月別アーカイブ: 2018年7月

東京都世田谷区桜丘にて、桐たんす、黒漆金蒔絵の鼓、南京焼染付香炉など。

東京都世田谷区桜丘にて、桐箪笥、お着物、黒漆金蒔絵の鼓、南京焼染付香炉などをお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、神奈川県横浜市港北区へ出張買取させていただきました。こちらでは、掛軸や火鉢、置物、贈答品などを買い取らせていただきました。掛軸は工芸軸、火鉢は陶製の者、置物はこけしや木彫りなど、状態の悪いものなどもございましたが、全て買い受けさせていただきました。まとめてお売りいただき有難うございました。二件目は世田谷区桜丘へ、遺品整理でお呼びいただきました。お母様の大切にされていた桐箪笥、お着物、黒漆金蒔絵の鼓の他、古くから実家にあったという南京焼染付香炉を買い取らせていただきました。南京焼染付香炉には銀製の火屋(ほや)が付いており、大明成化年製の底印がございます。ヒビなどもなく、比較的状態の良いものでした。香炉は当社で買い取りを強化しているお品ですので、お客様にお喜びいただける査定額で買い取らせていただくことができました。お母様の思い出のお品々、大切に次へと繋げていきます。本日は有難うございました。本日も世田谷区へ出張しましたので、よく寄っている「長浜らーめん」さんで食事をしました。もうすぐ家族で海水浴へ行くので、替え玉は一杯のみ。しばらくは爆食い禁止とします。しょっちゅう寄ってますが、「長浜らーめん」さんいつ食べても美味しいです。
香炉といけば、多くの方は仏前に置く小さな【三具足の香炉】を連想しますが、本品のような卓上や床の間用の【置香炉】、柄付きで持ちやすい【柄香炉】、吊るしておける【釣香炉】、 服の袖に入れる為の【袖香炉】、衣類に香を焚くための「被中香炉」など、香炉には様々な種類がございます。昔は「薫香」と呼ばれ、お化粧の一つとしてお香を焚いていた為、香炉は人々の生活に身近な存在でした。歴史あるお道具の一つで、古いものには高額査定となるものが数多くございます。素材も陶器製をはじめ、金や銀、銅、真鍮などの金属製、塗り物など幅広くございます。六角堂では、こうした幅広い香炉を全て買い取りの対象としておりますので、ご不要の香炉がございましたら、是非六角堂までお問い合わせください。また、香木や線香などの香道具も買い受けしますので、併せてお問い合わせください。

東京都三鷹市牟礼にて、茶道具、即中斎自作茶杓、永楽善五郎の花入。

 

東京都三鷹市牟礼にて、茶道具、表千家13代即中斎自作茶杓一対(銘蓬莱、寿山)、千家十職永楽善五郎(即全)の即中斎自筆(也風流)花入をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は、西東京市谷戸町にて、たくさんのお着物や和装小物などをお売りいただきました。多少シミや汚れなどあるものもございましたが、比較的状態も良く全て買い取らせていただきました。まとめてのご売却、有難うございました。二件目は三鷹市牟礼にて、茶道具、即中斎自作茶杓一対(銘蓬莱、寿山)、千家十職永楽善五郎(即全)の即中斎自筆(也風流)花入をお売りいただきました。表千家茶道をされていたお婆様のご遺品整理とのことでお呼びいただきました。本日で三日連続の茶道具買取、六角堂が最も得意とするお道具になります。即中斎自作茶杓一対は、黒田家12代黒田正玄の下削りで、銘は蓬莱、寿山とあります。永楽善五郎(即全)の花入は、即中斎の自筆で「也風流」とあります。也風流(またふうりゅう)の意味は、「不風流処也風流」(風流ならざるところまた風流)風流でも何でもないが、実はそのことが風流。全てを払い尽くして塵一つ無い、それこそ真の風流。茶席の禅語であります。お婆様の大切にされていたお道具、責任もって次へと橋渡しさせていただきます。本日は良いお道具をお売りいただき有難うございました。
今日は市場の開催日でしたので、夕方になってしまいましたが寄らせていただきました。市場を終えた後、みんなで池袋で一杯飲み、締めに小次郎らーめんさんへ行きました。仕事で疲れがたまっておりますので、スタミナラーメンを食べて栄養補給しました。明日からも頑張れそうです。

表千家家元十三代 即中斎宗匠
即中斎(そくちゅうさい)明治34年(1901)〜昭和54年(1979)。表千家13代。12代惺斎の次男に生まれる。兄不言斎の逝去により、昭和13年(1938)に家元を襲 名。第二次世界大戦の最中、昭和17年に千家同門会を発足させ、昭和24年(1949)には財団法人不審菴を設立。現代における茶の湯普及と伝統の保持と いう組織機構の基礎を築いた。

十六代永樂即全(えいらくそくぜん) (本名:茂一)1917年-1998年
1917年 「十五代:永樂善五郎(正全)」の長男として生れる
1935年 「十六代:永樂善五郎」を襲名
1936年  大磯城山荘内に城山窯を築窯
1971年  表千家「十三代:即中斎宗匠」より「陶然軒」の席号を授かる
1983年  京都府文化功労賞受賞
1990年  勲五等瑞宝章受章
1998年  長男・紘一に家督を譲り「即全」と号す

十二代 黒田正玄(くろだしょうげん)1906(明治39)年~1973(昭和48)年
12代黒田正玄は11代黒田正玄の長男として生まれました。名を久万吉(後に正玄)といいます。
父が死去したときまだ6歳だったため、叔父黒田常次郎と父の弟子上田定次郎に後見され、大正15年に家督相続する。周囲の援助を得ながら、戦中・戦後の困難な時期に家業を支えました。

東京都練馬区南大泉にて、茶道具、釜師角谷一圭の釜、加藤忠三朗の釜鐶。

東京都練馬区南大泉にて、和たんす、お着物、お茶道具、人間国宝角谷一圭の菊萬代屋釜、紫金堂加藤忠三朗の釜鐶をお売りいただきました。

業者様のご紹介で、遺品整理でお呼びいただきました。本日お売りいただいたのは、お母様が大切にされていたタンスやお着物、お茶道具など。たくさんのお道具をお売りいただきました。お着物はシミや汚れなどございましたが、捨ててしまうのはもったいなく少しでも多く次へと橋渡ししてほしいとのことでしたので、全て買い受けさせていただきました。お茶道具は、人間国宝である角谷一圭氏の釜をはじめ、尾張藩御釜師加藤忠三朗の釜鐶、作家物の茶碗や水指、棗、茶入などたくさんお売りいただきました。角谷一圭は角谷家の二代目として生まれて父の巳之助や大国藤兵衛や香取秀真に師事。53年には重要無形文化財「茶の湯釜」保持者として人間国宝となりました。加藤忠三朗は慶長16年(1611)より尾張藩(名古屋)において、茶道具「茶釜」を作り続けている釜師。当代は十二代加藤忠三朗が継いでおります。「紫金堂」は、加藤忠三郎が興した屋号になります。名工の作品など、多数お売りいただき有難うございました。
近所の集会所で盆踊りがありましたので、参加させていただきました。昼には流しそうめんや子供神輿などのイベントもあり、毎年子供たちが参加しております。わたしもここの流しそうめんが大好きで、毎年参加しております。ここの流しそうめんは、そうめんの他にもミニトマトが流れてきて、冷えててとても美味しいです。下のチビもはじめは流れてくるそうめんを不思議そうに眺めてましたが、口にするとすぐにお代わりしてました。また来年も楽しみです。

角谷一圭(かくたにいっけい)
1904年 大阪市に生まれる
1917年 父巳之助より茶の湯釜制作技法を習う
1942年 商工省技術保存資格認定
1958年 第5回日本伝統工芸展高松宮総裁賞
1961年 第8回日本伝統工芸展朝日新聞社賞
1976年 勲四等瑞宝章
1978年 重要無形文化財「茶の湯釜」保持者に認定
1999年 逝去

東京都渋谷区初台にて、桐箪笥、茶道具、四世秦蔵六造、蔵苑造の純錫茶托。

東京都渋谷区初台にて、桐たんす、お茶道具、四世秦蔵六造純錫貸式茶托、蔵苑造の純錫菱木瓜網目透茶托をお売りいただきました。

引越し前の在庫整理での買い取りのご依頼を頂きお伺いさせていただきました。奥様は茶道をされており、ご主人様は骨董品のコレクターというお客様で、たくさんのお品を拝見させていただきました。ご主人様の集めていらっしゃる骨董品はどれも素晴らしく、棟方志功の作品はとても見事でした。今後も骨董品、古美術品を大事にされてください。奥様よりお譲りいただいたお道具には、四世秦蔵六造純錫貸式茶托(二重箱)、蔵苑造の純錫菱木瓜網目透茶托など、当社で買取を強化しているものがあり、お客様にお喜びいただける査定で買い取りができました。本日は当社のご指名、有難うございました!出張帰りに「富士そば」さんを発見し、寄らせていただきました。富士そばさんには学生時代、よく通わせていただきました。学生時代にはかき揚げを入れるお金がなく、かけうどんか月見うどんばかり食べておりました。当たり前のように天玉うどんを食べれるようになり、私も少しは成長しているのだなと思いました。富士そばさん、昔と変わらない味でとても良かったです。また寄らせていただきます。

四代 秦蔵六(はたぞうろく)1898~1984
明治31年(1898)京都生まれ。二世蔵六に師事し、四世を襲名する。
東京、大阪で個展開催。技術保存資格者、京都金属工芸協会長をつとめる。
昭和59年(1984)12月1日歿、87歳。

茨城県牛久市にて、エルテ、トーマスマックナイト、ラッセンのシルクスクリーン。

茨城県牛久市にて、エルテのシルクスクリーン、トーマスマックナイトのシルクスクリーン「リバディ」、ラッセンのミクスドメディア「インフィニットウェイ」、切手などをお売りいただきました。

業者様のご紹介で、お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。十数年前にたくさん絵画を購入されるも、飾る機会がなく保管されていたのでご処分されたいとのことでした。ラッセンはハワイで購入されたようで証明書がありませんでしたが、エルテ、トーマスマックナイトは証明書が一緒に保管されておりました。特に目立つ痛みもなく状態の良いものでしたので、精一杯査定を頑張らせていただきました。他にも切手、反物を買い取らせていただきました。良いお品をお売りいただき有難うございました。帰りに常磐自動車道守谷サービスエリアへ寄り、茨城もりの市場食堂さんで海鮮丼を食べました。茨城県内の漁港で水揚げされた魚介で作られているようで、とても美味しかったです。茨城県の出張買取のは久々でしたので、お土産をたくさん買いました。茨城県に来ると必ず買うのが納豆のスナック菓子、家族みんな大好きなお菓子です!

エルテ(Erte)1892~1990
本名はロマン・ド・ティルトク。18歳の時、パリへ渡りポール・ポワレに認められ、デザイン画やファッションデザインを学び、アール・デコ様式の代表的作家となる。 アメリカで、ファッション及びハリウッドMGMでの映画セットの製作で活躍するが、第二次世界大戦で一時中断、その後76歳の時、最初の石版画やリトグラフを制作、発表する。
1892 ロシアのぺテルスブルクに生まれる
1912 パリに移る。ペンネームをエルテと命名
1919 ムーランルージュをはじめとし、数十年にわたり舞台セットのデザイン・衣装を手掛ける
1968 76歳の時、最初の石版画やリトグラフを制作
1976 フランス政府より文芸士賞を授与
1982 パリ市賞の銅メダルを授与、グラフィックの大展示会が開催される
1983 アメリカ、フランスで大回顧展開催
1990 パリの病院で死去

トーマス・マックナイト(Mcknight Thomas )1941~
世界中の都市やリゾート地をモチーフに描かれている。パステル調のカラフルな色彩と、それぞれ特色のあるインテリアの部屋から見える海や空など、トロピカルな明るく開放的なイメージの作品が多い。
1941 米国カンザス州ローレンス市に生まれる
1973 アメリカ、ヨーロッパで展覧会多数開催
1981 ホワイトハウスで開催される展覧会への出展アーティスト30人に選ばれた
1988 オーストリアン・ガーデンが、メトロポリタン美術館の永久保存作品の1点に加えられる
1990 3冊目の本「Windows On Paradise」出版
1991 アーバンリゾートフェア神戸 ’93のイメージアーティストに選ばれる
1993 神戸市博物館にて個展開催
1995 神戸市復興のために、美しい神戸の街並みを再度描き、神戸市に寄贈。
1996 三年連続で、オフィシャルクリスマスカードの制作を依頼される
1997 各地で来日展開催。リマーク入りの『スウィート・ルーム・スイート』を発表

クリスチャン リース ラッセン(Lassen Christian Riese)
1956年、3月11日アメリカ カリフォルニア生まれ。4歳の頃からすでに絵画に親しむほど、幼少の頃から才能に恵まれる。’66年ハワイ・マウイ島へ家族で移住。海の魅力に魅せられ、様々な試行錯誤の末に水面の上下で宇宙と海底を表現する2WORLDの画風を確立させる。’76年より作品を発表しつつ、プロサーファーとして世界的なランク入りを果たす。’83年、国連<クリーンオーシャンキャンペーン>のイメージアート「サンクチュアリ」を制作。’89年、ホノルルマラソン公式アーティストに選定される。 ’90年、海に対する恩返しの気持ちから環境保護団体<シービジョン財団>設立。’92年、「サンクチュアリ」が国連記念切手となる。’96年、映画「フリッパー」の公式ポスター制作。’98年、「国際海洋年1998」の公式ポスターを制作するとともにN.G.O.組織<F.U.N.>の親善大使に任命される。さらに自身が作曲・ボーカルを担当した「TURN THE TIDE」を発表。マリンアートの第一人者として日本での人気は絶大である。

東京都板橋区常盤台にて、青木木米造の染付茶碗、伊万里錦手香炉。

    

東京都板橋区常盤台にて、桐箪笥、掛軸、青木木米造の百老人物語染付茶碗、伊万里錦手四つ足双耳香炉などをお売りいただきました。

本日は三件の出張買取。一件目は墨田区墨田区墨田へ、ペルシャ絨毯のご処分でお呼びいただきました。多少状態に問題ございましたが、ナイン産の良い絨毯でしたので、買い受けさせていただきました。二件目は埼玉県戸田市へお荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらではオーディオや獅子の石製置物などをお売りいただきました。三件目は板橋区常盤台へ、解体前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらは不動産業者様のご紹介で、ご指名いただきました。いつもお客様をご紹介くださり、有難うございます。桐箪笥、掛軸の他、古伊万里や古陶磁器など、古き良きお品々を買い取らせていただきました。青木木米の染付茶碗の底には、聾米造とございます。聾米という号に関しては、木米は窯の中の温度を確かめるために窯に耳を近づけて、炎の燃える音で焼きの状況を判断していたため、木米の耳はいつも赤く腫れあがっており、ついには耳が聞こえなくなってしまい、そこから聾米と名乗るようになられたようです。青木木米造の百老人物語染付茶碗、伊万里錦手四つ足双耳香炉どちらもきちんと合わせ箱に収めて保管されておりましたので、状態も良くお客様にご満足いただける査定額で買い取らせていただきました。良いお道具をお売りいただき有難うございました。
帰宅途中、花月らーめんさんへ寄り、新メニュー「嵐げんこつらあめんぐらんキャニオン」をいただきました。大判チャーシューに刻み生ニンニクと、とてもパワフルな一杯でした。明日は一日お休みをいただきます。

青木木米(あおきもくべい)明和4年(1767)〜天保4年(1833年7月2日)
京都生まれ。幼名八十八。字は佐平。別号に青来、百六散人、古器観、亭雲楼、九九鱗、聾米。
高芙蓉に書を学び、後に作陶に目覚めると30歳を境に京都粟田口に窯を開き評判を得る。
加賀藩前田家の招聘を受け、絶えていた加賀九谷焼の再生に尽力した。
陶工としては煎茶器を主に制作。白磁、青磁、赤絵、染付など幅広い作品を手掛けた。
永樂保全、仁阿弥道八とともに京焼の幕末三名人とされる。

横浜市中区にて、茶道具、金城次郎の魚文花瓶、永楽善五郎(即全)の瓢酒瓶。

神奈川県横浜市中区にて、茶道具、人間国宝金城次郎の魚文小花瓶、千家十職永楽善五郎(即全)の交趾瓢酒瓶一対をお売りいただきました。

本日は二件の出張買取。一件目は業者様のご紹介で、東京都北区西ヶ原へお引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、贈答品、置物などを買い取らせていただきました。古く痛みやシミの出てしまっているものも多くございましたが、捨ててしまうのはもったいないお品、全て買い受けさせていただきました。数多くお売りいただき有難うございました。二件目は、神奈川県横浜市中区へお茶道具や骨董品の整理でお呼びいただきました。数年前に茶道をやめられてしまい、思い切ってすべて処分したいとのご依頼でした。茶道具は、永楽善五郎をはじめ千家十職のものなど、骨董品は、金城次郎など人間国宝のものから作家のない窯ものなど幅広くお売りいただきました。陶器の他、掛軸や時代人形なども併せてお売りいただきました。思い出のある大切なお品だった為、大切に次へと橋渡ししてほしいとのこと、責任もって次へと繋げさせていただきます。良いお道具をお売りいただき有難うございました。中華街が近かったので、帰りに「龍海飯店」というお店に行きました。こちらは142品食べ放題とのことで、今夜もまた暴食してしまいました。こちらのお店お勧めの小籠包はもちろん、大根餅などとても美味しかったです。今晩は腹筋してから寝るようにします。

十六代永樂即全(えいらくそくぜん) (本名:茂一)1917年-1998年
1917年 「十五代:永樂善五郎(正全)」の長男として生れる
1935年 「十六代:永樂善五郎」を襲名
1936年  大磯城山荘内に城山窯を築窯
1971年  表千家「十三代:即中斎宗匠」より「陶然軒」の席号を授かる
1983年  京都府文化功労賞受賞
1990年  勲五等瑞宝章受章
1998年  長男・紘一に家督を譲り「即全」と号す

金城次郎(きんじょうじろう)1912年(大正元年)– 2004年(平成16年)
那覇市生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」保持者(沖縄県で初の人間国宝)。
1925年(大正12)新垣栄徳の製陶所に入門、壷屋の製陶に従事。
1945年(昭和20)沖縄戦終結。
1946年(昭和21)那覇市壺屋に築窯。濱田庄司、河井寛次郎らの指導の元で壺屋焼を守り努める。
1972年(昭和47)沖縄本土復帰。読谷村に移住。
1985年(昭和60)4月13日、人間国宝に認定、沖縄県功労章受賞。
1993年(平成5)勲四等瑞宝章受賞。
2004年(平成16) 没。享年92。

千葉県八千代市にて頓所芳男の加茂桐箪笥、江戸川区にて桐屋田中の総桐チェスト

  

本日は三件の出張買取。千葉県八千代市、東京都江戸川区、新宿区を回りました。一件目は業者様のご紹介で、千葉県八千代市へお引越しによるお片付け整理でお呼びいただきました。こちらでは、伝統工芸士頓所芳男の加茂桐箪笥、香炉などをお売りいただきました。こちらの桐たんすは新潟県加茂市で作られている伝統工芸品加茂桐箪笥、四方丸の下三大洋和箪笥という形のたんすで、当社でも数多く取り扱う高級桐たんすになります。前飾りには、光彦刻の銘がございます。砥粉落ち、シミなどはございましたが、当社で買い取りを強化しているタンスですので、買い受けさせていただきました。帰りにお茶をいただきました。冷えた生茶、とても美味しかったです。ご馳走様でした。本日二件目は、江戸川区東葛西へ向かいました。桐屋田中さんの加茂桐箪笥との事ででお呼びいただきましたが、こちらは新潟県加茂市で造られた黒漆塗り総桐チェスト。はじめて見る形のもので始め驚きましたが、まだ新しくとても状態の良いものでしたので買い取らせていただきました。桐屋田中さんは明治創業の桐箪笥専門店で伝統があり大変信頼できるお店です。たくさんの桐製品を扱っており、こちらのチェストもまた時代の変化に合わせてつくられたのでしょう。今後こういった新しい形の桐たんすが出てくると思うと、中古桐箪笥を扱うわたしとしては楽しみでございます。チェストの他、ブランドバッグなども買い取らせていただきました。良いお品をお売りいただき有難うございました。三件目は以前お邪魔した新宿区左門町へ日本刀の買取でお呼びいただきました。お売りいただいた刀剣は「兼元」銘のもの。お引越しで邪魔になってしまう為、なくなくのご売却でした。大切にされていたお品、大切に次へと繋げさせていただきます。三度にわたりお呼びいただき有難うございました。
本日のランチは、東関東自動車道にある湾岸幕張パーキングエリアで「パワーランチ」をいただきました。前に寄ったときにもいただきましたが、780円でこのボリューム。大振りのアジフライ、豚ロースにニンニクチップ、とても美味しくてパワー充電出来ました。また寄りたいと思います。今日は久々三件の出張買取でしたが、とても充実した一日となりました。明日もニ件の出張買取、頑張ります。

さいたま市浦和区にて、徳力富吉郎の木版画、ウィルハイムの油彩画。

埼玉県さいたま市浦和区にて、創作木版画家である徳力富吉郎の木版画集「京の四季」、オランダの女流画家ウィルハイムの油彩画「丘で」であるをお売りいただきました。

お荷物のお片付け整理でお呼びいただきました。先日お電話いただき、青森県のご実家から小館善四郎の絵画を持って帰るので出張するようご依頼いただきました。青森県からさいたま市浦和区までお持ち帰りくださり有難うございました。小館善四郎の絵画は残念ながら印刷ものでございました。油彩画もあるようですが、こちらはお父様がまだ残したいとのことで青森に残されるようです。他にお売りいただいた絵画は、オランダの女流画家ウィルハイムの油彩画「丘で」や刺繍額、書の額など。また、創作木版画家である徳力富吉郎の木版画集「京の四季」も併せてお売りいただきました。木版画集は既に額装されているものを含め、三枚のみ。四季のものですので、一枚の欠品でしょうか。欠品、シミなどはございましたが、当社で買い取りを強化している作家作品ですので、買い受けさせていただきました。この度は六角堂をご指名いただき有難うございました。
今日は近所のふじみ野市で「おおい祭り」が行われておりました。昨年も寄ったのですが、活気のあるお祭りでした。息子たちは山車囃子が気に入ったようで、長い間見とれておりました。今夜はお団子やお好み焼きなどで夕食を済ませました。

徳力富吉郎(とくりきとみきちろう)
版画界の第一人者として活躍した木版画家。
1902 3月22日、京都市下京区に生まれる。代々画家の家系で、本願寺絵所を預かる旧家で十二代目に当る。
1924 京都市立美術工芸学校、及び、絵画専門学校を首席で卒業。山元春挙、土田麦僊、鹿子木盂郎に日本画、洋画を日野慶吉、大岩徳蔵に師事して版画を学び、国画創作協会第六回展で日本画「人形」を出品、樗牛賞を受賞する。
1928 平塚運一、棟方志功ら版画家と同人雑誌「版」を刊行。
1929 土田杏村氏などの推薦により、版画雑誌「大衆版画」を発行。春陽会に創作版画出品発表(以降、10年間連続出品)。
1946 終戦と同時に版画製作所「版元まつ九」を設立し、幾多の従弟を養成する。産業的版画の量産を始め、木版手摺の絵葉書を製作、全日本絵葉書コンクールに出品受賞する。
1962 米国、及び、欧州各国の古美術見学やスケッチ旅行にて約2ヶ月ほど渡る。
1964 米・英・独各地にて、デモンストレーションを行い、好評を得る。
1965 東京銀座いとう画廊にて、第一回個展開催。
1968 米クリーブランド市メーカーカンパニー百貨店で、棟方志功らと同時個展を開催。
1978 4月29日、勲四等瑞宝章を受賞。
1980 京都市文化功労賞を受賞。
1985 本願寺名誉総裁賞を受賞。
1990 京都仁和時国宝「孔雀明王」(千三百度摺)の復元、摺刷を監修。
1992 京都府特別文化功労賞を受賞。
1996 日本浮世絵協会より、浮世絵奨励賞を受賞。
2000 7月1日、京都市左京区の病院で死去、享年98歳。

東京都青梅市にて、欅材小箪笥や小引出し、刀剣、刀装具など。

 

東京都青梅市にて、欅材小箪笥や小引出し、刀、脇差、短刀、薙刀などの刀剣、鍔など刀装具をお売りいただきました。

先日お邪魔した青梅市のお客様宅へ再度出張させていただきました。先日お邪魔した際にはお茶道具などを買い取らせていただきましたが、本日は刀剣類などを買い取らせていただきました。こちらのお客様はお売りいただくお品が多く、この後二回、合計四回に分けて出張させていただきます。本日お売りいただいた刀剣は四件の相見積もりでしたが、当社が全て買い取らせていただくこととなりました。先日お見積りした後、短刀が数本増えましたので、追加査定で買い取らせていただきました。お売りいただいた刀剣や刀装具には、日本美術刀剣保存協会が発行している特別貴重刀剣の認定書が付属されているものもございました。状態の悪いものも多くございましたが、銘のあるものが多くございました。お父様が大切にされていた刀剣類、当社で大切に次へと残していけるよう頑張ります。また、欅材小箪笥や小引出などの和家具も今回買い取らせていただきました。運び出しにご協力いただき有難うございました。次回買い取らせていただく陶器の数が多く、仕分けをしながら箱詰めさせていただきました。途中休憩をいただきましたが、お客様に食事の差し入れをしていただきました。本日も暑かった為、冷やしおろしうどん、とても美味しかったです。ご馳走様でした。次回はトラック二台でお邪魔し、家具や陶器を買い取らせていただきます。本日はありがとうございました。帰宅途中に青梅駅の近くでしょうか、昭和レトロ商品博物館というところを通りました。わたしたち古物商好みの古き良き時代の雰囲気があふれる博物館でした。こちらの並びには懐かしい映画の看板などが飾られており、とても雰囲気の良い場所でした。いずれ寄りたいと思います。