・大観賞受賞、1969年にも同賞受賞
1976 再興第61回院展で文部大臣賞受賞
1986 再興第71回院展で内閣総理大臣賞受賞
1988~1997 東京芸術大学・美術学部教授
1999 千葉県銚子市に後藤純男美術館を開館(2004年1月30日閉館)
2002 埼玉県北葛飾郡松伏町の名誉町民となる
2006 旭日小綬章を受章
2016 逝去。86歳没

埼玉県和光市にて、加藤舜陶の呉須湯呑、白峰斎の花籠、茶道具など。

   

埼玉県和光市にて、加藤舜陶の呉須湯呑、白峰斎の花籠、お茶道具などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。いつもお客様をご紹介いただき有難うございます。本日お売りいただいたお品は、瀬戸焼の名工加藤舜陶(かとうしゅんとう)の呉須湯呑、竹細工師島村白峰斎の花籠、茶道具など。お茶道具はお稽古用のものでしたが、全て買い受けさせていただきました。たくさんのお道具をお売りいただき有難うございました。六角堂では、竹編、竹籠、竹細工を高価買取しております。飯塚鳳斎、飯塚小玕斎(しょうかんさい)、飯塚琅王干斎(ろうかんさい)、田邊竹雲齋、 早川尚古斎、前田竹房斎、鈴木玩々斎 、和田和一斎などの有名作家の竹籠は特に人気があり、 高価で買取りさせていただきます。
本日は一件のみの買取で早くに帰宅出来ましたので、家族でららぽーと富士見へ行きました。ららぽーと内にある雲龍一包軒で夕食をいただきました。餃子と小籠包で有名なお店ですが、炒飯や黒胡麻担担麺もとても美味しかったです。

加藤舜陶(かとうしゅんとう)1916~2005年
加藤舜陶は陶祖「加藤四郎左衛門影正」という由緒正しき名家に生まれる。
瀬戸焼において鈴木青々や河本五郎などと並び、三本柱の一人として有名になる。
1916年 愛知県瀬戸市に生まれ県立窯業学校に入学。
板谷波山に師事研鑽を積む。
1950年 第6回の日展で初入選。様々な工芸展などに出品を重ねる。
1955年 日本陶芸展文部大臣賞を受賞。、
1960年 第3回新日展に出品。特選・北斗賞を受賞。
1990年 新工芸展で内閣総理大臣賞。
1991年 日展で内閣総理大臣賞を受賞。
1974年 瀬戸市功労賞を受賞。
1982年 愛知文化功労に表彰。
1983年 東海テレビ賞
1987年 訓四等瑞宝章を受ける。
1990年 第12回日本新工芸展で内閣総理大臣賞。
1991年 第23回日展において灰釉花器「悠映」で内閣総理大臣賞受賞。
1994年 灰釉系技法で愛知県指定無形文化財保持者に認定される。
2005年 愛知県瀬戸市で死去、88歳。